聖剣に知能を与えたら大変なことになった

トンボ

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第一章 聖剣『クラウス・ソラス』

6 魔術師、ムカつく。

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 窓から差し込む日差しが瞼の裏まで淡く届いてきていた。

 ニコラリーは布団をどけてゆっくりと起き上がる……つもりだったのだが、彼の上にかけ布団もなければ下にも敷き布団はない。寝ている間に何らかが原因で布団から出しまい、床で寝ていたようだ。

 いっておくがニコラリーの寝相はとても良い。故にこういう経験は案外寝相の悪いナツメと子供時代に一緒に寝たとき以来である。

「……んっ」

「……」

 まあそうだろうなとは思ってはいたが、横にいる彼女をじろりと見て納得した。

 聖剣『クラウス・ソラス』、変身魔法を使い人間の姿となっているが、正体は3000年もの間封印されていた伝説の聖剣である。それが本来ニコラリーが寝ているはずの布団で寝ていた。――かけ布団を敷き布団にするかたちで。

 この状況からしてニコラリーが寝ている間、寝相の悪い聖剣に蹴飛ばされて場外にどかされたのだろう。

 家の玄関のドアを壊したり、大根を大量に切り刻んだり、と聖剣なのか疑わしいドジも何度かあったが、その本質は昨日の問答で見極められたのだった。今目の前で他人の布団を奪ってスヤスヤと寝息を立てている白銀の髪の少女は、間違いなく聖剣だ。

 完全に目が覚めたニコラリーはまだ寝ている聖剣を起こさないよう、そーっと静かに歩いて台所へ向かう。蛇口をひねって顔を洗いながら、今日の予定を軽く考えていた。



 彼女が起きてきたのは、それから1時間後だった。人間形態の彼女には食事は不要とのことだったが、食べても問題ないようなので一緒に食べた。味については昨日の大根汁よりはマシ、という悪口なのか誉め言葉なのか分からない評価をいただいた。

「そういえば、貴方はずっと人間の姿してるけど、疲れないの?」

 朝ごはんで出た食器を洗いながらニコラリーは疑問を口にする。隣で彼の洗った食器を拭いては水切りに立てかけていく聖剣はふんわりと笑った。

「こんなので疲れるほどしょぼくれてないぞ、我は。それと主殿が聖剣呼びをしてしまうのなら、我が人間のフリをする意味がなくなってしまうではないか。聖剣だとバレバレだ」

「確かにそうっすね。えっと、聖剣の名前って何だっけ」

「まったく、名前ぐらい覚えておれ。聖剣『クラウス・ソラス』だ。クラウスともソラスとも好きに呼べ」

 ニコラリーは彼女の名前を聞き、手を動かしながらも彼女の姿の全貌を見つめる。灰色の入った白が基調の改造巫女服に白銀の長い髪、その姿を見るにクラウスもソラスもあまり似合わない気がしていた。

 ぎりぎりクラウスならかっこいい感じでいいだろうか。名前に関するセンスがないニコラリーは何だかもにゃりとした悪い後味が残る。

「あと、そこまでかしこまらんでも良い。聖剣といえど、我は従者に過ぎぬ。従者にかしこまる主があるか」

「……そういうもん?」

「そういうもんだ。主殿、次の皿をくれ」

「ん、ああ。これで最後」

 最後の皿を聖剣――もとい、クラウスに渡して今朝の洗い物は終了した。彼女に今日は街に行く、とだけ伝えてニコラリーは地下室へと降りて行った。

 昨日もドアを修理するために地下室へ行ったのだが、ニコラリーの家は一見小さな小屋にしか見えないかもしれない。

 しかし、地上部分はちんけな代わりに地上部分の2倍の面積の地下室が設けられていた。普段はそこで魔法の研究や薬の調合、身支度などを行っている。太陽の光が届かず湿気もあるところだが、外の影響を受けづらいという点においては優秀だ。

 ニコラリーは1階でクラウスを待たせていることもあり、すぐに身支度をして地下室を出る。適当な服の上に藍色のマントを巻いた簡素な服装だ。藍色というのは彼のお気に入りの色で、彼の黒髪もよく見れば、黒に限りなく近い藍色をしている。

 一階部分に出ると、クラウスはすでに玄関付近で壁にもたれかかって待っていた。

「ふむ、魔術師らしい格好じゃないか」

 昨日は動きやすい服を着ていたため、ニコラリーがクラウスの前でこのような一応の正装をしたのは初めてだった。

 彼女の言葉から、3000年前の魔術師もこのような格好をしていたのだろう。時代は変わっても根付いた習慣はあまり変わらないようだ。

「待たせたな。行こうか」

 玄関の扉を開け、日の下に姿を現す二人。ニコラリー宅の周りには相変わらず緑が茂っている。

「街はここからどのくらいで着くのだ? その街にナツメもいるのだろう?」

「二十分ほどで着くよ。ナツメは今日は仕事って言ってたから多分会えないけどね」

 クラウスの質問に答えながら、昨日の夜、大根汁を食べてからすぐ帰ってしまったナツメを思い出していた。

 聖剣がそこにあるのにも関わらず、仕事の都合で帰らなければいけなくて悔いながらも帰宅していった。まあナツメとの埋め合わせはすぐにできそうだし、そこまで悲観してはいなかったが。



 歩いて二十分。ニコラリーがよく足を運ぶ中都市、『エインアリー』の正門についた。中規模の都市とはいえ、外部からは大きな壁で隔たれており、魔物の侵入を防いでいる。都市へ入れる門は東西南北の計4つあり、壁はそれを中心に四角形でつなぐように作られているのだ。

「うおー! すごいなこれは!」

 正門越しに見える灰色の建物を見て楽しそうなクラウス。巫女服と長髪を揺らしながら正門の前でジャンプしたりして中を覗き込もうとしていた。

 そんなことをせず街中へ入ってしまえば風景など見放題なのだが、街の外から見える風景とはまた違うのでそうしたくなる気持ちは分からなくもない。それを実際にやるかは別として。

「はしゃいでないで、入るぞ。その謎の踊りは門番に怪しまれるからやめてな」

 楽しそうなクラウスを適当に治めて、門番のもとへ行く。

 ニコラリーはよくこの街に来ているし、街の中にも知り合いはたくさんいる。故に門番として働く衛兵とも顔見知りな場合が多い。

 今回の門番も以前にあったことのある男で、一応許可証は見せるもののほとんど顔パスで街の中へ入れた。クラウスについても、連れであるということを言えば、特にたしなめられることなく簡単に街中へと入れた。

 街中はいつも通り、多くの人だかりや馬引きであふれかえっていた。いつも見る光景であるが、クラウスにとっては何もかもが新しい光景らしく、数歩歩くたびにいろんな場所を指さしては楽しそうに騒いでいた。

 そう、指をさす程度ならばまだよかったのだ。しかし彼女の好奇心は徐々に行動へと現れていく。

「主殿! この浮いてるのはなんだ?」

「それは飾りつけの風船。ゴムの中に軽い気体を……やめろ! 店の飾りを取るんじゃない!」





「主殿! このフワフワしてるのはなんだ?」

「それはパン。なんとか菌っていうのを焼いて? 作るらしい」

「もふもふおいしい。毒はないな」

「それ売り物だ! やめろ! 勝手に食うな!」






「主殿! 活きの良い鳥が売ってるぞ!」

「それ文鳥! 食わないから!」







「主殿! ――」
「はしゃいでるとこ悪いけど、もうちょっと落ち着いてくれない?」






 街に入って約一時間。ニコラリーはあっちこっちに飛んでいくクラウスの尻拭いで疲れ果てていた。

 今は小さな公園のベンチで二人仲良く座ってりんご飴を食べている。ちなみに言っておくがこれはニコラリーがちゃんと購入したものであり、クラウスがそこらへんから持ってきたわけではない。

「あの、もうちょっと大人しくしててくれない?」

「うー……。すまぬ……。つい興奮してしまって」

 クラウスはりんご飴をなめながらしょんぼりと肩をしぼめる。ニコラリーもため息をついてりんご飴を口の中に放り込んだ。

 ニコラリーはただクラウスに引っ掻き回されながらただ街中を奔走していたわけではなかった。聖剣が抜かれたことがどれだけ噂になっているのか、彼女を追いかける最中に聞き耳を立てていたのだ。

 しかし聖剣関係の会話はひとつも聞くことはなかった。聖剣を見るために古の遺跡に人が集まるようなブームは一定間隔で起こる。幸い、ニコラリーが聖剣を見に行った時期、つまり最近は聖剣ブームが終わって間もないことなので、見に行く人は限りなく少ない。ブームも過ぎた商品にたかる人が少ないのと同じだ。

 故に聖剣があの場所からなくなっていると知っている人はまだいない。ニコラリーは密に胸をなでおろした。

 二人がりんご飴も食べ終えたところで再び散策を開始した。今度はクラウスがあっちこっち行きまくらないように細心の注意を払って。

「主殿、あの本がたくさんあるところに行きたいのだが」

 流石は聖剣だ。物事をすぐに学んで実践してくれる。これは皮肉だ。

 クラウスの指さす先には本屋があった。いくつかのベストセラー本が店頭に並べられているような、普通の本屋。あそこなら特殊なものは置いてないだろう。

「よし。俺はここで待ってる。ここで約束してくれ。店にあるものの大半は売り物だ。勝手に破ったり壊したりしてはいけない。復唱、どうぞ」

「店にあるものの大半は売り物だ。勝手に破ったり壊したりはいけない」

「よし。慎ましくいってらっしゃい」

 まるで試験を受けに行く子供のような顔つきでうなずくクラウス。そして本屋に向かってタッタッタと駆けていく。

 3000年以上の時を生きているのにも関わらず、素直なものだ。歳をとるにつれ頑固になっていく人間とはえらい違いである。

「大変だったなあ、兄ちゃん」

 本屋の隣の壁にもたれて彼女の帰りを待っていると誰かに話しかけられた。声のほうを向くと三人の男が笑いかけてきている。

 金髪一人にスキンヘッド一人、モヒカン一人のどこからどう見たって不良みたいな人たちだ。しかしこの連中は不良ではない。ニコラリーは知っていた。親類に権力者がおり、そのコネで入隊した『質の悪い傭兵』であると。

「なにが?」

「いや、オレたちゃ見てたんだよ。あの女にお前が振り回されているのをよォ」

「大変だよなあ、あんなアホに振り回されちゃ! お前の面子丸つぶれ! 何度も頭下げてたもんなァ?」

 ニチャニチャと不快な音をたてながら至近距離まで顔を近づけてくるモヒカンとスキンヘッド。

 本心としては今すぐ突き放してやりたいところだが、なんとか精神を落ち着かせてそれを防ぐ。この三人はくさっても傭兵だ。三人の機嫌を悪くして襲われでもしたらたまったものではない。

 それに、今はクラウスという街散策の初心者を連れている。そんな中で街中で争いごとなどできない。

 挑発ともとれるそれらの言動をハハハ、と苦い笑いでやり過ごすニコラリー。できることなら、クラウスが帰ってくるまでにどこかへ行ってほしいのだけれど。

「あんなバカ女、早く売っちまえよ。あれなら高く売れそうじゃねえか。父上にかけあってやろうか?」

「何ならオレが買うわ! 六ジェルで!」

「ハハハ! パンの耳以下かよ!」

 外部から入る音をシャットアウトしろ。聞いても何も特はない。取り乱したら負けだ。

 それでも何とか苦笑いで逃げるニコラリー。さすがに男三人も面白くなかったのか、その場から離れようと踵を返そうとする。終わった。その安堵が広がろうとしたところで、来てしまった。

「主殿! この本を見てくれ!」

 青い背表紙の本を持って店内から出てきたのは紛れもないクラウスだった。ニコラリーは焦って男たちの顔をうかがう。唇の端が少し吊り上がっていた気がした。――タイミングが悪いかった。

「オイオイオイ! 売り物を店の外に持ってきちゃダメだろ!」

「え……?」

「そうそう! そりゃ万引きだぜ万引き!」

 金髪に続きモヒカンの男にも指摘され、その本を抱き込んだまま立ち止まるクラウス。三人の中では彼女の行動がツボったのか、爆笑の渦が巻き起こっていた。

 ニコラリーはともかく、クラウスはその状況にどう対処すればいいのかわからず、困惑した表情でニコラリーの方をチラりと見た。

 クラウスは悪くない。何も知らなかったのだから。自分が教えていなかったのだから。

 そんなことは百の承知だった。ニコラリーは彼女に近づくと、本の裏表紙についている値札を見てそれぴったりと小銭を渡す。

「これと本を持って、あそこのテーブルに行きな。俺が渡した金属を全部渡せばその本が貰えるから」

「そう……なのか?」

「ああ。行ってこい」

 ニコラリーから金を受け取ったクラウスは、心配そうな眼差しで彼越しに自分に茶々を入れてきた男たちとニコラリーを交互に見るが、最後にはニコラリーに押し出されてそのまま売り場まで戻っていった。

 そのころようやく男どもの中で笑いが止まり、再び金髪の男がニコラリーに声をかける。

「ははは! 非常識にもほどがある女だ! 頭が悪いなんてもんじゃねえな」

 言い返してはいけない。クラウスが帰ってきたらすぐにこの場を離れる。それが最善。

「下の世話もできそうにねえな! あんなんじゃ!」

 どうせは第三者の世迷言にすぎない。これが彼らの戦略なのだ。容易に乗ってはいけない。この時をやり過ごせば、

「ホンット! うっとおしいだけの不良品だな!」

 うっとおしいだけの、不良品。その言葉が他に比べてやけに自分の心に引っかかった気がした。胸糞悪くなる煽り文句よりも深く不快に突き刺さる。これは、なんだ。

『うぉおおおおおい! 何してくれてんすか!?』
『損はすれど特はなさそうなんだけど!』
『あっ、ちょ、やめ』
『多いわ! 鍋に入るかも――』

 ――ああ、そうだ。ニコラリーは妙な納得を得た。

 その言葉は、ニコラリーが内心で彼女に対して本気で思っていた言葉だったのだ。ニコラリーは自身が軽蔑している男たちと同じことを思っていた。彼女のことを彼らよりも知っていて、それを改善させてあげられる立場にいるくせに。ニコラリーは潜在的に彼女をまだ不良品扱いしていた。

 それは自分への失望。一生懸命な彼女に対する冒涜でもあった。

 ――しかし、

 ニコラリーは男たちに向かって一歩を踏み出す。それまでヘラヘラしていた男たちも、ニコラリーの雰囲気が変わっていることに気づき、多少どよめいていた。


 ――それ以上に、


「おい、さっきから好き勝手言ってんじゃねえぞ」

 ついぞ、ニコラリーが金髪の男の至近距離まで足を踏み入れた。そして胸倉をつかみ、顔を男の顔の真正面までに持ってきて、その額に自分の額をぶつける。



 ――彼女の悪口が他人の口から出てくるのに、




「ムカつくんだよ、カスが」

 ――ムカついていた。
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