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第三章 コルマノン大騒動

99 狐火の魔術

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「げほっ……! くっ……!」

 屋敷の二階の部屋から蹴り飛ばされ、庭の噴水まで吹っ飛んだシェルム。上がった水しぶきが全て地に落ちたところで、シェルムは起き上がった。

「くそっ……! クソッ!」

 シェルムは噴水の中で立ち上がり、その足で水の張った地面を勢いよく踏みつける。その地面にはヒビが割れて、噴水を循環している水がその亀裂から乱されていった。

 シェルムの心の中には単純な感情が渦巻いていた。悔しさという、人生の内に誰もが何度も経験する単純な感情が。

 すべてはシェルムが浮かれていたせいだった。バロットを寸でのところで殺せたというのに、その嬉しい事実を前にして油断してしまっていた。アレは完全にシェルムのミスだ。

「お、おい! 大丈夫なんだろうな!?」

 未だに庭のところで待機していたのか、さっきとほとんど同じ場所にいるステフがシェルムに向かって怒鳴る。

 噴水で濡れたシェルムの白い前髪から雫がしたたり落ちた。シェルムはそんなステフの若干ながら震えた声にイラついて、思わず彼の方へ身を乗り出し、口を開く。

「うっせぇ! 黙っ――!」

 八つ当たりとも取れるシェルムの怒鳴り声。しかしそれはその途中で不自然に途切れた。

 シェルムは突然に唇をかみしめると、脚へと魔力を伝達させてわざと大気中に放出した。

 自然界の流れに背く魔力の放出に、足元に流れる噴水の水が破裂するように飛び散る。飛び散る雫はステフの使用人たちが持つランプによって、かなり薄く照らされた。それをシェルムは一瞬も見逃さず、はっきりと凝視する。

「……っ!」

 空中に舞い上がった水飛沫。その一部が不自然に弾けるのをシェルムは見逃さない。それが"ナイフの軌道"なのだ。

 シェルムは瞬時に魔力を発現し、周囲に幾つかの狐日が漂い始めた。それらはただの火の玉を浮かべているわけはない――サラが使っていた『瑠璃怪火スカーレット・クリメイション』という魔術形態だ。

 投擲された透明なナイフがシェルムのもとへ届く前に、その周囲に揺蕩う狐火の一つが消えた。
 直後、低く金属音に近いが鈍く響き、シェルムへ向かっていた数多のナイフが一斉に弾かれる。

 が。

「くっ……!」

 弾ききれなかったナイフの一本が、シェルムの頬をかすった。

 本来の、サラ本人が操る『瑠璃怪火』であれば、全てのナイフを弾き飛ばせていただろう。しかし今はシェルムがサラの体を操っているに過ぎない。自分の体でない上に、自分のものではない能力――つまるところ、使用者と能力の不一致により、それほど十分に能力を発揮することがシェルムには難しかったのだ。

 故に、能力の性能は本来よりも劣化していた。

「まずいっ……!」

 シェルムは焦燥に駆られていた。

 それは『瑠璃怪火』の能力を満足に扱えなかったことに対するものではない。そもそも、自らの異能で生じる不都合はシェルムも充分承知だった。

 シェルムはすぐさま地面を蹴ってその場を離れようとする。しかし空中に跳んだ直後、さっきまでシェルムがいた位置の水面がはねた。――彼が、すでにそこまで来ていた

「ぐ……!」

 次の瞬間、虚空から空中のシェルムに向かって強い衝撃が放たれた。否、それは異能により透明になっていて目視はできなかったバロットの蹴りだった。

 けれど、彼の攻撃が来ることははねた水を見てシェルムも分かっていた。シェルムは寸でのところでそれを両腕で防御しており、同時に周囲の狐日を一つ消費して『瑠璃怪火』を発動させる。

「クソが……!」

 蹴りを受けていたシェルムの体の輪郭がぼやけたかと思うと、次の瞬間には実体のない火の子へと姿を変えていた。バロットの蹴りは空をきって終わる。

 シェルム本体といえば、その後ろの芝生に着地していた。そのまま後ろに滑ってバロットと距離をとりながら、目に見えないバロットを捉えた。

 ――『瑠璃怪火』の能力は使用者の周囲に漂う狐火の数を用いて発動できる。その能力はシェルムが使ったように、飛び道具を弾いたり、周囲の狐火を身代わりにしたりと多岐にわたる。使用する能力ごとに消費しなければならない狐火が変化することもある。

 本来ならば、周囲に揺蕩う狐火の数は九つ。しかしシェルムはサラではないので、七つしか精製できなかった。故に残っている狐火の数は五つ。

 衝撃を受け終え滑っていた体が止まり、芝生の上に立つシェルム。そしてその両腕にかかる痛みをかみしめた。

 狐火の数だけではない。能力も完全に再現できているわけではなかった。現に、ナイフを全て弾き飛ばせなかったし、狐火を完全に身代わりにしきれず、シェルムに蹴りのダメージが蓄積されている。

 ナイフで裂かれたシェルムの傷も未だの健在で、いやに大きく脈を打っていた。

 状況としては気持ちの良いものではない。負けが薄らと見えているこの状況で、シェルムは"とある事"を思い出し、その路線で巻き返そうと決定した。

「……なァ、先輩」

 シェルムはギロリとバロットがいるであろう場所を睨む。返答などは勿論帰ってこず、しんと静まった夜の風が代わりに流れていた。

「"やってみたかったこと"が、一つあるんだ」

 シェルムの口元が緩む。
 その直後に、ぴくりとシェルムの感覚が震えた。――それは殺気。バロットによる、殺気だった。

 バロットも鈍感ではない。シェルムのやろうとしていることに気づいたのだろう。シェルムは少し楽しくなってきた。

「さぁ、どうなると思う?」

 シェルムがそう言うと、シェルムの周囲に揺蕩う狐火のうち、四つの火が消える。刹那、シェルムまでも巻き込む大爆発が巻き起こった。『瑠璃怪火』の能力のひとつだ。

 あまりの爆音に聴覚が麻痺し、周囲は水を一瞬で蒸発させるほどの熱量と黒い煙に包まれる。さらに爆心地から成る強烈な爆風が辺りの空間を砕き、全てのものを一瞬にして攫った。

「……ッ! シェルム!!」

 その爆発をもろに喰らうのにも関わらず、そのまま突っ込んだバロットが叫ぶ。彼の顔は『瑠璃怪火』の爆撃により半分ほどの皮が剥げていて、ダメージにより彼の透過はほとんど解けていた。

 それでもなお、バロットはシェルムへと向かっていた。そこまでしても、バロットは"それ"をシェルムにやらせたくなかったのだ。

 しかしそれは叶わない。

 爆発のほぼ中心、黒い煙が浮動し肌をも焦がす熱が渦巻くその場所で、シェルムはそれをついに抜刀しよう引き出そうとしていた。

「……我が偸盗、那由多の波旬を以て、住劫を壊劫へ導く力を呼び覚ませ!」

 残しておいた一つの狐火は姿を消している。さらにはその姿までもが、所々の肌が爛れており、バロットにつけられた傷口は黒く変色していた。

 シェルムはそんなことなど眼中にないように、瞳を閉じてそう唱えていた。そして、瞳を開けると右腕を前にかざし、叫んだ。

「名は天魔! 我がもとに召喚こい! 波羅夷はらい!」
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