夢列車

トンボ

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玲瓏少女は悪夢を見ない

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 刹那、車体が斜めに揺れた。

 否、慣性の法則が働いてそう感じただけだ。
 急ブレーキにより、小さなピエロ達は運転席の方へ投げ出され、アザミは何とか窓に手をつけて耐える。

 甲高い音をなびかせながら車両は止まった。カシュウ、といつものように音をたてて扉は開かれる。
 その先にあったのは、闇ではなかった。

「行くぞ!」

 誰かがアザミの手を引いた。
 ぐわんと視界が揺れて、足元に転がっている骸を蹴り飛ばしながら、その手に引かれて列車から出る。列車の中から誰かが追いかけてくる気配はない。すんなりと、アザミともう1人はホームへと脱出できた。
 アザミの手を引く女性の、長い髪がふわりと揺れる。

 眼前に広がる駅は、アザミの知っている『本来この列車が着くはずの駅』ではなかった。
 緑色の鉄筋と木製の壁と床のミスマッチを、謎の売り出しとしていたことのカケラもない、白いコンクリートと黒いコンクリートで構成された質素な駅だった。まるでアザミと、彼女を引っ張り出したもう1人――スクナの、2人だけの世界にいるかのよう。

「しきせ、か。片隅とか、終点の方じゃなくてよかったな」

 スクナが小さくぼやく。
 アザミには何を言っているのか分からなかったが、壁の駅名標に読めない歪で身の毛もよだつような、嫌な何かで書いてあることに気づいた。
 いや、あれは文字だ。緑色の線の上に、大きく描かれているのは文字。――読め、読め。あれはシミとかそういうものではない。文字なのだ。読まれるためだけに存在する、文字に過ぎない。それが遂行できないのならば、存在意義が掻き消えるのだから、読めないはずがないのだ。

 ――色選。シキセ。読めた。この駅の名は、色選だ。

「よく、読めましたね。色を選ぶ、と書いてシキセ、なんですね」

「ん? 読めるのか、アレが」

 アザミの言葉に、きょとんとした表情で振り返るスクナ。突如、その凍える瞳が見開き、アザミを抱き寄せて壁の方に向かって飛び込んだ。彼女の腕に防御されたものの、堅い地面に倒されて何が何だか理由を問いただそうとしたところで、鼓膜に轟音が響いた。

 スクナは腕で顔を大雑把に覆いながら、今まで乗っていた列車を見る。スクナに倣い、彼女の腕の中でその光景を見た。

 舞う鉄の塊と、それに混じる黒い液。そしてレールを伝う振動。アザミたちの乗ってきた列車は、後続から来た異なる列車に衝突されたのだ。ギギギ、という金属の軋む重い音が耳にへばりつく。

 その音はやまない。アザミは気づく。あろうことか、列車を後ろから着いた新たな列車は、アクセルを緩める気がないらしい。他の列車が前方で止まっているからといい、それを力業で突破しようとしているのだ。

 それでも列車は動きを見せなかった。尻からどつかれたのなら、車輪が動いて前に行くものだとばかり思っていたが、全く動いてない。後ろの車両が徐々に潰され、その端材が虚空を舞っていく。

「これは異物なんだ。この線路に相応しいのは、この列車じゃない。だから無視されて、淘汰される」

 バチン、とはじく音が聞こえたと思うと、一番最後の車両が力に耐え切れず、半壊したまま上にはじけ飛んでいた。大きな音をたてて、反対車線のレールへ落ちる。それからは決壊したダムからあふれ出る水のように、列車は列車を押し壊していく。

うつつにまで手を出すからさ。テリトリーで呑み込めば」

 スクナはニヤリと笑う。

「いや、ムリか。私がいるからな」

 ついに先頭車両が後続の列車に破壊され、その列車は何事もなかったように通過していった。
 その通過していった列車に窓から、こちらを直立して見つめる乗務員が見えた気がした。瞳の黒目と白目が逆で、さらに車内を埋め尽くす数のそれにアザミは嫌な汗をかく。

 そんな急行列車は数秒と持たず視界から失せ、それが通り過ぎて行ったホームには、涼しい風が一瞬だけたなびいたかと思うと、すぐに静かになった。

 散らばったクズ鉄や薄汚れた布切れ、頭蓋の欠片などが散らばるホームに2人して立ち上がる。白黒のホームには、寂しい残留感が漂っていた。アザミを取り込もうとしていたモノの成れの果てが、すぐ目の前に散らばっている。それは喜ばしいことのはずなのに、どこか悲しかった。

 アザミの後ろに立っていたスクナが、急に手を回して彼女の瞳を遮った。
 思わず手をはがそうとするが、スクナは「しーっ」と宥める。

「目を閉じろ。開けるな」

 アザミはうなずく。「いいな」と、そう念押しされてスクナの冷たい手は取り払われた。

「これは夢だったんだ。白昼夢さ。こんな場所は現実世界に居場所を与えられていない。意識だけが浮上していて、それは君じゃない。ここに君はいない。何故なら、君は今、隣駅のホームにいるからね」

 喧騒が、聞こえる。
 若干の暑苦しさが戻ってきた。
 コンクリートを叩く足音が増えていく。

 ヒトが、人の形を成していく。

「おっと、失礼」

 ぶつかられた感触があり、男の声が聞こえ、過ぎ去っていく。

 ここはアザミの知っている、いつもの駅だ。先ほどまでどこかへ行ってしまっていた安心感が帰ってきて、目を開けると、スクナが立っていた。アザミに気づくと近寄ってきて、手をアザミの頬にあてる。

「よく頑張ったね」

 愛おしそうにアザミを撫でるスクナの瞳を見る。暖かい、潤った黒の瞳。安堵という温もりに呑まれそうになる。アザミは今一度目を閉じた。

 ――違う。

 アザミは目を開けると同時に、目の前にいる誰かの首筋を両手でつかんだ。スクナのような誰かの顔は、首を絞められようとも歪むことなく、奇妙に微笑んでいる。彼女の顔に、温暖な雰囲気の瞳は似合わない。彼女の瞳は一切を凍結させる唯一のものだ。

「カカカカカカアカカカカア」

 笑い声が聞こえる。
 不気味な笑顔は頬から、まるで錆がボロボロと落ちていくように、皮がはがれていき、隠されていた本当の顔ピエロ顔が露出する。

 同時に顔から下も、服も靴も無視して全てが崩れ去っていった。生暖かい風に乗せられてそのくずは消え、さっきまでいたはずのヒトは消えていた。

 ついに残ったのはアザミと、誰かの中にいたピエロの人形だけ。それはボタンで出来た目のうち、片目が飛び出ていて、頭は裂かれ中の赤い綿が飛び出している。さらにいえば、この人形に手足はついていなかった。否、胴体の接続部分から根こそぎちぎられている。

「さよなら」

 アザミは、どうすればいいいのか不思議と理解していた。
 ボロボロの人形の首を握力で千切ることはとても難しいことではなかった。両手の親指で押しだしたら、皮が簡単にちぎれてその中にある湿った綿の感触がした。ピエロの顔が後ろに90度倒れて世界にヒビが入る。

 夢か現か、移り変わる世界で信じられるのは、自分の望みだけ。

 ピエロの首が落ちた。世界も音を立てて崩れていく。張りぼての風景に隠されていた無が露になり、全てが一点に向かって吸い込まれていいった。

 意識が切り替わった。
 アザミは喧騒の中に立っていた。
 アザミを追い越す人々は、ホームのど真ん中で立ちすくむ彼女に嫌な顔をしながら、ぶつからないように避けていく。

「目を開けるなって言ったのに」

 目の前の木のベンチに座っていたスクナが、口を尖らせていた。アザミはふう、と一息ついて彼女の隣に腰を下ろした。

 あれは音が単一の世界だった、と今この喧騒のど真ん中に座って気づく。音は足音とか、混雑した雑音を集合体としてひとつで聞こえるわけではなかった。喧騒の中に潜む、たまに聞こえる甲高い声や、何かのブザー音、さらに携帯でも落としたのか、プラスチックか何かを落とした音――さっきの世界では『喧騒』の一言で済ませられた集合体の個が、正しい世界の中でそれぞれ声を上げている。

 無意識に耳を澄ましていたアザミに、スクナは言った。

「夢か現か、考えるだけ無駄さ。そのどちらもモドキでしかない」

 スクナは「だけど」と続ける。

「ヒトは単純な形を好む。だから、どちらも本物にするんだ」

 太陽が雲からでてきて、忘れていた日の日差しが天井の隙間からホームを照らしていた。


 結局のところ、眼科には行かなかった。
 あれから2人は次の電車を待って、本来行くはずだった眼科の最寄り駅で降りたのだが、眼科ではなく駅敷設の喫茶店に足を運び、そこでアザミはスクナに今回のことを言い寄ったのだけれど、確信に迫る部分はうまくはぐらかされてしまった。

「夢は現実を侵してはいけない。夢は夢で在るべき、ただそれだけだよ」

 そう言って注文したカプチーノに口をつけるスクナは、どこか楽しそうだったのを覚えている。
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