或る男の余生。

夏生槇

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1.近所のおっさん失踪事件

1-1. ダレンズキッチンへようこそ!

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 ――1、2、3

 静寂の中、乱れることなく「時」が刻まれていく。
 立派にアンティークにカテゴライズされる、それでもしっかりと磨かれた美しい柱時計の鼓動に耳を傾けながら、レレントは今朝方帰還したばかりの部屋の主を盗み見た。

(綺麗だ)

 長旅疲れは見えるものの、――素直に、かつ、直球に、美しい男だと思う。

 女性と見紛う、というのとはまた違う。彫刻的な美というわけでもない。
 ただただ、女性的な華やかさと、少年期の瑞瑞しさ、透明感がひとつの顔面という土台に計算尽くされたバランスで乗っている。
 とにかく顔の良い男なのである。

「……レレント。見過ぎ」

 本当ならばもっと至近で、穴が空くまで眺めたい。そんな欲求をしかと抑えきっていたつもりだったが、この男、どうにも視線に敏い。
 レレントはあはは、と誤魔化すように笑うと、殆ど動きを止めていた万年筆に蓋をし、そっとデスクに寝かせた。
 これは彼の「話しかけても良い」というサインだ。
 せっかく出たお許しに、乗っからない手はないのである。

「すみません。カナチカさん、久々だなあと思って」
「二か月くらいじゃん」
「二か月も、ですよ。この部屋カナチカさんがいないとほんと淋しいんです。華が足りないというか。温度が下がるというか。やる気もでない。士気に関わります」
「お前ほんっと俺の顔好きね」
「好きです」
「……まあ減るもんじゃなし、お手軽な福利厚生で助かるよ」

 レレントから淀みなく伝えられた顔面への好意を受け、美しい男――カナチカは、そう言って呆れたように笑った。
 年齢も、立場も、カナチカの方が上。
 それなのに笑うと妙に可愛らしくて。
 本当にズルい男だな、とレレントはその笑顔を見るたびに思う。

「……腹減ったな。昼飯行くか」 
「いいですね」

 福利厚生といいながら過剰なサービスはするつもりもないらしいカナチカは、遠慮も躊躇いもない欠伸を零しながら、ううん、と大きく背を伸ばした。
 午前の営業はこれにて終了。
 レレントは手元の光源から灯りを落とし、コートラックから2人分の上着を手に取る。

「どこ行きます?」
「んー……近くて、がっつりめ」
「ならダレンさんのとこですかね」
「塩もってくか」
「怒られますよ」

 軽口を叩きながら執務室を出た二人は、地続きにある雑貨店に外出の旨を告げ屋外に出た。

 レレントの勤め先であり、カナチカの経営するグルウリンク商会は、大陸東の大国、カレッドの首都、イルミナの、西商業地区に存在する。
 そのエリアのシンボルである物見燈台から徒歩3分。坂の上部にある赤煉瓦の建物が丸々、彼らの拠点だ。
 そしてそこからほど近い、坂を下りきったあたりの場所に、ダレンズキッチンという大衆食堂がある。
 可も無く不可もない、とにかく身近で無難なことが売りのどこにでもある地域密着型の飲食店だ。
 ……というのは精一杯オブラートに包んだ表現で、常連しかいないから接客という概念が消え、競合店もないせいで研鑽もない。なあなあな空気の充満する超内向きコミュニティである、というのが正しい評価である。
 二人がその店に通うのも、近くてそれなりにガッツリとした食事が取れるという理由から。 
 だからこの日も、純粋に腹を満たすためだけに、期待感もなく店を訪れた。
 ――が。

「……え、なにこれ」

 ピーク時でもせいぜい6、7割くらいしか埋まらないのが常だというのに、店内はほぼ満席の状態だった。
 それも、仕事に疲れた中高年男性がメインの客層であるはずが半数以上は若い女性だ。

「……店あってる?」

 カナチカは、狐につままれたような表情でレレントを見た。同じように驚いているレレントも、うんうんと頷きながら壁を指さして答える。
 見慣れない、元気な筆致でダイナミックに書かれた張り紙には確かにこう書かれていた。

 ダレンズキッチンへようこそ!

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