怪談を語ってはいけない ―フリーライターが触れた禁忌の共有フォルダ―

悠月

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第一章 怪談会

二つ目の話:重なる部屋

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 これも、広義では家の話に分類されるでしょう。
 民家を改築した宿の話。

 地方にある、ごく普通の宿です。
 築百年以上の家を直していて、“昔の間取りをできるだけ残した”のが売りでした。

 怪異が起きたのは、二階の一室。

 夜中の決まった時間だけ、今の部屋の中に、違う時代の見たこともない半透明の部屋がぼんやりと重なります。
 
 壁紙の色。天井の梁の位置。置かれているはずのない、低い棚。
 今、宿泊している部屋とは違います。

 それを見た宿泊客は、皆、一様に同じことを言いました。

「懐かしい」

 と。

 恐怖ではありません。

 理由もわからないのに、胸の奥が温かくなって、ふっと緩む感覚です。
 ――郷愁、というのが一番近いでしょうか。

 ある晩、複数の宿泊客が、ほぼ同時刻に“人影”を目撃しました。

 その影は、幽霊らしくなかった。
 半透明でしたが、動きは日常生活そのものだったと言います。

 冷蔵庫を開け、缶ビールを取り出し、窓際に立って喉を鳴らして美味そうに飲んでいる。
 それこそ、仕事の後の一杯という感じで、美味そうに飲むんだそうです。

 「ぷはーっ」とか「くぅーっ」とか聞こえてきそうな、およそ幽霊とは無縁の仕草で。

 さて、問題は、そのビールです。

 この宿では扱っていない銘柄でした。
 しかも、見た人によって、名前が違う。

 ──そんなブランドは聞いたことがない。
 ──いや、昔は普通に売ってた。

 ──このブランドにはスーパードライなんてない。
 ──いや、あった。確か三十年前ぐらいに期間限定で。
 ――いや、ドライならあったけれど、スーパードライなんてなかった。

 ――ある、CMを見た覚えがある。朝ドラ主演女優が夜の食卓で、ビールを一息で飲むんだ。「あー、うまい」って。
 ――覚えてる。当時、清純派の女性タレントがビールのCMっていうのは、斬新だったな。

 ――え、その女優はもうその頃、自殺していただろう?
 ――まさか、そんなはずは……。彼女が亡くなったのはつい最近、病気だったはず。

 宿泊者たちの間で、論争が始まりました。

 さらに、その影が着ていたTシャツも問題を巻き起こしたのです。

 Tシャツの胸には、大きなロゴがありました。
 バブルの頃に流行ったDCブランドのひとつではすが、それほど有名なブランドではありません。

 そのロゴに、誰もが“見覚えがある”と感じるのに、同時になぜか違和感を覚えるのです。

 ――知っているロゴとちょっと違う気がする。
 ――いや、あれで合ってるよ。

 ――ロゴの会社名って、全部大文字だったっけ? 一文字目だけが大文字だったような……。

 ――色は緑だった。
 ――いや、青だ。あれで合ってる。

 ビールに続いて、Tシャツのロゴについてもそれぞれの記憶が一致しません。

 さすがに不思議に思って、Tシャツやロゴについて調べ始める人も出てきました。

 ネットで。
 古いカタログで。
 雑誌で。
 企業史のデータベースで。

 すると、

 ――そのブランドは、存在した記録がない。
 ――いや、存在してはいたが、ロゴの形が違う。
 ――そもそも、ブランドの倒産した年代が複数記録に存在する。
 ――いや、倒産などしていない。

 奇妙なことに、調査結果までがいくつにも割れたのです。

 そんなブランドなど、存在しない派。
 確かにあった派。
 “子供の頃に着ていた”と主張する派。

 いくつかに分かれて、さらなる論争が巻き起こりました。

 ちなみに皆さん、こういう例をご存じですか。

 ――キットカットに、昔はハイフンが入っていたと思っている人が、一定数いる。
 ――モノポリーのおじさんは片眼鏡をかけていたと記憶している人がいる。

 どれも、調べれば違います。
 でも、記憶は、やけに鮮明なんです。

 気になった方は、後で正解を調べてみてください。
 さて、旅館の話に戻しましょう。

 その部屋で見られた人影は、誰にも危害を加えませんでした。
 ただ、そこで生活している。

 まるで――この世界とは、少しだけ歴史が違う場所の住人が、同じ“家”を使っているだけ。
 違う世界線がそこに重なって滲み出ている。
 それだけのことに過ぎないように見えました。

 宿泊客たちが感じた懐かしさ。あれは、幽霊への共感じゃありません。
 自分も、そちら側にいたことがある――という感覚です。

 多数決で決められた“歴史”が、いつも正しく本物であるとは限らない。

   *

 人気怪談師の黒部が話を締めると、静かな拍手が起きる。
 静かに聞き役に回っていた宮田教授が口を開いた。

「マンデラ現象を記憶違いと笑う人がいますが、それは、かなり無知な態度です」

 少し、言葉を選ぶような間。

「民俗学的に見れば、あれは個人の脳の問題ではない。土地が持つ記憶の、混濁なんですよ」

 会場がざわつく。

「古い家、古い集落、何度も建て替えられ、使われ方が変わった場所では、人の生活の“履歴”が、層のように重なって残ることがあります」

 教授は、空間に間取りを描くように指を宙で動かしながら続けた。

「複数の時代の生活が、同じ空間を共有してしまう。あるいは、そこに別の世界線が重なることもあるかもしれません。その結果、どの記憶が正しいか、誰にも判別できなくなる」

 誰かが、小さく笑った。
 なぜ笑ったのかは、わからない。

「でも、考えてみてください」

 教授は、その笑いを無視した。

「歴史とは、常に“残った側の都合”で整理されてきたものです。消えたものは、最初から存在しなかったことにされる」

 教授の視線が、一瞬だけ、私の方に向いた気がした。

「マンデラ現象とは、その“消された側の痕跡”が、偶然、滲み出てきただけなんですよ」

 志摩住職が、静かに言った。

「……痕跡なら、消えないほうが怖いこともあります」

 誰も、すぐには聞き返さなかった。
 深く問いただしてはいけない種類の言葉だと、全員が無意識に考えたようだった。

「次、いいですか」

 キャップを深くかぶったコトリバコがそっと手を挙げる。
 他の参加者に「どうぞ」と促されると、原稿を見ることなく話し始めた。

 声は、少しだけ機械を通したように平坦だった。

   *
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