4 / 4
第一章 怪談会
二つ目の話:重なる部屋
しおりを挟む
これも、広義では家の話に分類されるでしょう。
民家を改築した宿の話。
地方にある、ごく普通の宿です。
築百年以上の家を直していて、“昔の間取りをできるだけ残した”のが売りでした。
怪異が起きたのは、二階の一室。
夜中の決まった時間だけ、今の部屋の中に、違う時代の見たこともない半透明の部屋がぼんやりと重なります。
壁紙の色。天井の梁の位置。置かれているはずのない、低い棚。
今、宿泊している部屋とは違います。
それを見た宿泊客は、皆、一様に同じことを言いました。
「懐かしい」
と。
恐怖ではありません。
理由もわからないのに、胸の奥が温かくなって、ふっと緩む感覚です。
――郷愁、というのが一番近いでしょうか。
ある晩、複数の宿泊客が、ほぼ同時刻に“人影”を目撃しました。
その影は、幽霊らしくなかった。
半透明でしたが、動きは日常生活そのものだったと言います。
冷蔵庫を開け、缶ビールを取り出し、窓際に立って喉を鳴らして美味そうに飲んでいる。
それこそ、仕事の後の一杯という感じで、美味そうに飲むんだそうです。
「ぷはーっ」とか「くぅーっ」とか聞こえてきそうな、およそ幽霊とは無縁の仕草で。
さて、問題は、そのビールです。
この宿では扱っていない銘柄でした。
しかも、見た人によって、名前が違う。
──そんなブランドは聞いたことがない。
──いや、昔は普通に売ってた。
──このブランドにはスーパードライなんてない。
──いや、あった。確か三十年前ぐらいに期間限定で。
――いや、ドライならあったけれど、スーパードライなんてなかった。
――ある、CMを見た覚えがある。朝ドラ主演女優が夜の食卓で、ビールを一息で飲むんだ。「あー、うまい」って。
――覚えてる。当時、清純派の女性タレントがビールのCMっていうのは、斬新だったな。
――え、その女優はもうその頃、自殺していただろう?
――まさか、そんなはずは……。彼女が亡くなったのはつい最近、病気だったはず。
宿泊者たちの間で、論争が始まりました。
さらに、その影が着ていたTシャツも問題を巻き起こしたのです。
Tシャツの胸には、大きなロゴがありました。
バブルの頃に流行ったDCブランドのひとつではすが、それほど有名なブランドではありません。
そのロゴに、誰もが“見覚えがある”と感じるのに、同時になぜか違和感を覚えるのです。
――知っているロゴとちょっと違う気がする。
――いや、あれで合ってるよ。
――ロゴの会社名って、全部大文字だったっけ? 一文字目だけが大文字だったような……。
――色は緑だった。
――いや、青だ。あれで合ってる。
ビールに続いて、Tシャツのロゴについてもそれぞれの記憶が一致しません。
さすがに不思議に思って、Tシャツやロゴについて調べ始める人も出てきました。
ネットで。
古いカタログで。
雑誌で。
企業史のデータベースで。
すると、
――そのブランドは、存在した記録がない。
――いや、存在してはいたが、ロゴの形が違う。
――そもそも、ブランドの倒産した年代が複数記録に存在する。
――いや、倒産などしていない。
奇妙なことに、調査結果までがいくつにも割れたのです。
そんなブランドなど、存在しない派。
確かにあった派。
“子供の頃に着ていた”と主張する派。
いくつかに分かれて、さらなる論争が巻き起こりました。
ちなみに皆さん、こういう例をご存じですか。
――キットカットに、昔はハイフンが入っていたと思っている人が、一定数いる。
――モノポリーのおじさんは片眼鏡をかけていたと記憶している人がいる。
どれも、調べれば違います。
でも、記憶は、やけに鮮明なんです。
気になった方は、後で正解を調べてみてください。
さて、旅館の話に戻しましょう。
その部屋で見られた人影は、誰にも危害を加えませんでした。
ただ、そこで生活している。
まるで――この世界とは、少しだけ歴史が違う場所の住人が、同じ“家”を使っているだけ。
違う世界線がそこに重なって滲み出ている。
それだけのことに過ぎないように見えました。
宿泊客たちが感じた懐かしさ。あれは、幽霊への共感じゃありません。
自分も、そちら側にいたことがある――という感覚です。
多数決で決められた“歴史”が、いつも正しく本物であるとは限らない。
*
人気怪談師の黒部が話を締めると、静かな拍手が起きる。
静かに聞き役に回っていた宮田教授が口を開いた。
「マンデラ現象を記憶違いと笑う人がいますが、それは、かなり無知な態度です」
少し、言葉を選ぶような間。
「民俗学的に見れば、あれは個人の脳の問題ではない。土地が持つ記憶の、混濁なんですよ」
会場がざわつく。
「古い家、古い集落、何度も建て替えられ、使われ方が変わった場所では、人の生活の“履歴”が、層のように重なって残ることがあります」
教授は、空間に間取りを描くように指を宙で動かしながら続けた。
「複数の時代の生活が、同じ空間を共有してしまう。あるいは、そこに別の世界線が重なることもあるかもしれません。その結果、どの記憶が正しいか、誰にも判別できなくなる」
誰かが、小さく笑った。
なぜ笑ったのかは、わからない。
「でも、考えてみてください」
教授は、その笑いを無視した。
「歴史とは、常に“残った側の都合”で整理されてきたものです。消えたものは、最初から存在しなかったことにされる」
教授の視線が、一瞬だけ、私の方に向いた気がした。
「マンデラ現象とは、その“消された側の痕跡”が、偶然、滲み出てきただけなんですよ」
志摩住職が、静かに言った。
「……痕跡なら、消えないほうが怖いこともあります」
誰も、すぐには聞き返さなかった。
深く問いただしてはいけない種類の言葉だと、全員が無意識に考えたようだった。
「次、いいですか」
キャップを深くかぶったコトリバコがそっと手を挙げる。
他の参加者に「どうぞ」と促されると、原稿を見ることなく話し始めた。
声は、少しだけ機械を通したように平坦だった。
*
民家を改築した宿の話。
地方にある、ごく普通の宿です。
築百年以上の家を直していて、“昔の間取りをできるだけ残した”のが売りでした。
怪異が起きたのは、二階の一室。
夜中の決まった時間だけ、今の部屋の中に、違う時代の見たこともない半透明の部屋がぼんやりと重なります。
壁紙の色。天井の梁の位置。置かれているはずのない、低い棚。
今、宿泊している部屋とは違います。
それを見た宿泊客は、皆、一様に同じことを言いました。
「懐かしい」
と。
恐怖ではありません。
理由もわからないのに、胸の奥が温かくなって、ふっと緩む感覚です。
――郷愁、というのが一番近いでしょうか。
ある晩、複数の宿泊客が、ほぼ同時刻に“人影”を目撃しました。
その影は、幽霊らしくなかった。
半透明でしたが、動きは日常生活そのものだったと言います。
冷蔵庫を開け、缶ビールを取り出し、窓際に立って喉を鳴らして美味そうに飲んでいる。
それこそ、仕事の後の一杯という感じで、美味そうに飲むんだそうです。
「ぷはーっ」とか「くぅーっ」とか聞こえてきそうな、およそ幽霊とは無縁の仕草で。
さて、問題は、そのビールです。
この宿では扱っていない銘柄でした。
しかも、見た人によって、名前が違う。
──そんなブランドは聞いたことがない。
──いや、昔は普通に売ってた。
──このブランドにはスーパードライなんてない。
──いや、あった。確か三十年前ぐらいに期間限定で。
――いや、ドライならあったけれど、スーパードライなんてなかった。
――ある、CMを見た覚えがある。朝ドラ主演女優が夜の食卓で、ビールを一息で飲むんだ。「あー、うまい」って。
――覚えてる。当時、清純派の女性タレントがビールのCMっていうのは、斬新だったな。
――え、その女優はもうその頃、自殺していただろう?
――まさか、そんなはずは……。彼女が亡くなったのはつい最近、病気だったはず。
宿泊者たちの間で、論争が始まりました。
さらに、その影が着ていたTシャツも問題を巻き起こしたのです。
Tシャツの胸には、大きなロゴがありました。
バブルの頃に流行ったDCブランドのひとつではすが、それほど有名なブランドではありません。
そのロゴに、誰もが“見覚えがある”と感じるのに、同時になぜか違和感を覚えるのです。
――知っているロゴとちょっと違う気がする。
――いや、あれで合ってるよ。
――ロゴの会社名って、全部大文字だったっけ? 一文字目だけが大文字だったような……。
――色は緑だった。
――いや、青だ。あれで合ってる。
ビールに続いて、Tシャツのロゴについてもそれぞれの記憶が一致しません。
さすがに不思議に思って、Tシャツやロゴについて調べ始める人も出てきました。
ネットで。
古いカタログで。
雑誌で。
企業史のデータベースで。
すると、
――そのブランドは、存在した記録がない。
――いや、存在してはいたが、ロゴの形が違う。
――そもそも、ブランドの倒産した年代が複数記録に存在する。
――いや、倒産などしていない。
奇妙なことに、調査結果までがいくつにも割れたのです。
そんなブランドなど、存在しない派。
確かにあった派。
“子供の頃に着ていた”と主張する派。
いくつかに分かれて、さらなる論争が巻き起こりました。
ちなみに皆さん、こういう例をご存じですか。
――キットカットに、昔はハイフンが入っていたと思っている人が、一定数いる。
――モノポリーのおじさんは片眼鏡をかけていたと記憶している人がいる。
どれも、調べれば違います。
でも、記憶は、やけに鮮明なんです。
気になった方は、後で正解を調べてみてください。
さて、旅館の話に戻しましょう。
その部屋で見られた人影は、誰にも危害を加えませんでした。
ただ、そこで生活している。
まるで――この世界とは、少しだけ歴史が違う場所の住人が、同じ“家”を使っているだけ。
違う世界線がそこに重なって滲み出ている。
それだけのことに過ぎないように見えました。
宿泊客たちが感じた懐かしさ。あれは、幽霊への共感じゃありません。
自分も、そちら側にいたことがある――という感覚です。
多数決で決められた“歴史”が、いつも正しく本物であるとは限らない。
*
人気怪談師の黒部が話を締めると、静かな拍手が起きる。
静かに聞き役に回っていた宮田教授が口を開いた。
「マンデラ現象を記憶違いと笑う人がいますが、それは、かなり無知な態度です」
少し、言葉を選ぶような間。
「民俗学的に見れば、あれは個人の脳の問題ではない。土地が持つ記憶の、混濁なんですよ」
会場がざわつく。
「古い家、古い集落、何度も建て替えられ、使われ方が変わった場所では、人の生活の“履歴”が、層のように重なって残ることがあります」
教授は、空間に間取りを描くように指を宙で動かしながら続けた。
「複数の時代の生活が、同じ空間を共有してしまう。あるいは、そこに別の世界線が重なることもあるかもしれません。その結果、どの記憶が正しいか、誰にも判別できなくなる」
誰かが、小さく笑った。
なぜ笑ったのかは、わからない。
「でも、考えてみてください」
教授は、その笑いを無視した。
「歴史とは、常に“残った側の都合”で整理されてきたものです。消えたものは、最初から存在しなかったことにされる」
教授の視線が、一瞬だけ、私の方に向いた気がした。
「マンデラ現象とは、その“消された側の痕跡”が、偶然、滲み出てきただけなんですよ」
志摩住職が、静かに言った。
「……痕跡なら、消えないほうが怖いこともあります」
誰も、すぐには聞き返さなかった。
深く問いただしてはいけない種類の言葉だと、全員が無意識に考えたようだった。
「次、いいですか」
キャップを深くかぶったコトリバコがそっと手を挙げる。
他の参加者に「どうぞ」と促されると、原稿を見ることなく話し始めた。
声は、少しだけ機械を通したように平坦だった。
*
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる