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第1部:はじまりの種と、絆の芽吹き
第35話:75階層ボス「嵐翼竜」戦、ソルが直撃を受ける
三月の最終週、俺は七十三階層から七十四階層の探索を終えていた。
七十三階層は浮遊空間の奥部で、浮島の構造物に刻まれた文字の量が大幅に増えていた。写真を撮って深沢さんに送ると「解析チームが最優先で対応している」という返信が来た。まだ解読はできていないが、何かの手がかりが出始めているということだった。
七十四階層になると環境が変わった。浮遊空間の白い霞が濃くなって、視界が十メートル程度に落ちた。モンスターの種類も増えた。エアリアルハンターの上位種と思われる体長三メートルを超える個体が出始めて、対処に時間がかかるようになった。
そして今日、七十五階層のボス部屋の扉の前に立っていた。
「ソル、今日は七十五階層のボスに挑む」
ぷるっ。
「前回のアルカナガーディアンよりも強い気配がする。慎重に行く」
ぷるぷる。
「何があっても——お前を無駄に使うつもりはない。今日もそれだけは約束する」
ぷるるん。
セレスティアが玄関で俺を見送っていた。今日は言葉がなかった。ただじっと俺を見ていた。その目が真剣だったから、俺は「ただいまって帰ってくる」とだけ言ってダンジョンに下りた。
***
「こんにちは、蒼太です。今日は七十五階層のボスに挑みます」
同時接続者が六百二十人。ボス戦の告知をしていたこともあって、平日にしては多かった。
「七十五階層のボス部屋の扉は昨日確認済みです。アルカナガーディアンの時と同じ構造の扉ですが、今回は扉の表面の魔法陣が青白い光ではなく、灰色がかった銀色に光っていました。前回と色が違う」
【色の違いは何かの意味があるんですかね】
「分からないですが、属性が違う可能性があります。前回の青白は魔力系でした。銀色は——風か電気系かもしれないと予想しています」
七十三階層から七十四階層を通過した。上位種のエアリアルハンターを三体処理しながら進んだ。投擲連携の精度が上がっていたので、消耗は少なかった。
七十五階層のボス部屋の前に来た。
扉の魔法陣が銀色に光っていた。
俺はソルを肩に乗せたまま、一度深呼吸した。
「行きます」
扉に手を当てた。
***
扉が開いた瞬間、風が吹いた。
ボス部屋の中から外に向かって吹き出してくる風だった。温度のない、乾いた風だった。
部屋の中は広かった。アルカナガーディアンの時より更に広い、直径八十メートルはある円形空間だった。天井が高く、壁面は霞んで見えなかった。
それがいた。
天井付近に浮いていた。
体長十メートル以上。翼の幅は体長の二倍近くあった。全身が銀灰色の鱗で覆われていて、翼の端が刃のように鋭く光っていた。四肢は細く、代わりに翼が異様に発達していた。頭部は細長く、顎が大きかった。目が金色で、静止したまま俺を見下ろしていた。
「——嵐翼竜、だと思います。体長十メートル以上、翼の幅がその倍近くあります」
コメントが止まった。
「飛行型のボスです。前回のアルカナガーディアンとは全然違う。高度があるので——まず下に引きずり下ろすことを考えます」
ぷるっ。
ソルが肩の上で緊張していた。俺はその感覚を【絆の創世者】のスキルで受け取っていた。ソルもこの相手が今までと違うと感じていた。
***
嵐翼竜が動いた。
翼を一度大きく羽ばたかせた。
それだけだった。ただそれだけで、部屋の中の空気が圧縮されて、衝撃波のような風が俺に向かって来た。
「——」
横に跳んだが間に合わなかった。風の衝撃が全身を叩いた。足が地面から離れて、壁際まで吹き飛ばされた。
背中が壁に当たった。
衝撃で息が詰まった。一瞬視界がぼやけた。
「翼を羽ばたかせるだけで衝撃波が来ます。これは——遠距離攻撃だ」
嵐翼竜が高度を変えずに俺を見ていた。
また羽ばたいた。
今度は左右から圧縮した風が来た。前後ではなく左右からの挟み撃ちの形だった。
俺は前方に転がった。挟み撃ちの風が背後で衝突した。轟音が上がった。
「挟み撃ち——二方向からの同時攻撃も使ってきます」
***
俺は状況を整理した。
相手は高度十メートル以上に浮いている。直接届かない。翼の衝撃波は遠距離攻撃として機能している。近づく手段が必要だった。
「ソル、あいつの高度まで届けるか」
ぷるぷる。
難しい、という感覚が返ってきた。ソルの跳躍限界を超えている高度だった。
「何か掴めるものがあれば上れるか」
ぷるっ。
「壁伝いに上れるか」
ぷるるん。
俺は壁を見た。円形空間の壁面は石造りで、浅い凹凸があった。人間の俺には登れない。でも、ソルの【形態変化】で粘着質な形状になれば、壁を這い上がれる可能性があった。
「ソル、壁を伝って上まで上れ。高度を合わせたら投擲する。いいか」
ぷるっ。
嵐翼竜が三度目の羽ばたきをした。
今度は下向きの衝撃波だった。地面に叩きつけるような風圧が上から来た。
俺は腕で頭を守りながら耐えた。足元が揺れた。膝が折れかけたが、踏みとどまった。
「——強い。これ、単純な衝撃波じゃない。風の制御ができている」
***
ソルが俺の肩から降りて壁に向かった。
壁面に体を貼り付けて、這い上がり始めた。【形態変化】で体を伸縮させながら、ゆっくりと高度を稼いでいた。
嵐翼竜がソルに気づいた。
視線が動いた。
「——ソル、気をつけろ」
嵐翼竜が翼の先端を向けた。翼の刃先から細い風の刃が放たれた。
ソルが壁から離れて跳んだ。風の刃が壁を削った。石の破片が散った。
ソルが宙に浮いた。高度は八メートルほどだった。嵐翼竜まではまだ届かない。
「ソル、そのまま」
俺は鉈を構えた。嵐翼竜の視線がソルに向いている今が、近づく唯一のタイミングだった。
俺は全力で走った。
壁際から中央に向かって一直線に駆けた。嵐翼竜が俺に気づいた。視線が戻ってきた。
翼を羽ばたかせようとした——その前に、ソルが飛んだ。
***
ソルが八メートルの高さから嵐翼竜の頭部に向かって飛んだ。
【絆の創世者】のスキルで俺はソルの感覚を受け取っていた。ソルが全力で飛んでいた。嵐翼竜の頭部に向かって、体を膨張させながら激突しようとしていた。
嵐翼竜が翼を動かした。
ソルを目がけて、翼の刃先を振り抜いた。
ソルは回避しなかった。
「——ソル、避けろ」
間に合わなかった。
翼の刃先がソルに直撃した。
ソルの体が弾き飛ばされた。天井方向に吹き上がって、そのまま落ちてきた。
「ソル——」
俺は走りながらソルが落ちてくる場所に向かった。落下してきたソルを両手で受け止めた。
手のひらの中のソルが、ぷるっとも言わなかった。
形が崩れていた。
スライムとしての形状を保てていなかった。表面が不規則に凹んで、内部の光が弱くなっていた。
***
「——ソル」
返事がなかった。
俺の手のひらの中で、ソルが静かにしていた。
【絆の創世者】のスキルを通じて届く感覚が、いつもより遥かに弱かった。繋がりが薄くなっていた。消えたわけじゃない。でも、細くなっていた。
嵐翼竜が俺を見下ろしていた。
次の攻撃が来る前に——俺は決めた。
ソルを胸ポケットに入れた。丁寧に、壊れ物を扱うように入れた。
「待ってろ、ソル。今すぐ終わらせる」
ぷ、という音が聞こえた気がした。
俺は嵐翼竜を見上げた。
***
「——【絆の創世者】」
俺は全てのスキルを意識的に動かした。
ソルが吸収してきた全ての特性。エアリアルハンターの気流感知。ルーンゴーレムの反射機能への感触。半透明モンスターの実体化のタイミング。今まで積み重ねてきた全ての感覚が、俺の中に流れ込んできた。
嵐翼竜の翼が動く前の気流の乱れを、俺は直接感知した。
「来る——右上」
翼が動いた。右上から衝撃波が来た。俺は左前方に踏み込んだ。衝撃波が右を通り過ぎた。
「次——正面から圧縮」
二方向から同時に来た。俺は前に跳んで挟み撃ちの間を抜けた。嵐翼竜との距離が縮まった。
嵐翼竜が高度を下げてきた。俺に向かって直接突進する姿勢を取った。翼を広げたまま、体ごと突進してくる形だった。
「——」
俺は鉈を両手で構えた。
突進してくる嵐翼竜の軌道を読んだ。気流の乱れが全部分かった。どこに向かって来るのか、どこに力が集中しているのか。
胸部だった。
飛行型のモンスターは翼の力で動くが、推進力の核は胸部の筋肉と魔力の集中点にある。そこを叩けば、翼の制御が乱れる。
突進が来た。
俺は真横に跳ばなかった。一歩だけ左にずれて、突進の軌道を紙一重でかわした。通り過ぎた瞬間、振り向きながら嵐翼竜の胸部側面に鉈を全力で叩き込んだ。
***
衝撃が腕から肩まで走った。
嵐翼竜が体勢を崩した。翼のコントロールが乱れて、高度が急激に落ちた。地面に激突した衝撃で、部屋全体が揺れた。
俺は着地した嵐翼竜に向かって走った。
胸部の魔力の集中点——翼の付け根の内側に、もう一撃叩き込んだ。
嵐翼竜が鳴いた。
今まで聞いたことのない音だった。痛みとも違う、何か別の音だった。
それから嵐翼竜の体が光り始めた。銀色の光が全身に広がって、翼が静かに畳まれた。
光が収まった時、嵐翼竜は動かなくなっていた。
「——倒しました」
***
コメントが流れた。
でも俺にはそれが遠かった。
胸ポケットを確認した。
ソルがいた。形が少し戻っていた。でもまだ不規則な部分が残っていた。
「ソル」
ぷ、という小さな音がした。
「返事できるか」
ぷるっ、という音が出た。弱かったが、確かにあった。
「よかった」
俺は胸ポケットから出さずに、ソルに手を当てたままでいた。
「今日は無理させた。ごめん」
ぷるっ。
「お前が飛んでいった時——避けろと言ったのに」
ぷるぷる。
「分かってる。お前は俺を助けようとした。それは分かってる。でも——」
俺は続きを言えなかった。
「ありがとう、ソル」
ドロップアイテムを確認した。嵐翼竜の銀鱗が七枚と、銀色の魔力石が一個あった。写真を撮って、来た道を戻り始めた。
***
地上に戻ってから配信をまとめた。
「今日の報告をします。七十五階層のボス、嵐翼竜を倒しました」
同時接続者が七百八十人。ボス撃破後の人数が増えていた。
「戦闘中、ソルが嵐翼竜の翼の直撃を受けました。今は回復中ですが——本当に怖かった。今日一番怖かったのはボスじゃなくて、ソルが直撃を受けた瞬間でした」
コメントが流れた。
【ソル、大丈夫ですか】
【早く回復してほしい】
「今は胸ポケットにいます。形は少し戻ってきています。帰ってからちゃんとケアします」
「それと——今日のソルの行動について。ソルは俺が嵐翼竜に近づくために、自分が囮になりました。翼の刃先が来ると分かっていたのに、避けなかった。それで俺が近づけた」
コメントが止まった。
「ソルがいなければ、俺はあのボスに近づけなかった。俺が勝ったわけじゃない——ソルと一緒に勝ちました」
ぷるっ。
胸ポケットから小さな音がした。
【ソル……!】
【蒼太さんとソルのコンビ、絶対になくならないでほしい】
「なくなりません。ソルは俺の相棒ですから」
ぷるるん。
弱々しかったが、確かな返事だった。
***
配信を終えてから、ソルを手のひらに出した。
形がほぼ戻っていた。完全ではなかったが、ソルの輪郭が戻ってきていた。
「よく戻ってきた」
ぷるっ。
「今日は休め。明日の探索は休みにする」
ぷるぷる。
「いいから休め」
ぷるるん。
セレスティアが俺の膝に乗ってきた。ソルを見て、それから俺を見た。
「ぱぱ、ソルはだいじょうぶ?」
「大丈夫になる」
「ほんとに?」
「本当に」
セレスティアがソルに頭を近づけた。
「ソル、いたいの?」
ぷるっ。
「がんばったね」
ぷるるん。
俺は縁側に腰を下ろして、手のひらの上のソルを見ていた。
窓の外でイグニアが低く鳴いた。セレスティアが「イグニアもソルのこと、しんぱいしてる」と言った。
「そうだな」
「みんな、ソルのこと、すきだから」
「そうだな」
俺はもう一度ソルを見た。
「お前に何かあったら——俺は困る。だから、次は無茶するなよ」
ぷるっ。
「返事になってないぞ」
ぷるぷる。
「……まあ、いい。今日はゆっくり休め」
三月の夜が静かに深まっていった。手のひらの上のソルの体温が、俺の手に温かかった。
七十三階層は浮遊空間の奥部で、浮島の構造物に刻まれた文字の量が大幅に増えていた。写真を撮って深沢さんに送ると「解析チームが最優先で対応している」という返信が来た。まだ解読はできていないが、何かの手がかりが出始めているということだった。
七十四階層になると環境が変わった。浮遊空間の白い霞が濃くなって、視界が十メートル程度に落ちた。モンスターの種類も増えた。エアリアルハンターの上位種と思われる体長三メートルを超える個体が出始めて、対処に時間がかかるようになった。
そして今日、七十五階層のボス部屋の扉の前に立っていた。
「ソル、今日は七十五階層のボスに挑む」
ぷるっ。
「前回のアルカナガーディアンよりも強い気配がする。慎重に行く」
ぷるぷる。
「何があっても——お前を無駄に使うつもりはない。今日もそれだけは約束する」
ぷるるん。
セレスティアが玄関で俺を見送っていた。今日は言葉がなかった。ただじっと俺を見ていた。その目が真剣だったから、俺は「ただいまって帰ってくる」とだけ言ってダンジョンに下りた。
***
「こんにちは、蒼太です。今日は七十五階層のボスに挑みます」
同時接続者が六百二十人。ボス戦の告知をしていたこともあって、平日にしては多かった。
「七十五階層のボス部屋の扉は昨日確認済みです。アルカナガーディアンの時と同じ構造の扉ですが、今回は扉の表面の魔法陣が青白い光ではなく、灰色がかった銀色に光っていました。前回と色が違う」
【色の違いは何かの意味があるんですかね】
「分からないですが、属性が違う可能性があります。前回の青白は魔力系でした。銀色は——風か電気系かもしれないと予想しています」
七十三階層から七十四階層を通過した。上位種のエアリアルハンターを三体処理しながら進んだ。投擲連携の精度が上がっていたので、消耗は少なかった。
七十五階層のボス部屋の前に来た。
扉の魔法陣が銀色に光っていた。
俺はソルを肩に乗せたまま、一度深呼吸した。
「行きます」
扉に手を当てた。
***
扉が開いた瞬間、風が吹いた。
ボス部屋の中から外に向かって吹き出してくる風だった。温度のない、乾いた風だった。
部屋の中は広かった。アルカナガーディアンの時より更に広い、直径八十メートルはある円形空間だった。天井が高く、壁面は霞んで見えなかった。
それがいた。
天井付近に浮いていた。
体長十メートル以上。翼の幅は体長の二倍近くあった。全身が銀灰色の鱗で覆われていて、翼の端が刃のように鋭く光っていた。四肢は細く、代わりに翼が異様に発達していた。頭部は細長く、顎が大きかった。目が金色で、静止したまま俺を見下ろしていた。
「——嵐翼竜、だと思います。体長十メートル以上、翼の幅がその倍近くあります」
コメントが止まった。
「飛行型のボスです。前回のアルカナガーディアンとは全然違う。高度があるので——まず下に引きずり下ろすことを考えます」
ぷるっ。
ソルが肩の上で緊張していた。俺はその感覚を【絆の創世者】のスキルで受け取っていた。ソルもこの相手が今までと違うと感じていた。
***
嵐翼竜が動いた。
翼を一度大きく羽ばたかせた。
それだけだった。ただそれだけで、部屋の中の空気が圧縮されて、衝撃波のような風が俺に向かって来た。
「——」
横に跳んだが間に合わなかった。風の衝撃が全身を叩いた。足が地面から離れて、壁際まで吹き飛ばされた。
背中が壁に当たった。
衝撃で息が詰まった。一瞬視界がぼやけた。
「翼を羽ばたかせるだけで衝撃波が来ます。これは——遠距離攻撃だ」
嵐翼竜が高度を変えずに俺を見ていた。
また羽ばたいた。
今度は左右から圧縮した風が来た。前後ではなく左右からの挟み撃ちの形だった。
俺は前方に転がった。挟み撃ちの風が背後で衝突した。轟音が上がった。
「挟み撃ち——二方向からの同時攻撃も使ってきます」
***
俺は状況を整理した。
相手は高度十メートル以上に浮いている。直接届かない。翼の衝撃波は遠距離攻撃として機能している。近づく手段が必要だった。
「ソル、あいつの高度まで届けるか」
ぷるぷる。
難しい、という感覚が返ってきた。ソルの跳躍限界を超えている高度だった。
「何か掴めるものがあれば上れるか」
ぷるっ。
「壁伝いに上れるか」
ぷるるん。
俺は壁を見た。円形空間の壁面は石造りで、浅い凹凸があった。人間の俺には登れない。でも、ソルの【形態変化】で粘着質な形状になれば、壁を這い上がれる可能性があった。
「ソル、壁を伝って上まで上れ。高度を合わせたら投擲する。いいか」
ぷるっ。
嵐翼竜が三度目の羽ばたきをした。
今度は下向きの衝撃波だった。地面に叩きつけるような風圧が上から来た。
俺は腕で頭を守りながら耐えた。足元が揺れた。膝が折れかけたが、踏みとどまった。
「——強い。これ、単純な衝撃波じゃない。風の制御ができている」
***
ソルが俺の肩から降りて壁に向かった。
壁面に体を貼り付けて、這い上がり始めた。【形態変化】で体を伸縮させながら、ゆっくりと高度を稼いでいた。
嵐翼竜がソルに気づいた。
視線が動いた。
「——ソル、気をつけろ」
嵐翼竜が翼の先端を向けた。翼の刃先から細い風の刃が放たれた。
ソルが壁から離れて跳んだ。風の刃が壁を削った。石の破片が散った。
ソルが宙に浮いた。高度は八メートルほどだった。嵐翼竜まではまだ届かない。
「ソル、そのまま」
俺は鉈を構えた。嵐翼竜の視線がソルに向いている今が、近づく唯一のタイミングだった。
俺は全力で走った。
壁際から中央に向かって一直線に駆けた。嵐翼竜が俺に気づいた。視線が戻ってきた。
翼を羽ばたかせようとした——その前に、ソルが飛んだ。
***
ソルが八メートルの高さから嵐翼竜の頭部に向かって飛んだ。
【絆の創世者】のスキルで俺はソルの感覚を受け取っていた。ソルが全力で飛んでいた。嵐翼竜の頭部に向かって、体を膨張させながら激突しようとしていた。
嵐翼竜が翼を動かした。
ソルを目がけて、翼の刃先を振り抜いた。
ソルは回避しなかった。
「——ソル、避けろ」
間に合わなかった。
翼の刃先がソルに直撃した。
ソルの体が弾き飛ばされた。天井方向に吹き上がって、そのまま落ちてきた。
「ソル——」
俺は走りながらソルが落ちてくる場所に向かった。落下してきたソルを両手で受け止めた。
手のひらの中のソルが、ぷるっとも言わなかった。
形が崩れていた。
スライムとしての形状を保てていなかった。表面が不規則に凹んで、内部の光が弱くなっていた。
***
「——ソル」
返事がなかった。
俺の手のひらの中で、ソルが静かにしていた。
【絆の創世者】のスキルを通じて届く感覚が、いつもより遥かに弱かった。繋がりが薄くなっていた。消えたわけじゃない。でも、細くなっていた。
嵐翼竜が俺を見下ろしていた。
次の攻撃が来る前に——俺は決めた。
ソルを胸ポケットに入れた。丁寧に、壊れ物を扱うように入れた。
「待ってろ、ソル。今すぐ終わらせる」
ぷ、という音が聞こえた気がした。
俺は嵐翼竜を見上げた。
***
「——【絆の創世者】」
俺は全てのスキルを意識的に動かした。
ソルが吸収してきた全ての特性。エアリアルハンターの気流感知。ルーンゴーレムの反射機能への感触。半透明モンスターの実体化のタイミング。今まで積み重ねてきた全ての感覚が、俺の中に流れ込んできた。
嵐翼竜の翼が動く前の気流の乱れを、俺は直接感知した。
「来る——右上」
翼が動いた。右上から衝撃波が来た。俺は左前方に踏み込んだ。衝撃波が右を通り過ぎた。
「次——正面から圧縮」
二方向から同時に来た。俺は前に跳んで挟み撃ちの間を抜けた。嵐翼竜との距離が縮まった。
嵐翼竜が高度を下げてきた。俺に向かって直接突進する姿勢を取った。翼を広げたまま、体ごと突進してくる形だった。
「——」
俺は鉈を両手で構えた。
突進してくる嵐翼竜の軌道を読んだ。気流の乱れが全部分かった。どこに向かって来るのか、どこに力が集中しているのか。
胸部だった。
飛行型のモンスターは翼の力で動くが、推進力の核は胸部の筋肉と魔力の集中点にある。そこを叩けば、翼の制御が乱れる。
突進が来た。
俺は真横に跳ばなかった。一歩だけ左にずれて、突進の軌道を紙一重でかわした。通り過ぎた瞬間、振り向きながら嵐翼竜の胸部側面に鉈を全力で叩き込んだ。
***
衝撃が腕から肩まで走った。
嵐翼竜が体勢を崩した。翼のコントロールが乱れて、高度が急激に落ちた。地面に激突した衝撃で、部屋全体が揺れた。
俺は着地した嵐翼竜に向かって走った。
胸部の魔力の集中点——翼の付け根の内側に、もう一撃叩き込んだ。
嵐翼竜が鳴いた。
今まで聞いたことのない音だった。痛みとも違う、何か別の音だった。
それから嵐翼竜の体が光り始めた。銀色の光が全身に広がって、翼が静かに畳まれた。
光が収まった時、嵐翼竜は動かなくなっていた。
「——倒しました」
***
コメントが流れた。
でも俺にはそれが遠かった。
胸ポケットを確認した。
ソルがいた。形が少し戻っていた。でもまだ不規則な部分が残っていた。
「ソル」
ぷ、という小さな音がした。
「返事できるか」
ぷるっ、という音が出た。弱かったが、確かにあった。
「よかった」
俺は胸ポケットから出さずに、ソルに手を当てたままでいた。
「今日は無理させた。ごめん」
ぷるっ。
「お前が飛んでいった時——避けろと言ったのに」
ぷるぷる。
「分かってる。お前は俺を助けようとした。それは分かってる。でも——」
俺は続きを言えなかった。
「ありがとう、ソル」
ドロップアイテムを確認した。嵐翼竜の銀鱗が七枚と、銀色の魔力石が一個あった。写真を撮って、来た道を戻り始めた。
***
地上に戻ってから配信をまとめた。
「今日の報告をします。七十五階層のボス、嵐翼竜を倒しました」
同時接続者が七百八十人。ボス撃破後の人数が増えていた。
「戦闘中、ソルが嵐翼竜の翼の直撃を受けました。今は回復中ですが——本当に怖かった。今日一番怖かったのはボスじゃなくて、ソルが直撃を受けた瞬間でした」
コメントが流れた。
【ソル、大丈夫ですか】
【早く回復してほしい】
「今は胸ポケットにいます。形は少し戻ってきています。帰ってからちゃんとケアします」
「それと——今日のソルの行動について。ソルは俺が嵐翼竜に近づくために、自分が囮になりました。翼の刃先が来ると分かっていたのに、避けなかった。それで俺が近づけた」
コメントが止まった。
「ソルがいなければ、俺はあのボスに近づけなかった。俺が勝ったわけじゃない——ソルと一緒に勝ちました」
ぷるっ。
胸ポケットから小さな音がした。
【ソル……!】
【蒼太さんとソルのコンビ、絶対になくならないでほしい】
「なくなりません。ソルは俺の相棒ですから」
ぷるるん。
弱々しかったが、確かな返事だった。
***
配信を終えてから、ソルを手のひらに出した。
形がほぼ戻っていた。完全ではなかったが、ソルの輪郭が戻ってきていた。
「よく戻ってきた」
ぷるっ。
「今日は休め。明日の探索は休みにする」
ぷるぷる。
「いいから休め」
ぷるるん。
セレスティアが俺の膝に乗ってきた。ソルを見て、それから俺を見た。
「ぱぱ、ソルはだいじょうぶ?」
「大丈夫になる」
「ほんとに?」
「本当に」
セレスティアがソルに頭を近づけた。
「ソル、いたいの?」
ぷるっ。
「がんばったね」
ぷるるん。
俺は縁側に腰を下ろして、手のひらの上のソルを見ていた。
窓の外でイグニアが低く鳴いた。セレスティアが「イグニアもソルのこと、しんぱいしてる」と言った。
「そうだな」
「みんな、ソルのこと、すきだから」
「そうだな」
俺はもう一度ソルを見た。
「お前に何かあったら——俺は困る。だから、次は無茶するなよ」
ぷるっ。
「返事になってないぞ」
ぷるぷる。
「……まあ、いい。今日はゆっくり休め」
三月の夜が静かに深まっていった。手のひらの上のソルの体温が、俺の手に温かかった。
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クテュールは、15歳になる前日に、幼馴染のエジンに稽古すると連れ出され殺されかけた!いや、偶然魔物の上に落ち助かったのだ!それが『レッドアイの森』のボス、キュイだった!