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花人の秘密

不幸ヤンキー、”狼”に咲き誇る。【2】

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 ―――ゴッスッ…ゴッスッ…ゴッス…!!!
 何度も殴られ、蹴られ、身動きでさえも取れずにいる最強とうたわれている”狼”をいたぶるのはさぞ楽しいのだろう。何も言葉を発さずとも歪んだ笑みを見せる高慢な金髪は満足げに場を離れる。そして息を吐いた。
「…はぁ~、飽きたわ。兄さん、殴ってもええ声出されへんなぁ~?」
「……」
「こうやって女はよがらせた…訳ではあらへんな。まっ、ワイもだけど」
「……」
 玉緒に何度も殴りつけられても哉太は反撃もしない、いや、反撃さえも出来ないのでなすがままだ。
 だが本当は能力だろうが力だろうがなんでも良い。手段を選ばなくても良い。ただ愉快に笑って、そこまで威力でいきがっているこの男に。「自分はお前よりも強いのだ」と主張するようなアホらしいこのバカな男のその腕をへし折って、能力の磁力で貼り付けて、フライやスピードの分まで殴りつけたいほどだ。…そんな気持ちで溢れれて暴走してしまいそうになっている。
 ―しかしその愚かな行為をさとす存在が居た。他人なんかはどうでもいいし関係もない。…ただ、赤い髪を2つに束ねた儚げな天使を見てしまったことで哉太は自分の中に居る猛獣な”狼”を必死で手なずけようとするのだ。それは彼が昔言っていたから。
 ―人を殺すなら生かして罪を償うべきだ―
 そう言っていた彼の、青年の彼の正義感溢れる表情で哉太は己を縛ったのだ。だが理由など知りもしない愚かで馬鹿な金髪は、あくどい笑みを浮かべる。まるで自分は哉太に”狼争い”で勝利したのかと言わんばかりだ。
「口も訊けんくなったか? …まぁええ。別に兄さんに恨みは無いって言いたいやけど、まぁ思うわなぁ~。人間の地位として、ステータスとして、”狼”としての能力として。…ここまで完璧な人間は居ないやろ?」
 …やめろ。…言うな。
 何も言わない哉太へ弱者は馬鹿にしたような息を吐いて下品な言葉でのさばった。
「はぁ~。兄さんは分かってないな~! こんだけ完璧やったら女にもモテるし金には困らんし、おまけに遊び放題や。…ワイも社長やけど、結構苦労したんやで? …まっ、今は全然やけど」
 だが彼が言いたいのはそれだけでは無いと哉太の直感が働く。だから脳内で咆哮するのだ。
 ……言うな。言うな!!!
 哉太が言葉に発さずとも剣幕を立てれば玉緒はいやらしい、まるで自分を、自分も哉太と同じ人間のように接した。…それは哉太がもっとも嫌いで、もっとも傷つけられるような言い方であった。
「ワイらは人間。…皆に勝ち組と言われ褒められ、たてまつられた人間で”狼”なんや!」
 ―――プッチィン…。
 哉太の心の糸が切れても弱者は愉快に話し出す。だが最強の”狼”は眼光をさらに鋭くさせた。すると弱者は少々驚きたじろぐが、言葉を発そうとして…。
「だからこれを機に―」
「てめぇ…それ以上言ったら」
 ―殺す。
 本気で殺しかかりそうな哉太の眼光の鋭さに玉緒は肩をすくめてから抵抗出来ない哉太を見つめた。玉緒にとってはそれは単なる遊びで暇潰し。心と幸のシルバーを頂けば異空間内の中で”リングスワン”で移動して関係者全員をへ突き落せばそれまで。
 ―だが哉太を味方に付ければ…。
 …しもべとして居させれば、”狼争い”としての勝ち星も上がっただろうに…な。
 やはり上手くいく訳は無いと分かった、玉緒はもう一度哉太の傍へ行く。そしてしたたかに、そして苛立ちを隠すように笑った。笑うのが商売人としての彼の生き様だったのかもしれない。
「まっ。裏切られるのが普通や。…だったら、気絶させへんとなっ!!!」
 殴りかかろうとする玉緒に哉太は目を背けなかった。これは自分じゃない。愛しい恋人で大切な…大事な人との約束だから。また言葉を反芻させる。
「罪人は殺すんじゃなくて生かすんだ。それで一生、自分の罪と向き合う時間をさせるんだ。死なせるなんてそんな遺族にも、被害者にも報われるような結果にさせてはいけない」
 ―だからあんたが手を汚さなくも良いんだ―
 …幸、俺は幸の為なら言いつけを。約束を、守るよ。…幸が俺を助けてくれたから。救ってくれたから。
 心に秘めた約束を胸に哉太は玉緒の拳を眼前に受け止める準備をした。このぐらいの威力ならば30分は耐えられる…とふと過ったその時、玉緒の右拳に、殴りかかろうとしている腕に何かが巻き付いていた。
「…なん、や?」
 玉緒の身勝手な暴力に背けずにいた哉太は、その光景に驚いて目を見張る。
「あおい…、ひがん…ばな?」
 それは儚げで美しく咲き誇る青い彼岸花が玉緒の攻撃を阻止しようと何束にもなって巻き付いていたのだから。
 …彼岸花…幸?
 愛しい恋人とは違う色をした青い彼岸花。普通であれば不幸の知らせ。でも今の哉太にとっては幸福と哀愁が入り混じったような…そんな光景であった。
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