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序幕『人斬りの唄』
幕間 二銭の価値
しおりを挟む悟郎が30の時の話である。
「そこの兄さん。飲んでいくかい?」
京に向かう街道を歩いている折、道と森ばかりの辻にて声が聞こえてきた。
声のする方を向いてみれば、辻から少し離れた木陰に男が一人。
身なりは百姓。年齢は二十代も前半で、人の良さそうな顔をしている。
彼は竹で作った日よけの下に、いくつかの荷物を広げて、遠くにいる悟郎を呼んでいた。
「……」
ちらりと悟郎はあたりを見回す。経験上、誰かに呼ばれる行為にいい思い出がないのだ。何しろ過去には、助けを呼ぶ女の声に釣られてみれば、賊が囲む罠のど真ん中におびき出されたことだってあったのだから。
今日歩いている辻のような、森に囲まれた場所なんて特に危険だ。隠れるところなどごまんとあり、四方八方に注意を割いても足りないぐらいの死角がある。
それらの危険を冒してでも、自分を呼ぶ声に反応するのか。
答えは否。故に悟郎は百姓を無視し、辻を抜けて京都の方へと足を向けた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ兄さん! 無視はよくありませんって! ねぇ! 一回目が合ったでしょ! ねぇ! ちょっと!」
さて、ここで百姓は、冷徹に自分を無視した悟郎へと駆け寄った。
慌てた風に話す彼だけれど、その言葉にはどこか余裕があり、お調子者が冗談交じりに言葉を並べているようだ。
だから悟郎は眉を顰めて、煩わしそうに反応する。
「なんだ、お前」
「いや、いやいやいや! 落ち着いて落ち着いて。あっしは怪しいもんじゃありませんって。ほら、身なりは百姓! 刀も槍も持ってない! それに回りも、怪しい人影なんていやしませんって!」
大げさな身振り手振りを添えて、大慌てで百姓は自分が無害であることをアピールし始めた。何しろ悟郎は、帯刀しているのだ。そんな男が、眉間にしわを寄せて反応する。しかもいつでも刀を抜けるようにと、鯉口を抜いているのだから、おっかないったらありゃしない。
そんな百姓の様子に毒気を抜かれたのか、少しだけ眉根のしわを緩めた悟郎。
こんなに大慌てで口を回す彼が、自分を害すように見えなかったのだろう。だから悟郎は、声色に呆れを交えて訊ねた。
「だったらなぜ俺に話しかけた」
「そりゃもちろん、街道を歩くお兄さんのような人にこそ、見てもらいたいものがあるからに決まってるじゃないですか!」
お調子者の百姓は、そう言って身振り手振りで竹の日よけの方を示した。改めて悟郎が、そちらの方をじっくりと見てみると、日よけの下にはいくつかの茶器と、大きな釜が置いてある。
「一服一銭と言いましてね。街道と言えど京への道は険しき道。そんな旅人に、たった一銭でお茶を提供しているわけですよ」
「なるほど」
百姓に釣られて近づいてみれば、確かに茶の香りが悟郎の鼻をくすぐった。
どうやら本当に、旅人を騙そうと人を呼んだわけではないらしい。
ただし、ここで一つ問題があった。
「悪いが俺は、一銭も手持ちはないぞ」
悟郎は旅をする際、金を持たない。
理由は曰く、野盗の相手をしたくないから。
手持ちもない身一つの旅人を、わざわざ野盗も襲わないだろうという考えの下、彼は銭を使い果たすのだけれど、果たしてそれに意味があるかはわからない。
そもそも帯刀している以上、刀は持っているわけで、それを狙って野盗は襲い掛かってくるかもしれない。
だから結局、それは彼の浪費への言い訳だ。
ともかく、茶を進められたとしても、支払う金がなくては飲めないということで、悟郎はすぐ立ち去ろうとする。
「待って待って待ってくださいよ!」
しかし百姓は、悟郎の背中を追いかけた。
「なんだよ」
待ったをかけられた悟郎は、今度は面倒くさそうに百姓を見た。だから百姓は、「ご迷惑をおかけしてすいやせん」と卑屈な笑顔に揉み手を添えて、改めて引き止めた理由を語る。
「お代がないならしかたありません。しかしお兄さん。ここで会ったのも何かの縁ということで、今回はタダで飲んでいって構いやせん!」
「……何が狙いだ?」
「ははぁん、どうしてお代が要らないかのかと疑っておられますね?」
いくら悟郎であろうと、タダで何かを飲ませようとする輩には警戒心を抱く。それこそ一服盛られれば一巻の終わり。盛られた薬にもよるけれど、碌な結果にはならないだろう。
ただ、
「考えてみてくださいよお兄さん。一見すれば慈善事業。タダでお茶を飲ませるだなんて、私に得がないように見えましょう? しかし、ここで飲んだ茶が極上であれば話は別。ほら、ここにうまい茶がある。ならば次、この近くを通る時には是非ともまた飲みたいと、そう考えるでしょう? なんならあの味を忘れられないってことで、遠路はるばるやってくるかも? だからタダの茶であっても、ばっちりあっしにも得があるわけなんですね」
「なるほど。つまり一度味わってみれば、何度も飲みたくなるほど美味いと?」
「そりゃもう、あっしの名に懸けて保証しましょう」
この百姓、喋らせてみれば小川の流れの如く言葉を紡ぎ、ついには口八丁だけで、ピンと張った糸のような悟郎の警戒すら緩ませてしまった。
そこまで言うなら飲んでみるのも吝かではない。そう思ったが最後、気づけば悟郎は百姓から茶を受け取っていたのである。
ではでは一飲と、悟郎は茶を賞味する。
「ふむ……確かに、悪くない」
「でしょう?」
飲む前に香る茶葉の香りは絶品の一言に尽きる芳しさ。傾けた器から零れたしずくが舌を濡らせば、視界いっぱいに広がる茶畑を想起させるような、味わい深さが悟郎の脳髄まで染み渡った。
僅かに苦い。けれど喉の奥まで引くような苦みではなく、飲み切った後に思わずもう一度と言いだしてしまいそうになるほどには、次の一杯を促す美味さがあった。
「一銭の手持ちもないのが申し訳ないぐらいには美味い茶だった」
「いえいえ。であれば、次に来ていただいたときにこそ、一銭持ち寄っていただければと」
「ああ、そうだな。それだけの価値が、この茶にはある」
そう言って、器を百姓へと返した悟郎は、立ち上がりつつ彼の名前を訊いた。
「ついでに名前を教えてくれよ。これだけ美味い茶だ。さぞ、名のある百姓の一品なのだろう?」
「いやいやお目が高い。これはあっしの家が作ってる茶でしてね。何とも美味いと地元じゃ評判。うますぎて京の都が霞んで見えるぐらいですわ」
そう言って、百姓もまた立ち上がりながら、深々とお辞儀をして名乗った。
「あっしは弥彦と申します。三男坊ゆえ家を継げず、こっそりと家の茶葉をくすねちゃ、見ての通り茶にして売る商人もどきでございやす」
「またここに来れば、茶は飲めるんだな?」
「お代を頂ければ、いくらでも」
そう言ってにこりと弥彦は笑うけれど、続く言葉で「しかし」と唱える。
「ああしかし、あっしにも一つ夢がありやしてね」
「夢か。聞いてもいいか?」
「もちろんですよ。こんなちんけな百姓といえど、野望は大きく勇ましくありたいもんでして。実を言えばこの茶、地元じゃ美味いと評判ですが、少し離れたらとんと噂を聞かなくなってしまうんですよ」
大仰な身振り手振りを添え、まるで劇をするような調子で弥彦は語る。
「それはもったいないと、あっしは兄に言いました。しかし家業を継いだ兄は、これで十分だと言うばかりで、話を聞いちゃくれません。だからあっしは考えたわけですよ。ここで売った茶の評判を元にして、いずれは京の方にまでこの茶の名を売れば、あっしの家はさらに繁盛すると」
ぐっと腕を振り、彼は西を指さした。
その指は街道を辿り、京の都を示している。
「あっしはやることもない三男坊でありやすが、なんとかお家のために役に立ちたい。そんな夢ですよ」
「ほう。そうか」
そして最後に一言、弥彦は言う。
「だからもしかすれば、今度会う時は京の都で会うかもしれやせんね」
「それはいい夢だな」
そう言って、悟郎はその場を後にした。
悪くない気分だった。
◇
さて、弥彦の茶から一年が経過した。
その頃になれば悟郎も京での用事を終えたところで、今は街道を東に向いて歩いている。
腰には刀の他に、小さな巾着袋が一袋。中には銭貨が二枚。
一年前に呑んだあの茶の味を、悟郎は忘れられなかった。
だから、今回の分と、前回の分。合わせて二銭を持って、彼は今日へ続く道を遡っていた。もちろん、東の方に用事があるからその道を通っているわけだけれど、それでも寄り道をすることを予定に入れてしまう程度には、弥彦の茶は美味かったのだ。
「果たしてまだやっているか」
さて、そろそろ件の辻だ。
もしもまだ弥彦が一服一銭をやっているのなら、そろそろあの茶の香りが漂って来てもいいころだけれど――
「あん?」
彼が人生で幾度となく嗅いだ、鉄錆の嫌なにおいが鼻を突いた。
それは、血の匂いだった。
嫌な予感がする。
駆け足で辻の方へと悟郎が走る。
そこで悟郎は、血まみれで倒れている弥彦の姿を見た。
弥彦は既に息絶えており、彼が逃げてきたであろう道筋が血の斑点が辻の草を赤く染めていた。その血はまだ乾ききっていない。
それから悟郎は、辻から少し離れた日よけの方を見た。そこには変わらず、弥彦の茶器と茶釜が見える。
そしてその傍に、野盗と思しき男が四人。
その内の一人の手には刀が一本。その切っ先から血が滴るのを見れば、その刀が弥彦を殺したとすぐに分かった。
すぅーっと、悟郎の胸に何か冷えたものが下りてきた。それはまるで鉄のように冷たく、死体のように寒々としたものだった。
悟郎はちらりと、倒れた弥彦を見た。
それから、うつぶせに倒れた彼の体を仰向けにし、虚ろとなった弥彦の瞳の瞼を手でそっと閉じた後、その傍らに腰に着けていた巾着袋を置いた。
それから一言。
「二銭。渡し賃にゃ安いかもしれないが……あの茶の礼だ」
そう言って、悟郎は野盗の方を向いた。
「あとは俺に任せとけ」
鬼が、刀を抜いた。
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