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胸に残る慕情
しおりを挟む「——っ!」
夕方の祈りの最中に、私は突然の心臓を貫かれるような痛みに胸を押さえて立ち上がった。
「どうしました、大神官様?」
一緒にいた神官たちが突然立ち上がった私を見て驚いている。
「いや……突然心臓を突かれたような痛みが走って、何か……月の神に何かが起こったのだろうか」
神官たちはざわざわと不安げに空を見上げるが、銀の月は常と変わらず光を湛え東の空に昇っている。私は何やら半身を削られたような痛みに囚われて、その場を離れた。
そういえば、今日ミミ様はムスターファたちと市井にでているはずだ。まさか聖女様に何かあったのだろうか。
「ああ、ジャハール大神官!そちらにいらしたのですか。探しました」
そう声をかけてきたのは、特務一課のナイジェルだった。
「ナイジェル。どうしました?まさかミミ様に何かあったのですか?」
私は嫌な感覚が取り払えず、ナイジェルを見てそう声を荒げた。やはり市井になど出すべきではなかったのではないかという思いが脳裏をよぎる。
「え?いえいえ、ミミ様は団長と第4区の教会に向かいました。ええと。ミミ様から神殿にある作業場を避難所として使用させて頂きたいと報告に上がりました。」
「避難所?」
「はい。ミミ様が王都に住む居場所のない人々を受け容れたいとおっしゃられて、特務3課の使用する作業場を確保しました。300人ほどの子供をそこで受け入れます。残る150人ほどの大人は訓練場に仮住まいをさせる予定です。ミミ様からの要請なのでジャハール大神官にもご連絡をとおっしゃられました」
「は…?」
「今、ネイサンが集まった子供たちを作業場に収容しています。配給が終わり次第、大人も特務1課と来ることになりますのでよろしくお願いします」
「ちょ、ちょっと待ってください!ミミ様がそう指示されたのですか?」
「そうです。ホームレスの子供達の状態を見て、国を変えるとおっしゃられました。ええと、なんだったかな。確か『国民の、国民による、国民のための国を作る』と」
「はあ!?」
「いやあ、なかなか理解のある聖女様でこれから先が楽しみですよ」
「楽しみって、聖女様は改革者ではないのですよ!?」
私が詰め寄ると、ナイジェルは顔を近づけて視線を合わせた。いつものニヤニヤした顔から一転して、久しぶりに見る真剣な面構えに口を閉じた。
「友として言うぞ、ジャハール。今のままでは遅かれ早かれこの国は滅亡する。今回ミミ様が召喚されたのは必然なんじゃないか?」
「ナイジェル……」
「お前だってずっと憂いでいただろう。前回の聖女はまあ残念だったが俺たちにはもう後がない。次の10年を待っていたら遅すぎただろ。ムスターファだってミミ様に入れ込んでするし、改革の時が来たんじゃないか」
「……国王が知ったら」
「知ったらどうなる?あいつらに何ができると?」
「国に王は必要です」
「ふっ。アレが王でなくてもいいだろう?」
ナイジェルはニヤリと笑って顔を離し、ぺこりと頭を下げるといつものニヤニヤ顔に戻っていた。
「ちょっと騒がしくなるかもしれませんが、お願いしますよ。大神官様」
私は呆然とその場に立ち尽くした。国を変えるだと?
そんなことができるのだろうか。
確かに私たちには後がない。10年先に聖女を召喚することもできないほど国民は切迫しているし、神が私たちを助けてくれるわけでもない。この数十年で国は衰え傾き、無能な王が国を治めている。国民の暮らしは酷くなるばかりで、辺境はすでに国の管理から離れて独自の自治体を作っているというのに、馬鹿な施政者どもはそれに気付きもせず、自分達の欲を満たそうと躍起になっている。貴族は独自の領地に篭り、王都は崩壊寸前。王宮魔導師団が走り回っていなければ、とっくにこの国はない。
この国自体が月の神の保護下にあるため他国からの被害はないものの、私たち神官が祈りをやめたらどうなるのか。国王はそれを知っているから神殿には強く出ないが、我々が国に牙を剥くとなればどう出るか。
「この地だけは、守らなければならないのだ……それが呪われた私たちの役目なのだから…」
ミミ様が来て以来、私の心にのしかかる重責は酷く苦痛をもたらしている。あの方の言葉が酷く重く影をさし、私を苦しめるのだ。私の中で不安は日に日に大きく染みを広げていく。
ミミ様は、私が召喚した方ではない。これはもう理解している。ミミ様の魔力は私を遥かに凌ぐからだ。あの方は意志を持ってここにきた。あの方が私の魔力に応じたのではなく、私があの方の魔力に惹かれたのだ。だが、どうして。それがわからない。
あの方の心が欲しい。
初めて見た時から惹かれていた。
ムスターファに神殿の出入りを禁止にして、その間に取り込もうと画策したものの、あの方の私を見る瞳が氷のように冷たく蔑み、真面に話すことすら侭ならない。心が凍りついてしまうのだ。対するムスターファはするりとあの方の中に入っていき、たわいもない会話で笑いあっている。そんな姿を遠目に見ると魂が疼き、黒い感情が現れる。それを消すために月に祈り、感情を消していく毎日に疲弊しているのだ。
私を見て欲しいという思いは募れど、その度に神官という立場を思い出す。ムスターファと同じように特務を選んでいたら、私も自由になれたのだろうか。あの方の隣に並び、笑い合えたのだろうか。そう思えど、ミミ様の瞳から伝えられるのは、嫌悪感と拒絶。私が何をしたというのか。なぜ、あんな目で見られなければならないのか解らない。
「ジャハール!ミミが……!」
思いふけっていた私の耳に、ムスターファの声が飛び込んできた。どくりと、心臓が高鳴った。振り向けば、ムスターファの腕に意識をなくしたミミ様がぐったりと抱えられている。血の気が引いて手が震えた。
また、いなくなってしまう。私の前から、消えてしまう。
「傷はついていない。ただ、自身の魔力が跳ね返されて、眠ったまま目を覚まさない」
「お前が付いていながら、何故こんなことになったんだ!」
聖女の寝室へ運び、ミミ様を寝台に寝かせるとムスターファが、低い声で話し始めた。教会の墓地のこと、土壌の浄化のこと、井戸水のこと、そして教会地下の霊廟にあった初代大神官様のこと。ミミ様が放った魔力で、初代大神官様が木っ端微塵に砕かれ霊廟が崩れ落ちたこと。
あの心臓を突き刺すような痛みはそのせいだったのか。
「危く生き埋めになったんだが、ミミの結界が守ってくれて、なんとか這い出すことができた」
「あの部屋は魔法が使えないはずです。侵入防止と盗難防止のために結界が張ってあるはずなのに、どうやって入れたんですか」
「よくわからないが、ミミの力だと思う。俺は魔法が全く使えなかったが、ミミは魔法が使えた。ただ攻撃魔法で大神官を吹っ飛ばした後で、それが弾き返されてミミ自身に同じ魔法がかかっちまった。あと、そいつはミミを母上と呼んだ。」
「母上?」
「シルヴァーナは自分の母でブルーノは父だと」
「シルヴァーナ…銀月の女神が、母?ブルーノというのは青月神か?」
私は記憶を手繰り、神話を思い出す。
「銀月神が母で青月神が父というのは、文献には載っていませんね…。どういうことでしょうか」
ムスターファは私の問いには答えずミミ様を見下ろし、顔に張り付いた黒髪をそっと撫でた。
「大神官は、なぜ私を捨てたのか、と詰め寄ってきた。神話では兄神たちが女神を月へ連れ帰ったということだったよな。つまり、子供は捨てられたと思った、ということじゃないか?……その話をした時、ミミはその話を聞いて意地悪な兄神たちだと怒ったよ」
「え?」
「どんな理由があれ、女神が愛した人間を殺し、その上子供と母親を引き離すなんて神のすることじゃないと」
その言葉を聞いて、何故かズキンと心が痛んだ。
「そう、ですね。神は時として残酷です。こうして私たち魔力持ちもその時の罪を償うために生まれてきているわけですから」
「ああ。それも、ミミは信じていないと言ったがな」
「信じていない?魔力持ちを信じていないということですか?」
「いや、魔力持ちが呪われた存在だということを。」
私は首を傾げた。どういうことだろう。
「ミミは魔力を持っていない人間が妬んでそういうことにしたんだろうってさ」
ははっとムスターファが笑い、クシャリと顔を歪めた。
ミミ様の寝台の前に跪き、彼女の小さな手を握りしめてシーツに顔を埋めた。
そんなムスターファを見たのは初めてだった。どんな時も歯を食いしばり、未来を睨みつけ奔走してきたムスターファが、ミミ様の前で弱々しく首を垂れているなんて。
「目覚めてくれ、ミミ。未来永劫、お前だけを愛している……」
かすれる声で、つぶやいた祈るようなムスターファの声が耳に届いた。記憶の底に引っかかる言葉に私は踵を返し急いで部屋を出た。脂汗が背中を伝う。嫌悪感、罪悪感、嫉妬心。どす黒い感情が腹の中を暴れまわるようでその場にいられなかった。
どうして。
なぜ、こんなにも苦しいんだ。
私は神官だ。恋をしたことなどないし、自制もしている。こんな感情にとらわれるなんて。
ふと、初代大神官のことを考える。
もしも、私が何らかの形で意識を共有してるのだとしたら、初代大神官の母に見捨てられたという感情が、私の中に伝わったのだとしたら。しかし青月神が父というのは?何故子供だけ地上に残して自分たちが月に帰る必要があるのだ?
近親相姦は人間界でも重罪として咎められる。それは神においても同じだと学んだ。つまり初代大神官は罪の子供ということか?だから魔力持ちは呪われているということか。
もしも、ミミ様が女神の血を引いているのだとしたら。あるいは女神そのものだとしたら。彼女がここへ来た理由も頷ける。そして私のミミ様に対する気持ちが母を恨み、恋しいと思う気持ちなのだとしたらそれも頷ける。
「私は母性を……求めていたのだろうか」
魔力持ちは、両親がいない。生まれてすぐ死に別れたか、捨てられたかの理由で特別施設に収容される。最初はそれが優遇されていて、魔力持ちは特別な存在だと教えられるのだが、いつしかそれが呪われた力なのだと気がついた。国に囚われ、月に許しを請う。人々のために魔力を使うことで罪を補うのだと。
神官になる男たちは、共通して性欲を持てない。男性器が機能しないのだ。もちろん強弱の差はあり、自分たちでも抑制と規制をかけるが、基本的に欲情することがない。そのために自ずと神官の道を進むのだが、神官以外そのことは誰も知らない。
だが、ミミ様を前にしてその規制が壊された。新たに強い抑制をかけたが、ミミ様の感情の動きに左右される神官が多数出た。ミミ様が欲情すると、ほぼ全員が魅了され、警戒結界で跳ね飛ばされるとわかってもまるで光に群がる羽虫のように飛び込んでしまう。それまで抑制する必要のなかった感情は私たちを翻弄した。
思えば、それもすべて母への慕情の裏返しだったのだろうか。
もしあの方が、シルヴァーナ様の生まれ変わりであるのなら、私たち神官はすべて彼女の子につながるのだろうか。子の罪がずっと受け継がれているのだろうか。
私はある一つの可能性を引き出していた。
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