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第2章:西獄谷編

第45話:ホロンの水場

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 ガキン!

 金属音が辺りに響き渡る。

「何があったんッスかあ!ここは!」
「黙れぇ!この魔人めが!」
「魔人違いますよ!落ち着いてくださいって!」
「そんなキンキラしたもんぶら下げて何が違うんだ!」
「キンキラって、なんスか!?」

 キンッ!

 ルノーが熊のように体の大きい戦士の振るった剣を真正面で受け止める。戦士はググッと力を込めるが、ルノーの構えた剣は少しも押し下がらない。それどころか、熊戦士の剣を押し返す勢いだ。

 ミヤコは風結界に包まれたマロッカと共に、戦場から少し離れた宙に浮いたところでハラハラしながら見ていた。熊戦士とルノーの剣の打ち合いはしばらく眼の前で繰り広げられてはいるものの、他の隊員は魔獣と戦っている最中で熊戦士まで手が回らない。

「ル、ルノーさん!頑張って!」

 ミヤコは拳を握って風結界の中からルノーを応援している。


 遡ること30分ほど前。

 2時間ほどマロッカに乗って、クスノキからもらったドングリを植えながらようやくホロンの水場が見えてきた。
 だが目の前に広がったのは堰の壊れた水場から溢れる川の水と魔獣の群れ。
 それに対抗して戦う熊の戦士をはじめとする皮鎧をつけた戦士たち。

 あれが噂に聞く魔獣タバラッカ。

 タバラッカは猪のような体つきにサイのような角を眉間に掲げ、足と尻尾はワニのような魔獣だった。どうやったらあれが水の中で生きられるのか。体の大きさはサイ並だ。

 クルトは、タバラッカの群れが川の流れと共に溢れ出てくるのを見て速攻で風結界を作り、ミヤとマロッカを宙に風船のように浮かべ、自分は颯爽さっそうと討伐に向かっていった。唖然としたミヤコは恐怖に引きつりマロッカの上で不動のまま眼下に起こっている戦闘を大きな目を開いて見ていた。

 クルトは風魔法を使い宙に浮いたまま、タバラッカをばっさばっさと切り裂いていく。見た感じでは戦闘は有利に進んでいるように思えた。

 だが、堰を切ったようにもう一方から皮鎧をつけた戦士たちが溢れ出てきたのだ。戦士たちはどう見ても人間で、ものすごく怒っている。

 目の前の熊のような戦士が宙に浮いているミヤコとマロッカを見て、物理的に飛びかかってきた。

「クマーーーーッ!?」

 悲鳴をあげたミヤコだったが熊戦士は結界に弾かれて川へ落ちた。

 だが二、三振りで襲ってきたタバラッカを斬りはらい、またしてもミヤコへ狙いを定めてきた。そうして何度かの体当たりで叫び声を上げているミヤコにルノーが気がついて、熊の戦士のお相手をしているというとこだ。

「だから!俺っちは東の魔の森イーストウッドの精鋭討伐隊副隊長の!ルノー・ク・ブラントっス!」

 ガキン!

「なんだと…っ?」

 振り払われた剣に熊戦士は二、三歩後ずさり、また殺気を込めて剣を構えた。

(ルノーさん、すごい!熊戦士の剣を簡単に振り払ってる!)

 結界から出られないミヤコは両手を握りしめ興奮気味に鼻息を荒くする。

「チッ!東の魔の森イーストウッドの精鋭討伐隊がホロンに何の用だってんだ!」
西獄谷ウエストエンドに行くためですって言ってるじゃないっスか!」
「けっ!それが嘘だって言ってんじゃねえか!」
「しつっこいなあっもう!ハルクルト隊長!殺っちゃってもイイっスか!?」

 ミヤコはギョッとしてルノーを見つめる。

 改めて、ルノーは討伐隊の副隊長の実力を持っているのだと思い知らされる一面だった。ルノーの二倍はあるであろう体格の熊のような戦士に向かって手加減をしているのだ。真正面から受けた剣ですら押し返す力。軽口を叩きながらあしらう剣術。あの細っこく見える体のどこにそんな腕力を秘めているのだろうか。

 ザシュッ!

 最後まで水場で牙をむいていた、他より一回り大きなタバラッカがクルトの剣のサビとなり、クルトが熊の戦士に向かって殺気を向けた。熊の戦士はぴたりと動きを止め、脇から小型の剣を抜き出し、二刀流の構えを示した。

「アイザック・ルーベン。久しぶりだな」

 クルトが剣を構えたまま、アイザックと呼んだ熊の戦士を見据えた。

「ハルクルト・ガルシア・ルフリスト…。本物か?」
「ああ」
「毒でめくらになったと聞いたが」
「生憎回復してな。緑の砦で隠居生活をしていたんだが」
「魔力も戻ったのか?」
「この通り」
「こいつと、このシャボン玉の中にいるのは」
「ルノー・ク・ブラントは隊の副隊長だ。僕は脱退したからな、今はアッシュが隊長だ」
「………アッシュ…アッシュ・バートンか」
「結界の中にいるのはミヤ。僕の庇護下にいる女性だ。結界を解くが、手を触れるなよ」
 アイザックはジロリとミヤコに目をやった。
 だがシロウが先にアイザックに向けて冷ややかな視線を返す。

「…上等だ」

 アイザックはため息とともに両剣を下ろし鞘に収めた。

 そこで初めてルノーはふう~~と長い息を吐き下し、剣を下げた。
「なんで俺っちの言うことは信用できなくて、ハルクルト隊長のことは一発オッケーなんスかね!」
「人格の差だ。お前は魔人っぽいからな」
「偏見ッス!俺、人間っス!副隊長っス!!」

 クルトがミヤコとマロッカを地上に降ろし、安全を確認してから結界を解いた。

「ミヤ、大丈夫か?」
「あ、うん。この結界すごいね。ビクともしなかった。ありがとう、クルトさん」
「うん。いや、遅くなってすまない」
「大丈夫だよ。お疲れ様でした」
「無事でよかった」

 なんだあのとろけそうな笑顔は。まるで大切なお姫様を守る聖騎士のようだ。ハルクルトが。

 アイザックは顎が外れんばかりに口を開けて、ルノーに視線を飛ばした。

「あれは本当にハルクルトか」
「ええ……やっぱりそう思うでしょうね。本物ッスよ。残念ながら」
「な、何があって、ああなった?」
「まあ、ミヤさんは命の恩人ってとこッスね」

「ええと、初めまして。ミヤです」
「アイザックだ。バーズの村を援護している戦士だ」

 ミヤコはおどおどしながらアイザックを上目遣いで見上げぺこりと頭を下げた。アイザックは自分の体の半分くらいしかないミヤコを見下ろし、思わず体をかがめてミヤコの顔を覗き込んだ。

 アイザックが覗き込んだミヤコの黒い瞳はしっかりとアイザックの蒼い瞳を見つめ返し、少し首を傾げた。

「…あの?」
「アイザック、ミヤを脅すな」

 クルトは半歩ミヤコの前に出て、後手にミヤコを庇おうと立ち塞がった。だがアイザックは、へっと息を吐き口角を上げた。

「脅すも何も…。この嬢ちゃん全然怖がってないじゃないか」
「いや、怖いですよ普通に」
「へぇ、まあいいや。で?その完全復活したハルクルトと、その隊員がホロンの水場に何の用で?数時間前に何の前触れもなくいきなり川が氾濫してね。こちとら先日からタバラッカとレッドボアに襲われてキリキリしてたんでさ。また新たな魔獣か魔人でもあわられたのかと思ったのさ」
「ああ、やっぱり…」
「何だよハルクルト。やっぱりって原因知ってんのか」
「うん、まあ…」
「す、すみません。それ、わたしのせい、でして」
「何だって?」



 *****



 信じられん話だった。

 ハルクルトが生きていたことにも驚いたが、精霊の愛し子だとかいう異世界人の女に俺は耳を疑った。ホロンの水場と緑の砦の間に合った二つの村バーカー、ホークスと聖地ソルイリスは何十年も前に消え去って魔性植物による侵害からあの土地は魔の地になった。

 土壌腐食から植物が育たず汚れた土地として砂漠化していくのを指をくわえて見ていたのだ。

 それをほんの数時間のうちに緑豊かな土地に変えてしまっただと。俺の部下が様子を見に行ったが、信じられない光景を目の当たりにして目を潤ませて帰ってきた。聖地の神木のクスノキも生き生きと実をつけ、川に沿って若木も生えていたと言うからビックリどころの騒ぎじゃない。

 ほんの三日前のパトロールでは砂漠同然だったはずだ。

 しかもこの女キラキラと何百何千の精霊を従えていやがった。ルノーにもアッシュにも他の隊員にも精霊が付き添っていて何かしらの加護を与えているようだったが、この女とクルトに至っては半端じゃない数の精霊がびっしり付いている。

 しかも白マロッカだと。

 聖獣じゃねえか。

 あの眼力で俺の脳内に殺気を送りやがった。

『手を出せば容赦しない』

 ふざけんな、だった。

 普段、精霊を目にできるやつは少ない。俺の家系は薬師であり神官だったらしい。祖先は精霊とともに暮らしていた魔女だとも聞いた。もちろん俺も両親も祖父母も薬師なんて仕事はしていないし、薬の知識もほとんどないが、精霊を見ることはできた。危険があれば精霊が教えてくれて、狩りに出ても討伐に出ても聖霊の導きで生き残れたし、食肉も手に入った。

 もちろん他人にそのことを話すわけもなく、俺自身の秘密でもある。だが、この二人についている精霊は半端ない。こいつらにも精霊は見えているのだろうか。最初はなから殺すつもりも傷つけるつもりもなかったが、女があれほどの精霊に守られていながら結界に囲まれて近づけないのに苛立った。

 ともかく、水場の反乱は荒野の浄化と時を同じくして起こったようだ。女は精霊を使って水場の投渡堰なげわたしせきを壊したのだと言った。雨を極地に降らせ降水量をあげ堰を壊した後、水量をコントロールして川に水を戻し、旧グレンイリス聖地を復興した。

 少しやりすぎたとも言っていたが。

 その証拠に神木のクスノキが蘇った。あの汚された地を数時間で浄化したのだ。

 聖霊王の愛し子だと一人が言えば、聖女だともう一人が言い、女神だの魔女だの、なぜか一流のシェフだのとさっぱりわからない名目が討伐隊員たちから挙げられた。

 一番気になったのがハルクルトの想い人だと皆が口を揃えて言ったことだった。女に手を出せば消し炭にされる、と。

 あの戦闘狂のハルクルトに想い人だと?人を人とも思わず、立ちはだかる奴を躊躇せず、笑顔でバッサリ切り倒す男が?あんな触ったら折れそうな女に?冗談だろう?

 だがハルクルトの、あのデロデロにとろけた態度。すまない、なんてあいつの脳内辞書に載ってなさそうな言葉を吐いた。無事でよかった?アレで無事じゃねぇなんていったら誰一人生きてねえだろ。

 その怪しい女は、薬草とポーションらしきものを持って怪我人の間を走り回りながら、魔女さながらの鍋で何やら作っている。薬草の知識何てどこから手に入れたんだ?そもそも薬草なんかどこで手に入れた?

 魔獣を討伐隊員たちが嬉々として捌いていく。討伐隊員の魔獣を見る目がギラギラしているのは気のせいだろうか。戦ってる時より気合い入ってねぇか?

「ミヤさーん!レッドボア調理準備オッケーっす!」
「残りもできるだけ持って行くぞ、てめーら!」
「おう!真空パック準備オッケーです!」
「ハクラ炊けました!」

 そして今俺の目の前に差し出されたレッドボアのカレーシチューに炊いたハクラという代物。ついさっき戦って倒したばかりの魔獣と野菜がドロドロしたソースに絡まって、うまそうな匂いを醸し出している。なんのスパイスが入っているんだ、これ。

 一口食べてみて理解した。

 胃袋をがっつり掴まれたのか、ハルクルト。

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