『この悪役令嬢、すべてを許しすぎて逆に怖い』

白石あかね

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夜の舞踏室に、華やかな音楽と香りが漂っていた。

学院の定例舞踏会。貴族子弟たちが社交の場として集う行事であり、新入生にとっては初めて“大人の顔”を見せる舞台でもある。

きらびやかなドレス、整えられた髪、礼儀作法を競い合う視線。その中にあって、アズナ=グランフォードはひときわ目を引いていた。淡い群青色のドレスに身を包み、会場のどこにも属さず、けれど全体の中心にいるような不思議な存在感。

彼女はただ微笑み、必要とされれば踊り、求められれば言葉を交わす。それだけで、周囲が空気を読むように動いていた。

――その姿が、気に食わない者もいる。

「……あの女、本当に、皆から慕われてるとでも思ってるの?」

舞踏室の柱の影、カーテンの陰で、セリア=マーレはじっとアズナを見つめていた。

かつてアズナの“許し”によって断罪を回避したセリア。だがそれが、彼女にとっての屈辱だった。

“裁かれもしない”という扱いは、敗北よりも厳しかったのだ。

「聖女気取りの令嬢なんて、嘘っぱちよ」

その言葉に、隣にいたフィリオが小さく息を呑んだ。

「やめて……今度は、あなたが傷つく」

「傷つけてくれるなら、まだマシ。あの女は、戦うことすら拒んでくるのよ。だから――今度こそ、自分の言葉でぶつけてやるわ」

そう言ってセリアは、舞踏の輪からまっすぐにアズナのもとへ歩み寄っていった。

会場の空気が僅かに変わる。視線が集中し、音楽すら遠のく気配の中、セリアはアズナの目の前で言い放った。

「あなたって、人の苦しみなんて本当は分かってないでしょ?」

アズナは一瞬まばたきをし、そしてすぐに、微笑んだ。

「……そうかもしれませんわね。わたくしは、皆さまのすべてを理解できるほど、万能ではございませんもの」

「なら、どうして――あんなふうに、赦しなんて言えるの!?」

セリアの声が、かすかに震えていた。それは怒りではない。怒りになりきれない、“相手に届かない”という絶望だった。

アズナは静かに応えた。

「もしも何か、お困りのことがあるのなら、わたくしでよろしければ、お聞かせいただけませんか?」

その口調に攻撃の気配は一切なかった。  
矛先を受け止めるでもなく、そらすでもなく、  
ただ“存在ごと”その場に溶けていくような、柔らかすぎる対応。

セリアは言葉を失い、拳を握ることもできなかった。

ぶつける相手がいない。跳ね返してくる壁もない。  
空振りした感情が、虚空に漂う。

「……っ、なんなのよ、あなたって……!」

そう呟いて背を向けたセリアの肩が、小さく震えていた。

アズナはその背を見送ることなく、ふたたび輪の中心に戻っていく。

空気が、なめらかに何事もなかったかのように再構築された。

「この人は、戦わせてもくれないんだ……」

誰かがぽつりと呟いた。

“敵”を作らぬということは、対話を拒否しないということではない。  
“対立を拒む”ということだ。

戦いのない場所では、勝者も敗者も生まれない。  
そしてそれこそが、アズナ=グランフォードという存在の、最も深い“異常”だった。
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