13 / 46
13
しおりを挟む
夜の舞踏室に、華やかな音楽と香りが漂っていた。
学院の定例舞踏会。貴族子弟たちが社交の場として集う行事であり、新入生にとっては初めて“大人の顔”を見せる舞台でもある。
きらびやかなドレス、整えられた髪、礼儀作法を競い合う視線。その中にあって、アズナ=グランフォードはひときわ目を引いていた。淡い群青色のドレスに身を包み、会場のどこにも属さず、けれど全体の中心にいるような不思議な存在感。
彼女はただ微笑み、必要とされれば踊り、求められれば言葉を交わす。それだけで、周囲が空気を読むように動いていた。
――その姿が、気に食わない者もいる。
「……あの女、本当に、皆から慕われてるとでも思ってるの?」
舞踏室の柱の影、カーテンの陰で、セリア=マーレはじっとアズナを見つめていた。
かつてアズナの“許し”によって断罪を回避したセリア。だがそれが、彼女にとっての屈辱だった。
“裁かれもしない”という扱いは、敗北よりも厳しかったのだ。
「聖女気取りの令嬢なんて、嘘っぱちよ」
その言葉に、隣にいたフィリオが小さく息を呑んだ。
「やめて……今度は、あなたが傷つく」
「傷つけてくれるなら、まだマシ。あの女は、戦うことすら拒んでくるのよ。だから――今度こそ、自分の言葉でぶつけてやるわ」
そう言ってセリアは、舞踏の輪からまっすぐにアズナのもとへ歩み寄っていった。
会場の空気が僅かに変わる。視線が集中し、音楽すら遠のく気配の中、セリアはアズナの目の前で言い放った。
「あなたって、人の苦しみなんて本当は分かってないでしょ?」
アズナは一瞬まばたきをし、そしてすぐに、微笑んだ。
「……そうかもしれませんわね。わたくしは、皆さまのすべてを理解できるほど、万能ではございませんもの」
「なら、どうして――あんなふうに、赦しなんて言えるの!?」
セリアの声が、かすかに震えていた。それは怒りではない。怒りになりきれない、“相手に届かない”という絶望だった。
アズナは静かに応えた。
「もしも何か、お困りのことがあるのなら、わたくしでよろしければ、お聞かせいただけませんか?」
その口調に攻撃の気配は一切なかった。
矛先を受け止めるでもなく、そらすでもなく、
ただ“存在ごと”その場に溶けていくような、柔らかすぎる対応。
セリアは言葉を失い、拳を握ることもできなかった。
ぶつける相手がいない。跳ね返してくる壁もない。
空振りした感情が、虚空に漂う。
「……っ、なんなのよ、あなたって……!」
そう呟いて背を向けたセリアの肩が、小さく震えていた。
アズナはその背を見送ることなく、ふたたび輪の中心に戻っていく。
空気が、なめらかに何事もなかったかのように再構築された。
「この人は、戦わせてもくれないんだ……」
誰かがぽつりと呟いた。
“敵”を作らぬということは、対話を拒否しないということではない。
“対立を拒む”ということだ。
戦いのない場所では、勝者も敗者も生まれない。
そしてそれこそが、アズナ=グランフォードという存在の、最も深い“異常”だった。
学院の定例舞踏会。貴族子弟たちが社交の場として集う行事であり、新入生にとっては初めて“大人の顔”を見せる舞台でもある。
きらびやかなドレス、整えられた髪、礼儀作法を競い合う視線。その中にあって、アズナ=グランフォードはひときわ目を引いていた。淡い群青色のドレスに身を包み、会場のどこにも属さず、けれど全体の中心にいるような不思議な存在感。
彼女はただ微笑み、必要とされれば踊り、求められれば言葉を交わす。それだけで、周囲が空気を読むように動いていた。
――その姿が、気に食わない者もいる。
「……あの女、本当に、皆から慕われてるとでも思ってるの?」
舞踏室の柱の影、カーテンの陰で、セリア=マーレはじっとアズナを見つめていた。
かつてアズナの“許し”によって断罪を回避したセリア。だがそれが、彼女にとっての屈辱だった。
“裁かれもしない”という扱いは、敗北よりも厳しかったのだ。
「聖女気取りの令嬢なんて、嘘っぱちよ」
その言葉に、隣にいたフィリオが小さく息を呑んだ。
「やめて……今度は、あなたが傷つく」
「傷つけてくれるなら、まだマシ。あの女は、戦うことすら拒んでくるのよ。だから――今度こそ、自分の言葉でぶつけてやるわ」
そう言ってセリアは、舞踏の輪からまっすぐにアズナのもとへ歩み寄っていった。
会場の空気が僅かに変わる。視線が集中し、音楽すら遠のく気配の中、セリアはアズナの目の前で言い放った。
「あなたって、人の苦しみなんて本当は分かってないでしょ?」
アズナは一瞬まばたきをし、そしてすぐに、微笑んだ。
「……そうかもしれませんわね。わたくしは、皆さまのすべてを理解できるほど、万能ではございませんもの」
「なら、どうして――あんなふうに、赦しなんて言えるの!?」
セリアの声が、かすかに震えていた。それは怒りではない。怒りになりきれない、“相手に届かない”という絶望だった。
アズナは静かに応えた。
「もしも何か、お困りのことがあるのなら、わたくしでよろしければ、お聞かせいただけませんか?」
その口調に攻撃の気配は一切なかった。
矛先を受け止めるでもなく、そらすでもなく、
ただ“存在ごと”その場に溶けていくような、柔らかすぎる対応。
セリアは言葉を失い、拳を握ることもできなかった。
ぶつける相手がいない。跳ね返してくる壁もない。
空振りした感情が、虚空に漂う。
「……っ、なんなのよ、あなたって……!」
そう呟いて背を向けたセリアの肩が、小さく震えていた。
アズナはその背を見送ることなく、ふたたび輪の中心に戻っていく。
空気が、なめらかに何事もなかったかのように再構築された。
「この人は、戦わせてもくれないんだ……」
誰かがぽつりと呟いた。
“敵”を作らぬということは、対話を拒否しないということではない。
“対立を拒む”ということだ。
戦いのない場所では、勝者も敗者も生まれない。
そしてそれこそが、アズナ=グランフォードという存在の、最も深い“異常”だった。
2
あなたにおすすめの小説
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日19時に更新予定です。
厄災烙印の令嬢は貧乏辺境伯領に嫁がされるようです
あおまる三行
恋愛
王都の洗礼式で「厄災をもたらす」という烙印を持っていることを公表された令嬢・ルーチェ。
社交界では腫れ物扱い、家族からも厄介者として距離を置かれ、心がすり減るような日々を送ってきた彼女は、家の事情で辺境伯ダリウスのもとへ嫁ぐことになる。
辺境伯領は「貧乏」で知られている、魔獣のせいで荒廃しきった領地。
冷たい仕打ちには慣れてしまっていたルーチェは抵抗することなくそこへ向かい、辺境の生活にも身を縮める覚悟をしていた。
けれど、実際に待っていたのは──想像とはまるで違う、温かくて優しい人々と、穏やかで心が満たされていくような暮らし。
そして、誰より誠実なダリウスの隣で、ルーチェは少しずつ自分の居場所を取り戻していく。
静かな辺境から始まる、甘く優しい逆転マリッジラブ物語。
【追記】完結保証タグ追加しました
子供にしかモテない私が異世界転移したら、子連れイケメンに囲まれて逆ハーレム始まりました
もちもちのごはん
恋愛
地味で恋愛経験ゼロの29歳OL・春野こはるは、なぜか子供にだけ異常に懐かれる特異体質。ある日突然異世界に転移した彼女は、育児に手を焼くイケメンシングルファザーたちと出会う。泣き虫姫や暴れん坊、野生児たちに「おねえしゃん大好き!!」とモテモテなこはるに、彼らのパパたちも次第に惹かれはじめて……!? 逆ハーレム? ざまぁ? そんなの知らない!私はただ、子供たちと平和に暮らしたいだけなのに――!
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
脅迫して意中の相手と一夜を共にしたところ、逆にとっ捕まった挙げ句に逃げられなくなりました。
石河 翠
恋愛
失恋した女騎士のミリセントは、不眠症に陥っていた。
ある日彼女は、お気に入りの毛布によく似た大型犬を見かけ、偶然隠れ家的酒場を発見する。お目当てのわんこには出会えないものの、話の合う店長との時間は、彼女の心を少しずつ癒していく。
そんなある日、ミリセントは酒場からの帰り道、元カレから復縁を求められる。きっぱりと断るものの、引き下がらない元カレ。大好きな店長さんを巻き込むわけにはいかないと、ミリセントは覚悟を決める。実は店長さんにはとある秘密があって……。
真っ直ぐでちょっと思い込みの激しいヒロインと、わんこ系と見せかけて実は用意周到で腹黒なヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は、他サイトにも投稿しております。
表紙絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真のID:4274932)をお借りしております。
夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。
Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。
そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。
そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。
これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。
(1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)
自業自得じゃないですか?~前世の記憶持ち少女、キレる~
浅海 景
恋愛
前世の記憶があるジーナ。特に目立つこともなく平民として普通の生活を送るものの、本がない生活に不満を抱く。本を買うため前世知識を利用したことから、とある貴族の目に留まり貴族学園に通うことに。
本に釣られて入学したものの王子や侯爵令息に興味を持たれ、婚約者の座を狙う令嬢たちを敵に回す。本以外に興味のないジーナは、平穏な読書タイムを確保するために距離を取るが、とある事件をきっかけに最も大切なものを奪われることになり、キレたジーナは報復することを決めた。
※2024.8.5 番外編を2話追加しました!
転生したので推し活をしていたら、推しに溺愛されました。
ラム猫
恋愛
異世界に転生した|天音《あまね》ことアメリーは、ある日、この世界が前世で熱狂的に遊んでいた乙女ゲームの世界であることに気が付く。
『煌めく騎士と甘い夜』の攻略対象の一人、騎士団長シオン・アルカス。アメリーは、彼の大ファンだった。彼女は喜びで飛び上がり、推し活と称してこっそりと彼に贈り物をするようになる。
しかしその行為は推しの目につき、彼に興味と執着を抱かれるようになったのだった。正体がばれてからは、あろうことか美しい彼の側でお世話係のような役割を担うことになる。
彼女は推しのためならばと奮闘するが、なぜか彼は彼女に甘い言葉を囁いてくるようになり……。
※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる