十二輝の忍神 ーシノビガミ― 第一部

陵月夜白(りょうづきやしろ)

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9 本多忠壽

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第三話 本多忠壽との出会い

 伊賀の忍びが自滅したあとの中山道は、戦いの余熱だけが妙に生々しく残っていた。

 灰混じりの風が吹きすさび、裂けた大木の葉をざわざわと揺らす。
土の上にはまだ新しい血の匂いが重く漂い、焦げた皮膚の臭いが鼻の奥に貼りついた。

 さっきまでの轟音が嘘のように遠のき、かわりに耳に入るのは、風に混じった砂利の擦れる音と、自分たちの荒い吐息だけだ。

 金之助は膝に手をつき、肩で息をしていた。
胸の奥は熱く、懐の辰の珠がまだ小さく震えている。

 呼吸のたびに喉の奥が焼け、視界の端が薄く揺れた。
それでも、倒れるわけにはいかない。

 “ここで終われば、じいさまの死が無駄になる”――その思いが、身体をつなぎとめていた。

 一方、鉄之介は戦場の中央に立ち、変貌した大槌を握りしめている。

 槌頭の奥で酉の珠が赤黒く脈動し、亀裂から滲む光が彼の指を不気味に照らしていた。

 握るたびに、鉄の塊が“生き物の鼓動”を返してくる。
 鉄之介はそれを確かめるように一度、ぎゅっと柄を握り込み、眉をひそめた。

「……なんだよ、畜生。
 おとなしくしてろよ、こいつ」
 吐き捨てるような独り言。

 だが、声の裏には隠しきれない動揺があった。
 戦い慣れた鉄之介でも、“武器が生きているように脈打つ”感覚は初めてなのだ。

 そのときだった。
風のざわめきとは違う、硬い音が遠くから近づいてきた。

 一定のリズム。
地面を叩く重さと速さが、だんだん鮮明になっていく。

 馬蹄の音だ。
六つの蹄が揃って打ち鳴らされる、規律のある走り。

 ただの旅の行商や領民の足取りではない。
戦場の嗅覚が、二人に同時に告げる。

 ――武装した一団。
やがて灰の靄の向こうから、街道を割って姿を現したのは、鎧と手槍で固めた六騎の武士だった。

 雨あがりの土を蹴立て、馬の鼻息が白く吐き出される。
 その先頭に、ひときわ背筋の通った若武者がいる。

 黒い具足に身を包み、腰には大小。
馬上の姿勢がぶれない。
眼光は研ぎ澄まされ、灰の中でも刃のような冷たさが宿っていた。

「止まれ!」
鋭い一声が、街道の空気を真っ二つに裂いた。
馬たちは一斉に歩みを止め、家臣たちが左右へ広がる。

 無駄のない布陣。
戦の場を踏んできた者の動きだった。

 若武者――本多忠壽(ほんだ ただなが)
忠壽は馬上から静かに戦場跡を見渡した。

 倒れた忍びの屍。裂けた木。まだ散りきらぬ砂塵。
それらを一瞥し、視線を金之助と鉄之介へ戻す。

「何者だ。
 ここで何があった」
 声は低いが、よく通る。

 問いは簡潔で、余計な威圧を混ぜない。
だがその背後には、“答え次第では斬る”という決断の刃がはっきり見えた。

 鉄之介は一歩前に出た。
大槌を肩に担ぎ直し、乱暴に口を開く。

「見りゃわかんだろ。
伊賀もんに襲われた。……だが返り討ちにしたぜ」
 忠壽の眉が、ほんのわずかに動く。

 その視線は、まず地に転がる伊賀者の屍をなぞり、
次に――鉄之介の大槌へ吸い寄せられた。

 槌頭に宿る赤黒い脈動。
それは普通の武具が放つ気配ではない。
忠壽はその異様さを、ひと目で理解した。

 一瞬、瞳の奥が鋭く光った。
だが忠壽はすぐに表情を崩さず、むしろ何事もなかったかのように声を整える。

「ほう。伊賀を退けるとは……
 ただの旅人ではないな」
家臣たちの間にも小さなざわめきが走る。

 伊賀衆は幕府の影。
その伊賀に手傷を負わせ、退かせた相手が、目の前の二人なのだから。

 金之助は息を整え、前へ出た。
まだ体の芯が熱に揺れているが、目だけはまっすぐ忠壽を見た。

「お主、名は?」
本多忠壽の声は低く、焚き火の爆ぜる音に混じってもなお、はっきりと耳へ届いた。

 金之助は胸の内の熱を耐え、ゆっくり顔を上げる。
旅の疲れと恐怖がまだ骨の奥に残っている。
 それでも、目だけは逸らさなかった。

「……陸奥の白霜村(しらしもむら)の、金之助です」
 忠壽の眉がわずかに動く。

 その名を一度、確かめるように呟いた。
「白霜村……?」

 火の明かりが忠壽の横顔を赤く縁取り、
彼の瞳が一瞬だけ遠い記憶を探るように細まった。

「……聞いたことがあるぞ」
家臣たちが黙って見守る中、忠壽は金之助をまっすぐ見据える。

「もしかして――
陸奥……伊達政宗公の忍びの郷ではないか?」

 金之助の喉が小さく鳴った。
隠せるなら隠していたかった。
だが忠壽の眼差しは、すでに答えへ届いている。

 金之助は短く息を吸い、静かに頷いた。
「はい。
 伊達政宗公に仕えていた黒脛巾(くろはばき)子孫になります」

 その言葉が落ちた瞬間、焚き火の前の空気が一段、硬く締まった。

 忠壽はすぐには声を出さず、
金之助の顔と、懐に宿る気配とをもう一度確かめるように見た。

 やがて、低く、確信を含んだ声で呟く。
「……やはりな」
場がざわめき、背後から声がした。

「黒脛巾……?」
「生き残りがいるのか……」
 家臣たちが小声で交わす。

 忠壽は片手を軽く上げ、ざわめきを制した。
「黒脛巾……
 伊達政宗公お抱えの戦国最強の忍び…。
 だが、滅んだと聞いておる」

 忠壽は馬から降りた。
土を踏む音が静かだ。
 彼は一歩ずつ近づき、金之助と鉄之介を交互に見据える。

 とくに――
鉄之介の大槌に宿る珠を見たとき、忠壽の胸の奥に密かな熱が走った。

(――甲賀(こうか)の珠。やはり縁は繋がっている)

 だがその感情は、忠壽の顔には一切浮かばない。
 武士として培った“沈黙の鎧”が、心を外へ漏らさせなかった。

 忠壽は淡々と告げる。
「この道は危うい。
 伊賀の影はまだ潜んでいよう」

 そして、名乗った。
「拙者は白河藩士・本多忠壽。
 主君、松平定信の命を受け、この先へ急ぐ身だ」
 その名には、責任と使命の重みがあった。

 家臣たちの姿勢が、言葉だけで引き締まる。
 忠壽は二人を見て、言い切る。

「おまえたちも、西へ向かうのだったら、共に行くか。
 互いに損はあるまい」
押しつけではない。

 だが拒めば、それもまた“敵”と見なされる空気がある。
 忠壽の言葉は、柔らかい形をした確かな命令だった。

 鉄之介が目を細め、金之助と視線を交わした。

 あの珠の暴走。
忍びの襲撃の意味。
 自分たちだけでは分からないことが増えすぎている。

「なるほどな。
 そっちにも事情があるってわけか」
 鉄之介が呟くと、金之助は小さくうなずいた。

「……承知した。
 道は同じ、問題はない」

 忠壽は無言で頷き、踵を返す。
家臣が馬を引き寄せ、忠壽は鞍へ手をかけた。

 灰冷たい街道に、三つの脈がそろう。

 辰の器である金之助。

 酉の珠を宿した大槌を背負う鉄之介。

 そして己の胸の奥に午の珠を秘める忠壽。

 誰も口にはしない。
だが見えない糸が確かに結ばれ、三人の歩みを同じ方向へ引き寄せていた。

 こうして――
忍神の珠を巡る宿命に導かれた三人は、灰の降る中山道で、初めて肩を並べたのであった。

第四話 旅の同行

 本多忠壽は手綱をきゅっと引き、馬の歩みを整えた。
荒れた街道に蹄の音が揃う。
六騎がすっと隊列を作り、忠壽の馬が先頭に立つ。

 忠壽は馬上で一度だけ周囲を確かめるように目を走らせ、倒木と血の痕、まだ消えきらぬ砂塵の残る道へ、静かに視線を落とした。

 そして、迷いのない動作で馬首を西へ向ける。

「わしは急ぎ、この道を進まねばならぬ」
 声は低く、荒い息の残る空気を押し切るように真っすぐ響いた。
 体の疲労や戦場の余韻に左右されない、武士の調子――言葉そのものが“進軍の合図”になっていた。

「……館林方面へ、だ」
その地名が落ちた瞬間、金之助と鉄之介はほとんど同時に顔を見合わせた。

 館林。
浅間の噴火で西関東が灰に沈んだとき、最も酷い被害を受けたと聞く地のひとつ。
 城下が壊滅したという噂も、街道の端々から聞こえてくる。

 あえてそこへ向かう――
それは単なる“通り道”ではない。

 鉄之介が一歩踏み出す。
肩に担いだ大槌の脈動が、まだ微かに手へ伝わってくる。

 だが鉄之介はそれを意に介さず、忠壽の背へ声を投げた。

「館林に、何の用だ?」
挑む口調ではない。
けれど、無関係でいられる話でもないという重さが、声に乗っていた。

 忠壽は振り返らない。
馬上の姿勢一つ崩さず、前を見据えたまま答えた。

「……命を受けた。それ以上は問うな」
 短い。
 そして冷たい。

 けれどその冷たさは、他人を突き放すためではない。
 忠壽自身が、背負っているものを不用意に口へ出さぬための節度だった。
言葉の奥に、鋼のような決意だけが沈んでいる。

 金之助はその背中を見上げた。

 白河藩士。
 主君の命を受けたと言う忠壽。

 館林へ向かう理由は語られない。
だが、忠壽の目が“私事ではない”ことだけははっきり示していた。

 金之助の胸の奥で、辰の珠がかすかに熱を揺らす。
なぜだか分からない。

 けれど「館林」という場所が、
自分の運命と無関係ではない――そんなざわめきが走った。

 金之助は一度息を整え、素直に頷いた。
「……俺たちも西を目指す。
 館林までなら共に行きましょう」

 言いながら、金之助は鉄之介をちらりと見た。
 鉄之介は鼻を鳴らしながらも、反対はしなかった。

 少なくとも今、
伊賀に狙われる身として、頼れる剣と数が増えるのは悪くない。

 それに――忠壽という男の中に、ただの通りすがりではない“匂い”がある。

 忠壽は馬上から金之助を一瞥した。

 若い--齢15、6というところか。
疲れ切っているはずなのに、目だけが折れていない。

 そしてあの名乗り――黒脛巾の血。
胸の奥で、午の珠がごく微かに脈を打つ。

 忠壽はほんのわずか、口角を上げた。
笑みというより、“了解”の形をした表情の変化。

「よいだろう」
それだけ言うと、忠壽は再び前を向く。
隊列が動き出し、蹄の音が灰を踏み締めていく。

 灰冷たい風が、三人の間を吹き抜けた。
だがその風は、もはやただの冷えではなかった。

 それぞれの胸に宿るものが、
同じ方向へ歩みを運ばせる――
そんな“見えない流れ”を感じさせた。

 辰、酉、午。
三つの輝きが並び、新たな旅の列が中山道に生まれる。

 まだ互いの事情は語られず、
珠の意味も、館林に待つものも、誰の目にも霧の中だ。

 けれど、
この三つが交わったことだけは確かだった。
 そしてその交わりは、やがて十二の宿命へ――逃れようのない道へと繋がっていく。
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