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第四章 大資本の激突

一つの成果

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「――何事ですか?」

 店の奥、薬師の研究室から出て来たのは、白衣を纏った長身痩躯の男だった。
 五十代前半ほどの歳に見える人間で、顔には深い皺が目立ち頬がこけ、目の下にはクマができている。不健康そうな姿は、いかにも研究者といった風貌だが、暗い表情から放たれる鋭い眼光に射抜かれたウィルムは動けない。それどころか、自然と足が震えてさえいる。
 男がゆっくりと歩み寄ってカエデの後ろに立つと、彼女は戸惑いに揺れる瞳を向けた。
 
「シャーム店長……」

「っ!?」

 その名を聞いた瞬間、ウィルムは全身が怖気立つ。
 フローラ店長『シャーム』。彼はギルドの副会長であり、今回の件に最も深く関わっているであろう重要人物だ。
 ウィルムの頬が緊張に強張る。
 なにがなんでも真実を吐かせなければならない。
 臨戦態勢に入って身構えていると、シャームは見下すような冷たい視線をウィルムへ向け、カエデへ問う。

「カエデくん、こちらの方は?」

「……鉱石商のウィルム・クルセイドさんです」

「ほぅ……それで、なにがあったのですか?」

「それが……」

 カエデはすぐには説明できず口ごもる。
 シャームはウィルムの名を聞いて、興味を持ったように目を細めていた。
 ウィルムは大きく息を吸って気を落ち着かせると、アビスから回収した白衣の切れ端をシャームの目の前へ突き出した。

「それはなんですか?」

「とぼけないでください。この店の白衣でしょう? これがアビスの体から見つかったんです」

「はぁ。しかしその白衣、うちのではありませんね」

「……は?」

 特に動じた様子もなくキッパリと言い切ったシャームに、ウィルムは唖然とする。
 そんなはずはない。
 これはフローラの白衣だとカエデも認めたのだ。その証拠に、彼女も目を見張って固まってしまっている。
 シャームはこのまま無関係で押し通すつもりのようで、ポーカーフェイスを崩さない。
 ウィルムは慌てて食いついた。

「そんなわけがないでしょう!? この白衣がアビスから見つかったということは、フローラがアビスを生み出したんじゃないんですか? 竜人の体質を利用してっ!」

「なにを言っているのですか? 世迷言を口にするのは勝手ですが、我々に迷惑をかけないで頂きたいですな」

「くっ……」

 シャームは眉一つ動かさず淡々と告げた。
 彼がウィルムに向ける目は、なんの興味も持たない冷たいものだった。真実を暴露したというのに、なんとも思っていないようだ。それは、竜人の犠牲をなんとも思っていないということでもある。 
 ウィルムは無性に腹が立った。

「よくもそんなことがっ!」

「これ以上は話すだけ無駄です。さっさと立ち去ってください。さもなくば、人を呼びますよ?」

 突っぱねるように告げられ、ウィルムは言葉を詰まらせた。
 ここで粘ったところで、ギルドの仲間を呼ばれてはすべて握りつぶされてしまう。
 それでは意味がない。
 引き際を誤るわけにはいかないのだ。
 ウィルムは悔しさに奥歯を強く噛みしめ、虫けらを見るような視線を向けてくるシャームを睨みつけると、無言できびすを返した。
 
「――彼の世迷言です。先ほどのことはもう忘れなさい」

 ウィルムが店を出る間際、シャームがカエデにそう言っているのが聞こえた。
 収穫がなかったわけではない。
 少なくとも、カエデが協力者でないことが分かったのだ。
 それは今のウィルムにとって、大きな成果だった。
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