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閑話 (アラン視点)愛してると何度でも

1 結ばれなくても構わない

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 俺の名はアラン・コールリッジ。
 コールリッジ家当主でカドガン伯爵である父を持つ、コールリッジ=カドガン家の嫡男だ。
 俺には婚約者がいる。

 とても美しく、賢く、強い女性だ。
 貴族ではないが、この国で一、二位を争う大商家の血縁者で、大抵の貴族より豊かで、また教養深い。

 礼儀作法に所作も上位貴族に匹敵するほど洗練されていて、語学力も優れている。それらは国内外で取引をする際、自身が対面し、信用を得るために必要不可欠だから、というのがその理由だ。

 婚約者の名はメアリー・ウォールデン。
 俺が伯爵位を継いだら、彼女を解放してやることになっている。

 彼女の美しさはデビュタント前からもあちこちで囁かれ、俺という婚約者の存在があっても、彼女に秋波を送り、縁付こうと目論む輩は絶えない。
 肝心のメアリーは自身の美しさを知ってはいるようだがどこか無頓着だ。
 己の容姿を嫌悪している節すらある。
 メアリーは彼女の母親とよく似た容姿をしている。それが嫌悪の理由だ。

 だがメアリーは彼女の母親とは違い、心根の優しい女性だ。

 メアリーのお陰で、俺はぎこちなかった母との親子関係を修復することができた。
 メアリーのお陰で、母はよく笑うようになった。
 メアリーのお陰で、俺は人を信じることが出来た。
 メアリーがいてくれたから、学問も剣術も、教養もマナーも、次期伯爵として相応しくあるよう努力しようと思えた。
 メアリーがいてくれたから、人生を投げ出さずに済んだ。

 メアリーの幸せのために、俺に出来ることはなんだろう。
 婚約解消するまではせめて、メアリーが穏やかに過ごせるよう、メアリーの望みが叶うよう、その障壁となるものを俺が取り除いてやりたい。
 メアリーの前に立ち敵を払う騎士の役割は、俺には許されないが、メアリーの後ろで彼女を害する者をひっそりと処理する。
 メアリーの後ろ姿を見守るだけで十分だ、と言い聞かせていた。それだけで十分贅沢なことだと。






 

 伯爵家の嫡男に生まれたからには、政略結婚は当然のものだと幼い頃から理解していた。
 だから、父から婚約者がいると告げられたときも、その顔合わせだと連れ出されたときも、特に何も思うことはなかった。きっとコールリッジ家にとって、都合のいい家のご令嬢なのだろうと。
 その頃はまだ父に尊敬の念を抱いていた俺は、父から愛されているだろうなどと、わざわざ意識することもなく、当然そうであろうと無邪気な子供そのものだった。
 だからきっと、家だけでなく、俺にとっても相応しいご令嬢を父が選んでくれたのだろう、とそう思っていた。婚約者の顔合わせの日、俺は父から新しいプレゼントを貰うのと似た高揚感で馬車に乗り込んだ。隣に腰掛ける母の表情が徐々に失せていくことに疑問を抱きつつも、笑顔で俺に婚約者の話をする父がとても嬉しそうで、きっといいことが待っていると思った。俺はわくわくと期待していた。

「父上、俺の婚約者になる人はどんな女の子ですか」
「とても可愛らしいお嬢さんだ。大きくなったら、とても美人になるだろうね。なにせ彼女のご母堂はとても美しい人だから。真珠姫と呼ばれていたんだ。アラン、お前の婚約者のメアリー嬢もきっと真珠姫になるだろう」
「お姫様なのですね。俺は気に入ってもらえるでしょうか」
「優しくしてやることだ。お姫様は男が守ってあげなくてはな」

 真珠姫と聞いて、俺の胸は高鳴った。それほど美しい方の娘なら、きっとメアリーという子も可愛いに違いない。
 付き合いのある同じ年頃の女の子といえば、父方の従姉妹くらいだったが、彼女達は厳めしい叔父と常に眉を吊り上げ口をきつく引き結んでいる叔母の二人に似ていて、愛想もなくツンケンしていたし、おそらく俺のことを嫌っていた。
 母もまた、子煩悩というには程遠く、俺の顔を見ると顔を顰めるような人だった。必要最低限のことしか会話をしないし、その会話も冷たく突き放されているように感じた。何より、母は俺の目を決して見ようとしなかった。
 だから女の子というのは、そういうものなのかと思っていたのだが、どうやら婚約者になるメアリーは、お姫様のように可愛いという。
 どきどきした。
 俺のことを気に入ってくれるだろうか? メアリーはお姫様なのだから、俺がうんと優しくしよう、可愛がってあげよう、と思った。

「はい。俺がメアリーを守ります」
「いい子だ」

 父が俺の頭を撫でてくれるので、俺は嬉しくなって自慢げに胸を反らした。

「俺も父上のように、メアリーを大事にします!」

 すると父は困ったように眉尻を下げた。なぜだろう、と不思議に思った。
 俺は、そのときの母の顔を覚えていない。おそらく母のことを見ていなかったのだろう。その時まで俺は、母を伯爵夫人として、また産みの親として尊敬していたが、苦手に思っていたし、慕ってはいなかった。
 犬のように父を慕っていたのだ。







 婚約者と引き合わされ、俺はそこで初めて婚約の理由と、また婚約者の身分を知った。
 婚約者となるメアリー・ウォールデンは、大商家ウォールデン家の親族の娘で、また俺の父、カドガン伯爵の婚前からその仲の続く、愛人の娘だった。
 婚約の理由は、家の繋がりによって利を得るためではなかった。父カドガン伯爵が、愛人の娘をコールリッジ=カドガン家に迎え入れたいがためだけだった。

「なんで?お父様とお母様はご夫婦なのでしょ? 神様に誓ったのでしょ? わたし知ってるわ! 愛してると神様に誓うから、結婚するのよ! 神様がお許しになったから結婚できるのよ!」

 婚約者だと紹介されたメアリーという少女は、白金色の美しい髪を振り乱して泣き叫んでいた。
 父の言う通り、とても美しい子だったが、その顔は涙に濡れ、憤怒で赤く染まり、眉を吊り上げて、そして琥珀色の瞳は憎悪に満ち、目尻は真っ赤で、恐ろしい形相をしていた。とても可愛らしい、とは言えない。
 俺はそんなメアリーの様子を他人事のように眺めていた。

「お母様! お母様のなさっていることは酷い裏切りです! 神様に誓ったお父様に、この仕打ち!思うことはないのですか!」

 メアリーがその顔とよく似た―メアリーが大人になったらこうなるのだろうな、と思われる――美しい女性に詰め寄った。その女性は嫋やかに眉尻を下げ、メアリーに微笑み返す。そして口を開いたかと思うと、俺の父にチラリと視線を投げた。
 俺は父の顔を見なかった。吐き気が抑えられなかった。

「畏れながら、よろしいでしょうか! カドガン伯爵!」

 父から視線を逸らし、目の前の出来事から逃げようとする俺とは違い、メアリーは果敢に父に歯向かっていった。
 父が隣でたじろいだ気配がする。

「伯爵のなされたことは、神への冒涜です! 違いますか!」

 父は何も応えなかった。
 これが俺の尊敬していた男の姿なのか、と胸に失望が広がる。
 メアリーは唇を噛んで、メアリーによく似た美しい女性の隣に立つ、穏やかそうな紳士に詰め寄った。

「お父様! お父様はどう思われているのですか! この婚約に、納得なさっているのですか!」

 ああ、メアリーはこの婚約が嫌なんだな。それだけはよくわかった。
 メアリーの父親だという人は、メアリーに視線を向けるも、何の感情もなく興味もない様子だった。メアリーは息を呑み、傷ついたような顔をした。その姿がとても可哀想で、俺の心臓もぎゅっと傷んだ。

「カドガン伯爵夫人は…? 夫人も何も思われないのですか…?」

 自身の父親に相対したときのような勢いは削がれ、語気は弱弱しい。メアリーに問われた母を振り返って見てみると、母もメアリーの父親と同様、そこには何の感情も浮かんでいなかった。
 俺は、なぜかとてもショックを受けた。愛されていないと知っていたが、ここでもまた無関心を貫く母に、改めてその事実を突きつけられた気分だった。

 メアリーは涙をボロボロと零して、ドレスの裾をぎゅっと力いっぱい握りしめていた。
 その様子があまりに可哀想で。捨てられた子犬のように、寄る辺なく。気丈にも一人で悲しみに耐えている姿に、先程までのメアリーの悲痛な叫び声が重なって、俺はメアリーの元へ吸い寄せられるように、ふらふらと歩き出した。
 メアリーは俺に気が付くと、その涙に濡れた琥珀色の瞳を真っすぐ俺に向けた。心臓まで射抜かれた気がした。

 そこからは何かに従うかのように、体が動いた。俺はメアリーの小さな背に腕を伸ばし、ぎゅっと抱きしめ、そしてメアリーが俺の背に腕を回して縋り付いてきた。
 ぎゅっと力いっぱい縋り付くメアリーの孤独と怒りが、まるで俺達二人、溶け合ってしまったかのように伝わってきた。メアリーの高い体温に、涙と鼻水でびしょびしょの頬。白金の髪は涙で、メアリーだけでなく俺の頬にもへばりついているし、いつの間にか泣き声の合唱を響かせていた俺の口にも、しょっぱい涙が滴り落ちてきた。
 メアリーの汗ばんだ体をめいっぱい抱きしめて、メアリーを守りたいと強く思った。

 あの男に誓ったからじゃない。
 俺はあの男とは違う。
 メアリーが望むのなら、俺はメアリーを解放する。
 あいつらの毒牙からメアリーを守り、道筋が見えてきたところでメアリーに自由を。
 誰より幸せにしてやりたい。

 メアリー・ウォールデン。俺の婚約者。
 結ばれなくても構わない。メアリーの幸せを願っている。
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