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閑話 (アラン視点)愛してると何度でも

3 母の小言が長い

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 俺達はそれから仲睦まじい婚約者として、互いを支え合って過ごした。婚約解消まで、メアリーの隣りにいられる限られた時間を大事にしながら、だが、俺という存在を厭うているだろうメアリーの負担にならぬよう、線引きをして、礼節に則り、決してこの恋心をメアリーに知られぬよう留意した。
 婚約者として大事に丁寧に接する姿勢の裏に、燃え盛る恋慕も執着も年々増す愛欲も、全て蓋をした。だがそれでも漏れ出る想いを隠し通せているとは思えなかった。




「アラン、お話があります」

 学園から帰宅すると、鬼のような形相で玄関ホールで仁王立ちする母が待ち受けていた。
 ジャケットをメイドに手渡し、ウエストコートの釦を全て外し、タイを緩めてシャツのボタンもいくつか外す。
 その緩慢な動作を母は目を吊り上げたまま、黙って見ていた。

「なんですか。今日はメアリーと菓子作りしていたのでしょう? 楽しいお時間だったのでは?」
「ええ、そうです。メアリーさんと過ごす時間はかけがえのない時間です」

 それならばなんだというのだ。なぜ母はこれほどまで不満顔なのか。

「それなのに! アラン、あなたはメアリーさんとの婚約を解消するというではないですか!」

 メアリー、バラしたな。
 思わす舌打ちをする。

「なんですか! その態度は! だいたい貴方、幼い頃からメアリーさん以外、目もくれないじゃないの! それとも他に、いい人でもできましたか!」

 母の言葉に思わずカッとなる。

「そんなわけがないでしょう! 俺はメアリーしか必要ない!」

 母は怯んだように、後ずさった。
 まずい、と口元を押さえる。思わず怒鳴ってしまったが、俺ももう十六だ。母の背丈は遠に越したし、声も低くなった。剣術、体術に勤しんでいるから、それなりに力も強い。
 男の俺が怒鳴れば、母は本能的に恐怖を感じるだろう。
 戸惑う母に、頭を下げる。

「申し訳ございません。声を荒らげてしまいました。不徳の致すところです」

 母は額に手を当て、呆れたように嘆息した。

「そんなことはどうでもよろしい。…いえ、よくないわね。メアリーさん相手にその振る舞いはしないでちょうだいね」
「はい」

 勿論、メアリーを怖がらせたくない。

「それより婚約解消とはどういうことなの。きちんと説明なさい!」

 いずれ母にも打ち明けなくてはならないことだ。だがメアリーと婚約を結ぶ以前の、母の無気力で全てを諦めたような様子を思い出すと、とてもじゃないが、嬉々として話す気分にはなれなかった。

「メアリーは傷ついているのです。この婚約を不本意に思っている」
「は?」

 母が目を見開く。
 そんな母の反応に首を傾げる。

「当然でしょう? あいつらにメアリーがどれだけ振り回されたことか。デビュタント前のメアリーが社交場に出ることはまだ先になりますが、あいつらのせいで、メアリーが茶会で揶揄されることも多い。それだけならまだいいですが、メアリーが店前に立ったとき、露骨な侮蔑をぶつけてくるような品のない輩もいる。メアリーがどれだけ辛酸を嘗めさせられてきたか」

 拳を握って母に詰め寄ると、母は嫌そうに眉を顰めた。

「途端に饒舌になるわね。それで? メアリーさんがあの方達のせいで迷惑を被っているのはわかるけれど、なぜそこから婚約解消に繋がるのかしら?」

 むしろなぜ、今の話で婚約解消に繋がらないのかが疑問だ。

「俺がメアリーの側にいる限り、メアリーはあいつらの落とす陰を俺に見てしまうでしょう。そもそも俺はあの男の息子です。メアリーが憎んでいて当然だ。この婚約はあいつらが勝手に押し付けたものです。メアリーは結婚したくないと言っていました。俺と共になりたくないのでしょう」

 母はぽかん、と口を開けた。間抜けなので口を閉じられた方がいいですよ、母上。

「…お前は。馬鹿だ馬鹿だとは思っていたけど、これほどとは…」

 肩を落として、長く溜息をついた母に憐れみを感じる。
 母にとってメアリーは、念願の女の子だ。俺のような無愛想で可愛げのない、そしてあの男に似た顔の俺より、母はよっぽどメアリーが可愛いのだろう。その気持ちはよくわかる。
 俺も母も、メアリーに救われたのだ。メアリーがいなければ、今こうして気兼ねなく言い合う母と息子はいなかった。
 俺にとっても母にとっても、メアリーは特別だ。替えなどきかないし、そんなことをすれば誰もが不幸になる。
 だから俺は婚約解消後、誰かを娶るつもりはない。後継者は親族の者を養子にとればいい。メアリーには打ち明けていないが、メアリーが幸せを掴んだ後、まだ俺や母とたまの親交を許してくれるのなら、そのときに打ち明ければいいかと思う。
 もしメアリーが子供に爵位を望むなら、その子に継がせてもいい。養子として育てようなどと烏滸がましいことは望まない。メアリーなら素晴らしい子を育て上げるだろう。俺は爵位だけを譲り渡せばいい。
 なかなかいい考えのような気がしてきた。

「母上。カドガン伯爵位をメアリーの子に譲るのはどうでしょうか」
「なんですって?」

 母は飛び上がって叫んだ。
 メアリーは母のことを嫋やかで儚げな女性だと言うが、この姿を知らないのだろう。母はとても元気で、そして時々奇妙な動きをするし、よく叫ぶ。
 いつも怒鳴っている気がするし、俺のことをよく鼻で笑うし、とてもじゃないが、上品な淑女ではない。
 まあ、メアリーと出会う前の母は確かに儚げだったが、今の姿が母の本性だ。叔父のアスコット子爵も「姉さんはもともと、とんでもない跳ねっ返りだから」と言っていた。
 「そんな姉さんをあそこまで打ちのめした伯爵を、僕は許さないけどね」とうっそりと笑うところまでがセットなのだが。
 そして叔父は俺に「わかっているよね」と言う。俺とあの男を同一視されるのは不愉快だが、まぁ仕方のないことかとも思う。
 叔父は母と似ていて、華奢なお身体にどことなく女性的な、優しげな風貌だが、とても腹黒い人で、とても粘着質な人だ。そして幼い頃、貧しい生活の中で母が叔父を可愛がって何かと世話を焼いていたらしく、叔父は今も母に恩義を感じている。そんな叔父があの男を許すはずもない。

「俺は早々に伯爵位を継いで、あの男を領地に押しやります。隣の領地はアスコット子爵領ですね。叔父上があの男に何を仕掛けるか見物じゃないですか?」
「それはそうね。存分にやってほしいわ」

 母はニヤリと笑った。
 この黒い顔、メアリーに見せてやりたい。メアリーは未だに母を可哀想な人だと思っている。全く可哀想ではない。物凄く人生を楽しんでいる。

「それで? それとメアリーさんのご子息に爵位を譲るというのは、どう繋がるの?」

 母は腕組みまでし始めた。顎を上げ、鼻息荒く尋問官になりきっている。
 この母がメアリーの目には哀れな淑女に見えるらしいのだから、俺には淑女とやらは、よくわからない。

「メアリーが好む男と結ばれれば、そのうち子供が生まれるでしょう。相手の男がどんな地位のものかはわかりませんが、今から結婚相手を探すとなると、条件のいい貴族位の者達は既に婚姻しているか婚約者がいる。それにメアリーは平民だから、わざわざ訳アリの貴族男に嫁ぐ必要もない。おそらく平民が相手でしょう。メアリーは商売に精を出している。ならば爵位はあって損はない。家族平穏に暮らしたいだけなら不要ですが、カドガン伯爵コールリッジ家はそれなりに力がある。きっとメアリーの子供の役に立つでしょう」
「お前は何を言っているの…」

 母は頭を抱え込んでしまった。

「そもそもお前の言い分では、メアリーさんがお前と係わることを望んでいないということだけど?」

 痛いところを突かれた。
 だが俺とてメアリーの幸せを遠くから見守りたい。それくらいは許してもらえないだろうか。

「それは、メアリーが愛する男と幸せを掴んだあとなら、多少は許してもらえないかと」

 母が胸倉を掴んできた。少し苦しい。

「それはメアリーさんがせっかく掴んだ幸せに、横入りするということなの? お前はメアリーさんの愛人にでもなるつもりなの!」

 母の言い分に驚いた。まさかそんなこと、思いもよらなかった。
 だが確かに元婚約者の俺が、結婚後にメアリーの周囲をうろつくのは、要らぬ醜聞を呼ぶ。

「そんなつもりはありませんでした。では爵位は親族のうち、出来のよい者を養子として爵位を譲ります。子育ては実の親に任せます」

 母が手を離し、俺はくしゃくしゃになったシャツを払う。母はまだ胡乱な目つきで俺を見ていた。

「万が一破談になったのなら、それが最善ね。お前がメアリーさん以外のご令嬢を大切に出来るわけがないし、お互いに不幸だわ。それに親族を差し置いて爵位を譲るなんて、それこそ骨肉の争いが起きます」
「万が一じゃないですよ。婚約解消は決定です。それにしてもさすが母上。俺のことをよくわかっていますね。ただ親族はどうでもいいです。メアリーに害なすようなら潰します」
「それはお前の母なのだから当然でしょう。それと、コールリッジ家の親族にもちゃんと敬意を払いなさい。ただしメアリーさんに迷惑をかけるようならその限りではないわ」

 何やら誇らしげに胸を張っている。機嫌が良さそうなので放っておこう。

「では、これで失礼します」

 礼をして辞すると、母はまだ何か言いたげにしていたが、気が付かなかった体を装い、自室に下がった。
 今日もまた、母の小言が長かった。
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