3 / 21
本編
第三話 海を渡ったアーニャ
「まあ! 本当になんてお心の広いお方なのでしょう! バル様と仰るの? わたしはグリューンドルフ公爵家が長女、アンナと申します。どうぞ不逞の兄をよろしくお願いいたします」
王弟である、グリューンドルフ公爵が嫡男であるフルトブラント。その主となれるのは、直系王族しかいない。
つまりバルドゥールが王族であると、アンナが察したことは間違いない。
それにも関わらず、アンナはバルドゥールに対し、臣下としてではなく、まるで対等であるかのような態度で応じた。
むしろ第三王子とはいえ自国の王子の顔すら覚えていないなど、対等であるどころかバルドゥールを格下であると言っているようなものだ。
兄妹揃って王子たるバルドゥールに不遜であった。
だがバルドゥールは、アンナの愛称と、またグリューンドルフ公爵の長女たるアンナは養女であることが頭にあった。
それから、アンナの出自を予測する。
バルドゥールは気位の高い少女に微笑みかけた。
「ええ。アンナ様。フルトブラントのことはお任せください。私はゲルプ王国第三王子、バルドゥール・プリンツ・フォン・ゲルプ=ジツィーリエンと申します」
アンナの名に略式であるものの敬称をつけ、胸に手を当て正式名称を名乗るバルドゥール。
フルトブラントは驚愕に刮目した。
「バル、お前……」
腐っても公爵令息であるフルトブラントが、その意味をわからぬはずがない。
フルトブラントは自身の愛妹アンナを見た。
「丁寧なご挨拶をありがとうございます。第三王子殿下。どうぞわたしのことはアーニャとお呼びくださいませ」
目を細めて微笑むアンナは輝かんばかりに眩く、天上の女神のようだった。
バルドゥールはアンナの差し伸べた手を取り、その指先を額に抱く。
フルトブラントは第三王子であるバルドゥールが、アンナに騎士の礼をとる様子に目を剥いた。
「では、私のことはバルと」
「はい、バル様」
「様はいりませんよ」
「あら。ではバルも敬語はよしてくださいな」
「わかったよ、アーニャ」
屈託なく笑いあうバルドゥールとアンナを前に、フルトブラントは混乱の極みにあった。
「えっ。ちょっ……。え? 何? どういうことだ?」
戸惑い常になく取り乱した様子のフルトブラントに、バルドゥールは首を振った。
「ブラント、君は長くアーニャと過ごしてきたくせに、気がつかなかったのかい?」
「だから何を……?」
今にも泣き出しそうな顔をして、弱弱しく問いかけるフルトブラント。
バルドゥールは肩を竦めてアンナを見た。アンナは首を振って困ったように微笑む。
「わたしの口から述べるのは憚られるのです、お兄様。察してくださいませ」
フルトブラントは語学が不得意であった。というより、彼は武に偏っていた。
王立学園では、勉学において、なんとか落第しないようにしがみつくのが精一杯。
それを知っているバルドゥールは、フルトブラントにヒントをあげた。
「アーニャなんて響き、どこかの国で聞いたことがあるなあ。ねえ、アーニャ?」
アンナは困ったように眉尻を下げ、バルドゥールを見つめる。
「……そうですわね。グリューンドルフ公爵家図書室にある絵本にもありましたっけ」
幼いアンナに与えられた絵本の数々。
それはゲルプ王国のものもあれば、アンナの生国ガルボーイ王国のものも多々あった。
そしてその絵本の中に、アーニャという名のお姫様が主人公の物語があった。
幼いアンナの一番のお気に入りであった絵本。アンナに乞われて、フルトブラントが繰り返し読み聞かせた絵本。
「『海を渡ったアーニャ』……」
フルトブラントが絵本のタイトルを口にする。アンナはにっこりと笑みかけた。
「そうですわ。お兄様。わたしは海を渡ってはおりませんが、森を渡りました」
ゲルプ王国とガルボーイ王国の国境は広大な森林にある。
フルトブラントはようやくそこで、アンナの出自を悟った。
バルドゥールはフルトブラントの肩を叩くと、小声で囁いた。
「そういうわけだから、アーニャの相手は君ではなく、僕に任せてね」
フルトブラントがアンナを妹として可愛がっていることはわかっていた。だが、バルドゥールは念のため釘を刺す。
こんなに美しい少女なのだ。
いつフルトブラントがアンナを女性として愛するようになるか、わかったものではない。
フルトブラントはしかめっつらでバルドゥールを睨む。
「……絶対に守りきることを約束しろよ」
「当然」
バルドゥールはにっこりと笑う。
アンナはバルドゥールとフルトブラントとの間で交わされる小声のやり取りを、聞こえないフリをした。
母国の成り行きによって自身の立ち位置が変わるアンナにとって、ゲルプ王国第三王子との縁をどのような方向性に導くべきか、判断しかねたからだ。
しかし見目麗しく穏やかで、聡明そうなバルドゥールからここまであからさまな好意を向けられ、一人の少女としてのアンナの胸は喜びに高鳴った。
「さあバルにお兄様。今日はこれからご予定がおありなの? もしないのであれば、わたしもお二人に混ぜてくださいませ!」
満面の笑みで手を広げるアンナに、二人はもちろん大歓迎だと応じた。
王弟である、グリューンドルフ公爵が嫡男であるフルトブラント。その主となれるのは、直系王族しかいない。
つまりバルドゥールが王族であると、アンナが察したことは間違いない。
それにも関わらず、アンナはバルドゥールに対し、臣下としてではなく、まるで対等であるかのような態度で応じた。
むしろ第三王子とはいえ自国の王子の顔すら覚えていないなど、対等であるどころかバルドゥールを格下であると言っているようなものだ。
兄妹揃って王子たるバルドゥールに不遜であった。
だがバルドゥールは、アンナの愛称と、またグリューンドルフ公爵の長女たるアンナは養女であることが頭にあった。
それから、アンナの出自を予測する。
バルドゥールは気位の高い少女に微笑みかけた。
「ええ。アンナ様。フルトブラントのことはお任せください。私はゲルプ王国第三王子、バルドゥール・プリンツ・フォン・ゲルプ=ジツィーリエンと申します」
アンナの名に略式であるものの敬称をつけ、胸に手を当て正式名称を名乗るバルドゥール。
フルトブラントは驚愕に刮目した。
「バル、お前……」
腐っても公爵令息であるフルトブラントが、その意味をわからぬはずがない。
フルトブラントは自身の愛妹アンナを見た。
「丁寧なご挨拶をありがとうございます。第三王子殿下。どうぞわたしのことはアーニャとお呼びくださいませ」
目を細めて微笑むアンナは輝かんばかりに眩く、天上の女神のようだった。
バルドゥールはアンナの差し伸べた手を取り、その指先を額に抱く。
フルトブラントは第三王子であるバルドゥールが、アンナに騎士の礼をとる様子に目を剥いた。
「では、私のことはバルと」
「はい、バル様」
「様はいりませんよ」
「あら。ではバルも敬語はよしてくださいな」
「わかったよ、アーニャ」
屈託なく笑いあうバルドゥールとアンナを前に、フルトブラントは混乱の極みにあった。
「えっ。ちょっ……。え? 何? どういうことだ?」
戸惑い常になく取り乱した様子のフルトブラントに、バルドゥールは首を振った。
「ブラント、君は長くアーニャと過ごしてきたくせに、気がつかなかったのかい?」
「だから何を……?」
今にも泣き出しそうな顔をして、弱弱しく問いかけるフルトブラント。
バルドゥールは肩を竦めてアンナを見た。アンナは首を振って困ったように微笑む。
「わたしの口から述べるのは憚られるのです、お兄様。察してくださいませ」
フルトブラントは語学が不得意であった。というより、彼は武に偏っていた。
王立学園では、勉学において、なんとか落第しないようにしがみつくのが精一杯。
それを知っているバルドゥールは、フルトブラントにヒントをあげた。
「アーニャなんて響き、どこかの国で聞いたことがあるなあ。ねえ、アーニャ?」
アンナは困ったように眉尻を下げ、バルドゥールを見つめる。
「……そうですわね。グリューンドルフ公爵家図書室にある絵本にもありましたっけ」
幼いアンナに与えられた絵本の数々。
それはゲルプ王国のものもあれば、アンナの生国ガルボーイ王国のものも多々あった。
そしてその絵本の中に、アーニャという名のお姫様が主人公の物語があった。
幼いアンナの一番のお気に入りであった絵本。アンナに乞われて、フルトブラントが繰り返し読み聞かせた絵本。
「『海を渡ったアーニャ』……」
フルトブラントが絵本のタイトルを口にする。アンナはにっこりと笑みかけた。
「そうですわ。お兄様。わたしは海を渡ってはおりませんが、森を渡りました」
ゲルプ王国とガルボーイ王国の国境は広大な森林にある。
フルトブラントはようやくそこで、アンナの出自を悟った。
バルドゥールはフルトブラントの肩を叩くと、小声で囁いた。
「そういうわけだから、アーニャの相手は君ではなく、僕に任せてね」
フルトブラントがアンナを妹として可愛がっていることはわかっていた。だが、バルドゥールは念のため釘を刺す。
こんなに美しい少女なのだ。
いつフルトブラントがアンナを女性として愛するようになるか、わかったものではない。
フルトブラントはしかめっつらでバルドゥールを睨む。
「……絶対に守りきることを約束しろよ」
「当然」
バルドゥールはにっこりと笑う。
アンナはバルドゥールとフルトブラントとの間で交わされる小声のやり取りを、聞こえないフリをした。
母国の成り行きによって自身の立ち位置が変わるアンナにとって、ゲルプ王国第三王子との縁をどのような方向性に導くべきか、判断しかねたからだ。
しかし見目麗しく穏やかで、聡明そうなバルドゥールからここまであからさまな好意を向けられ、一人の少女としてのアンナの胸は喜びに高鳴った。
「さあバルにお兄様。今日はこれからご予定がおありなの? もしないのであれば、わたしもお二人に混ぜてくださいませ!」
満面の笑みで手を広げるアンナに、二人はもちろん大歓迎だと応じた。
あなたにおすすめの小説
イリス、今度はあなたの味方
さくたろう
恋愛
20歳で死んでしまったとある彼女は、前世でどハマりした小説、「ローザリアの聖女」の登場人物に生まれ変わってしまっていた。それもなんと、偽の聖女として処刑される予定の不遇令嬢イリスとして。
今度こそ長生きしたいイリスは、ラスボス予定の血の繋がらない兄ディミトリオスと死ぬ運命の両親を守るため、偽の聖女となって処刑される未来を防ぐべく奮闘する。
※小説家になろう様にも掲載しています。
報われなかった姫君に、弔いの白い薔薇の花束を
さくたろう
恋愛
その国の王妃を決める舞踏会に招かれたロザリー・ベルトレードは、自分が当時の王子、そうして現王アルフォンスの婚約者であり、不遇の死を遂げた姫オフィーリアであったという前世を思い出す。
少しずつ蘇るオフィーリアの記憶に翻弄されながらも、17年前から今世まで続く因縁に、ロザリーは絡め取られていく。一方でアルフォンスもロザリーの存在から目が離せなくなり、やがて二人は再び惹かれ合うようになるが――。
20話です。小説家になろう様でも公開中です。
【完結】婚約破棄される前に察して距離を置いていたら、幼なじみの第三王子が本気になっていました〜義妹と元婚約者? もう過去の人です〜
井上 佳
恋愛
婚約者に裏切られた侯爵令嬢は、
嘆くことも、復讐に走ることもなかった。
彼女が選んだのは、沈黙と誇り。
だがその姿は、
密かに彼女を想い続けていた第三王子の心を動かす。
「私は、国よりも君を選ぶ」
婚約破棄、王位継承、外交圧力――
すべてを越えて選び取る、正統な幸福。
これは、
強く、静かな恋の物語。
2026/02/23 完結
ある日、私は事故で死んだ───はずなのに、目が覚めたら事故の日の朝なんですけど!?
ねーさん
恋愛
アイリスは十六歳の誕生日の前の日に、姉ヴィクトリアと幼なじみジェイドと共に馬車で王宮に向かう途中、事故に遭い命を落とした───はずだったが、目覚めると何故か事故の日の朝に巻き戻っていた。
何度もその日を繰り返して、その度事故に遭って死んでしまうアイリス。
何度目の「今日」かもわからなくなった頃、目が覚めると、そこにはヴィクトリアの婚約者で第三王子ウォルターがいた。
「明日」が来たんだわ。私、十六歳になれたんだ…
辺境伯夫人は領地を紡ぐ
やまだごんた
恋愛
王命によりヴァルデン辺境伯に嫁ぐことになった、前ベルンシュタイン公爵令嬢のマルグリット。
しかし、彼女を待っていたのは60年にも及ぶ戦争で荒廃し、冬を越す薪すら足りない現実だった。
物資も人手も足りない中、マルグリットは領地の立て直しに乗り出す。
戦しか知らなかったと自省する夫と向き合いながら、少しずつ築かれていく夫婦の距離。
これは、1人の女性が領地を紡ぎ、夫と共に未来を作る「内政×溺愛」の物語です。
全50話の予定です
※表紙はイメージです
※アルファポリス先行公開(なろうにも転載予定です)
側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません!
花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」
婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。
追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。
しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。
夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。
けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。
「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」
フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。
しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!?
「離縁する気か? 許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」
凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。
孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス!
完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました
らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。
そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。
しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような…
完結決定済み
王太子妃専属侍女の結婚事情
蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。
未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。
相手は王太子の側近セドリック。
ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。
そんな二人の行く末は......。
☆恋愛色は薄めです。
☆完結、予約投稿済み。
新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。
ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。
そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。
よろしくお願いいたします。