【完結】末っ子王子は、他国の亡命王女を一途に恋う

空原海

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本編

第五話 アーニャの旅立ち

 ようやくガルボーイ王国国内が落ち着いたのは、アンナが十八歳になった春のこと。
 ガルボーイ王国国王はゲルプ王国国王、グリューンドルフ公爵に厚く謝辞を示し、アンナを国元へ戻すと告げた。

 アンナに恋い焦がれるバルドゥールは、ガルボーイ王国の情勢を常に気にかけていた。そのため、ガルボーイ王国国王がアンナを国に戻す判断を下す時期がきたことを、少し前から察していた。

 わかってはいたが、恋心はそれについていかない。

 これまでのように気軽には会えなくなってしまう。悲しみに胸が引き裂かれそうだった。
 が。しかし。
 この六年間。バルドゥールは無為に過ごしてきたわけではない。
 会える日は常にアンナに愛を囁いてきたし、アンナからの反応も上々。

 それにゲルプ王国としてはガルボーイ王国に多大なる協力をした、と思う。
 何しろガルボーイ王国王位継承権第一位である第一王女を、十八年もの間匿ってきたのだ。
 ちょっとくらいの無理はきくだろうし、おそらくガルボーイ王国側としても、内乱がおさまったとはいえ、まだまだ国内に目を光らせる必要のある現状、今が狙い目とばかりに他国からの侵略を防ぐためにも。友好の証として、ゲルプ王国の第三王子であるバルドゥールがアンナの婿となるのは、願ったり叶ったりだろう。

 そう。だから楽観視していた。
 バルドゥールとアンナは結ばれてしかるべきだと。


「バル。わたしはガルボーイ王国に戻ることとなったわ」

「うん。アーニャ。とても寂しくなるよ。しばらく君に会えないなんて」


 切なげにアンナの髪を撫でるバルドゥールに、アンナは眉を顰めた。


「あら。それだけ?」

「それだけって……?」


 戸惑うバルドゥールに、アンナは溜息をついた。


「いえ、なんでもないわ。忘れて」


 何か不穏なものを感じたバルドゥールは、アンナに縋った。


「なんでもないなんてことはないでしょ? 気になるよ。アーニャのことはなんでも知りたい。なんなの? 教えて」


 真剣な目でアンナを見つめるバルドゥールにアンナはたじろぎ、視線を彷徨わせる。
 バルドゥールの中で徐々に不安が募っていく。


 ――いや、大丈夫。僕以上にアーニャに相応しい男はいないじゃないか。


 アンナはしばらく逡巡すると、決意したようにバルドゥールの目を見た。


「バルは『海を渡ったアーニャ』を読んだことはある?」


 突然ガルボーイ王国の絵本を話題に出され、バルドゥールは面食らった。


「いや……残念ながらないな」


 アンナが国に戻ることと幼児向けの絵本と、何の関係があるのだろう? バルドゥールは首をひねった。
 アンナは重い溜息をついて、視線を下に向けた。


「あの絵本は、ガルボーイ王国の建国にまつわる逸話を描いたものなの」


 そういえば、ガルボーイ王国の初代国王は女王だった。
 バルドゥールは思い出す。確か、冒険女王アーニャの名で親しまれていたとか……。
 そこまで思い出すと、バルドゥールは目を剥いた。


「まさか……!」

「そのまさかなのよ」


 重々しく頷くアンナ。


「ガルボーイ王国の王女が女王になるには、ふざけた慣習があるの」


 ここ二百年余り、ガルボーイ王国は女王が立つことがなかった。それだから愛しいアンナの国であるガルボーイ王国について詳しく学んでいたバルドゥールも知らなかった。
 そもそもゲルプ王国に在住するガルボーイ王国の歴史家すら、知らなかったのだろう。


「今のガルボーイ王国に、私以外の王族直系はいないの。王家への忠誠厚い傍流の者なら数名いるけど、今の情勢で傍流の者を王に立てるのは、危険すぎるわ」


 だいたいガルボーイ王国は初代国王が女王なくらいで、女王に寛容な国だ。
 というより、この危機的状況をなんとか乗り越えた今。伝説の初代女王と同名のアンナは、国民から誰より即位を望まれている王女である。


「王女が女王になるために乗り越える試練があって……。もうっ! この状況下で、呑気に冒険なんてしている場合じゃないのに!」


 アンナが憤懣やるかたないといった様子で唇を噛みしめる。
 ふっくらと愛らしいアンナの唇が傷つくことを恐れたバルドゥールは、そっと親指でアンナの唇をなぞった。
 途端にアンナはびくりと肩を揺らし、真っ赤に染め上げた顔でバルドゥールを見上げる。


 ――なんて可愛いんだろう。


 何度繰り返し愛を囁いても。幾度となく触れても。
 いつまでも初々しく頬を染めるアンナに、バルドゥールはたまらずアンナの全てを奪ってしまいたくなる。

 これまでアンナの身の上を明かせずにいたため、確たる約束を交わせずにいたが、今なら堂々とガルボーイ王国を通じて正式に婚約を申し込める。
 既に父であるゲルプ王国国王には承諾を得ている。でもその前に。


「アーニャ、僕の最愛。君が女王になるための旅に、どうか僕も共に連れて行ってくれないか」


 アンナは目を見開いた。
 バルドゥールはアンナの頬を撫で、唇にそっと口づける。
 触れるだけの口づけ。柔らかく甘いアンナの唇に、もっと、もっと、と深く酔い痴れたくなる欲望を理性で押さえつける。


「ねえアーニャ。僕はきっと役に立つよ。これでも剣の腕は立つんだ。各国の地理や文化にもそれなりに通じているし、複数言語も王族として習得してる。まあこれはアーニャも同様だろうけど……」


 義理の兄フルトブラントとは違い、アンナがこれまでガルボーイ王国王女として、相応しい教養知識を積み重ねていた。バルドゥールはよく知っている。
 だけど。


「ゲルプと国交のある国ならば、僕の名は利用価値があると思うんだ」


 つい最近まで不安定な政情にあったガルボーイ王国の王女が、自国の護衛騎士と共にあるだけより。
 ここ数十年大きな争いもなく、それなりに豊かで、落ち着いたゲルプ王国。その第三王子たるバルドゥールが加われば、アンナの冒険はずっと楽になるに違いない。
 バルドゥールは確信していた。

 それに。何よりも。
 大好きなアンナと共に世界中を冒険出来るなんて、わくわくする!
 王子として王城の執務室に籠って事務仕事に時間を費やすことに比べ、なんて魅力的なことだろう!
 少年の頃、夢中で読みふけった冒険譚をまさか王子の身にありながら経験することができるなんて!

 バルドゥールは期待に満ちた目で、アンナからの肯定を待つ。


 ――さあアーニャ! 僕と一緒に旅立とう!
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