憤慨

ジョン・グレイディー

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第二十九章

長崎の空は哀しいほど青かった…

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 俺は熊本地震の翌年の4月、長崎市に赴任した。

 社宅は長崎市の丘の上だ。電車通りから浦上川を渡り、急斜面を登るか、100段階段を登るか、正に「丘の町」の中に位置した。

 引っ越しが済み、俺は真っ先に浦上天守堂に向かった。

 無神論者である俺が何故、教会に?と思うかも知れないが、この時期、俺は余りの不幸、息子の死、巨大地震による被災等々、些か、神に非常に「怒り」を覚えていた。

 熊本の最後の日も俺に過去のトラウマを突きつけるような幻惑を見せつける。
 
 正に、やりたい放題の仕業!

 神しか居らぬ!

 こんな仕打ちを施す奴は!

 俺は、些か、些かだ!

 神に激怒していた!

 神に一言、怒鳴ってやらねばならぬと思っていたんだ!

 俺は、社宅を出て、階段のルートを選んだ。

 階段の最上段からは、長崎市内が一望できた。

 俺は空を見上げた。

 物凄く青い空であった。

 熊本のどんよりした曇空とは雲泥の差であった。

 また、この長崎の空は、とっても近く感じられた。

 天が近くに感じられ、同じく、「死」も近くに感じられる、そんな空であった。

 さらに、この青空に爽快感は無かった。

 コバルトブルーの綺麗な青空

 でも、何故か、そこから幸福感は感じられなかった。

 「哀しみの青い空」

 そう、とっても哀しく思われた。

 蒼白な感じがした。

 人々の叶わぬ願いが彷徨い続けている、その「哀しみ」が伝わって来た。

 俺はとぼとぼと階段を降って行った。

 浦上川を渡り、電車通りに出て、浦上天守堂行きの電車に乗った。

 今時珍しい路面電車であった。

 どこで降りても料金は同じ120円であった。

 俺は平和公園前で降り、そこから、浦上天守堂まで歩いて行くことにした。

 人通りは疎らであった。

 道行く人は学生か観光客のように思われた。

 4月の心地よい風が桜の花を回していた。

 坂道を登って行くと教会が見えて来た。

 俺は、教会前のマリア像やザビエル像は相手ではないかのように、目も暮れず、真っしぐらに教会内に入って行った。

 教会内は祭壇への立ち入りが禁止されており、玄関口の通路から見物する仕組みであった。

 俺は、先ずキリストを睨んだ。

 祭壇上に祀られている十字架に楔で打ち付けられたイエス・キリストを睨んだ。

「お前に言っても埒が開かない」と俺は呟き、その上のステンドガラスを睨んだ。

 そして俺は心の中で神に怒鳴った。

「何故、人の運命に差異を設ける。その必要は何か!」と

 何も聞こえない。

 
 神に意見しても何も聞こえない。

 神に願いを祈っても何も聞こえなかったのと同じであった。

 俺はそれを確かめると、足早に教会を後にした。

 過去に、俺は一度だけ神に乞うた事があった。

 一度だけだ。

 熊本で「高貴の微笑み」を突然、失った時だ。

「神様、どうして彼女は俺の前から姿を消したのですか?俺には何も分かりません。俺が何かをしたのですか?俺に責があるのですか?ならば改め彼女に謝らなければなりません。神様、どうか教えてください。何があったのか…、教えてください。」

 俺は「高貴の微笑み」が忽然と俺の前から姿を消した秋口から、毎日、ボロアパートから見える夕陽に向かって、こう祈った。
 毎日、欠かさずにだ!

 しかし、何も分からなかった。

 やがて、「高貴の微笑み」が他の男と付き合っているとの噂が耳に入った。

 俺はそれでも一途の望みを神に願った。

「何故、彼女は俺の元から去ったのですか?神様、理由だけでも教えてください。」と

 しかし、結局、何も分からなかった。

 何故、本人に聞かないのか?

 何度も何度も聞いたよ!

 当たり前だ!

 毎日電話し、毎週手紙を出したよ!

 しかし、奴は電話にも出ない、手紙は逆ギレの内容だったよ!

「もう私に付き纏わないで。貴方が重荷なのです。これ以上、私に近寄らないでください!」

 これが、「高貴の微笑み」からの返事だ…

 理由なんてあるものか!

 意味が分からん!

 それも急にだ!

 それまであんなに愛し合っていたのに!

 こんな落とし穴があるなど、二十歳の俺には流石に重すぎた、

 神に祈るしか道は無かったよ…

 しかしだ!

 結局、神も「高貴の微笑み」も、何も明かさない。

 何も明かさなかった…

 それから、「高貴の微笑み」がその男と結婚したと、またしても聞きたくもない噂が耳に入って来た。

 もう、どうでも良くなったよ。

 理由も言わず、野良犬のように捨てられた恨みだけが残った。

 理由を言うか言わないかは個人の勝手なのか?

 いや違う。

 その相手にダメージを与える行動を取るなら、理由は言うべきだ。

 さもないと、その者は死ぬまで悩み続けることになる。

 そう悩ませて良い相手なら仕方がないが…

 そうだ。このくだりが木霊するのだ!

 俺がこれほど苦しみ悩み、何故、何故、俺から消えたのか?どうしてだ!と捥がくのは、俺にそれだけの責があったからか?そうなのか?と、このくだりだ!

 このように二次的な被害妄想まで被ってしまうのだ。

 俺は思う。

 どんなに悪い奴、どんなに卑怯な奴よりも、「無」を与える者、「無」を武器にする者が、一番残酷でかつ一番罪深い者であると。

「貴方がそんなに気にするなんて全く思わなかったわ。」

「理由?そんなの無いわ!事実が有れば良いでしょう!貴方を捨てた事実があれば、それで良いでしょう!」

 何も無かったことにする。

 何も悪いことをしたつもりがないと惚ける。

 そして、無言の攻撃。

 誇らしげに元彼と復縁し、誇らしげに結婚し、誇らしげに幸せを謳歌する。

 過去は過ぎ去ったもの

 落としたもの

 捨てたもの

 それは仕方のないこと

 こんな無知、こんな無情による薄情な奴ほど憎たらしい奴は居ない!

 熊本を出る時、俺に無神経に問うた俺の心よ!

「お前の方が悪かったんじゃないのか?」と

 あまりにも無神経な詰問をした俺の心よ!

 よく聞け!

 理由がないんだよ!

 理由を過去に埋没させたんだよ!

 奴は!

 全て「無」で通すんだよ!

 いいか!よく聞け!俺の心よ!

 二度と俺の方が悪かったなど、無責任な問いは俺にするな!

 俺は長崎の初日に、あの熊本最後の日の光景、水前寺駅でのフラッシュバックに釘を打った。

 神は何も答えない。奴も何も答えない。ならば、全て闇のままだ。何も解決しない。これからも解決しない。俺は死ぬまで、「高貴の微笑み」を恨みながら生き続ける。

 いいか、俺の弱い心よ!

 二度と弱音を俺に吐くな!

 いいか、俺の弱い心よ!

 死ぬまで恨み続けるのだ、「高貴の微笑み」を…、覚悟しろ!

 俺は、神の「無」を俺の心に見せつけ、そして、二度と泣き言を言わぬよう、心に楔を打ち込んだ!

 浦上天守堂を後にする際、教会天守に聳え立つ十字架を睨みつけ、こう感じた。

「哀しみの青い空に十字架は良く映えるな…
    哀しみ…
    なるほど、今度の敵は哀しみか!
 俺に哀しみなど通じない!
 俺は絶対に泣かない!
 俺はお前を恨み続ける…」と
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