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第六十六章

『運命』のせいにするな!

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 漆黒のトンネルを抜けると左前方にホイラー山の頂きが神々しく待ち構えていた。

 薄雲にぼんやりと顔を隠した太陽はその頂きにこっそりと身を潜めようと鎮座していた。

 陽光から夕闇へと太陽光線が弱体化するにつれ、空気は冷気を帯び、4人の吐く息は白く空気に紛れていた。

 獣道の出口からはホイラー山の梺まで広大な牧草地が形成されており、4人は獣道から少しでも遠ざかるよう小川を越え、雑木林を抜け、見晴らしの良い高原まで進んだ。

「ここまで来れば大丈夫だ!」と所長が小岩に腰を据えた。

 マリアは小高い丘に登り、辺りを見廻し、生い茂った雑草群の間に小径を見つけると、

「あの道よ!登山口に通じる道は!」と叫んだ。

 ジョンはマリアの側に行き、

「あの道を進むのか!ホイラーピークへは途中で右へ降って行くんだね。」

「そうよ!地図で確認してみるわ。」

 先を急ごうとする2人を尻目に所長はビリーへこう愚痴った。

「此方は獣道へ逆戻りだぜ!どうせなら、ここまでヘリで来とけば良かったのにな!」

「野暮は言わないで置きましょうよ。結果的には、獣道で2人を助けたんですから。」

「そうだが、『行きわ良い良い、帰りは怖い』って言うじゃないか。ヒグマ、ピューマが馬肉を貪っている側を通って帰るんだぜ!」

「行きは良い良いではなかったから、帰りは大丈夫ですよ。」

「くそぉー、なんてこった!土産は手ぶらで、報告だ!ヘリの油代を請求されるぜ!」

「待ってくださいよ。このまま2人を行かせると決まったわけではありませんよ。」

「おいおい、ビリー!まだ、説得する気か?」

 ビリーはホイラー山の頂上に太陽が沈んだのを見遣ると、マリアとジョンへ向かってこう言った。

「おい!今日は此処でキャンプを張ろう!」と

 マリアとジョンは顔を見合わせた。

「ジョン、どうする?一緒にキャンプをする?」

「僕は構わない。2人に助けて貰ったからね。それに話しておかなければならない事もあるからね。」

 マリアはその言葉を聞いて、
ジョンが此処で引き戻るつもりがないことに安心した。

『良かった。ジョンには何としてでも父に会ってもらわないと。』

 そして、次にビリーの出方が気になった。

『ビリーはどうするつもりなのかしら…。私の処遇なんてどうでも良いみたいだけど…、彼がジョンをこのまま放免するとは考えられない。』

 一抹の不安を抱きながら、マリアはビリーに近づき、

「テントを張るの手伝うわ!」とビリーに声を掛けた。

 するとビリーは、

「テントは良いから、マリアは彼の肩の傷を治療してくれ。」とマリアを一瞥することもなく、そう言った。

「分かったわ。」とマリアはある意味戸惑いながら答えると、こうも尋ねた。

「ビリー、ごめんなさい。怒ってるわよね?」と

 ビリーはテントのロープの端を咥えながら、こう言った。

「もう怒ってないさ。」と

「え?許してくれるの?」とマリアは驚いて更に問うた。

 するとビリーは杭にロープを結びつけ、ゆっくり立ち上がると、こう答えた。

「まだだ。今夜、ゆっくり話してからだ。」と

 マリアは何も言えずこくりと頷いた。

 高原地帯は瞬く間に夕闇から闇夜へ衣替えを終え、キャンプ周辺はまたもや獣達が主役の舞台となった。

 広大な高原地帯に線香の灯火のように焚火が焚かれ、所長が暇つぶしに仕留めた雷鳥の丸焼きが焚火へジュウジュウと肉汁を滴り落としていた。

 所長は内ポケットからウイスキーのスキットル・ボトルを取り出し、一飲みすると、ジョンに手渡し、『飲め』と顎で勧めた。

 ジョンは一飲みすると、それをビリーへ手渡した。

 ビリーも一飲みすると、

「ジャック・ダニエルですか!所長、相変わらずですね。」と言い、スキットル・ボトルを所長へ戻した。

 マリアは程よく焼けた雷鳥をナイフで切り分け、皿に盛り、それぞれへ配っていった。

 雷鳥のもも肉にかぶり付きながら、所長がマリアに言った。

「まさかカーソンの森の中を抜けてくるとは想定外だったよ。」と

 そして、所長はビリーの方を指差し、

「コイツがクリスト山脈の高原から来るって言うもんだから…、獣道の入口で3日間も野宿の羽目になっちまってねぇ。魚ばかり食わされて参っちまったよ!」と戯言を言った。

 ビリーは笑いながら、こう返した。

「カーソンの森は絶対に通らないと断言したのは所長じゃないですか!」と

 所長は『くそぉ!』と唾を吐き捨て、改めてマリアに聞いた。

「しかし、よくまぁ、カーソンの森の中を抜けて来たもんだ。マリアは知ってたのか?小径があるのを。」と

 マリアは包み隠さず、こう答えた。

「昔、父から聞いたことがあったの。プロブロ族がカーソンの道案内をしていた頃、小径を整備した話を。湧水も炊事場もあるし、小径脇は御影石で森との境界がちゃんと施されているわ。」と

 それを聞いた所長は、「ビリー!帰りはその小径を抜けるって選択もあるな!」と手を叩いたが、

 ビリーは首を振り、

「森の小径を抜けて、川沿いの巨石群を越えないとヘリまで辿り着かないんですよ!また、所長が文句を言い出す光景が目に浮かびますよ!」と言い返した。

 ジョンもマリアもビリーと所長の気さくなやり取りに笑顔を浮かべていた。

 所長がひとしきり肉を食い上げると、何やらビリーに顎で合図を送った。

 ビリーはそれを見遣ると、所長からスキットル・ボトルを取り上げ、一飲みすると、ジョンにそれを渡し、ジョンに『飲め』と顎で勧めた。

 そして、ジョンが飲むのを見遣り、間を開けながら、ゆっくりとこう語った。

「ジョン。さっきは殴って悪かった。許してくれ。俺は口より先に手が出てしまう。今度は手を出さずに話すから安心して聞いてくれ。

 俺達が君らを追って来た大義名分はマリアの保安官としての無許可の行動を制御するためだ。

 それと危険地帯である獣道へ侵入した一般人の救援措置だ。

 だから、ジョン、君は今こうして救助されたことから、今後、君がどうしようと俺達にはとやかく言う権利も義務もない。

 それを分かった上で言う。

 此処からは保安官としてではなく個人として言っておきたい。」

 ここまで述べるとビリーは3人の顔を見渡し、異論のないことを確認した。

 ジョンも何も異論は唱えず、黙って焚火を見つめていた。

 ビリーは話を続けた。

「俺が君へ浩子の元に戻るよう言うのは個人的にバーハム神父から依頼を受けたからだ。

 バーハム神父は君が去った後の浩子の状態をこう言っていた。『どん底どころか生気を失ってしまった状態』だと。

 俺はこう思う。

 君と浩子の関係については君が言うとおり、俺には関係がないことだが、浩子にとって一番大切な人間は君であることは明瞭な事実だ。

 浩子がライフル銃を撃ち続けて君を助けようとした懸命な姿を見た俺は、浩子が『女神』のように思えたよ。

 だから俺は君が大嫌いだったよ。

 あんな『女神』みたいな少女を泣かせる奴はとっとと死んでしまえと思っていたよ。

 それは今でも思っている。

 あんな良い子を泣かせちゃいけないと。

 そして、こうも思ってる。

 やはり、あの子には君が絶対に必要なんだと。

 君が死にたがってるのも知っている。

 君がアイデンティティを探し求めてるのも分かった。

 その上で聞く。

 もう、君は浩子を必要としないのかを。」

 ビリーがそう語り終えるとジョンは焚火の炎を見つめながら、こう答えた。

「僕は浩子を幸せに出来ない。浩子の幸せの炎を僕が消してしまっている。」と

 ビリーは言った。

「それは俺の問いの答えになっていない。」と

 ジョンは尚もビリーに目を合わせることなく、こう答えた。

「僕は浩子を不幸にする。だから、僕は浩子の側には居られない。」と

 ビリーが更問いしようとすると、
所長が口を挟んだ。

「マリアなら不幸にして良いってことか。」と

 それを聞いたマリアがそっと言った。

「良いんです。私が勝手にジョンを好きになっただけだから。それと…」

 マリアは途中で言葉を切って、ジョンを見つめてこう言い切った。

「それと、私ならジョンを幸せに出来ると…、私ならジョンを不幸にはさせないと思ってる。」と

 ビリーはジョンに話の主役を戻した。

「俺の問いに答えてくれ。」と

 ジョンは暫し焚火を見つめ、そして、ビリーに目を合わせるとこう言った。

「必要はありません。」と

 ビリーは『分かった』と頷くと、スキットル・ボトルを一飲みし、こう言った。

「よし。約束する。君達をもう追ったりしない。2人で好きなように行けば良い。

 俺はシアトルに行ってバーハム神父にこう報告する。

『ジョン・ブラッシュは私の説得に応じなかった。』と

 そして、浩子にこう伝える。

『ジョン・ブラッシュはもう君を必要とはしない。マリアと共に去って行った。』と

 これで構わないな。」と

 その時、ジョンの心に風達の声がした。

『ジョン!駄目だ!そんな約束したらだめだ!』

『ジョンが浩子を必要としなくても浩子はジョンを必要としているんだ!』
 
 ジョンは風達に心の声でこう訴えた。

『分からないんだ!僕はどうしたいのか?浩子のことを含め、僕自身の気持ちが分からないんだ!』と

 ジョンの一瞬の迷いの表情を見とった所長がポツリとこう言った。

「分からないまま決断してはいけない。先を急いだらいけない。」と

 ビリーとマリアは所長の横槍に口を挟もうとした時、ジョンが口を開いた。

「運命なんです。これが運命なんです。」と

 それを聞いたビリーがこう伝えた。

「バーハム神父が言っていたよ。浩子は『好きになってはいけない人を好きになってしまった』とね。」

 ジョンは『そう』と頷き、こう呟いた。

「そのとおりです。僕と浩子の出会いは運命の悪戯なんです。本当は会わなかった方が良かったんです。」と

 その時、所長がビリーからスキットル・ボトルを取り上げ、一口、二口飲み干すと、ジョンを睨みこう言った。

「『運命』を軽々しく言うもんじゃないぞ!

 いいか!

 獣道でも言ったとおり、『運命』は『生』と『死』だ!

 それは人が決めるものではない。神が決めたものだ。

 人は都合の良い時だけ、『運命』のせいにする。

『運命の出会い』、『これが運命』、『運が悪かった』などとな。

 違うんだ。

 生と死以外は人が決めるもんなんだ!

 それが『人生』だ!

 人生は谷あり山ありだ。

 辛いこともあれば喜ばしいこともある。

 それを決定付けるのは『運命』でもなく『神』でもない。

 その人間そのものなんだ!

 生まれた瞬間から死ぬ直前までの間、人生の道を歩む上では、自分自身が決断して、それに責任を持つ。

 それが人生だ。

 神父さんよ!

『運命』のせいにするな!

 それを踏まえて、ビリーの問いに答えてみろ。」と

 ジョンは震える声でこう答えた。

「僕の意思です。浩子は必要じゃありません。」と

 所長はジョンを睨み、決断を急がせたビリーを睨み、焚火の中に唾を吐き捨て、そして、ゆっくり立ち上がると1人テントの中へ向かった。

 そして、ジョンにこう言った。

「君はイラクの子供達と同じだよ。訳も分からず、人に言われるまま人生を無駄にしてる。」と

 その時、ジョンの心には紛れもなく一つの映像が流れ続けていた。

 それは神秘の湖で月光に照らされ宝石のように輝く浩子の姿が…
 
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