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最終章
2人だけの星へ
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午前4時20分
茂樹は病院の屋上に居た。
空は薄暗く、曙光も梅雨の雨雲で遮られ、今すぐにも雨が降り出しそうな空模様であった。
茂樹は片手に握った一枚の写真、「美咲の写真」を雨が降り出す前に急いでライターで火をつけ、燃やした。
茂樹は徐に屋上の鉄柵を跨ぎ越え、目を瞑り、躊躇なく、飛び降りた。
昭和59年6月5日午前4時20分
享年18歳
その日は奇しくも茂樹の18歳の誕生日であった。
美咲は朝のホームルームで茂樹が自殺したことを知った。
美咲は学校が終わると茂樹の自宅に行った。
茂樹の母親が美咲を迎えてくれた。
茂樹の遺体は検死のため、明日、葬儀が行われるとのことで、家族葬でするとのことであった。
茂樹の病室には遺書も死を意図した痕跡は何もなく、発作的に自殺したとの医師の見解であった。
母親が病室を整理した際、枕の下に敷いていた美咲の写真だけが無くなっており、遺体からも、その事故現場周辺にもそのような写真は見つからなかったが、飛び降りたと思われる屋上には一個の100円ライターが落ちていたとのことであった。
茂樹が自殺する前日又当日の様子は特に変わった点はなく、その日は誰も見舞いには来なかった。
母親との会話もありふれたもので、特段、母親が気に留めるような事はなく、普通の茂樹だったとのことである。
母親は美咲に言った。
「茂樹は戻ってたんです。病気する前の茂樹に、人格が変わる前の茂樹に…、だから、死に急いだと思います。
恐らく、最後の最後まで美咲ちゃんの写真、持っていたと思います。
あの子、本当に美咲ちゃんが好きだったんだと思います。」と
そして、美咲にこうも言った。
「美咲ちゃんのせいとかじゃないからね。
茂樹は分かっていたの。
美咲ちゃんとは結婚できないと、分かっていたの。
だからね、一番好きな美咲ちゃんの唯一嫌いな点を無理矢理、探していただけなのよ。
でも、どうしても、美咲ちゃんを嫌いになることができなかったのよ。」と
「一番好きな人と結婚できなかったら死なないといけないんですか!」と美咲が母親に訴えた。
母親は誰に言うわけでもなくこう言った。
「茂樹はよく夢の中の話をしていたの。
川原で魚をね、名前の知らない女の子と捕まえてる夢、美咲ちゃん、聞いたことある?」
「はい…」
「茂樹はその夢を見た後、いつもこう言っていたの、『あの夢の中に戻りたいなぁ』って」
「……」
「やり直したかったんじゃないかと、もう一度、生まれ変わって、あの夢の中の女の子に会いたかったんじゃないかと思います。」
「お母さん、私も同じ夢、見るんです…」
「茂樹から聞いたわ。あの女の子は美咲ちゃんだって…」
そう言うと母親は突然、泣きながらこう言った。
「両親が離婚して、父親は世間に言えないようなヤクザ業をしてて、中学から荒れ出して、喧嘩ばかりして、学校や警察にお世話ばかりかけて、ヤクザに殺されかけて、うつ病になって、自殺未遂して、脳梗塞になって人格障害になって……、
私はねぇ、茂樹、死んで良かったと思っています…。
もうね、あの子の苦しむ姿、見たくなかったんです…」
それを聞き、美咲は泣くこともなく、涙も見せず、こう言った。
「お母さん、私は茂樹君に死んでほしくありませんでした。ずっと、ずっと、茂樹君が元に戻るのを待つ覚悟でした。
茂樹君はずるいです。
だって…、私…、一番好きな人と結婚できなくなってしまったじゃないですか!
茂樹君、ずるいよ!」と
茂樹の母親は美咲の前に土下座して謝った。
「美咲ちゃん、本当にありがとうございました。全ては私が茂樹を死に追いやったんです。美咲ちゃん、私を責めてね。そして、茂樹のこと、忘れてください。」と
美咲は、茂樹の母親に一礼し、家を出た。
その日は梅雨の晴れ間で蒸し暑い日であった。
西陽は強く、美咲の行手をなんとか阻止しようと強烈な陽射しを放っていた。
美咲はあの防波堤に向かっていた。
徒歩で1時間以上は掛かる行程であった。
美咲は弁天橋を渡り、工業地帯の辺りまで来ると、海の方角を目指した。
美咲はその防波堤には2回しか行っておらず、その2回とも茂樹のバイクに乗って行ったのでよく道は覚えてなかった。
しかし、美咲は迷うことなく、そこにたどり着く自信、確信があった。
何かが美咲を呼んでいた。美咲の心がそれをしっかりと感じていた。
工業地帯の倉庫エリアを抜けると、あの電力所の金網が見えた。
いつも茂樹と抜ける隙間が有刺鉄線で補充措置されていた。
「関係者以外立ち入り禁止」の看板も二つに増えていた。
何かが美咲の歩みを妨害しているようだった。
美咲は構わず、金網をよじ登り、野原に入り、あのテトラポッドを目指した。
テトラポッドによじ登り、防波堤に繋がってる岩に飛び降り、穴の空いた防波堤の先に進み、あの記念文字が書かれた前まで美咲は進んだ。
「S58.12.25.しげきとみさき」
防波堤に書かれた炭文字は波に消されることなく、薄くなるどころか、浮かび上がるようにはっきりと刻まれていた。
美咲は滴る汗を拭おうともせず、ネックレスの十字架をブラウスから取り出し、その記念碑となった炭文字の前で神に祈った。
「神様、私は一番好きな人と結婚します。私は不貞は致しません。
神様、だから…、私の大罪をお許しください。
最愛の人の元に、地獄でもどこでも、私は追いかけて行き、その人の永遠の伴侶になることを誓います。」
美咲は祈った後、防波堤の先を目指して一歩、一歩、歩いて行った。
茂樹の魂の痕跡を確かめるように、下を向き、一歩、一歩…
美咲の足下に人工的なコンクリートはなくなり、水色の海面が見えた。
美咲は顔を上げ、空を見上げた。
太陽はやっと海に潜りかけ、北の空には、一番星が皇后と輝いていた。
美咲は空に向かって言った。
「2人だけの星に行けますように」
茂樹は病院の屋上に居た。
空は薄暗く、曙光も梅雨の雨雲で遮られ、今すぐにも雨が降り出しそうな空模様であった。
茂樹は片手に握った一枚の写真、「美咲の写真」を雨が降り出す前に急いでライターで火をつけ、燃やした。
茂樹は徐に屋上の鉄柵を跨ぎ越え、目を瞑り、躊躇なく、飛び降りた。
昭和59年6月5日午前4時20分
享年18歳
その日は奇しくも茂樹の18歳の誕生日であった。
美咲は朝のホームルームで茂樹が自殺したことを知った。
美咲は学校が終わると茂樹の自宅に行った。
茂樹の母親が美咲を迎えてくれた。
茂樹の遺体は検死のため、明日、葬儀が行われるとのことで、家族葬でするとのことであった。
茂樹の病室には遺書も死を意図した痕跡は何もなく、発作的に自殺したとの医師の見解であった。
母親が病室を整理した際、枕の下に敷いていた美咲の写真だけが無くなっており、遺体からも、その事故現場周辺にもそのような写真は見つからなかったが、飛び降りたと思われる屋上には一個の100円ライターが落ちていたとのことであった。
茂樹が自殺する前日又当日の様子は特に変わった点はなく、その日は誰も見舞いには来なかった。
母親との会話もありふれたもので、特段、母親が気に留めるような事はなく、普通の茂樹だったとのことである。
母親は美咲に言った。
「茂樹は戻ってたんです。病気する前の茂樹に、人格が変わる前の茂樹に…、だから、死に急いだと思います。
恐らく、最後の最後まで美咲ちゃんの写真、持っていたと思います。
あの子、本当に美咲ちゃんが好きだったんだと思います。」と
そして、美咲にこうも言った。
「美咲ちゃんのせいとかじゃないからね。
茂樹は分かっていたの。
美咲ちゃんとは結婚できないと、分かっていたの。
だからね、一番好きな美咲ちゃんの唯一嫌いな点を無理矢理、探していただけなのよ。
でも、どうしても、美咲ちゃんを嫌いになることができなかったのよ。」と
「一番好きな人と結婚できなかったら死なないといけないんですか!」と美咲が母親に訴えた。
母親は誰に言うわけでもなくこう言った。
「茂樹はよく夢の中の話をしていたの。
川原で魚をね、名前の知らない女の子と捕まえてる夢、美咲ちゃん、聞いたことある?」
「はい…」
「茂樹はその夢を見た後、いつもこう言っていたの、『あの夢の中に戻りたいなぁ』って」
「……」
「やり直したかったんじゃないかと、もう一度、生まれ変わって、あの夢の中の女の子に会いたかったんじゃないかと思います。」
「お母さん、私も同じ夢、見るんです…」
「茂樹から聞いたわ。あの女の子は美咲ちゃんだって…」
そう言うと母親は突然、泣きながらこう言った。
「両親が離婚して、父親は世間に言えないようなヤクザ業をしてて、中学から荒れ出して、喧嘩ばかりして、学校や警察にお世話ばかりかけて、ヤクザに殺されかけて、うつ病になって、自殺未遂して、脳梗塞になって人格障害になって……、
私はねぇ、茂樹、死んで良かったと思っています…。
もうね、あの子の苦しむ姿、見たくなかったんです…」
それを聞き、美咲は泣くこともなく、涙も見せず、こう言った。
「お母さん、私は茂樹君に死んでほしくありませんでした。ずっと、ずっと、茂樹君が元に戻るのを待つ覚悟でした。
茂樹君はずるいです。
だって…、私…、一番好きな人と結婚できなくなってしまったじゃないですか!
茂樹君、ずるいよ!」と
茂樹の母親は美咲の前に土下座して謝った。
「美咲ちゃん、本当にありがとうございました。全ては私が茂樹を死に追いやったんです。美咲ちゃん、私を責めてね。そして、茂樹のこと、忘れてください。」と
美咲は、茂樹の母親に一礼し、家を出た。
その日は梅雨の晴れ間で蒸し暑い日であった。
西陽は強く、美咲の行手をなんとか阻止しようと強烈な陽射しを放っていた。
美咲はあの防波堤に向かっていた。
徒歩で1時間以上は掛かる行程であった。
美咲は弁天橋を渡り、工業地帯の辺りまで来ると、海の方角を目指した。
美咲はその防波堤には2回しか行っておらず、その2回とも茂樹のバイクに乗って行ったのでよく道は覚えてなかった。
しかし、美咲は迷うことなく、そこにたどり着く自信、確信があった。
何かが美咲を呼んでいた。美咲の心がそれをしっかりと感じていた。
工業地帯の倉庫エリアを抜けると、あの電力所の金網が見えた。
いつも茂樹と抜ける隙間が有刺鉄線で補充措置されていた。
「関係者以外立ち入り禁止」の看板も二つに増えていた。
何かが美咲の歩みを妨害しているようだった。
美咲は構わず、金網をよじ登り、野原に入り、あのテトラポッドを目指した。
テトラポッドによじ登り、防波堤に繋がってる岩に飛び降り、穴の空いた防波堤の先に進み、あの記念文字が書かれた前まで美咲は進んだ。
「S58.12.25.しげきとみさき」
防波堤に書かれた炭文字は波に消されることなく、薄くなるどころか、浮かび上がるようにはっきりと刻まれていた。
美咲は滴る汗を拭おうともせず、ネックレスの十字架をブラウスから取り出し、その記念碑となった炭文字の前で神に祈った。
「神様、私は一番好きな人と結婚します。私は不貞は致しません。
神様、だから…、私の大罪をお許しください。
最愛の人の元に、地獄でもどこでも、私は追いかけて行き、その人の永遠の伴侶になることを誓います。」
美咲は祈った後、防波堤の先を目指して一歩、一歩、歩いて行った。
茂樹の魂の痕跡を確かめるように、下を向き、一歩、一歩…
美咲の足下に人工的なコンクリートはなくなり、水色の海面が見えた。
美咲は顔を上げ、空を見上げた。
太陽はやっと海に潜りかけ、北の空には、一番星が皇后と輝いていた。
美咲は空に向かって言った。
「2人だけの星に行けますように」
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