漁村

ジョン・グレイディー

文字の大きさ
20 / 22
第二十章

新正栄丸の新船長

しおりを挟む
 7月中旬の土曜日、福井県三国町の海洋センターで船舶免許の試験・更新が行われた。

 武と亜由子は2級小型船舶免許コースを受験し、日程は1日と半日で、1日目は学科講習、実技講習、2日目は身体検査、学科試験、実技試験が予定されていた。

 実際、船の免許は簡単に取得できる。

 国家試験ではあるが、今日の漁業の人材不足も手伝い、費用を積めば、実技試験は免除される仕組みとなっている。

 実技試験を免除するコースは1人約15万円の費用がかかるが、武は亜由子の分と合わせて30万円を用意した。

 金は充分過ぎる程、残っていた。

 漁村に辿り着いた頃は、退職金の残り金を工面しながら、船の免許を取り、漁船を購入しようと考えていたが、

 亜由子という存在が現れ、先が見えた今、武にとって、退職金の残り銭は紙屑と同然の価値でしかなかった。

 2日目の学科試験も難なく終わり、2人は2級小型船舶免許を取得した。

 2人は真っ先に免許を正栄に見せに行った。

 正栄は大喜びで2人を迎え、

「今日はお祝いや!」と言い、

 寿司を取り、酒を用意した。

 正栄は我が事のように本当に嬉しそうであった。

「これで、福永はんも船長や!、おまけに亜由も副船長やでぇ!」と何度も何度も繰り返し、乾杯を2人に求めた。

 武が言った。

「船長はともあれ、正栄さんの具合が悪い時は、俺が舵を握りますからね。」と

 それを聞くと、正栄は大きく首を振り、こう言った。

「ちゃうでぇ、福永はん、あんたは船長や!

 あんたはな、船を持たなあかんのや!」と

 武と亜由子は酒の進む正栄が既に酔ったのかと思い、軽く返事をすると、

 正栄は、徐に立ち上がり、隣の座敷に入って行った。

 そして、お祝いと書かれた封筒を握って戻ると、武の前に差し出した。

「これは?」と武が聞くと、

 正栄はにっこり笑い、

「まぁ、開けてみなはれ。」と武に促した。

 武は封筒を掴み、包装された中身を取り出してみた。

 包装の中身は、錨のキーホルダーに装着された鍵があった。

「新正栄丸のエンジンキーや!

 福永はん、今日からあんたが新正栄丸の船長や。」と正栄が言った。

 武と亜由子は驚いた。

 正栄は語った。

「福永はん、亜由子、あんたらはほんまに海が好きや!

 ワシら漁師以上にあんたらは海を愛してる。

 ワシら漁師も最初は海が好きやったんや…、

 そやけど、今はな、そんなに好きやないんや!

 海が憎たらしく見え始めたんや!

 魚を釣っても釣っても値が下がる。

 生活は行き詰まり、若い者は村を出て行ってしまう。

 海に魅力を感じなくなったんや!

 あんたらは違う。

 毎日、船に喜んで乗ってくれる。

 船から降りても、いつもいつも海を眺めている。

 そうなんや!

 あんたら2人は、ワシらみたいに臆病者やないんや!

 最後の最後まで、海を信用できる心持ちがある人間なんや!

 そうやさかい、福永はん、亜由子、ワシからのお願いや!

 新正栄丸の為にも、あんたら2人が船長になってくれ!

 頼む!」

 こう語ると正栄は武と亜由子の手を握り締めた。

 武は静かにこう問うた。

「分かりました。

 でも、正栄さんはどうするんですか?」と

 正栄は武が承諾してくれた事に喜びながら、慌てて答えた。

「ありがとう!

 ワシか?

 ワシはな、あんたらが寝ている間に夜釣りでイカ釣りに出るんや!

 これこれ!」

 と言いながら、ポケットから新正栄丸の合鍵を取り出した。

「なんだぁ~、そう言うことか!」と

 亜由子がホッとしたように笑いながら言った。

 武も「そう言うことなら、このお祝い、頂きます。」と

 正栄の掌を握り返した。

 正栄は安堵した2人の顔を見比べながら、また、慌てて、言い足した。

「ちゃ~うんでぇ~、新正栄丸の船長は福永はんなんや!

 ワシはな、船の維持費を賄う為にイカ釣りするだけなんや!

 いいか、福永はん、亜由子、

 新正栄丸はあんたらの船なんやでぇ!」と

 そして、尚も喜びを顔に表さない武に向かって、正栄はこう語った。

「福永はん!

 あんたは、もう、雑魚は釣る必要はないんや!

 あんたはな、大物を釣るんや!

 マグロを狙うんや!

 日本海のマグロを狙うんが、ワシら阿能の漁師の夢やったんや!

 あんたには、そうして欲しいんや!」と

 強く語った正栄は、肩で息をしていた。

 武は答えた。

「正栄さん、分かりました。

 ありがとうございます。

 貴方が言ってくれた。

『最期まで夢を追え!』と

 そして、その道標を作ってくれました。

 でも…、

 俺は………、」と武が言い終えずに下を向いた。

「その先は言う必要はないでぇ、福永はん…

 ワシは全てが分かった上で言うとるさかい。」と正栄が武の肩を優しく叩いた。

 武が顔を上げた。

 その眼は涙で溢れていた。

 武は、隣で嗚咽を我慢しながら肩を震わせている亜由子の掌を優しく握り、そして、正栄にこう言った。

「正栄さん、ありがとう。

 俺たち、この海で生きて行きます。

 最期までこの海で生きていきます。」と
 

 
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

罪悪と愛情

暦海
恋愛
 地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。  だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

神様がくれた時間―余命半年のボクと記憶喪失のキミの話―

コハラ
ライト文芸
余命半年の夫と記憶喪失の妻のラブストーリー! 愛妻の推しと同じ病にかかった夫は余命半年を告げられる。妻を悲しませたくなく病気を打ち明けられなかったが、病気のことが妻にバレ、妻は家を飛び出す。そして妻は駅の階段から転落し、病院で目覚めると、夫のことを全て忘れていた。妻に悲しい思いをさせたくない夫は妻との離婚を決意し、妻が入院している間に、自分の痕跡を消し出て行くのだった。一ヶ月後、千葉県の海辺の町で生活を始めた夫は妻と遭遇する。なぜか妻はカフェ店員になっていた。はたして二人の運命は? ―――――――― ※第8回ほっこりじんわり大賞奨励賞ありがとうございました!

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

初恋の人

凛子
恋愛
幼い頃から大好きだった彼は、マンションの隣人だった。 年の差十八歳。恋愛対象としては見れませんか?

処理中です...