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2.妻の怒り
18歳になったアビゲイルには未だに婚約者がいなかった。
何故なら……自分に相応しい男性が社交界にいないのである。
ハリス侯爵家の一人娘なので必ず婿を取る。爵位を継げない子息には最高の婿入り先であるので釣書は大量に送られてきていたがアビゲイルの期待に応え得るものは一件もなかった。
この国にはアビゲイルに相応しい男性がいないので他国を探してほしいと、娘に甘い父に頼もうかと考えていた矢先に運命は訪れた。
退屈な日々に眩しいくらいの光が差し込んだ瞬間だった。
ある夜会で、容姿端麗な男性が平凡な女性とダンスをしているのを見た。
この男であれば自分に相応しい。きっと彼も一目アビゲイルを見れば膝をついて愛を告げるはずだと思い、わざわざ自分から彼の視界に入るように移動したのに見向きもされなかった。いや、きっとアビゲイルの可憐さに近寄れなかったのだろう。
帰宅して父に彼と結婚したいと頼んだ。
ところが彼には婚約者がいて無理だと言う。その婚約者よりアビゲイルの方が相応しいのに……。
その日から一週間ずっと泣きながら彼と結婚できないなら修道院へ行くと部屋に閉じこもった。
その結果、アビゲイルを溺愛する父のお陰で一か月後に一目惚れの相手であるダニエル・シモンズ伯爵令息と婚約出来たのだ。父はアビゲイルの願いを必ず叶えてくれる素晴らしい人だ。
彼もきっと喜んでいるはずだ。伯爵家から侯爵家に婿入りできるのだから。
アビゲイルは自分の顔が可愛いことを自覚している。これ程理想の婿入り先はないはずだ。
そのダニエルは遠慮がちで婚約が決まってから結婚式まで2回しかアビゲイルに会いに来なかった。彼は随分とシャイな性格の様だが浮気者より余程いい。未だにアビゲイルの可愛さに気後れしているのかもしれない。
結婚すれば毎日一緒にいるのだからとそれも気にならなかった。
アビゲイルは自分が世界で一番に幸せになれる事を疑ったことはなかった。
結婚式当日のタキシードを着るダニエルはいつも以上に素敵でアビゲイルは見惚れた。
その素敵な男性は今新郎として隣にいる。自分はそれに相応しいお姫さまだと思うと気分は高揚する。何もかも理想通りで満足していた。
招待客の女性は羨望の眼差しをアビゲイルに向け、独身男性は悔しそうにダニエルを見ている。アビゲイルの自尊心は盛大に満たされた。
その夜、侍女たちが気合を入れて初夜の準備をしてくれる。
アビゲイルの魅力を引き立てる夜着に薄化粧を施してくれた。
流行りの恋愛小説のように大事に愛されると胸を高鳴らせて豪華な寝台の上で彼の瞳を見つめた。
そして…………。
「ミラ、緊張しているのかい?」
!!!
「……はっ? ミラって誰? 私の名前はアビゲイルよ! 愛称にしたって無理があるわ!」
衝撃で頭の中が真っ白になる。
「あ……スマナイ……マチガエマシタ……」
ダニエルの謝罪は怒りに震えるアビゲイルには聞こえていない。そしてダニエルがまったく申し訳なさそうにしていなかった事にも気づかなかった。
咄嗟に手元にあった枕をダニエルに向かって投げつける。他にも投げるものがないか探したが相手にダメージを与えられる威力のあるものは近くになかった。今できるのは部屋から追い出すことだけだ。
「ダニエル! 部屋から出て行って。同じ部屋にいるなんて我慢できない。離縁するわ。お父様に言いつけるから覚悟しておきなさい!」
ダニエルが枕を手にして素直に部屋を出ていくのを見ると、それはそれで腹が立つ。ここはアビゲイルに縋って謝るべき所なはずだ。
一体ミラとは誰なのか。たしか前の婚約者の名前でもなかったはず……アビゲイルを妻にできた幸運を手に入れながら他にも女がいるのか。アビゲイルがいながら浮気をするなど許せない。鎮まらない怒りに息を荒くし部屋を歩き回るがどうにもならない。
そこで子供の時から可愛がってくれているばあやを呼び出して愚痴を聞いてもらうことにした。
「アビー様を蔑ろにするなど最低な男ですわ。今すぐ離縁なさいませ!」
ばあやはアビゲイル以上に怒ってくれる。ようやく気持ちが落ち着いてきた。
「離縁するつもりはないわ。ダニエル以上の男性はいないもの。でもしっかりと反省させなくてはいけないわね」
「どうなさるのですか?」
「家出するわ。今の季節の領地は過ごし易いから行くのは丁度いいわね。お父様に離縁したいと置き手紙をしていけばダニエルは焦って謝りに来るはずよ。せっかく侯爵家に婿入りできたのですもの。そして私をとっても大切にするようになるわ」
ばあやはアビゲイルに賛同し応援してくれた。
「いいお考えですね。では早速荷造りをしましょう。足りない分は後から送らせますね」
「ありがとう、ばあや。でもダニエルとお父様に気付かれないように静かにね。お父様に見つかったら話し合えって言うと思うの。それだとお仕置にならないわ」
「分かりました。侍女と御者は私が手配して、旦那様に見つからないように早朝出発いたしましょう」
「頼んだわ。それまでひと眠りするわね」
父は可愛い娘を蔑ろにしたダニエルを厳しく叱責するだろう。そしてダニエルは自分の発言を後悔し反省するはずだ。ダニエルが迎えに来るまで領地でのんびり過ごし、謝るダニエルを寛大に許してあげれば彼は感謝し自分を大切にするだろう。アビゲイルは完璧な計画に満足すると出発まで眠りについた。
早朝の出発は誰にも見つからず、またばあやの準備は完璧で領地まで快適な旅だった。
どうせならダニエルと一緒に楽しみたかったが……。まあ、迎えにくれば王都に戻る時に一緒に過ごせるから楽しみは後に取っておこうと呑気に考えていた。
ところがいつまで経ってもダニエルは迎えに来ない。アビゲイルが許さないと思って怖気づいたのだろうか。
それにしても遅すぎる。アビゲイルは領地にいるのも飽きたので、仕方なく譲歩してあげることにしてダニエルに迎えに来るようにと手紙を出した。
それでも返事が来なくてさすがに不安になる。父からダニエルに言ってもらおうと手紙を出した。
数日後、父が領地まで来た。
「ダニエルとはすでに離縁が成立している。アビーが望む通りにしておいたよ」
どうして……?
「お父様、何を言っているの? 私離縁などしないわよ!」
アビゲイルは離縁をするつもりなど微塵もなかったのだ。ただ彼を焦らせ反省させるためにそう書いただけだ。
だが父は置き手紙に離縁したいと書いたことを真に受けてしまったのだ。
いつもアビゲイルの願いを何でも叶えてくれる父は直ぐに離縁の手続きをしてしまった。
「違うのよ、お父様。あれは勢いで書いて、ダニエルを反省させる為のもので、本心ではないの。離縁なんかしたくないの!」
「アビー、あの時は離縁がお前の望みだったろう? 外聞が悪いのにも関わらずお前の望みだから叶えたんだ。それにもうあれから二か月経っている。今更どうにもできない。アビーはダニエルに怒っているからもう会わせない方がいいと思って、今後関わらせないと誓約書も書いてしまった」
「そんな……もう一度結婚すれば、そうすれば……」
「流石に無理だ。もう、諦めなさい」
「いや、ダニエルがいいの! お父様、何とかして……」
一目惚れした時のように泣いて頼んだが、復縁などできないと断言された。
何でも叶えてくれるお父様が叶えてくれなかった……。
絶望的な状況にアビゲイルは呆然自失に陥った……。
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