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恋は甘いものだとどなたかがおっしゃっていましたわ

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 その動画は暗闇のなか、少女の鼻歌から始まる。
 嬉しいことを隠しきれずについ出てしまった、そんなメロディで、透明感のある、おりんのように余韻が耳の奥に残る声。
 ふいにスポットライトが一つの大きなガラスのボウルを照らす。
 周囲は相変わらず暗いまま。
 黒い調理用の手袋をつけた華奢な手が生卵を割り、黄身は上手に割った殻の中へと残し、白身だけをボウルの中へ。
 それが何度か繰り返され、ボウルに卵白だけが溜まってゆく。
 やがて鼻歌の中に、泡立て器の音が混ざる。
 ボウルの中の透明な卵白が泡立てられ、透明から白へ、とろりとしてくると粉末状の白いものが加えられる。
 さらに泡立てられ続け、白い粉末も何度か加えられ、やがてなめらかな固さが見て取れるメレンゲへと姿を変えた。
 メレンゲは絞り袋へと入れられる。
 オーブン用の天板にクッキングシートとおぼしきシートが敷かれ、その上へ小さく絞り出された幾つもの形状は、決して一定ではなく次第に何かを彷彿とさせるようになる。
 天板は画面の外へ運び出され、次の場面では別のスポットライトの照らす光の中へ、黒いミトンを着けた手が天板を運び込む。
 メレンゲはすでに焼けている。
 再び画面が代わり、またメレンゲを絞り出すところが映し出される。
 口金は何度も変えられて、かなり大きな塊のメレンゲも用意され、焼かれた状態で再び画面の中へと現れる。
 それが延々と繰り返されている様が早回しで流れてゆく。
 ここまで観れば、鼻歌が別録音されたものをループさせているということもわかる。
 突然、画面が切り替わる。
 表計算ソフト、その一つ一つのセルに幾つもの数字が並んでいる。
 カーソルが一行を選択すると、画面が切り替わり、大量のメレンゲクッキーが映し出される。
 次に映し出されたスポットライトの下の透明な定規の上へ、臙脂色のリボンを持った先程の黒い手が現れ、親指と親指との間のリボンの長さが、直前に表示された選択行の左端の数字と同じ長さとなるよう測っているのが窺える。
 再び画面は大量のメレンゲクッキー。
 似たような形状のものが並び、それぞれにリボンが当てられてゆくその中で、長さがぴったり一致するものが見つかると、黒い手はそれを持ち去り、また別の場所へと並べられる。
 ここまで来ると、どんな人でもそれが何をイメージしているかは簡単に予想できる。
 それぞれのメレンゲクッキーは一人分の人骨の配置へと成形されてゆく。
 正確には、人間を側面から縦に半分に切断した前側部分のみ。
 全て並べ終わり、最後に上下の顎を削った穴へ歯の形のメレンゲクッキーを一つ一つ差し込んだ黒い手は、顎をゆっくりと一度だけ開閉させ、そのタイミングでBGMの鼻歌が止められる。
 画面は九十度回転しながらズームアウトし、引きで骨格全体をフレームに収めたところで動画は終わる。

 第一の動画『甘い骨』の内容は以上である。
 この動画が最初に注目を集めたきっかけは、当時失踪扱いであった旧華族の血を引く御令嬢Sの声と、動画内でBGMとして使用されていた鼻歌の声とがよく似ているということからであった。
 また、長さを測るために使用されていたリボンが、その御令嬢が通っている女学院の指定制服に使用されているものであるということも話題になった。
 ちなみに、メレンゲクッキーを作成するために使用した白い粉は、骨をすり潰したものであるとか遺灰であるとかの憶測も飛び交ったが、事件後、メレンゲクッキーの成分分析により本当に単なる粉砂糖であることが確認されている。
 ただ、終了間際に開かれた歯並び、及び治療痕の映像が、御令嬢Sの歯科所見と一致するとの報告もある。

 第二の動画『甘い腸』は、主にゼラチンと白い粉末、食用色素とを用いて、人間の臓器そっくりのゼリーを何種類も作るところから始まる。
 BGMは一本目と全く同じ鼻歌。以降の動画も全て同じBGMが用いられている。
 ここで特に話題に上がったのが、ゼリーを作る際に用いたシリコン型がやけにリアルだという点ともう一つ、幾つものゼリー臓器はそれぞれの色が生きている臓器の状態をかなり忠実に再現していると、現役の外科医師たちがコメントを寄せたという点であった。
 ここで用いられている白い粉末も粉砂糖であることが後ほど確認されている。

 第三の動画は『甘い瞳』。
 主にゼラチンで眼球の形のゼリーを作っていた。
 特筆すべきは手順をかなり細かく分けていたこと。
 最初に作られていたのは角膜であり、虹彩や瞳孔、水晶体まで作り込まれていた。
 次に用意されたのは、角膜部分の盛り上がりがある、やや深い半球の型。
 既に作成済の角膜から水晶体までの部分を型の中へ設置してから薄くゼリーを流し込み、透明なゼリーの層が作られた。
 そこへラズベリーチョコレートを用いた微細な毛細血管を配置し、乳白色のゼリーを流し込み、型が外された状態は、人の眼球を模したものとしてはかなりの完成度であった。

 第四の動画は『甘い舌』。
 舌先から根本まであり、舌乳頭まで再現されたシリコン型が話題になった。
 二本目の動画にて使用されたシリコン型と同様に、シリコン型自体の作成方法について様々な憶測が飛び交った。

 第五の動画は『甘い肉』。
 大量のスポンジケーキが作られるところから始まり、焼かれたケーキが非常に大きな板の上に並べられてゆく。
 この板のサイズについては、第八の動画が出る前から棺桶の床板サイズではないかとの指摘があった。
 今までリアリティにこだわっていた作風からすると、このスポンジ部分については非常に「ケーキの土台」としての役割に終始しており、その点では異質であった。
 やがて人型より一回り小さな土台が作られると、そこには今までの動画で作られた骨や内蔵類が次々と配置され始めた。
 それらの配置が終わると、極細の絞り口を複数まとめた絞り口から絞り出されるピンク色のクリームが次々と盛り付けられてゆく。
 それらは正確に人間の筋肉の位置を模していた。
 さらに途中、黄色いババロアを作るシーンが差し込まれ、それらはまるで体内脂肪であるかのように、筋肉と共に盛り付けられていった。

 第六の動画は『甘い皮』。
 少女の全身前面のシリコン型に流し込まれた乳白色のゼリーが冷凍され、凍った状態のまま五本目の動画で盛られたケーキの上にかぶせられた。
 シリコン型が丁寧に外されたとき、少女ケーキが御令嬢Sを模したものであると断定された。
 ただ、胸の先端の着色や陰部の造形があまりにもリアルであったため、この六本目以降の動画については、オリジナルがネット上に存在していた時間はとても短かった。

 第七の動画は『甘い毛』。
 ラップの上に、人毛ほどの細さのチョコレートを無数に作り、丁寧にそれを六本目の動画で「皮」を被せられた少女ケーキへと植毛してゆくもの。
 一本、一本、湿り気を帯びた「皮」へと挿してゆく様は、少女ケーキ動画の中に一貫して漂う退廃的な狂気を改めて想起させる映像であった。

 第八の動画は『甘い箱』。
 全裸の御令嬢Sに酷似した少女ケーキの周囲に真っ白いウェハースが積み重ねられてゆく。
 一段並べられては生クリームが塗られ、また一段、そして生クリームと丁寧に五十段も重ねられた。
 ウェハースの壁と少女ケーキとの間には、色とりどりの生クリームによる花が次々と絞られてゆく。
 最後に再び全身が映し出されたとき、それは花に囲まれた棺桶に眠る御令嬢Sにしか見えなかった。
 生クリームの花を絞り飾っている段階では本物の御令嬢Sの死体に交換されているのではないかという者も少なくなかった。
 そして、いつの間にか少女の胸元に置かれていた小さな名刺サイズのカードに記載されていたQRコードは、とある座標を指していた。
 多くの通報を受けた警察がその場所へ駆けつけたとき、そこにはたくさんのドライアイスに囲まれた少女ケーキだけが置いてあった。
 ドライアイスはまだわずかに溶け残っていた。
 ケーキの全ての部位について詳細に分析されたが、御令嬢Sの痕跡は全く見つからず、それはあくまでも「失踪した少女にとてもよく似たケーキ」でしかなかった。

 一本目から八本目までの動画のアップロード間隔はとても短く、ほぼ同時といえるタイミングであった。



 動画投稿から一ヶ月が経過した頃、このいわゆる「少女ケーキ事件」の捜査に関わっていた女刑事が一人、失踪した。
 彼女は被害者である御令嬢Sの通う女学院にて聞き込みを行っていたため、女学院内に真犯人が居ると噂になった。
 後日、警察へ郵便物が一つ届いた。
 中にはマイクロSDカードが一枚。
 カードの中身は音声ファイルが一つだけ。
 人の声をつなぎ合わせて一つのメロディを成していた。あの鼻歌と同じメロディを。
 そこに使われていた音声を一音節ごとに分解し、本来あった順番に並べ直してみると、幾つかはつながり、意味のわかる単語が現れた。
 その単語とは、『あなたがやったんでしょう?』だった。

 御令嬢Sも、女刑事も、いまだに発見されていない。
 少女ケーキの各部位の正確さから、これは御令嬢Sを解体しなければ作り得ないものだとされ、現在は殺人事件として捜査が継続中である。



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