迷蔵の符

だんぞう

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見つけてはいけない、かくれんぼ

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 教室の扉に手をかけ、右上をちらりと見上げる。
 三年一組。

 左手をぎゅっと握られて、私はふみちゃんの顔を見る。
 ふみちゃんは私の目を見つめ返してから、声を出した。

「三年の教室はこれで全部だね」

「そだね」

 私が答えると、左手をぎゅ、ぎゅっと握られる。
 ひと呼吸置いてから、手をかけたままの教室の扉を勢いよく開くと、私達は中へ一歩踏み入った。

 自分より上の学年の教室に入る緊張感はもうなくなった。
 でも代わりに……ああ、ここもだ。
 教壇に立つ影が目に入る。
 黒板に何かを書いている……けど、音はしない。
 スーツ姿の初老の男性。
 昔、務めていた先生とかかな……ゆっくりとこちらへ振り向く……のを、目で追わないように視線を教室の中央へ。

 教室がやけに広く感じるのは、夕闇が迫っているからだろうか。
 ひととおり教室内を見渡すと、掃除用具入れの扉は開いていた。
 扉を開ける回数が一回減ったのは嬉しい……ホッとした私のすぐ右で、ギィと床板が軋む音がした。

 体の右側に鳥肌が立つ。
 教壇に立っていたあの人だろうか……でも、気づかないフリを続ける。
 ……向こうを見ていないのに、向こうから見られているのがなんとなくわかる。
 この鳥肌は、きっと向こうからの関心を警告している。

 視界の端に、さっきの男性の顔。
 距離が近い。
 私の顔の真ん前の方へ、ゆっくりと顔を移動させてきている。
 カタツムリが這うように、じわりじわりと回り込んでくる。

 左手をぎゅっと握り、それからふみちゃんの顔を見る。

「ここも、誰もいないね」

 良かった。
 私の声、震えていない。

「そーだね」

 ふみちゃんの手を二回握りしめると、ふみちゃんは教室を出ていこうとする。
 ずっと手をつないだままの私も必然的に……自然に、この教室を出てゆく。
 私とふみちゃんの顔の間にまで割り込もうとしていた真っ暗な眼窩を持つ顔なんて、まるで見えてませんって感じを貫きながら。

 廊下へ戻ると、少しだけ呼吸が楽になる。
 教室の扉を後ろ手に閉めた右手を強く握りしめ、鳥肌が消えてくれるようにと祈る。
 左手はというと、ふみちゃんがまたぎゅっと握ってきた。
 ふみちゃんの目を見つめる。

「次は……音楽室……の前に、西側のトイレも見なくっちゃね」

 ふみちゃんはいたって明るい声。

「そだね」

 私も努めて明るい声で答えて、ふみちゃんの右手を二回、素早く握った。

「あーあ、案外居ないもんだねー」

 のんきな声がふみちゃんのだってのはすぐにわかったけど、私はそれを無視した。
 ふみちゃんはすぐに私の左手を慌てて握り、また同じことを言う。

「そだね」

 今度は私も答える……でも、心の中では「全っ然」って答えてる。
 本当に誰も居なかった部屋なんて、ここまでなかったよ。

 ああ、でも、さすがふみちゃん、自称零能力者なだけはあるよね。
 二回握り返した私の手を強く引っ張るふみちゃんは、足早に三階の西側トイレへと向かった。



 西側階段の両脇に、男子トイレと女子トイレが離れて配置されている。
 アーチ状の入口からは、通路が短く二回折れ曲がり、中は見えないようになっている。
 目隠しになっている正面の壁はピンク色に塗られている。
 女子トイレだからピンクとか、今どき時代遅れのカラーリング。
 ふみちゃんと目を合わせてから中へと入ってゆく。

 手洗い場には大きな鏡……ありがたいことに変なモノは映っていないけど、油断は出来ない。
 行きに安心させておいて、気が抜けた帰りに待ち構えている時だってある。
 三階の東側女子トイレがそうだった。
 それに、四つある個室……あれも、全部確認しなくちゃだから。

 このゲームを始める前に、ふみちゃんから聞いたルールを思い出す。

 建物の中の入れる部屋は全部、中を見ること。
 でも、性別によって禁止されている部屋は入れない部屋として扱っていい。
 二つ以上扉がある部屋は、そのうちの一つの扉から確認すればいい。
 部屋の中に扉がある場合、人が入れる扉ならそれも開けること。
 扉の中を確認したら「いないね」と声に出すこと。
 何を見ても、見ていないことにすること。

 何を見ても、ってひっかかったけど……ふみちゃんは零能力だし。
 私が霊を見えちゃうってことも知っているから、それで付け加えてくれたのかなってあっさり考えてた。

 ただ、今日はちょっと異常。
 だってこの中学校、今まで一年半近く通ってきて、霊なんて一体か二体見たかなってレベルだったのに。
 今日だけでこの出現率。

 もしかして今日が休日だから?
 黄昏が近いから?

 本当だったら今頃、家でマンガでも読んでいたはずなのに。
 ふみちゃんが昨日した忘れ物を、どうしても今日のうちに取りに行きたいって言うから……私は付き添いで来ただけなのに。
 ちょっと三階行ってみないって軽い感じで言われて……そして突然、やってみたい遊びがあるって言われて……そして今。

 『迷蔵めいぞう

 ふみちゃんが言い出したゲームの名前。
 かくれんぼの元にもなった、中国の古い遊び……らしいけど。
 建物の中を調べて自分たち以外に誰もいないことを確認したら勝ちらしい……わかるけどね。なんやかんや理屈つけて、普段行かない場所を探検したい感じ。
 多分、良い思い出になるんだろうな……卒業して、この先の人生で、二人だけの秘密を共有したこの瞬間が。

 でもさ、見つけないルールっていうのは、どうにも腑に落ちない。
 だってかくれんぼの元なんでしょ?

 ふみちゃんが私の手を引いた。
 個室のドアは全部開いている、のに……あー、中を確認しないといけないルールだもんね。
 東側では鏡ばかり気にしていたから、個室を確認した記憶は薄くなってる。

 心なしか前へ進む足取りが遅く、一歩も短くなっている。
 霊が一番怖いのは、出た後よりも出る前かな、私の場合。
 見えちゃえば避けられるから。
 文化祭の当日よりも準備の方が盛り上がるのと一緒で、感情的には直前が一番熱いの……悪い意味で。

 四つある個室の一個目はもう、すぐ目の前。
 ふみちゃんとアイコンタクトしてから、せーので覗き込んだ。

 真っ白い洋式便器がぽつんと一つだけ。

 これで終わりならいいのに。
 何かあるかもしれない場所を自分から覗き込むっていう、この心臓に悪い作業をあと何回繰り返さなきゃいけないのだろう。
 少なくともこのトイレだけであと三回。
 嫌だなぁって考えちゃうとどんどん嫌な気持ちが増してくる……と、そのマイナスな気持ちが新しい何かを寄せつけてしまう気がして、また凹みループ。

 ふみちゃんが私の手を引いた。
 握らずに……そして次の個室の前へ……セーフ。
 そうだよね。
 変に溜めを作らずにちゃちゃっと見ていった方がいいよね……よし!

 次の個室の前へ移動する……三つ目も何もいない。
 うん。いいペース。

 次は四つ目。これでラス……あー。
 私は見ていない。
 便器の右側に、体育着で体育座りしている女の子なんて……しかもその子がビショビショだなんて、見ていない。
 上履き履いてなくて靴下のままだし、制服じゃないから胸のリボンもつけてないし、学年は分からない。

 ふみちゃんの手をぎゅっと握って目を見つめる。

「ここも、誰もいないね」

「うんうん。緊張したー」

 緊張感のない声を出したふみちゃんは、ぎゅぎゅっと手を二回握り返してきた。
 女の子の足下から水がサーっと広がり始めるよりも早く、私達は廊下へと戻った。

 呼吸を整える。さ、次だ。

 音楽室の入口はここからでも見える。
 その扉はわずかに開いている。

 なんで開いてるの、というのが正直な感想。
 お休みなのに。
 私達が中に入れたのも、たまたま今日、作業のある先生が学校に居てくれたから。
 もしかして朝イチで開けたの?
 でもそれなら、そろそろ閉めに回る時間じゃない?
 忘れ物取りに戻った後、こんなにウロウロしてて見つかったら怒られちゃわないかな?

 ふみちゃんがぎゅっと握ってくる。
 私はふみちゃんの目を見る。

「昨日はみんな登校していたから、換気のために開けておいてるのかな」

「あー……それはあるかもね」

 もしかして、そうやってあちこち開けちゃっているうちの一つが、本当は開けちゃいけないところで、そこから霊が入ってきてたりするのかな。
 冷静になって考えてみたら、さっきのトイレの子の体育着、うちらのとちょっと違う気もするし。

 でも、トイレに出るってことは、トイレに何か因縁があるってことだよね。
 それもあのトイレに。
 私が知らないだけで、この中学で昔、イジメとかあったのかな……あの子は転校生で、それで……。

「やっつん?」

「あ、ごめん、ふみちゃん。何?」

「早く行こう。暗くなる前に全部回りたいし」

「そだね。ごめんね」

 私からふみちゃんの手を二回握る。
 それから一緒に音楽室の開いている扉へと向かった。

 向かっている途中でもう分かる……居るってことが。
 ピアノの音が聞こえるから。
 それもちゃんとした曲じゃなく、妙に中途半端な感じの。

 だけど居るってわかっているなら、耐えるのもそれほど苦ではない。
 見えている霊は、見えないフリするだけだから。

 怖いのは、物陰からバッと出てくるヤツ。
 バッが怖いんじゃない。
 インパクトは、霊とか関係なく、ボールだろうが、虫だろうが、ホラー映画だろうが、それ自体パワーだけど、本当に怖いのはそういうヤツ自体。
 そういうヤツらは、普通の人には見えないモノが見える人を、探している。
 見える人だけが引っかかるような罠を仕掛けてくるの。

 もちろん、霊ってそんなのばかりじゃない。
 というかむしろごくごく少数。
 普通の霊は、生前と同じ普通の恰好で、生前にしてたことを繰り返しているのがほとんど。
 事故現場でもなければ血を流してなんかないし、よく見ればうっすら透けていたりもするし。
 町中で出会う生きている見知らぬ人のように、ただ死んでいるってだけで無関係なのは同じ。

 ヤツらだけがおかしいの。
 見えている人を見つけたら嬉しそうについてくるなんて。
 小さい頃はずいぶんと引っかかった。
 でもまだおばあちゃんが生きていたから、いっつもおばあちゃんに助けられて……。
 今はもう、おばあちゃんも居ないけど、おかげで私、随分とスルースキルを磨けたんだ。

 始めから音を出しているこの霊はきっと、そういう罠を張るタイプじゃないと思う。
 多分、気付いてもらいたくて曲を…………でもこの音、なんだろう。
 中途半端なメロディの中に交じる、粘り気のある嫌な音。

 私の思考が音の正体を推理する前に、音楽室の中が見えてしまった。
 一目瞭然だった。
 綺麗な女の人が弾いているんだけど、その人、右手だけ指が四本ない。第二関節から先が。
 そのない指で鍵盤を叩いたときだけ、ピアノは音を出さず、代わりにベタッという音が飛び散っている感じ。

 開きかけている音楽室の扉を、二人が通れるくらいまでさらに開く。
 女の人は、弾くのをやめないし、こちらを見るでもない。

 音楽室の中へ入ると、ふみちゃんがつないでいる手を握った。

「ここもいないね」

 私がふみちゃんの顔を見るなり、明るい表情でそう言った。

「そだね」

 ふみちゃんのこの明るさに、今日はもうかなり助けてもらってる。
 というか今日の学校は、絶対におかしい。
 何度も言うけどおかしい。
 毎日通っていて、一度も見なかったレベルのに、もう幾つも遭遇している。

 しゃべる前に一回、しゃべるの終わるときに二回、手を握るって決めたのだって、最初の教室に入ったとき、すぐ近くで「みつけた」って声が聞こえたから。
 すぐにわかったよ。そいつは私達にそう言わせたいんだろうなって。
 前に見たことあるんだ。
 スーパーで、若い女の人の横に小さな男の子の霊がつきまとっていて、ずっと「ハンバーグ食べたい」って言ってたの。
 その後、女の人、レンジで温めるだけのハンバーグを買っていったんだよね。
 見えてない、聞こえてない、って思っていても、何か伝わっちゃうものもあるのかもしれない。

 だから合図が必要なの。
 しゃべる前と後とに……ふみちゃんの手を二回握ってから、私達は音楽室の外へと出た。

「あっ」

 ふみちゃんがまた握らずに声を出した。
 そしてすぐに握ってくる。私はふみちゃんの目を見る。

「ね、屋上ってさぁ……部屋じゃないよね?」

「えー……あー、そうかも……だけど、ルール決めたの、ふみちゃんじゃないの?」

 さっき言ってた『迷蔵』って、やっぱり元ネタがあったのね?

「……えっと。確かー……伯父さんから聞いたよーな……」

「あー、時々話に出てくる伯父さんだね? 中国の古い文化に詳しくって、不思議なお土産持ってきてくれる人」

 実際に占いに使われた骨とか、中国の死人用のお金とか、中国のお墓に収められていた人形とか……非合法な手段で持ってきてるんじゃないかって疑いたくなるような奇妙なものばかり。

「そう。合ってる。でね、伯父さんが言うには、『迷蔵』って、唐の時代に宮廷で行われていた儀式でね、建物の中に女の人が隠れて、それを男の人が探して見つけられるかどうかで未来を占う占事せんじだったんじゃないかって。日本に伝わった後は大人の遊びとして行われていたみたいだけど」

 さっきは誰もいないことを確認するとか言ってなかった?
 まあ、ふみちゃんのうろ覚えは今に始まったことじゃないもんね。

「何を占うんだろ?」

「皇帝のお世継ぎとか、そっち関係じゃないかなって伯父さんは予想しているみたい」

「……ということは、ふみちゃん……もしかして今やってる『迷蔵』……さては恋バナ関連ですねぇ?」

 気持ちが前向きになるのって大事。
 特にこんな状況だったら、なおさら。

「……まあ、そうではない、とも、言い切れない、かな」

 ふみちゃんがちょっと困った表情になる。
 まさか好きな人にはもうすでに彼女が、とか?
 これ以上追求するのはやめておこう。
 私自身も……小さな頃から見えることで奇異な人として扱われ続けて友達も居なかった私の、唯一といっていい友達のふみちゃんに彼氏ができたら……また一人ぼっちに戻っちゃうかも……なんて、あーっ!
 友達の恋の一つも応援できない自分ではいたくない!
 ふみちゃんの気持ちを応援するっ!
 今はそれでいい!

「ふみちゃん、屋上、見るだけ見ようよ。ほらあそこ、普段は鍵かかってるし。入れない部屋は確認の必要ないんでしょ? で、パッと確認して音楽室の奥の調理室もパッと見て、さっさと二階に降りちゃおう!」

「そ、そーだねっ!」

 私達は西側の階段を昇る。
 階段もトイレ同様、西と東に一つずつあるけれど、屋上につながっているのはこっちの西側階段だけ。
 ただ、入学してからずっと、屋上の扉が開いているのは一度も見たことがない……確か、屋上を解放すると見張りの先生を立てなきゃいけなくて、人員的なゆとりがないからダメ……みたいな理由だったはず。
 ゲームを始めてからずっとつないでいる手の中が、じっとりと汗ばんでいる。
 もし開いていたら……先生なしで屋上に出ても平気かな……なんて思考がフリーズした。

 うちの学校の階段は、階と階の中間に踊り場があって「く」の字になっていて、だから踊り場で向きを変えた時点ですぐに気付けた。
 屋上につながる扉……針金入りの強化曇りガラスの向こうに、人影が見えることに。

 見えていれば無視すればいいとしても、この明らかに見えているモノに対して近づいて行くというこの精神疲労たるや尋常ではない。
 真っ黒い……影とかじゃなく、本当に黒い何かが、そこに居る感じ。
 霊は生前の姿を保てていないほど危険だから、っていうのは、おばあちゃんから聞いた言葉。
 そんな所に自分から近づいていく私、バカじゃないの、とさえ思う。

「あっ」

 何でもない階段に足をひっかけ、転びそうになって……なんとか踏みとどまる。
 こんな所で転んだら、手をつないでいるふみちゃんまで巻き込んじゃう。
 ふみちゃんがぎゅっと手を握り締めてきた。

「大丈夫?」

「うん。大丈夫。ごめんね」

「良かったー。なんか出たのかと思ったよー」

「あ、違う違う。そういうんじゃないから」

 本当はあの窓に黒い人影が見えて……ってふみちゃんに言ったら、どうなるんだろう。
 ふみちゃんは、私が「見える」ことを、気にしない子。
 でも前に一度「怖いから見えても教えないでね」って言われたんだよね。

 足下に意識を向けている間に、屋上扉の黒い影は消えていた。
 そう。私は見ていない。さっきのは気のせい。

「ね、ふみちゃん。早く確認しちゃおう」

「だねっ」

 屋上扉の前へと移動する。
 今もまだ、黒い影はない。
 二人で一緒にドアノブに手をかけ……回した。

 ガチッ。

 鍵がかかっていて開かない。
 扉が開かないのは今日まだ二つだけ。
 ゲームのお誘いにOKしたときは、特別教室系は全部閉まってるでしょ、くらいに軽く考えていたのに。

「開かないから、ここはパスだね。次は調理室!」

「そだね」

 ふみちゃんの手を二回握った後、二人揃って向きを変え、階段を見下ろ……した途端、背中に鳥肌が立つ。
 見つめられている感じ。
 でも、私はもう振り返らずに、三階へと戻った。



 すぐにわかった。
 調理室に、多分居るって。
 音楽室のときと一緒で、外にまで漏れ出てきているから……今度は匂いが。
 あーもう、次から次へと。

 甘い匂い……きっとチョコレート。
 近づくにつれ、その匂いは確実に濃くなってゆく。
 今まで、見えたり聞こえたりはしょっちゅうあるけれど、匂いっていうのは珍しいパターン。
 いや、珍しかろうがどうだろうが、私達のすることは一緒。
 ……ここも誰もいないね……部屋を覗いたあと必ず言う言葉を、頭の中で繰り返す。

 調理室の扉に、私の右手とふみちゃんの左手が同時に触れる……思った通り鍵はかかってないみたい。
 二人で目配せしてからせーので開けた。

 室内が薄暗いのはカーテンが閉まっているから。
 淡く散った光が、調理室内をひと足早く暮れさせている印象を受ける。
 そして……調理室の片隅のコンロ、その前に一人の女生徒っぽい姿。
 体の向きはこちらを向いているけれど、顔は見えない……超ロングな髪の毛が顔を覆っているから……さらに言えばその髪の毛の先は、コンロにかかっている鍋の中に入っている。

 甘い匂いがいっそう濃くなり、全身がぞわぞわする。
 毎回聞こえる「みつけた」の小さな声。
 私はふみちゃんとつないでいる手をぎゅっと握って、声を出す。

「ここも、誰もいないね」

「だねー。よーし、三階終わり! 次は二階だねっ!」

 暗い調理室に、ふみちゃんの明るい声が響く。
 ふみちゃんの手を二回握りしめてから、匂いをもうこれ以上嗅がないよう息を止めて、私達は調理室を出た。

 音楽室のときも、この調理室も、他の教室で見た霊たちも、皆、廊下までは追ってこない。
 あと、気になっているのはもう一つ。
 今の調理室の女の人も、うちの学校の制服じゃなかった。
 エプロンしていたけど、その下に着ていたのがワイシャツじゃなかったもん。
 襟元が大きく空いたニットっぽい長袖シャツ。
 先生……にしては若すぎるし……本当になんなの?

「ようやく二階」

 ふみちゃんの声。
 握ってこなかったから相槌を打たずにおく。
 その後は無言でまた階段へ。
 ようやく三分の一が終わったと安心するべきか、まだ三分の二が残っていると身構えるべきか……いや、安心なんてないか。
 屋上から戻るときに背中に現れた鳥肌は、まだ私の背中に存在感を主張したままなんだし。

 しかも案の定というか……一歩降りると、足音が聞こえた……一階下から。

 ふみちゃんが降り、私ももう一歩降りる。
 足音も同じ歩数昇っている気がする。
 嫌な流れ。
 このまま行くと三階と二階の間の踊り場で出遭ってしまうんじゃ……そんな私の不安をよそに、ふみちゃんはどんどん階段を降りる。
 手をつないでいるから私も降りる。
 足音はどんどん昇ってくる。

 ああ、もう踊り場に着いちゃうよ……。
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