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かくれんぼの終わりには
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私達を出迎えてくれたのは、保健室特有の、あの独特な薬品臭。
部屋の中は静かで、誰の姿も見当たらない……ベッドのとこ、天井からの吊りカーテンが閉まっているのが気になるけど。
「カーテンって、扉じゃぁないよね」
開ける必要がない所は開けたくない。
「確かにそーだね。時間もアレだし、ここは誰もいないね、でいいんじゃないかな」
ふみちゃんが言うなら、それでいい。
じゃあ次はと廊下へと戻った……そのとき、廊下の奥から何か聞こえた。
大きなモノをひっくり返すような音。
「蓮井先生、私達が戻ってくるの遅いって怒っているのかな?」
なぜか最初にそう考えた。
今やっているこの『迷蔵』に後ろめたさを感じているからかも?
でも、ふみちゃんは黙ったまま、進路相談室の前へと向かう。
そうだね。時間的にもう暗くなっちゃってるもんね。
どうせ怒られるなら、できる限りたくさんの部屋を確認した方が良いもんね。
ふみちゃんと一緒に進路相談室の前に立ちながら、そう言えばさっきから、会話終了の合図をずっとしていないなって思った。
多分私、いろんなモノを見すぎて、集中力低下しているんだ……そんな風にぼんやりとしていたからだろうか、進路相談室の中に居たモノに、うっかり反応してしまった。
だってバイクだよ!
進路相談室の中に、バイクに乗った人が居たから……思わず、立ち止まっちゃったの。
ノーヘルで、立派な大昔の不良みたいな髪型した人。
「どうしたの、やっつん?」
「あ、うん……なんかまた喉がね」
苦しい言い訳だけど、もうこれで乗り切るしかない。
あとはこの霊が、罠を張るタイプじゃなければ……。
「みつけた」
ドゥルン。
バイクのエンジン音。
ヤバい。バイクの向き、こっちに向けてる。
霊が体の中を抜けるのは経験あるけど、バイクはどーなの?
轢かれたりしないのかな?
バイクが走り出すよりも前に、私は入口から横に大股で移動して廊下にしゃがみ込み、激しく咳き込んだ。
ちょっと無理がある動きだったかな。
私と手をつなぎっぱなしのふみちゃんも、一緒にこっちに来てかがんでくれる。
あくまでも、避けたんじゃなく、咳で……という体。
でも、霊が通り抜けた感じはしなかった……のに。膝が、演技ではなく、本当に動かない。
私、震えているのかな?
「ちょっと休んだ方がいいかもね」
そう言ってふみちゃんは、私の手を引っ張った……保健室へ戻るの?
あのカーテンの向こう、見たくないんだけど……ふみちゃん、力強っ……私はよろけながらも立ち上がってしまう。
足に力があまり入らなくて、保健室へ向かうのに抵抗できるほどの余力はなかった。
蛍光灯の眩しさに目を覚ます。
……ということは私……意識を寝ちゃってたってこと?
不安と焦燥感が急激にこみ上げてきて、貧血みたいに意識が遠のきかける……それを、留めてくれたものがあった。
左手の温もり……ふみちゃんが、私の左手をずっと握っていてくれている。
今日、このゲームを始めてからずっと……私が不確かな視界の中で迷いそうになると、ふみちゃんが錨のように静かに手を握りしめてくれた。
あれ……?
なんだろう?
この……背中に感じる嫌なモノ……これって……え? あっ!
ふみちゃんの隣に、蓮井先生が立っている。
けど……なんか変。
目の焦点が合ってないっていうか……ヤバいヤバいヤバい。
透けてるじゃない。
これ、罠系の一番ヤバいヤツだ……罠をかける相手の知り合いのフリするヤツ。
小さい頃、お母さんに化けたヤツについて行きかけて、おばあちゃんに助けてもらったっけ……そのおばあちゃんも今は居ない。
見ちゃいけない。
見ないで、気付かないで、やり過ごすしかない。
見ない見ない見ない……左手をぎゅっと握って、ふみちゃんだけを見つめる。
「ごめんね、ふみちゃん。もう大丈夫だから」
起き上がろうと上体を起こす。
「うん。でも、こちらももう大丈夫だから」
こちらも?
え、まさかふみちゃん……ううん、透けてない。
透けてはいないけど……なんだかふみちゃんじゃないみたい。
「みつけた」
ふみちゃんが右手で、蓮井先生のような霊を指差して、そう言った。
え、え、え?
だってふみちゃんの右手は、私の左手と……つないだまま。
指した右手は、ふみちゃんの内側からスラリと出ている……透けている右手が。
「初めまして、弥都希ちゃん。あなたの三年先輩になる日飛葉月……文乃の姉です」
……一瞬、思考が追いつかなかったけど……ふみちゃんの、お姉ちゃん?
「あの……」
うまく言葉が出てこない。
「大丈夫。傷つける気はないから。文乃のことも、あなたのことも」
それはありがたいけれど、そういうことでもなくて。
「えっと」
そんなしどろもどろなやりとりをしている間に、蓮井先生の姿の霊は、浜辺の砂の城が波で削れるように崩れて消えた。
「本当の『迷蔵』はね、王の後継者を決める儀式なの。王の後継者たる証を持たせた娘が隠れている建物に王の子息全員が入り、入口が閉ざされる。勝ち残るのは一人。証を見つけられなかった他の者は鬼となり、新しい王を支える力となる……中国ではね、鬼というのは死人のこと。鬼籍っていう表現、聞いたことないかしら……『迷蔵』はね、霊を使った蠱毒なのよ」
ふみちゃんが、ふみちゃんの声で、ふみちゃんらしくないしゃべり方で、変なことを言い出した。
「『迷蔵』の会場となるのは一つの建物。だから別館や体育館は関係ないの。『迷蔵の符』って言うモノがあってね。伯父さんが隠し持ってたのを、こっそり借りて来て、ここの校舎に貼り付けたの」
「いつですか……ふみちゃんは、私とずっと手をつないでいました」
「ゲームを始める前、よ」
そう言えばふみちゃんが忘れ物を探すって机の中ゴソゴソしてた間に私、トイレに行った……けど。
「今日、これだけたくさん霊が居るのは……その、迷蔵のフってやつのせいですか?」
「それはまた別の符を使ったの。随分前からね、ずっと集めていたのよ」
ずっと?
いつから?
それに、そんな風に集まってきていたなら、昨日だってもっと見たはず……。
「集めたものが解き放たれたのは『迷蔵の符』のおかげ。『迷蔵』は、生者を殺して鬼に変え、王の力へと変える。でも、始めから鬼になっている者ならば、わざわざ殺す必要もない。先に見つけて告げればいいだけ……みつけた、と」
この声だ!
今日、ずっと近くで聞こえていた「みつけた」は。
「近くに……ずっといらっしゃったんですか? 全然、わからなかったです」
「文乃が一緒に居てもいいって言ってくれたから、隠れることができたの。私は見つける側じゃないと王にはなれないから。でもようやく、最後の一人を見つけたから」
「見つけたって指差して言うの? え、ちょっと待ってください。最後の一人って……」
建物の中で生き残るのは一人。王以外は殺してって……じゃあ、蓮井先生は?
さっきのは本当の?
「大丈夫と言ったでしょ、弥都希ちゃん。あなたは私と……文乃と手をつないでいるから」
「蓮井先生は……」
「蓮井先生……流一さんはね、ようやく本当の一緒になれたの。生まれてこなかった私達の赤ちゃんとも」
あ、赤ちゃんんん?
「私達は付き合っていたの。今のあなたたちくらいの歳の頃から……そして中三になってから妊娠して。でもそれを告げた途端、冷たくなったの、流一さん。おかしいでしょ? 卒業したら教師と生徒じゃなくなるから、社会的にも一緒になれるって言ってくれたのに。そればかりかね、その頃から私、酷い虐めに遭うようになったわ……理由は、私が突き落とされるときにわかったの。虐めのリーダー格の子がね、言ったのよ。私の流一さんに手を出すからよ、って」
ありがちな話って、本当にそこらにあるんだ……って考えている自分が居る。
そんな変に客観的に話に接しているのって、目の前で聞いているのに、遠い世界の話みたいに感じているからかな。
だって信じられない。
私達の通っているこの中学で、しかもたった三年前に……あっ。
そう言えば、一年のときの生徒会役員選挙で、副会長は自殺するからなりたくないって言っていた人がいた……あれ、たちの悪い冗談だと思っていたけど……本当にあったことだったの?
「……そんな、ことが……」
何て言ったらいいのか、わからない。
「知らないのも無理ないわよね。隠蔽されたから。学校ぐるみでね。私は自殺として処理された。だから流一さんは今日までここで教師を続けてこれたのよ」
「……葉月さんを突き落とした人は……」
「進学した先でね、泣きながら飛び降りたわ。文乃の所へ来る前に、ずっとその子に憑いていたの」
入ってくる情報を、私のリアリティが処理しきれていない。
中学生と教師の交際とか、妊娠とか、自殺に見せかけるとか、隠蔽とか、憑いて殺すとか……葉月さんの話を否定するつもりはないけれど、よりにもよってこの中学校で、って。
自分のこの一年半もの学校での日常と、あまりにもかけ離れていて……ちょっと待って。
憑いていた人が飛び降りたってことは!
「ふ、ふみちゃんに憑いていたら、ふみちゃんは……」
「いいお友達なのね……文乃は普段、私の声が聞こえないの。弥都希さん、あなたと一緒に長く過ごしたときだけ、文乃に私の声が届くのよ。伯父さんの所から符を持ち出せたのも、それをこの校舎に貼れたのも、全部、あなたが居てくれたおかげ」
ふみちゃんが大丈夫というのは嬉しいけど……でも、私?
私のせいで、ふみちゃんが……復讐の道具にされたっていうの?
「やめなさい。今、手を放したら、あなたも鬼になってしまうわよ」
ふみちゃんの手を放そうとした私の左手が、信じられないくらい強い力でふみちゃんに握りしめられている……私はそのまま、屋上へと連れて行かれた。
屋上から見える夜景は綺麗だった。こんな状況じゃなければ、だけど。
でも空気が淀んでいて、風も、音さえもなくって、この夜景にもリアリティを感じられない。
「一緒に登ってきて」
西階段から続く屋上への出入り口は、屋上に突き出たコンクリートの小屋みたいな形。
その脇には金属製のハシゴが取り付けてあり、小屋の上には給水タンクが設置されている。
見上げた空には月が見えた。
その月に向かって伸ばすように差し出した右手で、ふみちゃんは左手で、ハシゴをつかむ。
せーので一段ずつ昇っては、つないでいる手はつないだままハシゴの横棒に引っ掛け、それぞれがつないでない手でまた一つ上の横棒をつかんで……時間はかかったけど、登ることができた。
屋上への入口小屋の上は、思ったよりも広いスペース。
道路の縁石くらいの申し訳程度の縁がある以外は手すりもない。
高さ的には屋上へ飛び降りられないこともないくらい……ただ、この見晴らしの良い高さで飛ぶって考えただけで、お尻がムズムズする。
そして目の前には……小屋上スペースの半分くらいを占める大きな給水タンク。
この給水タンクにもハシゴが付いている。
「まだ、隠れているのが居るね」
心臓をつかまれたかと思うくらい、鋭い言葉。
でも、ふみちゃん……の中の葉月さんが見ているのは、私じゃなく給水タンク。
「開けて、みつけたあげないとね」
ふみちゃんが行くってことは、私も行くってこと……だよね。
ここまで登ってきたのと同じ様に、給水タンクのハシゴへもよじ登る。
ドン!
登っている途中で、給水タンクの中から何かが叩いてきた?
慌ててハシゴから落ちそうになったけど、ふみちゃんが支えてくれた。
ドン! ドン!
もうここまで体験重ねて来ていると、居るとわかったことで心構えができちゃう。
というか、早く終わらせたい……少なくともこの『迷蔵』から外へ出たい。
給水タンクの蓋を開けるように言われて、黙って従ったのはそういう理由。
蓋には南京錠がついていたけど、ふみちゃんが蓋に触れた途端、勝手に外れ落ちた。
「王になるって、そういうことよ」
一瞬、頭の中が「?」でいっぱいになる……あーっ!
もしかして今の、美術準備室とか美術室の鍵を閉めたろ開けたりしたあの金髪ベロ兄さんの仕業?
そういうことって……そういうことなの?
「開けて」
ふみちゃんが私と目を合わせる。
私は給水タンクの蓋を、勢いよく開いた。
「みつけた」
中を覗き込んでいるのはふみちゃんなのに、給水タンクの内側に反響したのは葉月さんの声。
私は中を見なかった。
だいたいこの暗さじゃ見ても何もわからないだろうし。
「今度こそ、全部かな」
更に反響した声を閉じ込めるかのように給水タンクの蓋を閉め、私達はとりあえず給水タンクからは降りた。
小屋上スペースから屋上へ、もう一つハシゴを降りようとした私の手を、ふみちゃんは引っ張って止めた。
何? まだ何かあるの?
ふみちゃんが給水タンクの下に回り込もうとしている。
「降りないんですか?」
「いつまでも霊を寄せてちゃ困るでしょ?」
ということは……別のフとかって呼ばれてた物?
ふみちゃんは給水タンクの底から何かを剥がした。
スマホよりも二周りくらい大きな……紙?
気になるけど、この暗さじゃよく見えない。
「ちょっと見せてもらってもいいですか」
ふみちゃんが手渡してくれたそのフってやつを、私は月にかざして見た。
黄色い紙に……赤い字?
何やら模様とか漢字っぽいのとかが描いてある。
「よく、わかんないです」
そのフをふみちゃんへ返そうとして、うっかり落としてしまう……小屋上スペースの外、ハシゴの下へ。
ふみちゃんがとっさに手を伸ばした、その先から葉月さんのあの手がするりと抜け出て、フを追った。
私はふみちゃんとつないでいる手をぎゅっと引っ張った……フとは反対方向へ。
葉月さんの手だけじゃなく上半身までもが、ふみちゃんから抜け出る。
私は「今よ」と、強く念じた。
「みつけた!」
私の中から絆創膏を貼った手が出てきて、葉月さんを指差してそう言った。
あの小学生の男の子。
「なんでっ……」
葉月さんが驚いた顔でこちらを見ている。
「ふみちゃんを復讐の道具になんて使わせない。葉月さんは……とても悲しいことだったけれど、それをふみちゃんが背負ってしまったら、ふみちゃんはこの先の人生、もう二度と笑顔になれなくなっちゃうと思うから」
保健室のベッドで目覚めたとき、背中に感じた嫌な気配。
それは、霊に触れられている感覚。
小学生の男の子が私のスカートをめくろうとしたとき、彼の指先が私の膝に触れたときと同じ。
今日、幾つかの霊に触れられて、この触れれる感覚も霊によって違うんだって気付けたおかげで、触れられただけでわかった。
あの男の子だって。
葉月さんの話を聞きながら、心の中で「一緒に居てもいい」って男の子に話しかけてみた。
男の子は、私の中へ逃げるように入ってきた。
男の子が中に入ってくると、彼と気持ちの共有も少しだけできた。
彼はイタズラっ子だったけど、死んだ理由は好きだった女の子をかばって車に轢かれたから。
根は正義感の強い子だった。
だから、私が考えた計画に協力してくれた。
私がタイミングを伝えたら、私の中から出て、葉月さんを指差して「みつけた」と言う作戦に。
「どうしてその子は隠れられたの……」
葉月さんが最初に二年一組で男の子を指したとき、「みつけた」が効かなかった理由はわからないけど、私が尋ねたとき、彼は笑ってて聞いてなかったと答えたから、案外、聞かなかったから効かなかったというのが正解なのかもしれない。
でも今はそんなことどうでもいい。
男の子は小屋上スペースを「やったぜ!」と言いながら走り回っている。
葉月さんの表情が哀しみへと変わり、静かに、ゆっくりと首を横に振る。
「だめなのよ……その子じゃ御しきれないから」
ぴたりと立ち止まった男の子の体の中へ、葉月さんは崩れるように吸い込まれていった。
直後。
男の子の手首から鮮血がほとばしる。
チキ、チキ、チキ、というあの嫌な音がまた。
男の子の体の内側からカッターの刃のようなモノが突き出て、少しづつ男の子を内側から切り開いてゆく。
男の子は泣きそうな目で私を見つめる……気がついたら、私は声に出していた。
「みつけた」
男の子を指差しながら。
「……んっ」
背後から声がした。
ふみちゃんの声。
ようやく起きたのかな……私もようやく『迷蔵の符』を校舎から剥がしたところ。
思った通り、私達の教室、二年四組の掃除用具入れの中。
『鬼寄せの符』と似た感じだったから、すぐに見つけることができた。
「あれ? 私、なんでやっつんにおんぶされてるの? ってか、何でこんなに暗いの?」
「ふみちゃん……覚えてないの?」
「う、うーん……何かゲームしてたの覚えてる。でもなんでそんなことしようって思ったんだろ。だってかくれんぼって、私達二人しか居なかったのにね」
良かった。
ふみちゃんの笑顔がそのままで。
一階へ降りると、職員室の明かりはまだ点いていた。
私が保健室で寝ている間に何があったのかは知らない。
あそこで今、蓮井先生がどうなっているか、確かめたくもない。
ふみちゃんには、先生にはもう挨拶してあるからと告げ、私達は靴を履き替え、ようやく校舎の外へと出た。
夜風が吹き抜ける。
街のざわめきも聞こえる。
戻ってきたんだなって感じる。
校門を出て立ち止まる。
結局ずっと手はつないだままだった……ふみちゃんの命がもう大丈夫なのはわかっている。
そういうことじゃなく、名残り惜しかったから。
「あ。ふみちゃん、先帰ってて。今度は私が忘れ物したみたい」
「やっつんが? いいけど……そんな事言って、実はそのへんに隠れて、私のこと脅かす作戦とかじゃないよね?」
ふみちゃんの笑顔、尊い。
私は自然に笑みがこぼれた。
「ふふっ。かくれんぼはもうお終い。ここからは鬼ごっこなの」
<終>
部屋の中は静かで、誰の姿も見当たらない……ベッドのとこ、天井からの吊りカーテンが閉まっているのが気になるけど。
「カーテンって、扉じゃぁないよね」
開ける必要がない所は開けたくない。
「確かにそーだね。時間もアレだし、ここは誰もいないね、でいいんじゃないかな」
ふみちゃんが言うなら、それでいい。
じゃあ次はと廊下へと戻った……そのとき、廊下の奥から何か聞こえた。
大きなモノをひっくり返すような音。
「蓮井先生、私達が戻ってくるの遅いって怒っているのかな?」
なぜか最初にそう考えた。
今やっているこの『迷蔵』に後ろめたさを感じているからかも?
でも、ふみちゃんは黙ったまま、進路相談室の前へと向かう。
そうだね。時間的にもう暗くなっちゃってるもんね。
どうせ怒られるなら、できる限りたくさんの部屋を確認した方が良いもんね。
ふみちゃんと一緒に進路相談室の前に立ちながら、そう言えばさっきから、会話終了の合図をずっとしていないなって思った。
多分私、いろんなモノを見すぎて、集中力低下しているんだ……そんな風にぼんやりとしていたからだろうか、進路相談室の中に居たモノに、うっかり反応してしまった。
だってバイクだよ!
進路相談室の中に、バイクに乗った人が居たから……思わず、立ち止まっちゃったの。
ノーヘルで、立派な大昔の不良みたいな髪型した人。
「どうしたの、やっつん?」
「あ、うん……なんかまた喉がね」
苦しい言い訳だけど、もうこれで乗り切るしかない。
あとはこの霊が、罠を張るタイプじゃなければ……。
「みつけた」
ドゥルン。
バイクのエンジン音。
ヤバい。バイクの向き、こっちに向けてる。
霊が体の中を抜けるのは経験あるけど、バイクはどーなの?
轢かれたりしないのかな?
バイクが走り出すよりも前に、私は入口から横に大股で移動して廊下にしゃがみ込み、激しく咳き込んだ。
ちょっと無理がある動きだったかな。
私と手をつなぎっぱなしのふみちゃんも、一緒にこっちに来てかがんでくれる。
あくまでも、避けたんじゃなく、咳で……という体。
でも、霊が通り抜けた感じはしなかった……のに。膝が、演技ではなく、本当に動かない。
私、震えているのかな?
「ちょっと休んだ方がいいかもね」
そう言ってふみちゃんは、私の手を引っ張った……保健室へ戻るの?
あのカーテンの向こう、見たくないんだけど……ふみちゃん、力強っ……私はよろけながらも立ち上がってしまう。
足に力があまり入らなくて、保健室へ向かうのに抵抗できるほどの余力はなかった。
蛍光灯の眩しさに目を覚ます。
……ということは私……意識を寝ちゃってたってこと?
不安と焦燥感が急激にこみ上げてきて、貧血みたいに意識が遠のきかける……それを、留めてくれたものがあった。
左手の温もり……ふみちゃんが、私の左手をずっと握っていてくれている。
今日、このゲームを始めてからずっと……私が不確かな視界の中で迷いそうになると、ふみちゃんが錨のように静かに手を握りしめてくれた。
あれ……?
なんだろう?
この……背中に感じる嫌なモノ……これって……え? あっ!
ふみちゃんの隣に、蓮井先生が立っている。
けど……なんか変。
目の焦点が合ってないっていうか……ヤバいヤバいヤバい。
透けてるじゃない。
これ、罠系の一番ヤバいヤツだ……罠をかける相手の知り合いのフリするヤツ。
小さい頃、お母さんに化けたヤツについて行きかけて、おばあちゃんに助けてもらったっけ……そのおばあちゃんも今は居ない。
見ちゃいけない。
見ないで、気付かないで、やり過ごすしかない。
見ない見ない見ない……左手をぎゅっと握って、ふみちゃんだけを見つめる。
「ごめんね、ふみちゃん。もう大丈夫だから」
起き上がろうと上体を起こす。
「うん。でも、こちらももう大丈夫だから」
こちらも?
え、まさかふみちゃん……ううん、透けてない。
透けてはいないけど……なんだかふみちゃんじゃないみたい。
「みつけた」
ふみちゃんが右手で、蓮井先生のような霊を指差して、そう言った。
え、え、え?
だってふみちゃんの右手は、私の左手と……つないだまま。
指した右手は、ふみちゃんの内側からスラリと出ている……透けている右手が。
「初めまして、弥都希ちゃん。あなたの三年先輩になる日飛葉月……文乃の姉です」
……一瞬、思考が追いつかなかったけど……ふみちゃんの、お姉ちゃん?
「あの……」
うまく言葉が出てこない。
「大丈夫。傷つける気はないから。文乃のことも、あなたのことも」
それはありがたいけれど、そういうことでもなくて。
「えっと」
そんなしどろもどろなやりとりをしている間に、蓮井先生の姿の霊は、浜辺の砂の城が波で削れるように崩れて消えた。
「本当の『迷蔵』はね、王の後継者を決める儀式なの。王の後継者たる証を持たせた娘が隠れている建物に王の子息全員が入り、入口が閉ざされる。勝ち残るのは一人。証を見つけられなかった他の者は鬼となり、新しい王を支える力となる……中国ではね、鬼というのは死人のこと。鬼籍っていう表現、聞いたことないかしら……『迷蔵』はね、霊を使った蠱毒なのよ」
ふみちゃんが、ふみちゃんの声で、ふみちゃんらしくないしゃべり方で、変なことを言い出した。
「『迷蔵』の会場となるのは一つの建物。だから別館や体育館は関係ないの。『迷蔵の符』って言うモノがあってね。伯父さんが隠し持ってたのを、こっそり借りて来て、ここの校舎に貼り付けたの」
「いつですか……ふみちゃんは、私とずっと手をつないでいました」
「ゲームを始める前、よ」
そう言えばふみちゃんが忘れ物を探すって机の中ゴソゴソしてた間に私、トイレに行った……けど。
「今日、これだけたくさん霊が居るのは……その、迷蔵のフってやつのせいですか?」
「それはまた別の符を使ったの。随分前からね、ずっと集めていたのよ」
ずっと?
いつから?
それに、そんな風に集まってきていたなら、昨日だってもっと見たはず……。
「集めたものが解き放たれたのは『迷蔵の符』のおかげ。『迷蔵』は、生者を殺して鬼に変え、王の力へと変える。でも、始めから鬼になっている者ならば、わざわざ殺す必要もない。先に見つけて告げればいいだけ……みつけた、と」
この声だ!
今日、ずっと近くで聞こえていた「みつけた」は。
「近くに……ずっといらっしゃったんですか? 全然、わからなかったです」
「文乃が一緒に居てもいいって言ってくれたから、隠れることができたの。私は見つける側じゃないと王にはなれないから。でもようやく、最後の一人を見つけたから」
「見つけたって指差して言うの? え、ちょっと待ってください。最後の一人って……」
建物の中で生き残るのは一人。王以外は殺してって……じゃあ、蓮井先生は?
さっきのは本当の?
「大丈夫と言ったでしょ、弥都希ちゃん。あなたは私と……文乃と手をつないでいるから」
「蓮井先生は……」
「蓮井先生……流一さんはね、ようやく本当の一緒になれたの。生まれてこなかった私達の赤ちゃんとも」
あ、赤ちゃんんん?
「私達は付き合っていたの。今のあなたたちくらいの歳の頃から……そして中三になってから妊娠して。でもそれを告げた途端、冷たくなったの、流一さん。おかしいでしょ? 卒業したら教師と生徒じゃなくなるから、社会的にも一緒になれるって言ってくれたのに。そればかりかね、その頃から私、酷い虐めに遭うようになったわ……理由は、私が突き落とされるときにわかったの。虐めのリーダー格の子がね、言ったのよ。私の流一さんに手を出すからよ、って」
ありがちな話って、本当にそこらにあるんだ……って考えている自分が居る。
そんな変に客観的に話に接しているのって、目の前で聞いているのに、遠い世界の話みたいに感じているからかな。
だって信じられない。
私達の通っているこの中学で、しかもたった三年前に……あっ。
そう言えば、一年のときの生徒会役員選挙で、副会長は自殺するからなりたくないって言っていた人がいた……あれ、たちの悪い冗談だと思っていたけど……本当にあったことだったの?
「……そんな、ことが……」
何て言ったらいいのか、わからない。
「知らないのも無理ないわよね。隠蔽されたから。学校ぐるみでね。私は自殺として処理された。だから流一さんは今日までここで教師を続けてこれたのよ」
「……葉月さんを突き落とした人は……」
「進学した先でね、泣きながら飛び降りたわ。文乃の所へ来る前に、ずっとその子に憑いていたの」
入ってくる情報を、私のリアリティが処理しきれていない。
中学生と教師の交際とか、妊娠とか、自殺に見せかけるとか、隠蔽とか、憑いて殺すとか……葉月さんの話を否定するつもりはないけれど、よりにもよってこの中学校で、って。
自分のこの一年半もの学校での日常と、あまりにもかけ離れていて……ちょっと待って。
憑いていた人が飛び降りたってことは!
「ふ、ふみちゃんに憑いていたら、ふみちゃんは……」
「いいお友達なのね……文乃は普段、私の声が聞こえないの。弥都希さん、あなたと一緒に長く過ごしたときだけ、文乃に私の声が届くのよ。伯父さんの所から符を持ち出せたのも、それをこの校舎に貼れたのも、全部、あなたが居てくれたおかげ」
ふみちゃんが大丈夫というのは嬉しいけど……でも、私?
私のせいで、ふみちゃんが……復讐の道具にされたっていうの?
「やめなさい。今、手を放したら、あなたも鬼になってしまうわよ」
ふみちゃんの手を放そうとした私の左手が、信じられないくらい強い力でふみちゃんに握りしめられている……私はそのまま、屋上へと連れて行かれた。
屋上から見える夜景は綺麗だった。こんな状況じゃなければ、だけど。
でも空気が淀んでいて、風も、音さえもなくって、この夜景にもリアリティを感じられない。
「一緒に登ってきて」
西階段から続く屋上への出入り口は、屋上に突き出たコンクリートの小屋みたいな形。
その脇には金属製のハシゴが取り付けてあり、小屋の上には給水タンクが設置されている。
見上げた空には月が見えた。
その月に向かって伸ばすように差し出した右手で、ふみちゃんは左手で、ハシゴをつかむ。
せーので一段ずつ昇っては、つないでいる手はつないだままハシゴの横棒に引っ掛け、それぞれがつないでない手でまた一つ上の横棒をつかんで……時間はかかったけど、登ることができた。
屋上への入口小屋の上は、思ったよりも広いスペース。
道路の縁石くらいの申し訳程度の縁がある以外は手すりもない。
高さ的には屋上へ飛び降りられないこともないくらい……ただ、この見晴らしの良い高さで飛ぶって考えただけで、お尻がムズムズする。
そして目の前には……小屋上スペースの半分くらいを占める大きな給水タンク。
この給水タンクにもハシゴが付いている。
「まだ、隠れているのが居るね」
心臓をつかまれたかと思うくらい、鋭い言葉。
でも、ふみちゃん……の中の葉月さんが見ているのは、私じゃなく給水タンク。
「開けて、みつけたあげないとね」
ふみちゃんが行くってことは、私も行くってこと……だよね。
ここまで登ってきたのと同じ様に、給水タンクのハシゴへもよじ登る。
ドン!
登っている途中で、給水タンクの中から何かが叩いてきた?
慌ててハシゴから落ちそうになったけど、ふみちゃんが支えてくれた。
ドン! ドン!
もうここまで体験重ねて来ていると、居るとわかったことで心構えができちゃう。
というか、早く終わらせたい……少なくともこの『迷蔵』から外へ出たい。
給水タンクの蓋を開けるように言われて、黙って従ったのはそういう理由。
蓋には南京錠がついていたけど、ふみちゃんが蓋に触れた途端、勝手に外れ落ちた。
「王になるって、そういうことよ」
一瞬、頭の中が「?」でいっぱいになる……あーっ!
もしかして今の、美術準備室とか美術室の鍵を閉めたろ開けたりしたあの金髪ベロ兄さんの仕業?
そういうことって……そういうことなの?
「開けて」
ふみちゃんが私と目を合わせる。
私は給水タンクの蓋を、勢いよく開いた。
「みつけた」
中を覗き込んでいるのはふみちゃんなのに、給水タンクの内側に反響したのは葉月さんの声。
私は中を見なかった。
だいたいこの暗さじゃ見ても何もわからないだろうし。
「今度こそ、全部かな」
更に反響した声を閉じ込めるかのように給水タンクの蓋を閉め、私達はとりあえず給水タンクからは降りた。
小屋上スペースから屋上へ、もう一つハシゴを降りようとした私の手を、ふみちゃんは引っ張って止めた。
何? まだ何かあるの?
ふみちゃんが給水タンクの下に回り込もうとしている。
「降りないんですか?」
「いつまでも霊を寄せてちゃ困るでしょ?」
ということは……別のフとかって呼ばれてた物?
ふみちゃんは給水タンクの底から何かを剥がした。
スマホよりも二周りくらい大きな……紙?
気になるけど、この暗さじゃよく見えない。
「ちょっと見せてもらってもいいですか」
ふみちゃんが手渡してくれたそのフってやつを、私は月にかざして見た。
黄色い紙に……赤い字?
何やら模様とか漢字っぽいのとかが描いてある。
「よく、わかんないです」
そのフをふみちゃんへ返そうとして、うっかり落としてしまう……小屋上スペースの外、ハシゴの下へ。
ふみちゃんがとっさに手を伸ばした、その先から葉月さんのあの手がするりと抜け出て、フを追った。
私はふみちゃんとつないでいる手をぎゅっと引っ張った……フとは反対方向へ。
葉月さんの手だけじゃなく上半身までもが、ふみちゃんから抜け出る。
私は「今よ」と、強く念じた。
「みつけた!」
私の中から絆創膏を貼った手が出てきて、葉月さんを指差してそう言った。
あの小学生の男の子。
「なんでっ……」
葉月さんが驚いた顔でこちらを見ている。
「ふみちゃんを復讐の道具になんて使わせない。葉月さんは……とても悲しいことだったけれど、それをふみちゃんが背負ってしまったら、ふみちゃんはこの先の人生、もう二度と笑顔になれなくなっちゃうと思うから」
保健室のベッドで目覚めたとき、背中に感じた嫌な気配。
それは、霊に触れられている感覚。
小学生の男の子が私のスカートをめくろうとしたとき、彼の指先が私の膝に触れたときと同じ。
今日、幾つかの霊に触れられて、この触れれる感覚も霊によって違うんだって気付けたおかげで、触れられただけでわかった。
あの男の子だって。
葉月さんの話を聞きながら、心の中で「一緒に居てもいい」って男の子に話しかけてみた。
男の子は、私の中へ逃げるように入ってきた。
男の子が中に入ってくると、彼と気持ちの共有も少しだけできた。
彼はイタズラっ子だったけど、死んだ理由は好きだった女の子をかばって車に轢かれたから。
根は正義感の強い子だった。
だから、私が考えた計画に協力してくれた。
私がタイミングを伝えたら、私の中から出て、葉月さんを指差して「みつけた」と言う作戦に。
「どうしてその子は隠れられたの……」
葉月さんが最初に二年一組で男の子を指したとき、「みつけた」が効かなかった理由はわからないけど、私が尋ねたとき、彼は笑ってて聞いてなかったと答えたから、案外、聞かなかったから効かなかったというのが正解なのかもしれない。
でも今はそんなことどうでもいい。
男の子は小屋上スペースを「やったぜ!」と言いながら走り回っている。
葉月さんの表情が哀しみへと変わり、静かに、ゆっくりと首を横に振る。
「だめなのよ……その子じゃ御しきれないから」
ぴたりと立ち止まった男の子の体の中へ、葉月さんは崩れるように吸い込まれていった。
直後。
男の子の手首から鮮血がほとばしる。
チキ、チキ、チキ、というあの嫌な音がまた。
男の子の体の内側からカッターの刃のようなモノが突き出て、少しづつ男の子を内側から切り開いてゆく。
男の子は泣きそうな目で私を見つめる……気がついたら、私は声に出していた。
「みつけた」
男の子を指差しながら。
「……んっ」
背後から声がした。
ふみちゃんの声。
ようやく起きたのかな……私もようやく『迷蔵の符』を校舎から剥がしたところ。
思った通り、私達の教室、二年四組の掃除用具入れの中。
『鬼寄せの符』と似た感じだったから、すぐに見つけることができた。
「あれ? 私、なんでやっつんにおんぶされてるの? ってか、何でこんなに暗いの?」
「ふみちゃん……覚えてないの?」
「う、うーん……何かゲームしてたの覚えてる。でもなんでそんなことしようって思ったんだろ。だってかくれんぼって、私達二人しか居なかったのにね」
良かった。
ふみちゃんの笑顔がそのままで。
一階へ降りると、職員室の明かりはまだ点いていた。
私が保健室で寝ている間に何があったのかは知らない。
あそこで今、蓮井先生がどうなっているか、確かめたくもない。
ふみちゃんには、先生にはもう挨拶してあるからと告げ、私達は靴を履き替え、ようやく校舎の外へと出た。
夜風が吹き抜ける。
街のざわめきも聞こえる。
戻ってきたんだなって感じる。
校門を出て立ち止まる。
結局ずっと手はつないだままだった……ふみちゃんの命がもう大丈夫なのはわかっている。
そういうことじゃなく、名残り惜しかったから。
「あ。ふみちゃん、先帰ってて。今度は私が忘れ物したみたい」
「やっつんが? いいけど……そんな事言って、実はそのへんに隠れて、私のこと脅かす作戦とかじゃないよね?」
ふみちゃんの笑顔、尊い。
私は自然に笑みがこぼれた。
「ふふっ。かくれんぼはもうお終い。ここからは鬼ごっこなの」
<終>
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あっと言う間に読んでしまいました。最後のセリフも、え?ってなりますね。とても面白かったです。が、やっぱりホラーは怖いですね。楽しめました。
ありがとうございます。励みになります。