深き血の村

だんぞう

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#18 決戦

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 銀色の筒から出た針を刺された男の体がブルブルと震える。
「放していいぞ」
 さっきの中年男の指示。
 俺とサワダは素直に従った――今は仕方ないだろう。
 電気屋で暴れていたイワシのハイブリッド・ディープ・ワン――奴らの表現ではHyDOハイド――恐らく頭文字をつなげたのであろう隠語――とにかくそのHyDOハイド男は、その体を痙攣させながら、床へと倒れる。
 口をパクパクさせ、頭部を震わせながら何かを呟いている。
 それは詠唱のような、低周波のような、背筋が凍りつく音。
 俺の横でサワダも震えを抑えきれずにいるようだ。
「お前たち、悪夢は見ているか?」
 村長と呼ばれた男の声。
 タカコたちは黙っている。
「その悪夢が何なのか考えたことはあるか?」
 村長は床で痙攣する男の方へゆっくりと近づいてゆく。
「では、HyDOハイド化に必要なエネルギー量に疑問を感じたことは?」
 痙攣男の手前で立ち止まる。
 いまや村長の鍛えあげられた肉体の大半が視界に収まっている。
 強靭な大胸筋、六つに割れた腹筋、真紅のふんどしに棍棒のような腕までもが。
「普通の人間であれば、HyDOハイドを見ただけで怯え、震え、我を忘れる。それなのにお前たちが互いの変身を見て平気であることの意味を考えたことは?」
 村長は痙攣男の首を片手でつかんで持ち上げた。
「お前たちの中に恐怖への耐性ができたのは悪くないことだと、そう思っていたのだがな。それがゆえにわしへの畏怖も薄れたか……」
 村長は男を上へ、帽子に遮られた視界の外側へと放り投げると、周囲がどよめいた。
 HyDOハイド化した工場の職員たちの中には魚頭を背けている者たちまで居る。
 村長のいる場所から湿り気のあるすり潰すような音が聞こえ、その周囲に血飛沫と腕とが飛び散る――こ、これって、喰ったのか?
 入るのか? 人間の体が――ああ、でも。
 鮫頭だった兄ちゃんのことを思い出す。
 村長が、鮫の類いのHyDOハイドであるのならば、できなくもないのかもしれない。

 骨を砕きながら咀嚼する音が長い長い時間続く。
 だが誰も動こうとせず、じっとそれが終わるのを待つ――俺やサワダも含めて。
 タカコたちの表情も引きつっている。
 こんな相手に対して俺は何をどうできるというのか。
 インターポールの皆さん、早く来てくださいと、情けない気持ちが自分の中に広がる――ダッセェ。
 紀子がここに居なくて良かった。
 そう考えるだけで、背筋が少しだけ延びる。
 紀子のことを考えることで、俺は理性を手放さずに済んでいるのかもな。

 噛み砕く音がようやく止んだ。
 呑み込む音と共に。
 工場職員たちの何人かはHyDOハイドから人間の姿へと戻っている。
 床にへたり込み両手をついている者すら居る。
「脆弱な!」
 村長の声が辺りに響く。
「狂気の力を借りるには、狂気を取り込まねばならぬ。人の手には余る力だ……本来はな。HyDOハイド化するたびに、己の中に悪夢が広がってゆくのを感じるだろう? その悪夢は大いなる存在、力の源との繋がりなのだ。渦のような悪夢は我らの体よりもむしろ精神を蝕む。それを防ぐ方法は唯一つ。血を深めた者を生きたまま取り込み、悪夢の中でそいつの精神を贄として渦の中へ投げ込むのだ。すると悪夢を広げずに肉体の血のみを深めることができるのだ」
 ……こいつ、村長は何を言っているんだ?
「お前たち、そんな面構えで儂を睨んでいるということは、まだ儂の言うことを理解できておらぬのか? 直接喰らうか、それとも間接的に喰らうかの違いだけで、お前らも儂が今したことと変わらぬことをしておるのだぞ?」
 村長の言葉が嘘ではないのだとしたら、HyDOハイド化した仲間を……喰らっている?
 おいおい待てよ。
 HyDOハイド化って、耐性をつけて二段階目でって話だったよな――まさか最初の段階でも。
 それ以上考えることを、自分自身が拒んでいるのを感じる。
「……笹目翁。私たちがここでこうして対峙しているということは、どういうことかお分かりのはず。私たちを怯えさせて戦意を削ぎ、変身させないように小細工しようとしてらっしゃるのでしょうが、全てわかった上で私たちはここに居ます。あなたのしていることはただの殺人です。もちろん、私たち自身もそれに関わっていることなど百も承知。あなたを倒して、その後の覚悟もできています」
 タカコが凛とした声で反論する。
 え、でも笹目翁って……笹目?
 俺と同じ姓は、村にはうちの家族以外、一人だけしか居なかった。
「ねぇ、職員の皆さん。なんであなたたちがイワシのHyDOハイドなのかご存知かしら? 笹目翁はあなたたちを餌としてしか見ていないのよ」
 職員たちがどよめく。
「それは違う」
 その声はじーちゃんに似ている。
 笹目翁――まさか村長は曾祖叔父ひいじーちゃんの弟本人なのか?
 曾祖叔父ひいじーちゃんの弟には子供なんかいなかったはずだから――ただ、年齢はもう百歳とかいってるだろ?
 こんなマッチョだなんて有り得るのか?
 いや、HyDOハイドだと老けないとかあるのかも?
 だとしたら。
 この村長が俺の身内なのだとしたら。
 身内なのに、兄ちゃんが死ななきゃいけないキッカケを作りやがったのか?
 恐らく俺の両親もじーちゃんも、こいつに――怒りという感情が俺の全身の血をたぎらせる。
「儂は選り好みも差別もせん。儂以外全てが儂の餌だ。タカコ、お前たちも別に特別というわけではないのだぞ?」
 許せねぇという想いが恐怖を凌駕する。
 だが俺にはタモっちゃんやタカコたちのような力はねぇ。
 だとしたら俺にできることを探さなけりゃならねぇ。
 頭が魚でも、体の大部分は人間と変わらねぇんだろ?
 ひろしの腹に刃物は刺さった。
 そういう武器を見つけられさえすれば――思考を巡らせている俺の前で、タカコたちが村長に向かって駆け出した。
 ああまただ。
 俺はずっと後手じゃねぇか。
 イワシHyDOハイドの連中は素手で戦っていたせいか、奪える武器も見当たらない。
 しかも連中、数人を残して戦意を失っていて、迎え撃とうともしない。
 何人かしか残っていなかったイワシHyDOハイドたちもタカコたち三人によってあっという間に蹴散らされた。
 タカコはまだ変身していないが、サングラス男はサングラスを外し、マグロのHyDOハイドへと姿を変えている。
「あと二人……まずはテメェだ、網場ッ! 喰らえッ! ブラック・バレットッ!」
 肉眼で追うのがやっとという猛スピードでのタックル。
 その恥ずかしい必殺技名そのままに黒い塊が突進した。
 しかしその網場は傍らのイワシHyDOハイドを盾代わりに突き飛ばし、なんとか逃げおおせる。
 その間、タカコとフグHyDOハイドの福乃海は村長と睨み合っている。
「お前らッ! 早く行けッ! 相手はたったの三人なんだぞッ!」
 網場は、イワシHyDOハイドたちの間を縫うように逃げ回り、それを追うようにマグロHyDOハイドが突進しまくる。
 だがなぜか網場が焦っているようには見えない。
 あのニヤニヤ笑いのせいだろうか。
「追い詰めたぞ網場ッ! ブラック」
 しかしマグロHyDOハイドの必殺技は不発に終わった。
 網場がどこから取り出したのか、銃のようなものを構えていて、そこから発射されたモノがマグロHyDOハイドの肩へと刺さったからだ。
 水中銃っぽい形。しかも弾倉がついているってこたぁ連射式か?
 案の定、二射目、三射目と網場は撃つ。
 あれはなんだ? 恐らく金属製の杭のような――弾倉のサイズから杭の長さは二十センチはありそうだ。
「……バレットッ!」
 それでも怯まずに全身に杭が刺さったままのマグロHyDOハイドは網場へと突進した。
 ようやく表情から笑みの消えた網場が、吹っ飛んだ。
 その手に持っていた銃も、床を滑って俺たちのすぐ近くまで。
 あれを手に取ろうとするのは敵の仲間のフリのままでも不自然なことじゃない――だが俺よりもサワダの方が早かった。
 滑り込むように銃へとたどり着いたサワダが、その銃を両手で構えたとき、皆の動きが一瞬止まった。

 あの音がしたからだ。
 詠唱のような、低周波のような、背筋が凍りつく音――それを発しているのはマグロHyDOハイド
 頭を上下に振りながら、全身を震わせて。
 なんだ?
 あれが村長の言っていた「悪夢が広がる」ってやつなのか?
 いや確かに悪夢だけどもさ。
「クロトッ! あなたたち、クロトに何をしたのよッ!」
 タカコが泣きそうな表情になる。
 サワダはそのタカコへ向けて例の銃を向ける。
 フグHyDOハイドがタカコを庇うようにその前へ立つ。
 村長はさっきからずっと腕組みをしたまま堂々と立っているだけ。
 その脇から、フラつきながらも網場が戻ってきた。
「……危ない危ない……精神力だけでなんとか放った技だったのだろうが、恐らく本来の威力の十分の一も出せていなかっただろうな」
 網場は口元の血を白衣の袖で拭うと、ニヤニヤ笑いが復活する。
「そのパイル弾には、強制HyDOハイド化剤がたっぷり塗布してある」
 強制HyDOハイド化剤?
「体内に入った場合、一本あたり変身二十回分ほどの負荷がかかる。先程の村長のお言葉、覚えているか? 負荷が増えれば悪夢に心を蝕まれる。自らの意思を保てず、狂気へと堕ちる。そこから逃れる方法はただ一つ。生きた人間の頭を喰らい、その哀れな贄の精神を悪夢の源へ捧げるしかない。どうするかね? お仲間を助けるためにイワシの皆さんを生きたまま喰わたりするのかね?」
 網場はサワダの方へとゆっくりと歩いてゆく。
 仲間だと信じて疑っていなさげだ。
「ほら、お前、早く銃を寄越せ」
 ここで網場をぶん殴れば、そう思った瞬間、網場はとんでもない言葉を口にした。
「銃を……サワダ!」
 次の瞬間、サワダは銃を村長へ向かって連射した。
 パイル弾が弾切れになったと思ったら、網場がサワダへと予備弾倉を渡す。
 サワダは慣れた手付きで弾倉を交換し、尚も村長へと打ち込み続ける――網場が、味方だと?
 そう考えただけで総毛立つ。
 いや、待て待て。
 混乱している頭に可能性を全て並べてみる。
 網場が、ではなくサワダが、だとしたら。
「サワダ……? どういうこと?」
 サワダは帽子を捨てる。
 タカコは戸惑っていて、福乃海の陰から出てきてサワダの方へ――もしもサワダがタカコたちを騙していたとしたら。
 それを悟られまいとしてタカコに何度もフラれた話を繰り返していたとしたら。
 わかんねぇ。
 だけど、サワダの帽子が床へ落ちる前にもう俺は走り出していた。
 網場はマグロHyDOハイドを平然と攻撃した。
 油断させるためと言うにはやり過ぎた。
 だってあの悪夢を広げるとかいうやつ、アレは取り返しつかなさげじゃねぇか。
 その網場とわかり合っていそうなサワダはひろしを迷いもなく殺した。
 サワダがインターポールってのは、サワダからしか聞いてねぇ。
 今度はもう遅れたくねぇ。
 見ているだけも嫌だし、目の前で失うのももう嫌だ。
「サワダァッ!」
 銃を奪うとか小細工は考えず、とにかくまずは全力でぶち当たる!
 そんな覚悟でダッシュ中の俺の前に、黒い影が近づいた。
 簡単に止まれたり避けられるような勢いじゃない。
 俺とサワダとの間に立ち塞がったのは――さっき俺たちに声をかけてきた中年男――が変身した、鎧みたいな鱗のHyDOハイドで、そして俺は単なる人間で。
 俺は車にはねられたような衝撃を受け、宙を舞う。
 その間に、やけにゆっくりと、皆の動きが見えた。
 サワダが新しい弾倉へ取り替えた水中銃をタカコへと向け、フグHyDOハイドがそれを阻止しようと全身を膨らませて……。
 俺は床へ叩きつけられる。
 福乃海の体に次々とめり込む杭の音が聞こえる。
「ハリセンボンじゃないかァ」
 網場の侮蔑に満ち満ちた笑い声が響く。
「……ふく……ちゃん……」
 タカコは涙をボロボロと流しながら、力なくその場へしゃがみ込む。
 マグロHyDOハイドばかりかフグHyDOハイドまで、頭を振りながらおかしくなっちまいやがった。
 あの音がコーラスみたいに聞こえやがって寒気も二倍だ。
 くそったれ。
 だけどここで立ち上がれるのは俺しかいねぇじゃねぇか。
 必死になんとか起き上がり、もう一度サワダの方へ向かおうとする俺の前に、さっきの鎧みたいな――見たことあるな、この魚。マツカサウオだっけかな――HyDOハイドが立ち塞がった。
 でもなぁ。
 俺が人だから、相手がHyDOハイドだからって、ハイそーですかって引き下がれねぇんだよ。
 俺は――俺や村の人らを悪党同士の争いに利用しやがった連中全員ぶん殴らねぇと。
「ヨースケ、取引だ」
 妙に流暢な日本語で、サワダはそう言った。
 タカコへ例の銃を向けながら。
「アレを渡してくれないか? あの御守りとやらを」





● 主な登場人物

笹目ささめ洋介ようすけ
 笹目探偵事務所の所長。二十七歳。三島建設代表取締役の次女紀子のりこ捜索依頼を引き受けた。紀子と一緒に故郷を訪れ、そこで故郷の村の真実に気付いた。今できることをやるだけ。

・三島紀子
 三島建設代表取締役三島行男ゆきおの次女。洋介と一緒に行動する覚悟を決めた。今は工場潜入口の近くで待機中。

綯洗ないあら陶蝶とうてふ
 作家。伊豆の名家の生まれ。代表作は『魔女狩られ』と『海の王』。一作目は実際の事件を元にしたと言われ、二作目は遺作で断筆。

・洋介の兄
 中学卒業後、工場へ勤務。プロ野球選手になる夢があった。工場へ迷い込んだ洋介を助けた後、兄弟秘密基地の洞窟で死亡していた。鮫HyDOハイド化していた。

・洋介の両親
 工場が有害だとして閉鎖されたあと、それを監視する「政府の研究所」で働いていたが、洋介が工場へ忍び込んだ直後に「自動車事故で帰らぬ人になった」と研究所の所長に告げられた。

・洋介の祖父母
 漁師だったが、祖父は洋介の「両親の事故死」の日までは生きていた。その後、祖母は関東を転々とし、洋介を別の親戚へと預けた後、現在は沖縄在住。

・洋介の曾祖叔父ひいじーちゃんの弟
 体が弱かったが、太平洋戦争中に墜落したアメリカ人パイロットを助け、村長にもなった。それ以来ずっと村長を続けているようだが、不自然マッチョになっていた。

・タモっちゃん
 洋介の幼馴染で、一番家が近かった。本名はたもつHyDOハイド化していた。

・さゆりちゃん。
 洋介の幼馴染で初恋の相手。本名は小百合さゆり。十七歳で亡くなった。遊園地に行ってみたいと言っていた。HyDOハイドの適性がなかった。

・のろまのひろし
 洋介の幼馴染。HyDOハイド化していた。

・マリ子さん
 さゆりちゃんの母。現在も村に残っている。十年ちょい前に夫を、十年前に娘を失っている。HyDOハイドの適性がなかった。

高古たかこ孝子たかこ
 洋介の幼馴染。いつも洋介の後ろをひっついてきた。幼少時は自分の名前をちゃんと言えなかったため「タコのタカコ」と呼ばれていた。この村に拠点を置く軍需企業の秘密を暴こうとしている。

・ふくはらときじ
 デブふく。洋介よりも早く村から引っ越していった。恐らく喫茶店で会った力士、福乃海。フグHyDOハイド

・クロト
 タカコの仲間。タカコと福乃海と三人で工場へ乗り込んできた。マグロHyDOハイド

・ケンヤ・サワダ
 自称INTERPOLのAgent。上半身裸に見えるが薄手のウェットスーツっぽい。下半身は青っぽいミリタリーパンツ、髪の毛は短い。タカコと共にこの村に拠点を置く軍需企業を追っていてタカコにフラレ続けている……のは全部嘘だったのか?

網場あみば時景ときかげ
 研究所(工場)の所長。ニヤニヤした表情が特徴的。サワダと手を組んで村長を亡き者にしようとしていた気配。

・工場の制服を着た男たち
 皆が銀色の筒から出た針を自分に刺し、全員がイワシのHyDOハイド へと変身するようだ。

・中年男。
 水槽の部屋の入口で隠れていたサワダと洋介へ声をかけてきた。どうやらサワダの仲間っぽいマツカサウオHyDOハイド

・電気屋で暴れていた男。
 イワシのHyDOハイドだが、村長に喰われた。

・The deep ones
 ディープ・ワン。十九世紀初頭、マサチューセッツ州の小さな港町インスマウスで公的に知られるようになった「インスマウス病」という伝染病のようなものに罹り、普通の人間が魚みたいな蛙みたいな醜悪な生き物に変化した状態のこと。

・The hybrid deep ones
 ハイブリッド・ディープ・ワン。その後の人体実験によりディープ・ワンを超える超人兵器として開発された存在。見た人に与える衝撃は、ディープ・ワンを凌駕する。工場の人々はHyDOハイドと呼んでいるようである。
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