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#100 帰宅するまでが遠足だよね
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ニュナムからアイシスまでは定期便なら五日。
双子月の明るさもあり夜も馬を走らせ、休憩は最低限に抑えて四日とかけずにアイシスへと到着した。
途中、魔物との遭遇も特になく、行きに比べるとかなり快適。
街道からは時折、小道が分かれている。
ラビツ追跡中は全無視だったが、それぞれの小道がウォッタやカーンさんたちの住むクーラ村や、レムやミュリエルさんたちの故郷であるクラースト村へ繋がっているのだと考えると感慨深い。
でもまあ、時間がたっぷりあったとしても、メリアンやルブルム抜きではわざわざ顔を出しには行かないのだけれど。
それにしてもディナ先輩はどことなく急がれている気配。
行きは貸馬を使っていたから町ごとに元気なのと交換して、それで無茶なペースを保てたというのはあったが、現在ショゴちゃんを牽いている馬は二頭ともナイトさん所有。
馬がバテてるからアイシスで交換というわけにはいかない。
「水や食料、灯り用の油を調達したらすぐに出発する」
それだけ言い残すと、どこかへ行かれてしまう。
やはり急いでいるよね。
こんなに移動に継ぐ移動だなんて、どこかの番組のサイコロ振る旅みたいじゃないか。
とはいえすぐに出発されるとおっしゃられているのだから、俺たちはボヤいたりせず、できることをするだけ。
マドハトと二人で淡々と準備を進める。
一ホーラほど経過した頃、ディナ先輩が再び合流。
「ルブルムたちは昨日の朝にはもうここを経ったようだ」
ということは、もう何日かしたらルブルムと再会できるってことか――などと最初に頭に浮かぶのはそれか。
自分のやるべきことを考えたら、今の俺には恋愛にうつつを抜かしているゆとりはないってのに。
これはリテルの体なのだから。
本音を言えば、下半身に節操がないラビツたちとルブルムやレムを一緒に行動させるのも嫌だった。
モクタトルが保護者としてついているとしても。
そういう非紳士的な思考は、判断力や集中力を鈍らせる。
なのであえてルブルムたちのことを考えないようにしてはいた。
それなのに。
考えだした途端に会いたい気持ちがやたらと募って困る。
会えたからって何かできるわけでもないのにな。
そう。俺はもう決めている。
チャンスがあってもリテルの体のうちは決してルブルムに手を出さないと。
あとケティとの最後の一線も、リテルが意識を取り戻すまでは、うまくごまかし続けようと。
アイシスへの到着は火の月昼週九日の昼過ぎだったが、夕方にはもう出発した。
フォーリーまでは定期便で三日の距離。
王都キャンロルまでの分岐があるアイシス一・フォーリー二の共同夜営地は翌朝に通過。
あそこの正式名称は「アイシス一・フォーリー二・キャンロル四」なのだがクスフォード虹爵領民は、なんというか王都への対抗意識なのか省略して呼ぶ傾向があるように感じる。
その日の夜には名無し森砦まで到着。
そしてそこで久々ぶりにロッキンさんと顔を合わせた。
こちらは元より通過予定だったし、ロッキンさんも砦の夜警として勤務中ということもあり、ほんの少し立ち話しただけで出発した。
もらった情報は三つ。
まず、ロッキンさんとレムはアイシス到着時点で護衛の任を解かれ、モクタトルへと引き継いだ、ということ。
モクタトルは王国直轄地コーカ・スレースにある王立魔術研究機関に勤務しており、一応「王の直属配下」であるのと、カエルレウム師匠とも顔見知りであり、何よりもグリュプスという馬とは段違いな速度の移動手段を有していること、そして極めつけはカウダ盗賊団事件の首謀者たるウォルラースが死亡したことによる危険性の低下とを受けて。
二つ目は、ルブルムたちの現在位置。
ルブルムたちは昨日の朝には名無し森砦を出発し、昨日のうちにはフォーリーに着いているだろうとのこと。
そして三つ目は、寝耳に水だったのだけれど、レムが王国兵を辞めたということ。
辞めてどうするかについてはロッキンさんは聞いていないらしい。
ロッキンさんの新しい部下の王国兵さんが、「彼女の同郷の仲間全員、あの盗賊団事件で亡くなっているからなぁ」とこぼしていたので、情報統制はうまくされているな、というのは感じた。
実はレムはあの可愛さから兵の間ではけっこうな人気があり、彼女をいつもガードしていた同郷連中の死に乗じて、慰めつつお近づきになろうとしていた王国兵は少なくなかったようで、これを俺に教えてくれた王国兵さんも狙っていたくちだったと勝手に自白してくれた。
まあレムは見た目も中身も可愛いからな――と、身内気分でちょっと鼻が高かったのはナイショ。
ここでレムへの気持ちを再確認した。
レムがほめられると俺まで嬉しいし、レムを変な男には渡したくないという気持ちはある。
レムは可愛いし、貴重な「地球に繋がっている」という共通点もある。
でも、それでも、レムに対する感情は、ルブルムに対する感情ほど昂らない。
ルブルムへの気持ちは、魂が揺り動かされるほどの、なんともいえない震えるような想いがある。
レムへの気持ちは、もっと穏やかな、家族に近い気持ち。
ずっとお兄ちゃんって呼ばれていたことも関係あるのかな。
リテルやケティへの気持ち、ルブルムへの気持ち、そしてレムへの気持ち。
そしてもう伝えたけれどチェッシャーへの気持ち。
自分の中にある感情と向き合い、整理できたことで、俺はなんというかスッキリとした気分になっていた。
タールの『魔動人形』はまだ一体残っているものの、こちら側の本体や『魔動人形』は倒して、ウォルラースも死亡した。
ラビツたちには例の呪詛打ち消し呪詛に感染してもらい、今まで遊んできた娼館を訪れてもらう旅もようやく終わりかけている。
ストウ村に広めるのはカエルレウム師匠の指導のもと、ケティが実施しているはず――握手で、というのはディナ先輩が教えてくださったこと。
何もかもうまくいったわけではなかったが、それでもなんとかリテルも、リテルの大切な人も、俺の大事な人も守れた――そう考えていた。
俺は、すっかり油断していたのだ。
名無し森砦に立ち寄ったあと、ショゴちゃんにはというか二頭の馬たちには夜通し走ってもらった。
おかげで翌朝にはフォーリーへ到着した。
その北門で、俺たちはラビツとも再会した。
ラビツはこれからギルフォドめがけて北上し、その過程でまた娼館をたくさん経由すると、少しやつれた顔で笑っていた。
「さすがに枯れかけてるよ。こりゃメリアンを満足させられねぇかもなぁ」
それでメリアンが怒らないのか、本当にメリアンがそれでいいと思っているのかってあたりはいっぺん聞いてみたい気もするのだが、余所のカップルの価値観に口を挟むのもなんだし、何より俺の方へ話を振られても困るし、ショゴちゃんの中のディナ先輩が若干苛ついているような気もしたし、長話にならないように早々に切り上げた。
ただ、ほんの少しだが、ラビツにも気配組み手を一手、ご指南いただいた。
そこで傭兵部隊入隊前に比べての成長を褒められ、俺は完全に調子に乗っていた。
そう。今思えば。
俺たちはそのままディナ先輩の屋敷前までショゴちゃんで移動した。
違和感にはすぐに気付いた。
屋敷の中に何人も居る、と。
だけどそれをディナ先輩が全く気にしていなかったので、俺は勝手に娼館の人たちかな、って判断した。
そこでちょっとだけエルーシのことを思い出した。
ディナ先輩の管理する娼館のうち何館かを取り仕切るロズさん、その弟であるエルーシは、娼婦の仕事を「奪われるだけの人生」と言い捨て、仲間と共にフォーリーを飛び出し、なぜか盗賊団に見習いとして参加し、俺たちを襲撃した際にその仲間二人を返り討ちにされて、捕縛されて、でもその後逃げ出して、ウォルラースと合流できてしまったことでずっと行動を共にし、クラーリンに魔法を習って人生を変えるのかと思いきや、再び俺たちを襲い、またもや返り討ちで本人も死に、あの夜営地襲撃事件に関わった者として、犯罪者として公的に記録された。
ロズさんはエルーシの最期を知っているのだろうか。
娼館の人たちが来ているのなら、ロズさんには会いたくないな――気まずくて。
「リテルさんも降りてください」
ウェスさんの声がした。
いつの間にか門の所まで出迎えにいらしてたのか。
だけど当のディナ先輩は一人でもう屋敷へと入るところ。
「え? 俺も、ですか?」
ウェスさんは笑顔で俺に手を差し伸べる。
もしかしてルブルムが滞在している?
いやでもこの屋敷の中の寿命の渦がルブルムなのか、そうじゃないのかどうかってくらいはわかる。
「そうです。ディナ様はこのあとクスフォード虹爵様へ謁見する準備をしますが、それに同行していただきます」
「えっと、それは……」
「ディナ様に、そういう指示を受けております」
さっきは何も言ってなかったけどな。
ただまあウェスさんがそう言うのなら、そういうことになっているのだろう。
なんか妙な感じはしたが、それならそれでディナ先輩をお待たせするわけにもいくまい。
ナイトさんにもらった礼服が早速役に立つってことか――と、俺があの礼服を取りに戻ろうとしたとき、ウェスさんが俺の手を握ってそれを止めた。
その手の冷たさに、ゾクリとした。
「早くいらしてください。まさかそのまま行かれるおつもりですか? 旅の垢を落とさずに?」
ということは、風呂に入っていけ、ということか。
フッとあの夜のことを――ディナ先輩とルブルムと風呂で開催された「勉強会」のことを思い出しかけて自分の股間がそれに反応してしまうことに驚き、ちょっと身をかがませてしまう。
物凄くベタだけどブーツの紐がほどけていないか確認するフリをしてごまかす。
「あ、あの、マドハトは……」
「ご一緒するのはリテルさんだけです。皆が出発したあと、マドハトさんお一人をここに残すわけにはいかないので、どこか別の場所でご待機願います。そして急いでください。お伺いする時間が決まっておりますので」
時間がない、という理由は本当に効く。
ディナ先輩は確かに急いでいらした。
しかも俺がさっきラビツと気配組み手をしたせいでさらにその貴重な時間が、みたいな罪悪感も湧いてきて、俺は慌ててマドハトに指示をして、ショゴちゃんから降りた。
プティに渡してあった抱き魔石に安らぎの消費命を追加し、荷物ごとマドハトに預かってもらうことにした。
マドハトは素直に南門前の広場まで移動を始める。
俺はウェスさんの導くまま、ディナ邸の中へと入る。
思えば旅の始まりにも立ち寄ったっけ。
両開きの大扉の向こう、二階までの吹き抜けになっている玄関ホールも、白いタイル貼りの床も、二階へと続く大きく幅広な正面階段も、天井から下げられたシャンデリアのような燭台も、一ヶ月近く前、旅の始まりにここを訪れたときとほとんど変わらない。
「リテルさん、こちらへ」
あの時と同じ、左側の壁にあるドアへ。
「こちらで武器防具をお預かりします」
あのときと同じ――でも、ないな。
さすがにそのくらいは気付いた。
ウェスさんの口調。
あの時とは違う。
なんというか、よそよそしいというか。
それなのに、俺は普通に装備を外した。
あの日、あのときと同じように――いや、弓と矢筒はショゴちゃんの中だ。
フード付きの外套を外し、手斧や短剣は鞘のついている頑丈な革ベルトごと外し、そして隠しナイフ付きの革のすね当てさえも。
風呂と言われているから。
あとは服とブーツだけ。
ところが、ウェスさんは、俺の腕をぎゅっと抱き寄せた。
その柔らかい谷間へと――冷たい。
なぜかウェスさんの体が、とても冷えている――そういえば、あのときも。
ディナ先輩とルブルムがクスフォード虹爵様への謁見中に、馬車で待っていた俺とウェスさん。
そういえば、あのとき受け取った金属の筒。
魔法を使えないときに役立つ麻痺毒、だっけかな。
いずれ使わざるを得ない状況に遭遇するから無駄使いするなって言われたのは、いまだに気になってはいる。
特徴は、体が麻痺して硬直する。水にとても溶けやすい。体や装備に付着したら水で速やかに洗い流すこと――ただしお湯はダメ。湯気に溶けたらそれを吸い込んだだけでも呼吸が困難になる。
そういうのはちゃんと覚えている――なのに、あろうことかその金属の筒は、背負い袋の中だ。
マドハトやプティと一緒にショゴちゃん内に置いてきた背負い袋の。
いつから俺はこんなに緩んでいた?
いつから気持ちのスイッチが切れていた?
もうあとは優勝チームの消化試合くらいの気持ちでいた。
俺の遠足はまだ終わっていない。
「あの、ウェスさん……」
今手元にないことを謝ろうとした、その俺の唇を、ウェスさんの冷たい唇が塞いだ。
「今はもう、いつものように呼んで大丈夫」
そう言いながら、ウェスさんの手が、俺の腰へと伸びる。
もう片方の手は俺の手を自身の腰へと誘導する。
ケティと最初に盛り上がったときのことを思い出す。
これは抱きしめろということなのか?
色々と操を立てたばかりだというのに――ただ、これは単に誘っているとかじゃないというのは、うかうかしていた俺でもさすがに理解している。
俺はウェスさんの腰を抱き寄せ、その腰から背中へかけて、優しく手のひらを這わせた。
ケティとのときのことを思い出しながら。
ウェスさんの体温がかなり低いのは、何らかの魔法を使っているのだろうか――いや、余計なことは考えるな。
「求められていること」をこなすことにもっと集中した方がいいに違いない。
俺は演技力とかないだろうから。
「緊張しているの? もう少し、だから」
「あ、ああ」
ウェスさんの冷たい唇に俺の方から優しく口づける。
浮かんでくる罪悪感は、寿命の渦を偽装の渦でフォローする――あのとき、ケティと抱き合った自分を思い出し、その興奮を偽装の渦に反映して上書きする。
自分の素の感情がどう寿命の渦に出ているのか知りたくて自身に『テレパシー』を繰り返して観察したおかげで、「様々な感情の乗った猿種」をうまく偽装の渦できるようにはなっているはず。
この演技をどこまで続ければ良いのかわからないが、少なくとも今、屋敷内に居る四人のうちの一人は俺たちを監視しているのだと考えて良いだろう。
ウェスさんとのイチャつきを続けながら冷静に周囲を探る。
もちろん、相手に探られていることを認識されないよう『魔力微感知』でだ。
ん?
動いてい?
このわずかな間に?
不自然な動き。
いままにないケースだが、なんというか『魔力感知』系が信用ならない気配がする。
寿命の渦の操作をずっと練習し続けてきたおかげで、この漠然とだが怪しさを感じる「第六感」的な感覚が研ぎ澄まされた気がする――ただそれのせいでかえって気が緩んで、さっきまでみたいにぼんやりしちゃってはいたのだが。
でももう油断しない――ように心がけよう。
思考しやすいように感じたものの言語化を試みる。
偽装の渦で寿命の渦を消し込むことや『魔力感知逃れの衣』に触れているときとは別の、なんというか、ズレているという感覚。
「リテル……んっ」
ウェスさんの演技に熱が増す。その体は冷たいままで。
演技だとわかっていても、この声とか柔らかさとかに勝手に股間が反応してしまう。
ずっとディナ先輩と一緒だったから、なんというか処理できていないし溜まっているんだろうな。よりによってこんなときに。
「嬉しい」
ウェスさんが腰紐を緩める。俺のと、そしてウェスさん自身のも――え、ちょっと待って。さすがにそれは。
キスまでは、ホルトゥスでは頬へならば家族や親しい間柄でもするから、「挨拶なんだこれは」とか「唇も頬の一部」とかで乗り切ることができるけれど、下はマズイ。
こんな美人なウェスさんに対しては失礼な話だが、リテルも俺も初めてだから。ケティにもルブルムにも申し訳立たないし――なんて立たせながら思うセリフじゃないけどさ。
わ、ウェスさん、ちょ――ここで押し倒されるのに抵抗するのは変だよな。
とはいえ、そこ、こすりつけないで。それ、ヤバい。
「こ、こんなところで……ディナ様に気付かれたら」
「大丈夫……そろそろだから」
わわわ。ま、まだ我慢しろ、俺。
こんなときこと本当に紳士たれ、俺!
しかしウェスさんの煽情的な動きは留まることがない。
ルブルムに弄られて発射してしまったときのあの死にたかった気持ちを思い出し、なんとか――それでも収まるところまではいかず、我慢を長持ちさせる程度だけど、出してしまうよりは。つーか、い、挿れちゃダメっ――ん?
「お楽しみのところ悪いが」
心臓が飛び出るかと思った。
この部屋の奥の扉から、突然人が入ってきたから。
しかもウェスさんがパッと俺の上からどいたために、俺の股間が丸見えに。
ディナ先輩とは違う、というのはすぐに理解できたが――見ず知らずの、しかも女性にそういう状態を見られてしまったわけで。
膝まで下ろされていたズボンを慌ててたくし上げて股間を隠す。
「寝たフリでしたら困りますゆえ、地下牢まで運んでいただきたいのですが」
寝たフリ、というのはディナ先輩のことか?
だが股間を隠しつつも俺は少しだけ冷静さを取り戻していた。
メイド服の女性を見て、さっきの『魔力微感知』で気付いた違和感の正体が少しだけ見えた。
視覚で見えている存在と、寿命の渦とがズレているのだ。
本人の位置と、寿命の渦を感じる位置とが。
しかもここは森の中ではなく人工的な建物の中なので、周囲の寿命の渦を通して確認するという方法も取れない――などと分析しつつも近くに落ちていた腰紐を手繰り寄せる。
「大丈夫。味方だから」
「味方?」
「寄らずの森の魔女様のお弟子様のお供として旅立つ前に伝えたでしょ? 魔女様の御用聞きの件」
色々と初耳だが聞いた体で、「ああ」と相槌を打つ。
自身も腰紐を拾ってズボンを履き直すウェスさんの横で、今、奥の扉から入ってきた女性をじっと見つめる。
年齢的にはちょっと上。明るい緑色っぽいくせっ毛の長髪に、ナイト商会で見たようなメイド服、灯り箱を持ち、眼鏡美人。
というか眼鏡。
ここまでの情報だけでお金持ちなのだとわかる。
さらに不敵な笑み。
「初めまして。蛙とお呼びください。そして失礼いたしました」
くるっとこちらへ背中を向ける。
今の間に慌ててズボンやら何やらを整える。
「初めまして。俺は」
「ストウ村のリテルさんでしょう? ウェスさんよりお聞きしておりますわ」
背中を向けたまま答える蛙。
蛙というのはコードネームみたいな感じなのだろうか。
それに対してあちらには、ストウ村のリテルということがバレていることの何ともいえない不安感。
「ああ、そうだ……もう振り返って構わない」
俺の言動次第ではリテルの家族へ何か危険が発生するかもしれないということが容易に想像できるから。
「そんな怖い顔なさらないでくださいな。リテルさんに嫌われてしまったら私たち困りますもの。私たちはただ、寄らずの森の魔女様へお送りになるお荷物を、私たちに任せていただきたいという、それだけですの」
魔女様の御用聞きというのはなんとなく把握できた。
しかし寝たフリとか地下牢へ運ぶとか、どう考えてもディナ先輩のことだろう。
ウェスさんがディナ先輩を裏切ったのか、そうじゃなきゃディナ先輩が承知の上でこの連中を罠にはめようとしているのか。
蝙蝠種のウェスさんだけど、ディナ先輩がさっきの館内の違和感に気付けないとか考えづらい――というか、このシナリオのために「外ではディナ先輩じゃなくディナ様と呼べ」みたいなことを言っていたのだと信じたい。
思い出せ。
俺が深く考えなかったせいで殺されてしまった人たちのことを。
今度こそ思考を絶対に止めるな。
ウェスさんに話を合わせながら、情報を引き出して状況を理解しなくてはならない。
「だとしたら、途中で邪魔をするのはいかがかと思うけれど」
こういうときの格好良さげなセリフはテニール兄貴を真似ると決めている。
「それは申し訳なく……ですが、ウェス殿ご提供の薬とやらがどれほど効くかが分かりかねましたゆえ……お楽しみは後でじっくりとお願いします」
「ごめんね、リテル。後で」
ウェスさんは蛙と名乗った女のあとをついて行く。
視界から消えた途端、二人の寿命の渦が、まるで階段を登って行くように感じる。
そこには存在しないはずの階段を。
この動きの不自然さは、なんというか寿命の渦の所有者が単体で何かしているというよりも、この館自体に何かが仕掛けられている、という印象。
ということは――『偽装魔力微感知』へと切り替える。
これは『魔力感知』を行われたときに感じる「寿命の渦が触られた」感覚を無効化するべく『魔力感知』の波自体を打ち消す波を同時に発するというもの。言うなれば『魔力感知』版偽装の渦だ。
『魔力感知』ではなく『魔力微感知』で行うのは、『魔力感知』だと出力が強すぎてうまく隠しきれないのだ。
実際には『魔力微感知』と反対位相の『魔力微感知』を同時に発しているようなもので、おかげで連続的な感知ではなくなってしまうし、かなりの集中が必要で魔法を同時に発動するのが難しいなどのデメリットもあるのだが、有用性は低くない。
『魔力微感知』でも「あると聞かされていて」なおかつ集中した状態ならば感じられると言っていたディナ先輩ですら、この『偽装魔力微感知』は「わからなくなった」と言ったほどの効果だから。
平和なショゴちゃん旅の帰路中にがっつり練習した成果を今こそ見せるとき。
『偽装魔力微感知』へ切り替えた途端、違和感がより鮮明になる――見つけたのだ。
片方の『魔力微感知』は変な場所から寿命の渦を感知してきたのだが、逆位相の方は反応が違った。逆位相とは言っても一応そっちも『魔力微感知』ではあるわけで、寿命の渦を感知できはするのだ。
この部屋に一人、居る。
あの棚の内側。恐らくそこに一人隠れている。
ということから逆算すると、距離が離れるほど正常『魔力感知』系のズレは、距離が離れるほど実際の寿命の渦と乖離が大きくなるという感じか。
しかもその法則も少し見えてきている。
ウェスさんと蛙は、恐らく「眠っている」ディナ先輩が居る風呂場へと向かっている。それが上の方へと上がってゆくように感じるのは、なんというか空間の軸自体が交換されている、という印象。
それだけじゃないとは思うけれど、魔法効果は単純なほどコスパが良い。もしもとんでもない効果を求めたならば、その必要とされる魔法代償は膨大になる。
となると、空間の縦横高さをX軸、Y軸、Z軸として、これを入れ替えた偽空間を感じ取らせる、みたいな。しかも、単純にその距離を比例して伸ばしているようにも感じる。遠ざかる速度からすると。
数学得意な奴なんだろうな、こんな発想できる奴――というか、魔術師が敵方に居るのは確定。
そんな奴らを館の中に入れて、ディナ先輩まであんな状態で。
罠を張ろうってんなら、そいつはそれだけやらないと出てこないってことだよな?
だとしたらそいつが出てくるまでは俺も我慢しないといけないってことだよな――だから、この部屋に居る一人にも気付かないフリを続けているし。
現状把握を先にしてしまおう。
脳内に空間のズレを戻した館イメージを構築して、本来居るであろう寿命の渦を再配置する。
以前ならば頭がこんがらがっていたと思うんだけど、常に『魔力微感知』や『魔力感知』を実施し続けるクセをつけた後は、空間把握能力がとても磨かれた気がするんだよね。
ということで再確認。
風呂場に三人は、昏睡ディナ先輩と、ウェスさんと蛙。
この部屋には俺ともう一人だが、このもう一人は、かなり寿命の渦を消し込んでいる。偽装の渦だろうか。
『偽装魔力微感知』は位相の真逆な二重の『魔力微感知』なのだが、その一方しか打ち消せていないからだ。
想定外の向こうにあるものへは対策しづらい、ということなのだろうな。
だがそれはそのまま俺自身にも当てはまる。
常に想定外のことを意識すること。思考を止めないこと。
では俺は、俺の役割は何をすることだ?
ウェスさんは「後で」とは言ったが、「来るな」とは言っていない。
ウェスさんと一緒に何か企んでいる男はどのように行動するべきか。
実際にあるのかどうか知らないが、寄らずの森の魔女様は、そこへ荷物を運ぶ者へ許可書を渡していて、実際それはマクミラ師匠なのだが、俺も何度かご一緒している――から、マクミラ師匠も引退とか、そういう筋書きにしてある可能性はある。
カエルレウム師匠は必要なものは領主さまから支給されるようなことをおっしゃっていたが、恐らくそれは間にディナ先輩が業者として入っているということなのだろう。
蛙の身なりを考えると、ディナ先輩と取って代わろうとしている相手はそれなりの金持ちだ。
それなのに館に入ってくる配置されている人数が少ないのは、他人を信用していない可能性と、派遣している少数の個々の能力が高いという可能性も考えられる。
それを踏まえた上で「俺」はキャラ設定はどうするべきか。
まず欲望に忠実で、その欲望のために目上の者を排除することを厭わないこと。
また、ストウ村というこの国の他の村々に比べて比較的豊かで平和な地域に育った村人であり、戦場を知らず、そのことで甘えや軽率さが残っていても不自然ではないだろう。
バレる前に戦闘が始まったとき、どのくらいの反応速度に押さえるべきか。
ああそうだ。多少、愚かでもいいよな。
「ディナ先輩が意識を失っている」のであれば、俺がそれを目撃しても問題ないって思うような。
「待てよ。風呂場ってことは裸なんだよな……」
ゲスっぽく呟く。いかにも独り言ですよって感じに。
俺は立ち上がり、さも興味本位のような感じで奥の扉を開けて廊下へ出て、後ろ手に閉める。
これで部屋の中のやつは出てくるときに扉を開ける一手を消費せざるを得なくなる。
さて、と。
さっき想定した通りに、廊下の向こうに人影。
するともう一人が地下牢のあたりというのは確定かな。
しかもあの辺りって、地下牢へと通じる階段の前だったはず。
ただ、そいつの見るからに危険そうな姿には、正直うんざりする。
異様な巨体。通路が狭く感じるほど。
恐らくメリアンよりもデカいだろう。ただ、マッチョダルマというよりは、だらしない感じの肥満といった表現の方が近い。
加えて面倒なことに、そいつは俺を見るなり雄叫びをあげ、そして突進してきた。
● 主な登場者
・有主利照/リテル
猿種、十五歳。リテルの体と記憶、利照の自意識と記憶とを持つ魔術師見習い。レムールのポーとも契約。
傭兵部隊を勇気除隊し、ウォルラースとタールを倒した。地球の家族へ最初で最後のメッセージを送ったが、その記憶はない。
・プティ
ロービンからもらったドラコの卵を、リテルが孵して生まれてきた。リテルに懐いている。しらばくは消費命が主食。
・ケティ
リテルの幼馴染の女子。猿種、十六歳。黒い瞳に黒髪、肌は日焼けで薄い褐色の美人。胸も大きくリテルとは両想い。
フォーリーから合流したがリテルたちの足を引っ張りたくないと引き返した。ウォルラースの牙をディナへ届けた。
・ラビツ
イケメンではないが大人の色気があり強者感を出している鼠種の兎亜種。
高名な傭兵集団「ヴォールパール自警団」に所属する傭兵。二つ名は「胸漁り」。現在は謝罪行脚中。
・マドハト
ゴブリン魔法『取り替え子』の被害者。ゴド村の住人。取り戻した犬種の体は最近は丈夫に。
地球で飼っていたコーギーのハッタに似ている。ゴブリン魔法を使える。傭兵部隊を勇気除隊。現在はプティを預かっている。
・ルブルム
魔女様の弟子である赤髪の少女。整った顔立ちのクールビューティー。華奢な猿種。
魔法も戦闘もレベルが高く、知的好奇心も旺盛。親しい人を傷つけてしまっていると自分を責めがち。
・アルブム
魔女様の弟子である白髪に銀の瞳の少女。鼠種の兎亜種。
外見はリテルよりも二、三歳若い。知的好奇心が旺盛。
・カエルレウム
寄らずの森の魔女様。深い青のストレートロングの髪が膝くらいまである猿種。
ルブルムとアルブムをホムンクルスとして生み出し、リテルの魔法の師匠となった。
・ディナ
カエルレウムの弟子。ルブルムの先輩にあたる。重度で極度の男嫌い。壮絶な過去があった。
アールヴを母に持ち、猿種を父に持つ。精霊と契約している。現在は何やら意図があってだろうが昏睡中。
・ディナの母
アールヴという閉鎖的な種族ながら、猿種に恋をしてディナを生んだ。名はネスタエアイン。
キカイー白爵の館からディナを逃がすために死に、タールにより『魔動人形』化された。現在は灰に。
・ウェス
ディナに仕えており、御者の他、幅広く仕事をこなす。肌は浅黒く、ショートカットのお姉さん。蝙蝠種。
魔法を使えないときのためにと麻痺毒の入った金属製の筒をくれた。ディナの館に怪しい連中を招き入れていた。
・タール
元ギルフォド第一傭兵大隊隊長。『虫の牙』でディナに呪詛の傷を付け、フラマとオストレアの父の仇でもある。
地界出身の魔人。種族はナベリウス。『魔動人形』化したネスタエアイン内に居たタールはようやく処理された。
・メリアン
ディナ先輩が手配した護衛。ラビツとは傭兵仲間で婚約者。ものすごい筋肉と角と副乳とを持つ牛種の半返りの女傭兵。知識も豊富で頼れる。二つ名は「噛み千切る壁」。現在はギルフォド第一傭兵大隊隊長代理。
・ロッキン
名無し森砦の守備隊第二隊副隊長であり勲爵。フライ濁爵の三男。夢は世界図書館勤務。
婚約者のためにヴィルジナリスの誓いを立てている。ルブルムの護衛として同行していたが現在は任を解かれた。
・レム
爬虫種。胸が大きい。バータフラ世代の五人目の生き残り。不本意ながら盗賊団に加担していた。
同じく仕方なく加担していたミンを殺したウォルラースを憎んでいる。トシテルの心の妹。砦の兵士を除隊したらしい。
・ウォルラース
キカイーがディナたちに興味を示すよう唆した張本人。金のためならば平気で人を殺すが、とうとう死亡した。
ダイクの作った盗賊団に一枚噛んでいた。海象種の半返り。クラーリンともファウンとも旧知の仲であった。
・ナイト
初老の馬種。地球では親の工場で働いていた日本人、喜多山馬吉。
2016年、四十五歳の誕生日にこちらへ転生してきた。今は発明家として過ごしているが、ナイト商会のトップである。
・エルーシ
ディナが管理する娼婦街の元締め、ロズの弟である羊種。娼館で働くのが嫌で飛び出した。
共に盗賊団に入団した仲間を失い逃走中だった。使い魔にしたカッツァリーダや『発火』で夜襲をかけてきたが、死亡。
・クラーリン
グリニーに惚れている魔術師。猫種。目がギョロついているおじさん。グリニーを救うためにウォルラースに協力。
チェッシャーやリテルやエルーシに魔法や魔術師としての心構えを教えた。ホルトゥスと地球との繋がりを紐解くきっかけを作った。
・グリニー
チェッシャーの姉。猫種。美人だが病気でやつれている。その病とは魔術特異症に起因するものらしい。
現在かなり弱っており、クラーリンが魔法で延命しなければ危険な状況だったが、クラーリンと利照のおかげで回復。
・チェッシャー
姉の薬を買うための寿命売りでフォーリーへ向かう途中、野盗に襲われ街道脇に逃げ込んでいたのをリテルに救われた。
猫種の半返りの女子。宵闇通りで娼婦をしているが魔法を使い貞操は守り抜いている。リテルに告白した。
・テニール兄貴
ストウ村の門番。犬種の男性。リテルにとって素手や武器での近接戦闘を教えてくれる兄貴分。
フォーリーで領兵をしたのち、傭兵を経て、嫁を連れて故郷へ戻ってきた。実績紋持ち。
・マクミラ師匠
ストウ村の住人。リテルにとって狩人の師匠。猿種の男性。かなりの紳士。実績紋持ち。
出身はストウ村ではなく、若い頃は定期便の護衛をしながら旅をしていた。
・レムール
レムールは単数形で、複数形はレムルースとなる。地界に生息する、肉体を持たず精神だけの種族。
自身の能力を提供することにより肉体を持つ生命体と共生する。『虫の牙』による呪詛傷は、強制召喚されたレムールだった。
・ショゴウキ号
ナイト(キタヤマ)がリテルに貸し出した特別な馬車。「ショゴちゃん」と呼ばれる。現在はルブルムが使用。
板バネのサスペンション、藁クッション付き椅子、つり革、床下隠し収納等々便利機能の他、魔法的機能まで搭載。
・ドラコ
古い表現ではドラコーン。魔術師や王侯貴族に大人気の、いわゆるドラゴン。リテルはその卵をロービンよりもらった。
卵は手のひらよりちょっと大きいくらいで、孵化に必要な魔法代償を与えられるまで、石のような状態を維持する。
・ロービン
マッチョ爽やかイケメンなホブゴブリン。メリアンと同じくらい強い。正義の心にあふれている。
マドハトと意気投合し、スノドロッフ村の子どもたちを守ったリテルに感謝している。リテルにドラコの卵をくれた。
・モクタトル
スキンヘッドの精悍な中年男性魔術師。眉毛は赤い猿種。呪詛解除の呪詛をカエルレウムより託されて来た。
ホムンクルスの材料となる精を提供したため、ルブルムを娘のように大切にしている。
・トリニティ
モクタトルと使い魔契約をしているグリュプス。人なら三人くらい乗せて飛べる。
・蛙
ディナ邸に居た謎のメイド服な眼鏡美人。緑色の髪の毛はクセっ毛の長髪。ウェスと一緒にディナをどうにかしようとしている、っぽい。
・大男
ディナ邸に居た謎の大男。メリアンをしのぐ巨大だが、だらしない肥満。いきなり突進してきた。
■ はみ出しコラム【スノドロッフの魔法】
今回も、リテル以外の登場人物が使用する魔法を紹介する。
こちらは、スノドロッフ村に所属する者たちが使う魔法の一覧であり、全ての魔法を全ての村人が使うわけではない。
一部、物語内で使用されていない魔法も含まれている。
・『遠回りの掟』:物質を空間に固定する魔法。実際には「慣性の法則」を(地球時間にて)12秒ほど、別次元を経由させて戻している。効果としては「物体を空間に固定する」のだが、その考え方というのが、動いている物体の「勢い」だけをこの世界じゃないどこかへ「遠回り」させることによって、その「遠回り」期間中はこっちの世界におけるその物体は、空中に静止している、ことになる。それなりの大きさの非生命体を対象にできる。リテルは、教えてもらったこの魔法を(『弱火』のように)解釈し、大きさと時間を変換できるようにした。ちなみに基本の対象サイズは、最大、四インファス。対象の大きさと時間は反比例したりしない。ちなみに「勢い」は完全にホルトゥス外へ行ってしまっていて、効果時間内に物質へ何か力を加えても、それが蓄積されたり戻ってきた「勢い」に影響を及ぼしたりはしない。
・『接触発動』:何かに触れたら発動する魔法を封じる魔法。単体では意味がない。
・『スノドロッフの赤い花』:スノドロッフ村の人々に危害を加えようとする敵に対して血を花のように弾けさせる。対象者以外の者への警告の意味もある。スノドロッフへの敵対者ではない者や、スノドロッフから離れた場所で使用する場合は、そのダメージが減少する。
・『スノドロッフの怒り』:『接触発動』と『スノドロッフの赤い花』とを複合させた魔術。矢や槍の先端に付与することが多い。
・『燃える夢』:枯れ枝などに用いる魔法で、その枝の大きさにより魔法代償が異なる。「その枝に、火を点けたときの夢を見せる」効果があり、実際の効果は、その枝が見た夢の中の光が、風や水などで消えず、熱も出さない炎として、夢の外側、つまり現実世界へと漏れ出て周囲を照らす。実際に枝が燃えるわけではないが、夢が終わった枝は、夢を見終えたあと、実際に燃え尽きたように黒い崩れてしまうことが多い。
・『零番星』:目的地をマーキングする魔法。発動時に星の色を決める。目的地には魔石が必要。一度使うと魔法は待機状態になる。維持には一日に一ディエス消費する。一日継続。
・『零星見』:発動時に星の色を指定。『零番星』を発動した魔石からの距離と方角とを知ることができる。
双子月の明るさもあり夜も馬を走らせ、休憩は最低限に抑えて四日とかけずにアイシスへと到着した。
途中、魔物との遭遇も特になく、行きに比べるとかなり快適。
街道からは時折、小道が分かれている。
ラビツ追跡中は全無視だったが、それぞれの小道がウォッタやカーンさんたちの住むクーラ村や、レムやミュリエルさんたちの故郷であるクラースト村へ繋がっているのだと考えると感慨深い。
でもまあ、時間がたっぷりあったとしても、メリアンやルブルム抜きではわざわざ顔を出しには行かないのだけれど。
それにしてもディナ先輩はどことなく急がれている気配。
行きは貸馬を使っていたから町ごとに元気なのと交換して、それで無茶なペースを保てたというのはあったが、現在ショゴちゃんを牽いている馬は二頭ともナイトさん所有。
馬がバテてるからアイシスで交換というわけにはいかない。
「水や食料、灯り用の油を調達したらすぐに出発する」
それだけ言い残すと、どこかへ行かれてしまう。
やはり急いでいるよね。
こんなに移動に継ぐ移動だなんて、どこかの番組のサイコロ振る旅みたいじゃないか。
とはいえすぐに出発されるとおっしゃられているのだから、俺たちはボヤいたりせず、できることをするだけ。
マドハトと二人で淡々と準備を進める。
一ホーラほど経過した頃、ディナ先輩が再び合流。
「ルブルムたちは昨日の朝にはもうここを経ったようだ」
ということは、もう何日かしたらルブルムと再会できるってことか――などと最初に頭に浮かぶのはそれか。
自分のやるべきことを考えたら、今の俺には恋愛にうつつを抜かしているゆとりはないってのに。
これはリテルの体なのだから。
本音を言えば、下半身に節操がないラビツたちとルブルムやレムを一緒に行動させるのも嫌だった。
モクタトルが保護者としてついているとしても。
そういう非紳士的な思考は、判断力や集中力を鈍らせる。
なのであえてルブルムたちのことを考えないようにしてはいた。
それなのに。
考えだした途端に会いたい気持ちがやたらと募って困る。
会えたからって何かできるわけでもないのにな。
そう。俺はもう決めている。
チャンスがあってもリテルの体のうちは決してルブルムに手を出さないと。
あとケティとの最後の一線も、リテルが意識を取り戻すまでは、うまくごまかし続けようと。
アイシスへの到着は火の月昼週九日の昼過ぎだったが、夕方にはもう出発した。
フォーリーまでは定期便で三日の距離。
王都キャンロルまでの分岐があるアイシス一・フォーリー二の共同夜営地は翌朝に通過。
あそこの正式名称は「アイシス一・フォーリー二・キャンロル四」なのだがクスフォード虹爵領民は、なんというか王都への対抗意識なのか省略して呼ぶ傾向があるように感じる。
その日の夜には名無し森砦まで到着。
そしてそこで久々ぶりにロッキンさんと顔を合わせた。
こちらは元より通過予定だったし、ロッキンさんも砦の夜警として勤務中ということもあり、ほんの少し立ち話しただけで出発した。
もらった情報は三つ。
まず、ロッキンさんとレムはアイシス到着時点で護衛の任を解かれ、モクタトルへと引き継いだ、ということ。
モクタトルは王国直轄地コーカ・スレースにある王立魔術研究機関に勤務しており、一応「王の直属配下」であるのと、カエルレウム師匠とも顔見知りであり、何よりもグリュプスという馬とは段違いな速度の移動手段を有していること、そして極めつけはカウダ盗賊団事件の首謀者たるウォルラースが死亡したことによる危険性の低下とを受けて。
二つ目は、ルブルムたちの現在位置。
ルブルムたちは昨日の朝には名無し森砦を出発し、昨日のうちにはフォーリーに着いているだろうとのこと。
そして三つ目は、寝耳に水だったのだけれど、レムが王国兵を辞めたということ。
辞めてどうするかについてはロッキンさんは聞いていないらしい。
ロッキンさんの新しい部下の王国兵さんが、「彼女の同郷の仲間全員、あの盗賊団事件で亡くなっているからなぁ」とこぼしていたので、情報統制はうまくされているな、というのは感じた。
実はレムはあの可愛さから兵の間ではけっこうな人気があり、彼女をいつもガードしていた同郷連中の死に乗じて、慰めつつお近づきになろうとしていた王国兵は少なくなかったようで、これを俺に教えてくれた王国兵さんも狙っていたくちだったと勝手に自白してくれた。
まあレムは見た目も中身も可愛いからな――と、身内気分でちょっと鼻が高かったのはナイショ。
ここでレムへの気持ちを再確認した。
レムがほめられると俺まで嬉しいし、レムを変な男には渡したくないという気持ちはある。
レムは可愛いし、貴重な「地球に繋がっている」という共通点もある。
でも、それでも、レムに対する感情は、ルブルムに対する感情ほど昂らない。
ルブルムへの気持ちは、魂が揺り動かされるほどの、なんともいえない震えるような想いがある。
レムへの気持ちは、もっと穏やかな、家族に近い気持ち。
ずっとお兄ちゃんって呼ばれていたことも関係あるのかな。
リテルやケティへの気持ち、ルブルムへの気持ち、そしてレムへの気持ち。
そしてもう伝えたけれどチェッシャーへの気持ち。
自分の中にある感情と向き合い、整理できたことで、俺はなんというかスッキリとした気分になっていた。
タールの『魔動人形』はまだ一体残っているものの、こちら側の本体や『魔動人形』は倒して、ウォルラースも死亡した。
ラビツたちには例の呪詛打ち消し呪詛に感染してもらい、今まで遊んできた娼館を訪れてもらう旅もようやく終わりかけている。
ストウ村に広めるのはカエルレウム師匠の指導のもと、ケティが実施しているはず――握手で、というのはディナ先輩が教えてくださったこと。
何もかもうまくいったわけではなかったが、それでもなんとかリテルも、リテルの大切な人も、俺の大事な人も守れた――そう考えていた。
俺は、すっかり油断していたのだ。
名無し森砦に立ち寄ったあと、ショゴちゃんにはというか二頭の馬たちには夜通し走ってもらった。
おかげで翌朝にはフォーリーへ到着した。
その北門で、俺たちはラビツとも再会した。
ラビツはこれからギルフォドめがけて北上し、その過程でまた娼館をたくさん経由すると、少しやつれた顔で笑っていた。
「さすがに枯れかけてるよ。こりゃメリアンを満足させられねぇかもなぁ」
それでメリアンが怒らないのか、本当にメリアンがそれでいいと思っているのかってあたりはいっぺん聞いてみたい気もするのだが、余所のカップルの価値観に口を挟むのもなんだし、何より俺の方へ話を振られても困るし、ショゴちゃんの中のディナ先輩が若干苛ついているような気もしたし、長話にならないように早々に切り上げた。
ただ、ほんの少しだが、ラビツにも気配組み手を一手、ご指南いただいた。
そこで傭兵部隊入隊前に比べての成長を褒められ、俺は完全に調子に乗っていた。
そう。今思えば。
俺たちはそのままディナ先輩の屋敷前までショゴちゃんで移動した。
違和感にはすぐに気付いた。
屋敷の中に何人も居る、と。
だけどそれをディナ先輩が全く気にしていなかったので、俺は勝手に娼館の人たちかな、って判断した。
そこでちょっとだけエルーシのことを思い出した。
ディナ先輩の管理する娼館のうち何館かを取り仕切るロズさん、その弟であるエルーシは、娼婦の仕事を「奪われるだけの人生」と言い捨て、仲間と共にフォーリーを飛び出し、なぜか盗賊団に見習いとして参加し、俺たちを襲撃した際にその仲間二人を返り討ちにされて、捕縛されて、でもその後逃げ出して、ウォルラースと合流できてしまったことでずっと行動を共にし、クラーリンに魔法を習って人生を変えるのかと思いきや、再び俺たちを襲い、またもや返り討ちで本人も死に、あの夜営地襲撃事件に関わった者として、犯罪者として公的に記録された。
ロズさんはエルーシの最期を知っているのだろうか。
娼館の人たちが来ているのなら、ロズさんには会いたくないな――気まずくて。
「リテルさんも降りてください」
ウェスさんの声がした。
いつの間にか門の所まで出迎えにいらしてたのか。
だけど当のディナ先輩は一人でもう屋敷へと入るところ。
「え? 俺も、ですか?」
ウェスさんは笑顔で俺に手を差し伸べる。
もしかしてルブルムが滞在している?
いやでもこの屋敷の中の寿命の渦がルブルムなのか、そうじゃないのかどうかってくらいはわかる。
「そうです。ディナ様はこのあとクスフォード虹爵様へ謁見する準備をしますが、それに同行していただきます」
「えっと、それは……」
「ディナ様に、そういう指示を受けております」
さっきは何も言ってなかったけどな。
ただまあウェスさんがそう言うのなら、そういうことになっているのだろう。
なんか妙な感じはしたが、それならそれでディナ先輩をお待たせするわけにもいくまい。
ナイトさんにもらった礼服が早速役に立つってことか――と、俺があの礼服を取りに戻ろうとしたとき、ウェスさんが俺の手を握ってそれを止めた。
その手の冷たさに、ゾクリとした。
「早くいらしてください。まさかそのまま行かれるおつもりですか? 旅の垢を落とさずに?」
ということは、風呂に入っていけ、ということか。
フッとあの夜のことを――ディナ先輩とルブルムと風呂で開催された「勉強会」のことを思い出しかけて自分の股間がそれに反応してしまうことに驚き、ちょっと身をかがませてしまう。
物凄くベタだけどブーツの紐がほどけていないか確認するフリをしてごまかす。
「あ、あの、マドハトは……」
「ご一緒するのはリテルさんだけです。皆が出発したあと、マドハトさんお一人をここに残すわけにはいかないので、どこか別の場所でご待機願います。そして急いでください。お伺いする時間が決まっておりますので」
時間がない、という理由は本当に効く。
ディナ先輩は確かに急いでいらした。
しかも俺がさっきラビツと気配組み手をしたせいでさらにその貴重な時間が、みたいな罪悪感も湧いてきて、俺は慌ててマドハトに指示をして、ショゴちゃんから降りた。
プティに渡してあった抱き魔石に安らぎの消費命を追加し、荷物ごとマドハトに預かってもらうことにした。
マドハトは素直に南門前の広場まで移動を始める。
俺はウェスさんの導くまま、ディナ邸の中へと入る。
思えば旅の始まりにも立ち寄ったっけ。
両開きの大扉の向こう、二階までの吹き抜けになっている玄関ホールも、白いタイル貼りの床も、二階へと続く大きく幅広な正面階段も、天井から下げられたシャンデリアのような燭台も、一ヶ月近く前、旅の始まりにここを訪れたときとほとんど変わらない。
「リテルさん、こちらへ」
あの時と同じ、左側の壁にあるドアへ。
「こちらで武器防具をお預かりします」
あのときと同じ――でも、ないな。
さすがにそのくらいは気付いた。
ウェスさんの口調。
あの時とは違う。
なんというか、よそよそしいというか。
それなのに、俺は普通に装備を外した。
あの日、あのときと同じように――いや、弓と矢筒はショゴちゃんの中だ。
フード付きの外套を外し、手斧や短剣は鞘のついている頑丈な革ベルトごと外し、そして隠しナイフ付きの革のすね当てさえも。
風呂と言われているから。
あとは服とブーツだけ。
ところが、ウェスさんは、俺の腕をぎゅっと抱き寄せた。
その柔らかい谷間へと――冷たい。
なぜかウェスさんの体が、とても冷えている――そういえば、あのときも。
ディナ先輩とルブルムがクスフォード虹爵様への謁見中に、馬車で待っていた俺とウェスさん。
そういえば、あのとき受け取った金属の筒。
魔法を使えないときに役立つ麻痺毒、だっけかな。
いずれ使わざるを得ない状況に遭遇するから無駄使いするなって言われたのは、いまだに気になってはいる。
特徴は、体が麻痺して硬直する。水にとても溶けやすい。体や装備に付着したら水で速やかに洗い流すこと――ただしお湯はダメ。湯気に溶けたらそれを吸い込んだだけでも呼吸が困難になる。
そういうのはちゃんと覚えている――なのに、あろうことかその金属の筒は、背負い袋の中だ。
マドハトやプティと一緒にショゴちゃん内に置いてきた背負い袋の。
いつから俺はこんなに緩んでいた?
いつから気持ちのスイッチが切れていた?
もうあとは優勝チームの消化試合くらいの気持ちでいた。
俺の遠足はまだ終わっていない。
「あの、ウェスさん……」
今手元にないことを謝ろうとした、その俺の唇を、ウェスさんの冷たい唇が塞いだ。
「今はもう、いつものように呼んで大丈夫」
そう言いながら、ウェスさんの手が、俺の腰へと伸びる。
もう片方の手は俺の手を自身の腰へと誘導する。
ケティと最初に盛り上がったときのことを思い出す。
これは抱きしめろということなのか?
色々と操を立てたばかりだというのに――ただ、これは単に誘っているとかじゃないというのは、うかうかしていた俺でもさすがに理解している。
俺はウェスさんの腰を抱き寄せ、その腰から背中へかけて、優しく手のひらを這わせた。
ケティとのときのことを思い出しながら。
ウェスさんの体温がかなり低いのは、何らかの魔法を使っているのだろうか――いや、余計なことは考えるな。
「求められていること」をこなすことにもっと集中した方がいいに違いない。
俺は演技力とかないだろうから。
「緊張しているの? もう少し、だから」
「あ、ああ」
ウェスさんの冷たい唇に俺の方から優しく口づける。
浮かんでくる罪悪感は、寿命の渦を偽装の渦でフォローする――あのとき、ケティと抱き合った自分を思い出し、その興奮を偽装の渦に反映して上書きする。
自分の素の感情がどう寿命の渦に出ているのか知りたくて自身に『テレパシー』を繰り返して観察したおかげで、「様々な感情の乗った猿種」をうまく偽装の渦できるようにはなっているはず。
この演技をどこまで続ければ良いのかわからないが、少なくとも今、屋敷内に居る四人のうちの一人は俺たちを監視しているのだと考えて良いだろう。
ウェスさんとのイチャつきを続けながら冷静に周囲を探る。
もちろん、相手に探られていることを認識されないよう『魔力微感知』でだ。
ん?
動いてい?
このわずかな間に?
不自然な動き。
いままにないケースだが、なんというか『魔力感知』系が信用ならない気配がする。
寿命の渦の操作をずっと練習し続けてきたおかげで、この漠然とだが怪しさを感じる「第六感」的な感覚が研ぎ澄まされた気がする――ただそれのせいでかえって気が緩んで、さっきまでみたいにぼんやりしちゃってはいたのだが。
でももう油断しない――ように心がけよう。
思考しやすいように感じたものの言語化を試みる。
偽装の渦で寿命の渦を消し込むことや『魔力感知逃れの衣』に触れているときとは別の、なんというか、ズレているという感覚。
「リテル……んっ」
ウェスさんの演技に熱が増す。その体は冷たいままで。
演技だとわかっていても、この声とか柔らかさとかに勝手に股間が反応してしまう。
ずっとディナ先輩と一緒だったから、なんというか処理できていないし溜まっているんだろうな。よりによってこんなときに。
「嬉しい」
ウェスさんが腰紐を緩める。俺のと、そしてウェスさん自身のも――え、ちょっと待って。さすがにそれは。
キスまでは、ホルトゥスでは頬へならば家族や親しい間柄でもするから、「挨拶なんだこれは」とか「唇も頬の一部」とかで乗り切ることができるけれど、下はマズイ。
こんな美人なウェスさんに対しては失礼な話だが、リテルも俺も初めてだから。ケティにもルブルムにも申し訳立たないし――なんて立たせながら思うセリフじゃないけどさ。
わ、ウェスさん、ちょ――ここで押し倒されるのに抵抗するのは変だよな。
とはいえ、そこ、こすりつけないで。それ、ヤバい。
「こ、こんなところで……ディナ様に気付かれたら」
「大丈夫……そろそろだから」
わわわ。ま、まだ我慢しろ、俺。
こんなときこと本当に紳士たれ、俺!
しかしウェスさんの煽情的な動きは留まることがない。
ルブルムに弄られて発射してしまったときのあの死にたかった気持ちを思い出し、なんとか――それでも収まるところまではいかず、我慢を長持ちさせる程度だけど、出してしまうよりは。つーか、い、挿れちゃダメっ――ん?
「お楽しみのところ悪いが」
心臓が飛び出るかと思った。
この部屋の奥の扉から、突然人が入ってきたから。
しかもウェスさんがパッと俺の上からどいたために、俺の股間が丸見えに。
ディナ先輩とは違う、というのはすぐに理解できたが――見ず知らずの、しかも女性にそういう状態を見られてしまったわけで。
膝まで下ろされていたズボンを慌ててたくし上げて股間を隠す。
「寝たフリでしたら困りますゆえ、地下牢まで運んでいただきたいのですが」
寝たフリ、というのはディナ先輩のことか?
だが股間を隠しつつも俺は少しだけ冷静さを取り戻していた。
メイド服の女性を見て、さっきの『魔力微感知』で気付いた違和感の正体が少しだけ見えた。
視覚で見えている存在と、寿命の渦とがズレているのだ。
本人の位置と、寿命の渦を感じる位置とが。
しかもここは森の中ではなく人工的な建物の中なので、周囲の寿命の渦を通して確認するという方法も取れない――などと分析しつつも近くに落ちていた腰紐を手繰り寄せる。
「大丈夫。味方だから」
「味方?」
「寄らずの森の魔女様のお弟子様のお供として旅立つ前に伝えたでしょ? 魔女様の御用聞きの件」
色々と初耳だが聞いた体で、「ああ」と相槌を打つ。
自身も腰紐を拾ってズボンを履き直すウェスさんの横で、今、奥の扉から入ってきた女性をじっと見つめる。
年齢的にはちょっと上。明るい緑色っぽいくせっ毛の長髪に、ナイト商会で見たようなメイド服、灯り箱を持ち、眼鏡美人。
というか眼鏡。
ここまでの情報だけでお金持ちなのだとわかる。
さらに不敵な笑み。
「初めまして。蛙とお呼びください。そして失礼いたしました」
くるっとこちらへ背中を向ける。
今の間に慌ててズボンやら何やらを整える。
「初めまして。俺は」
「ストウ村のリテルさんでしょう? ウェスさんよりお聞きしておりますわ」
背中を向けたまま答える蛙。
蛙というのはコードネームみたいな感じなのだろうか。
それに対してあちらには、ストウ村のリテルということがバレていることの何ともいえない不安感。
「ああ、そうだ……もう振り返って構わない」
俺の言動次第ではリテルの家族へ何か危険が発生するかもしれないということが容易に想像できるから。
「そんな怖い顔なさらないでくださいな。リテルさんに嫌われてしまったら私たち困りますもの。私たちはただ、寄らずの森の魔女様へお送りになるお荷物を、私たちに任せていただきたいという、それだけですの」
魔女様の御用聞きというのはなんとなく把握できた。
しかし寝たフリとか地下牢へ運ぶとか、どう考えてもディナ先輩のことだろう。
ウェスさんがディナ先輩を裏切ったのか、そうじゃなきゃディナ先輩が承知の上でこの連中を罠にはめようとしているのか。
蝙蝠種のウェスさんだけど、ディナ先輩がさっきの館内の違和感に気付けないとか考えづらい――というか、このシナリオのために「外ではディナ先輩じゃなくディナ様と呼べ」みたいなことを言っていたのだと信じたい。
思い出せ。
俺が深く考えなかったせいで殺されてしまった人たちのことを。
今度こそ思考を絶対に止めるな。
ウェスさんに話を合わせながら、情報を引き出して状況を理解しなくてはならない。
「だとしたら、途中で邪魔をするのはいかがかと思うけれど」
こういうときの格好良さげなセリフはテニール兄貴を真似ると決めている。
「それは申し訳なく……ですが、ウェス殿ご提供の薬とやらがどれほど効くかが分かりかねましたゆえ……お楽しみは後でじっくりとお願いします」
「ごめんね、リテル。後で」
ウェスさんは蛙と名乗った女のあとをついて行く。
視界から消えた途端、二人の寿命の渦が、まるで階段を登って行くように感じる。
そこには存在しないはずの階段を。
この動きの不自然さは、なんというか寿命の渦の所有者が単体で何かしているというよりも、この館自体に何かが仕掛けられている、という印象。
ということは――『偽装魔力微感知』へと切り替える。
これは『魔力感知』を行われたときに感じる「寿命の渦が触られた」感覚を無効化するべく『魔力感知』の波自体を打ち消す波を同時に発するというもの。言うなれば『魔力感知』版偽装の渦だ。
『魔力感知』ではなく『魔力微感知』で行うのは、『魔力感知』だと出力が強すぎてうまく隠しきれないのだ。
実際には『魔力微感知』と反対位相の『魔力微感知』を同時に発しているようなもので、おかげで連続的な感知ではなくなってしまうし、かなりの集中が必要で魔法を同時に発動するのが難しいなどのデメリットもあるのだが、有用性は低くない。
『魔力微感知』でも「あると聞かされていて」なおかつ集中した状態ならば感じられると言っていたディナ先輩ですら、この『偽装魔力微感知』は「わからなくなった」と言ったほどの効果だから。
平和なショゴちゃん旅の帰路中にがっつり練習した成果を今こそ見せるとき。
『偽装魔力微感知』へ切り替えた途端、違和感がより鮮明になる――見つけたのだ。
片方の『魔力微感知』は変な場所から寿命の渦を感知してきたのだが、逆位相の方は反応が違った。逆位相とは言っても一応そっちも『魔力微感知』ではあるわけで、寿命の渦を感知できはするのだ。
この部屋に一人、居る。
あの棚の内側。恐らくそこに一人隠れている。
ということから逆算すると、距離が離れるほど正常『魔力感知』系のズレは、距離が離れるほど実際の寿命の渦と乖離が大きくなるという感じか。
しかもその法則も少し見えてきている。
ウェスさんと蛙は、恐らく「眠っている」ディナ先輩が居る風呂場へと向かっている。それが上の方へと上がってゆくように感じるのは、なんというか空間の軸自体が交換されている、という印象。
それだけじゃないとは思うけれど、魔法効果は単純なほどコスパが良い。もしもとんでもない効果を求めたならば、その必要とされる魔法代償は膨大になる。
となると、空間の縦横高さをX軸、Y軸、Z軸として、これを入れ替えた偽空間を感じ取らせる、みたいな。しかも、単純にその距離を比例して伸ばしているようにも感じる。遠ざかる速度からすると。
数学得意な奴なんだろうな、こんな発想できる奴――というか、魔術師が敵方に居るのは確定。
そんな奴らを館の中に入れて、ディナ先輩まであんな状態で。
罠を張ろうってんなら、そいつはそれだけやらないと出てこないってことだよな?
だとしたらそいつが出てくるまでは俺も我慢しないといけないってことだよな――だから、この部屋に居る一人にも気付かないフリを続けているし。
現状把握を先にしてしまおう。
脳内に空間のズレを戻した館イメージを構築して、本来居るであろう寿命の渦を再配置する。
以前ならば頭がこんがらがっていたと思うんだけど、常に『魔力微感知』や『魔力感知』を実施し続けるクセをつけた後は、空間把握能力がとても磨かれた気がするんだよね。
ということで再確認。
風呂場に三人は、昏睡ディナ先輩と、ウェスさんと蛙。
この部屋には俺ともう一人だが、このもう一人は、かなり寿命の渦を消し込んでいる。偽装の渦だろうか。
『偽装魔力微感知』は位相の真逆な二重の『魔力微感知』なのだが、その一方しか打ち消せていないからだ。
想定外の向こうにあるものへは対策しづらい、ということなのだろうな。
だがそれはそのまま俺自身にも当てはまる。
常に想定外のことを意識すること。思考を止めないこと。
では俺は、俺の役割は何をすることだ?
ウェスさんは「後で」とは言ったが、「来るな」とは言っていない。
ウェスさんと一緒に何か企んでいる男はどのように行動するべきか。
実際にあるのかどうか知らないが、寄らずの森の魔女様は、そこへ荷物を運ぶ者へ許可書を渡していて、実際それはマクミラ師匠なのだが、俺も何度かご一緒している――から、マクミラ師匠も引退とか、そういう筋書きにしてある可能性はある。
カエルレウム師匠は必要なものは領主さまから支給されるようなことをおっしゃっていたが、恐らくそれは間にディナ先輩が業者として入っているということなのだろう。
蛙の身なりを考えると、ディナ先輩と取って代わろうとしている相手はそれなりの金持ちだ。
それなのに館に入ってくる配置されている人数が少ないのは、他人を信用していない可能性と、派遣している少数の個々の能力が高いという可能性も考えられる。
それを踏まえた上で「俺」はキャラ設定はどうするべきか。
まず欲望に忠実で、その欲望のために目上の者を排除することを厭わないこと。
また、ストウ村というこの国の他の村々に比べて比較的豊かで平和な地域に育った村人であり、戦場を知らず、そのことで甘えや軽率さが残っていても不自然ではないだろう。
バレる前に戦闘が始まったとき、どのくらいの反応速度に押さえるべきか。
ああそうだ。多少、愚かでもいいよな。
「ディナ先輩が意識を失っている」のであれば、俺がそれを目撃しても問題ないって思うような。
「待てよ。風呂場ってことは裸なんだよな……」
ゲスっぽく呟く。いかにも独り言ですよって感じに。
俺は立ち上がり、さも興味本位のような感じで奥の扉を開けて廊下へ出て、後ろ手に閉める。
これで部屋の中のやつは出てくるときに扉を開ける一手を消費せざるを得なくなる。
さて、と。
さっき想定した通りに、廊下の向こうに人影。
するともう一人が地下牢のあたりというのは確定かな。
しかもあの辺りって、地下牢へと通じる階段の前だったはず。
ただ、そいつの見るからに危険そうな姿には、正直うんざりする。
異様な巨体。通路が狭く感じるほど。
恐らくメリアンよりもデカいだろう。ただ、マッチョダルマというよりは、だらしない感じの肥満といった表現の方が近い。
加えて面倒なことに、そいつは俺を見るなり雄叫びをあげ、そして突進してきた。
● 主な登場者
・有主利照/リテル
猿種、十五歳。リテルの体と記憶、利照の自意識と記憶とを持つ魔術師見習い。レムールのポーとも契約。
傭兵部隊を勇気除隊し、ウォルラースとタールを倒した。地球の家族へ最初で最後のメッセージを送ったが、その記憶はない。
・プティ
ロービンからもらったドラコの卵を、リテルが孵して生まれてきた。リテルに懐いている。しらばくは消費命が主食。
・ケティ
リテルの幼馴染の女子。猿種、十六歳。黒い瞳に黒髪、肌は日焼けで薄い褐色の美人。胸も大きくリテルとは両想い。
フォーリーから合流したがリテルたちの足を引っ張りたくないと引き返した。ウォルラースの牙をディナへ届けた。
・ラビツ
イケメンではないが大人の色気があり強者感を出している鼠種の兎亜種。
高名な傭兵集団「ヴォールパール自警団」に所属する傭兵。二つ名は「胸漁り」。現在は謝罪行脚中。
・マドハト
ゴブリン魔法『取り替え子』の被害者。ゴド村の住人。取り戻した犬種の体は最近は丈夫に。
地球で飼っていたコーギーのハッタに似ている。ゴブリン魔法を使える。傭兵部隊を勇気除隊。現在はプティを預かっている。
・ルブルム
魔女様の弟子である赤髪の少女。整った顔立ちのクールビューティー。華奢な猿種。
魔法も戦闘もレベルが高く、知的好奇心も旺盛。親しい人を傷つけてしまっていると自分を責めがち。
・アルブム
魔女様の弟子である白髪に銀の瞳の少女。鼠種の兎亜種。
外見はリテルよりも二、三歳若い。知的好奇心が旺盛。
・カエルレウム
寄らずの森の魔女様。深い青のストレートロングの髪が膝くらいまである猿種。
ルブルムとアルブムをホムンクルスとして生み出し、リテルの魔法の師匠となった。
・ディナ
カエルレウムの弟子。ルブルムの先輩にあたる。重度で極度の男嫌い。壮絶な過去があった。
アールヴを母に持ち、猿種を父に持つ。精霊と契約している。現在は何やら意図があってだろうが昏睡中。
・ディナの母
アールヴという閉鎖的な種族ながら、猿種に恋をしてディナを生んだ。名はネスタエアイン。
キカイー白爵の館からディナを逃がすために死に、タールにより『魔動人形』化された。現在は灰に。
・ウェス
ディナに仕えており、御者の他、幅広く仕事をこなす。肌は浅黒く、ショートカットのお姉さん。蝙蝠種。
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・タール
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・メリアン
ディナ先輩が手配した護衛。ラビツとは傭兵仲間で婚約者。ものすごい筋肉と角と副乳とを持つ牛種の半返りの女傭兵。知識も豊富で頼れる。二つ名は「噛み千切る壁」。現在はギルフォド第一傭兵大隊隊長代理。
・ロッキン
名無し森砦の守備隊第二隊副隊長であり勲爵。フライ濁爵の三男。夢は世界図書館勤務。
婚約者のためにヴィルジナリスの誓いを立てている。ルブルムの護衛として同行していたが現在は任を解かれた。
・レム
爬虫種。胸が大きい。バータフラ世代の五人目の生き残り。不本意ながら盗賊団に加担していた。
同じく仕方なく加担していたミンを殺したウォルラースを憎んでいる。トシテルの心の妹。砦の兵士を除隊したらしい。
・ウォルラース
キカイーがディナたちに興味を示すよう唆した張本人。金のためならば平気で人を殺すが、とうとう死亡した。
ダイクの作った盗賊団に一枚噛んでいた。海象種の半返り。クラーリンともファウンとも旧知の仲であった。
・ナイト
初老の馬種。地球では親の工場で働いていた日本人、喜多山馬吉。
2016年、四十五歳の誕生日にこちらへ転生してきた。今は発明家として過ごしているが、ナイト商会のトップである。
・エルーシ
ディナが管理する娼婦街の元締め、ロズの弟である羊種。娼館で働くのが嫌で飛び出した。
共に盗賊団に入団した仲間を失い逃走中だった。使い魔にしたカッツァリーダや『発火』で夜襲をかけてきたが、死亡。
・クラーリン
グリニーに惚れている魔術師。猫種。目がギョロついているおじさん。グリニーを救うためにウォルラースに協力。
チェッシャーやリテルやエルーシに魔法や魔術師としての心構えを教えた。ホルトゥスと地球との繋がりを紐解くきっかけを作った。
・グリニー
チェッシャーの姉。猫種。美人だが病気でやつれている。その病とは魔術特異症に起因するものらしい。
現在かなり弱っており、クラーリンが魔法で延命しなければ危険な状況だったが、クラーリンと利照のおかげで回復。
・チェッシャー
姉の薬を買うための寿命売りでフォーリーへ向かう途中、野盗に襲われ街道脇に逃げ込んでいたのをリテルに救われた。
猫種の半返りの女子。宵闇通りで娼婦をしているが魔法を使い貞操は守り抜いている。リテルに告白した。
・テニール兄貴
ストウ村の門番。犬種の男性。リテルにとって素手や武器での近接戦闘を教えてくれる兄貴分。
フォーリーで領兵をしたのち、傭兵を経て、嫁を連れて故郷へ戻ってきた。実績紋持ち。
・マクミラ師匠
ストウ村の住人。リテルにとって狩人の師匠。猿種の男性。かなりの紳士。実績紋持ち。
出身はストウ村ではなく、若い頃は定期便の護衛をしながら旅をしていた。
・レムール
レムールは単数形で、複数形はレムルースとなる。地界に生息する、肉体を持たず精神だけの種族。
自身の能力を提供することにより肉体を持つ生命体と共生する。『虫の牙』による呪詛傷は、強制召喚されたレムールだった。
・ショゴウキ号
ナイト(キタヤマ)がリテルに貸し出した特別な馬車。「ショゴちゃん」と呼ばれる。現在はルブルムが使用。
板バネのサスペンション、藁クッション付き椅子、つり革、床下隠し収納等々便利機能の他、魔法的機能まで搭載。
・ドラコ
古い表現ではドラコーン。魔術師や王侯貴族に大人気の、いわゆるドラゴン。リテルはその卵をロービンよりもらった。
卵は手のひらよりちょっと大きいくらいで、孵化に必要な魔法代償を与えられるまで、石のような状態を維持する。
・ロービン
マッチョ爽やかイケメンなホブゴブリン。メリアンと同じくらい強い。正義の心にあふれている。
マドハトと意気投合し、スノドロッフ村の子どもたちを守ったリテルに感謝している。リテルにドラコの卵をくれた。
・モクタトル
スキンヘッドの精悍な中年男性魔術師。眉毛は赤い猿種。呪詛解除の呪詛をカエルレウムより託されて来た。
ホムンクルスの材料となる精を提供したため、ルブルムを娘のように大切にしている。
・トリニティ
モクタトルと使い魔契約をしているグリュプス。人なら三人くらい乗せて飛べる。
・蛙
ディナ邸に居た謎のメイド服な眼鏡美人。緑色の髪の毛はクセっ毛の長髪。ウェスと一緒にディナをどうにかしようとしている、っぽい。
・大男
ディナ邸に居た謎の大男。メリアンをしのぐ巨大だが、だらしない肥満。いきなり突進してきた。
■ はみ出しコラム【スノドロッフの魔法】
今回も、リテル以外の登場人物が使用する魔法を紹介する。
こちらは、スノドロッフ村に所属する者たちが使う魔法の一覧であり、全ての魔法を全ての村人が使うわけではない。
一部、物語内で使用されていない魔法も含まれている。
・『遠回りの掟』:物質を空間に固定する魔法。実際には「慣性の法則」を(地球時間にて)12秒ほど、別次元を経由させて戻している。効果としては「物体を空間に固定する」のだが、その考え方というのが、動いている物体の「勢い」だけをこの世界じゃないどこかへ「遠回り」させることによって、その「遠回り」期間中はこっちの世界におけるその物体は、空中に静止している、ことになる。それなりの大きさの非生命体を対象にできる。リテルは、教えてもらったこの魔法を(『弱火』のように)解釈し、大きさと時間を変換できるようにした。ちなみに基本の対象サイズは、最大、四インファス。対象の大きさと時間は反比例したりしない。ちなみに「勢い」は完全にホルトゥス外へ行ってしまっていて、効果時間内に物質へ何か力を加えても、それが蓄積されたり戻ってきた「勢い」に影響を及ぼしたりはしない。
・『接触発動』:何かに触れたら発動する魔法を封じる魔法。単体では意味がない。
・『スノドロッフの赤い花』:スノドロッフ村の人々に危害を加えようとする敵に対して血を花のように弾けさせる。対象者以外の者への警告の意味もある。スノドロッフへの敵対者ではない者や、スノドロッフから離れた場所で使用する場合は、そのダメージが減少する。
・『スノドロッフの怒り』:『接触発動』と『スノドロッフの赤い花』とを複合させた魔術。矢や槍の先端に付与することが多い。
・『燃える夢』:枯れ枝などに用いる魔法で、その枝の大きさにより魔法代償が異なる。「その枝に、火を点けたときの夢を見せる」効果があり、実際の効果は、その枝が見た夢の中の光が、風や水などで消えず、熱も出さない炎として、夢の外側、つまり現実世界へと漏れ出て周囲を照らす。実際に枝が燃えるわけではないが、夢が終わった枝は、夢を見終えたあと、実際に燃え尽きたように黒い崩れてしまうことが多い。
・『零番星』:目的地をマーキングする魔法。発動時に星の色を決める。目的地には魔石が必要。一度使うと魔法は待機状態になる。維持には一日に一ディエス消費する。一日継続。
・『零星見』:発動時に星の色を指定。『零番星』を発動した魔石からの距離と方角とを知ることができる。
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