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お題【交換日記】
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「なんか言ってみなよ。本当はそんな風に思っていないから何も言葉が出てこないんでしょ」
違うよ。
ちゃんと思っている。
説明をうまく出来ないだけで……違うんだ……けれど、その「違う」すら、口ごもった僕の口の外へと送り出すことができなくて……また怒らせてしまった。
大切な人なのに、傷つけるつもりなんてないのに。
僕の口の中にはきっと、小さな妖怪みたいなのが住んでいて、僕が本当に伝えたい言葉を口の中でモゴモゴさせているうちに、その言葉の一部や全部を勝手に消してしまうんだ。
相手に言葉を伝えて、そして相手がマイナスの感情を露にして、その反応を見てようやく、自分の口から出た言葉が、出なかった言葉が、僕の気持ちとはかけ離れていて、自分の予想外の傷を相手につけてしまっていることに、気付く。
怒ってもらえなければ、傷つけたことさえ気づいてない時だって少なくないだろう。
そういう時は口を縫い付けたくなる……でも、縫ったらしゃべれなくなるんだから、縫ったら余計にダメか。
ほら、こうやって、思いついたことをちゃんと考えないまま外に出しちゃって失敗するんだ。切なくて、悔しくて、情けなくて、本当に自分に嫌気がさす。
そんなどん底の気持ちだったから、地面ばっかり見て歩いていた。
そして一冊のノートが落ちているのを見つけた。
普段だったら落ちているものなんて触らない。
でも今は自分で自分に対して抱いている価値が、落ちているものとほとんど同じみたいなものだったから、そのノートを手に取った。
真っ白いノートだった。
表紙も裏も中も全部真っ白。
地面に落ちていたのに、汚れ一つついていない。
汚れていないということが、自分よりもこのノートの方が価値が高いのではとさえ思わせる。
もう一度パラパラとめくり、2ページ目に言葉が書いてあるのを見つけた。
『こんにちは。君は言葉を舌の上に乗せたあと、口から出た言葉が思っていることと違っていて驚いたりすることはない?』
こういう時、まず最初に周囲を見回しちゃうものなんだね。
誰かが僕のことを見ているのかもって。
でもすぐに気が付くんだ。僕のことを見ている誰かが居たとして、その誰かは、どうして僕の心の中の悩みを見透かせるんだろうって。
次に考えたのは誰かの悪戯。
僕のことをキライな誰かが、僕をからかうためにこんなものを僕の足もとに置いたのかなって。
でも僕の考えそうなことを予想してこんなことを書いて、その上、僕がここを通るのを待ってこれを置いている姿を想像したら、その人は僕のことをどれほど理解してくれているんだろうか、とか考えちゃって、それはキライってよりは大事にしてくれているっていう印象だよね。
最後に考えたのは、僕みたいな人が世の中にたくさんいて、世の中では珍しくもない僕らみたいな連中に対して、善意でアドバイスをくれているのかも……というもの。
これが一番しっくりきたから、僕はこのノートをいったん持ち帰ることにした。
家で落ち着いて、その言葉を読み返そうと思ったから。
帰宅して再びノートを開いて僕は驚く。
書かれていることが増えていたから。
『私は他の誰かのために、ではなく、君のためにアドバイスを送っているんだ』
なんだこれ。
フリクションペンとかであらかじめ書いてあって、温度とかでまた見えるようになったとか。
それともこれ、ノートに見えるけれどすごいテクノロジーの電子機器で、文字が液晶みたいに表示されているのかも、とか。
もう一度ノートを、隅から隅までよく見てみる。
でも、紙のノートにしか見えないんだよね。
試しに僕もシャーペンで書いてみる。
『僕だけのために?』
書き心地は紙としか思えない。
確認できたので、自分が書いた文字を消そうと思って消しゴムを探して、見つけて、再びノートを見たら、もう文字が増えていた。
『そうだよ。それより君は今、消しゴムを取り出したね。君は消しゴムをちゃんと自分の意思で使えるんだ。もちろん、君の口の中に隠れている、小さな消しゴムだってね』
思わずノートから数メートル後ずさった。
押し入れに背中がぶつかって、立ち止まる。
これは……なんだ? 悪戯や冗談のレベルを超えている。
……ドキドキしながら、その体勢のまま数分が経過したと思う。
でも、ノートはずっとそこにあり続けたし、見ている間、文字が急に浮かび上がったりもしていない。
こちらが何か書かなければ、特に反応もしないルールとかかな。
僕がこんなにも早く落ち着いたのは、現れた文章が、僕の思い当たることばかりだったし、僕のことを想ってくれている文章だったから。
このノートは僕の敵じゃない。むしろ心強い味方だ……そう、思えたから。
『僕は、口の中の小さな消しゴムの妖怪を、やっつけることができるだろうか』
文字は浮かんでこない。でも、瞬きをした直後、文字はもう現れていた。
『倒すんじゃなく、こき使ってやりなよ。飼い慣らせば、案外便利な奴だよ』
『できるかな』
『できるさ。今までは、そいつがいるのに気付かなかっただけ。だから妖怪だなんて思ったりするんだよ。そいつをペットだと思うのさ。そいつがいるってわかっていたら、気を付けるだろ。その気を付けるってのが大事なんだ』
ノートは僕にいろんなことを教えてくれた。
口の中に溜まってしまった言葉を、外に出す前にパッと見直す方法。
その時、余計だったり誤解されそうな言葉を見つける方法。
その部分を口の中の消しゴムペットに消させる方法。
足りない言葉を付け加える方法。
本当は伝えたい想いや、失敗した時にとっさに謝るときの言葉は、その場でひねり出すのではなく、時間と気持ちにゆとりがあるときに、自分の中に作って貯めておくという方法。
伝える練習をあらかじめ心の中でするだけで、現実で言葉を出すのが随分と楽になるということも。
僕は自分の中に、良い言葉をたくさん増やして置いておくようになれた。
ノートを手に入れてから、僕は誤解されることや、思ってもいなかったことを言ってしまうことが、随分と減った。
僕の言葉は僕の気持ちに追いつくようになってきたんだ。
そして、その日は突然やってきた。
『もういいよね。君はもう一人でやっていける。正確には一人じゃなくて、一人と一匹だけど』
『イヤだよ。行かないでよ』
『どこにも行かないよ。私はずっとここに居るよ。でも、私はまた、あの時の君のような誰かをまた探さないといけない。その誰かは、私の言葉を待っているはずだから』
『寂しいよ』
『でも君はもう、その寂しさを自分の中だけに閉じ込めないで済む。友達だって増えただろう』
『でも、不安だよ』
『かつての君はもっともっと不安だっただろう。私に出会わなかったら、どうなっていたことか。さあ、私を持って外へ出るんだ。かつての君が手に取りそうな場所へ、私をそっと置きにいくんだ』
僕はノートと別れた。
でも書くことがクセになってしまっていた僕は、何かあるとすぐ、どこかに言葉を書いて自分の気持ちを確かめたくなるクセができていた。
僕はノートの代わりをネットの中に求めた。
そこもノートと同じように、僕が言葉を書くと、誰かが言葉を返してくれるような場所。僕はどんどんネットにのめり込むようになった。
ある時、僕はネットの中に友達を見つけた。
古い古い友達。
僕が大切な人を傷つけてしまったときに、僕をフォローしてくれたりはせず、ないことないこと吹き込んで、彼女が僕を嫌うようにして、そのまま彼女を奪っていった、友達のフリをしていたあくどいヤツを。
向こうは僕の正体に気づいていない。僕が個人情報もちゃんと選んで消すようにしているからだ。
僕は消す言葉を変えてみた。
そいつの痛がる言葉を、そいつの言葉の裏を暴いて信頼を失う言葉を、僕が主犯だとはわからないようにネットにうまくバラまいた。
僕はもう、そんなことが出来るくらい言葉を上手に扱えるようになっていたんだ。
やがてそいつは、誰からも信用されなくなった。
元々、口先だけで自分にとって都合が良いことばかり言っていた奴だったから。
だけど、僕はやり過ぎたみたいで、同窓会で、そいつが自殺した話を耳にしてしまった。
僕はまた、自分の言葉で人を傷つけてしまった。
復讐だったはずなのに、気持ちは全く晴れなくて。
ネットもやめて、ずっと下ばかり見て歩き回るようになった。あのノートにもう一度会いたくて。
<終>
違うよ。
ちゃんと思っている。
説明をうまく出来ないだけで……違うんだ……けれど、その「違う」すら、口ごもった僕の口の外へと送り出すことができなくて……また怒らせてしまった。
大切な人なのに、傷つけるつもりなんてないのに。
僕の口の中にはきっと、小さな妖怪みたいなのが住んでいて、僕が本当に伝えたい言葉を口の中でモゴモゴさせているうちに、その言葉の一部や全部を勝手に消してしまうんだ。
相手に言葉を伝えて、そして相手がマイナスの感情を露にして、その反応を見てようやく、自分の口から出た言葉が、出なかった言葉が、僕の気持ちとはかけ離れていて、自分の予想外の傷を相手につけてしまっていることに、気付く。
怒ってもらえなければ、傷つけたことさえ気づいてない時だって少なくないだろう。
そういう時は口を縫い付けたくなる……でも、縫ったらしゃべれなくなるんだから、縫ったら余計にダメか。
ほら、こうやって、思いついたことをちゃんと考えないまま外に出しちゃって失敗するんだ。切なくて、悔しくて、情けなくて、本当に自分に嫌気がさす。
そんなどん底の気持ちだったから、地面ばっかり見て歩いていた。
そして一冊のノートが落ちているのを見つけた。
普段だったら落ちているものなんて触らない。
でも今は自分で自分に対して抱いている価値が、落ちているものとほとんど同じみたいなものだったから、そのノートを手に取った。
真っ白いノートだった。
表紙も裏も中も全部真っ白。
地面に落ちていたのに、汚れ一つついていない。
汚れていないということが、自分よりもこのノートの方が価値が高いのではとさえ思わせる。
もう一度パラパラとめくり、2ページ目に言葉が書いてあるのを見つけた。
『こんにちは。君は言葉を舌の上に乗せたあと、口から出た言葉が思っていることと違っていて驚いたりすることはない?』
こういう時、まず最初に周囲を見回しちゃうものなんだね。
誰かが僕のことを見ているのかもって。
でもすぐに気が付くんだ。僕のことを見ている誰かが居たとして、その誰かは、どうして僕の心の中の悩みを見透かせるんだろうって。
次に考えたのは誰かの悪戯。
僕のことをキライな誰かが、僕をからかうためにこんなものを僕の足もとに置いたのかなって。
でも僕の考えそうなことを予想してこんなことを書いて、その上、僕がここを通るのを待ってこれを置いている姿を想像したら、その人は僕のことをどれほど理解してくれているんだろうか、とか考えちゃって、それはキライってよりは大事にしてくれているっていう印象だよね。
最後に考えたのは、僕みたいな人が世の中にたくさんいて、世の中では珍しくもない僕らみたいな連中に対して、善意でアドバイスをくれているのかも……というもの。
これが一番しっくりきたから、僕はこのノートをいったん持ち帰ることにした。
家で落ち着いて、その言葉を読み返そうと思ったから。
帰宅して再びノートを開いて僕は驚く。
書かれていることが増えていたから。
『私は他の誰かのために、ではなく、君のためにアドバイスを送っているんだ』
なんだこれ。
フリクションペンとかであらかじめ書いてあって、温度とかでまた見えるようになったとか。
それともこれ、ノートに見えるけれどすごいテクノロジーの電子機器で、文字が液晶みたいに表示されているのかも、とか。
もう一度ノートを、隅から隅までよく見てみる。
でも、紙のノートにしか見えないんだよね。
試しに僕もシャーペンで書いてみる。
『僕だけのために?』
書き心地は紙としか思えない。
確認できたので、自分が書いた文字を消そうと思って消しゴムを探して、見つけて、再びノートを見たら、もう文字が増えていた。
『そうだよ。それより君は今、消しゴムを取り出したね。君は消しゴムをちゃんと自分の意思で使えるんだ。もちろん、君の口の中に隠れている、小さな消しゴムだってね』
思わずノートから数メートル後ずさった。
押し入れに背中がぶつかって、立ち止まる。
これは……なんだ? 悪戯や冗談のレベルを超えている。
……ドキドキしながら、その体勢のまま数分が経過したと思う。
でも、ノートはずっとそこにあり続けたし、見ている間、文字が急に浮かび上がったりもしていない。
こちらが何か書かなければ、特に反応もしないルールとかかな。
僕がこんなにも早く落ち着いたのは、現れた文章が、僕の思い当たることばかりだったし、僕のことを想ってくれている文章だったから。
このノートは僕の敵じゃない。むしろ心強い味方だ……そう、思えたから。
『僕は、口の中の小さな消しゴムの妖怪を、やっつけることができるだろうか』
文字は浮かんでこない。でも、瞬きをした直後、文字はもう現れていた。
『倒すんじゃなく、こき使ってやりなよ。飼い慣らせば、案外便利な奴だよ』
『できるかな』
『できるさ。今までは、そいつがいるのに気付かなかっただけ。だから妖怪だなんて思ったりするんだよ。そいつをペットだと思うのさ。そいつがいるってわかっていたら、気を付けるだろ。その気を付けるってのが大事なんだ』
ノートは僕にいろんなことを教えてくれた。
口の中に溜まってしまった言葉を、外に出す前にパッと見直す方法。
その時、余計だったり誤解されそうな言葉を見つける方法。
その部分を口の中の消しゴムペットに消させる方法。
足りない言葉を付け加える方法。
本当は伝えたい想いや、失敗した時にとっさに謝るときの言葉は、その場でひねり出すのではなく、時間と気持ちにゆとりがあるときに、自分の中に作って貯めておくという方法。
伝える練習をあらかじめ心の中でするだけで、現実で言葉を出すのが随分と楽になるということも。
僕は自分の中に、良い言葉をたくさん増やして置いておくようになれた。
ノートを手に入れてから、僕は誤解されることや、思ってもいなかったことを言ってしまうことが、随分と減った。
僕の言葉は僕の気持ちに追いつくようになってきたんだ。
そして、その日は突然やってきた。
『もういいよね。君はもう一人でやっていける。正確には一人じゃなくて、一人と一匹だけど』
『イヤだよ。行かないでよ』
『どこにも行かないよ。私はずっとここに居るよ。でも、私はまた、あの時の君のような誰かをまた探さないといけない。その誰かは、私の言葉を待っているはずだから』
『寂しいよ』
『でも君はもう、その寂しさを自分の中だけに閉じ込めないで済む。友達だって増えただろう』
『でも、不安だよ』
『かつての君はもっともっと不安だっただろう。私に出会わなかったら、どうなっていたことか。さあ、私を持って外へ出るんだ。かつての君が手に取りそうな場所へ、私をそっと置きにいくんだ』
僕はノートと別れた。
でも書くことがクセになってしまっていた僕は、何かあるとすぐ、どこかに言葉を書いて自分の気持ちを確かめたくなるクセができていた。
僕はノートの代わりをネットの中に求めた。
そこもノートと同じように、僕が言葉を書くと、誰かが言葉を返してくれるような場所。僕はどんどんネットにのめり込むようになった。
ある時、僕はネットの中に友達を見つけた。
古い古い友達。
僕が大切な人を傷つけてしまったときに、僕をフォローしてくれたりはせず、ないことないこと吹き込んで、彼女が僕を嫌うようにして、そのまま彼女を奪っていった、友達のフリをしていたあくどいヤツを。
向こうは僕の正体に気づいていない。僕が個人情報もちゃんと選んで消すようにしているからだ。
僕は消す言葉を変えてみた。
そいつの痛がる言葉を、そいつの言葉の裏を暴いて信頼を失う言葉を、僕が主犯だとはわからないようにネットにうまくバラまいた。
僕はもう、そんなことが出来るくらい言葉を上手に扱えるようになっていたんだ。
やがてそいつは、誰からも信用されなくなった。
元々、口先だけで自分にとって都合が良いことばかり言っていた奴だったから。
だけど、僕はやり過ぎたみたいで、同窓会で、そいつが自殺した話を耳にしてしまった。
僕はまた、自分の言葉で人を傷つけてしまった。
復讐だったはずなのに、気持ちは全く晴れなくて。
ネットもやめて、ずっと下ばかり見て歩き回るようになった。あのノートにもう一度会いたくて。
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