捻くれ者

藤堂Máquina

文字の大きさ
上 下
24 / 25

ひねくれもの24

しおりを挟む
私は家に帰ると荷物をまとめた。
帰国は一週間後。
それまでにしておくことがまだ少しあった。
どれもたいしたことではない。
端的にいうと、大使館への報告、銀行口座の閉鎖、ついでにお土産の購入だった。
後ろ二つは日本語が堪能なコロンビア人の友人に頼んで一緒についてきてもらった。
大使館へは連絡の取れたKと一緒に行った。
Kは裏切った訳ではなく、会社から呼び出されることを予想して圏外にいたようだ。
それなら先に伝えてほしかったものだが、あてにした自分が悪いと思うことにした。
Kはその後も会社にはいってないらしい。
これを執筆しているのが、退職後半年を過ぎた頃なのだが、会社はKが失踪した扱いとして方々に悪い噂を流しているらしい。
しかしメールでの退職は有効であるため、名誉棄損で争うとか争わないとかは別の話である。
Kは弁護士に従っているためおかしなことはしていないと信じたい。
私たちが大使館に赴いた理由はその会社の異常性を伝えるためである。伝えたからと言って何かをしてくれるわけではなかったが、伝えるに越したことはなかった。
それからKや少数の友人以外には何も伝えずに国を出た。
終わって客観的に見てみればあっけないような気もする。
多分もっと早く辞めるべきだったのだが辞められなかったのは私の選択できなかった弱さだったのだろう。
日本に帰った後に起こったことは、求人を出していた会社に文句を言って掲載を下げさせたことや、会社から損害賠償の請求メールが来たのを無視しブロックしたことくらいのものである。
メールを見ても弁護士が入っておらず、そもそも本当に請求しているのならば国際裁判として裁判所から通知が来るはずのものであるため、その他迷惑メールと同じく全く意味を持たなかった。
今回のこの数カ月で得たものが何だったのかは正直わからない
子どもの頃からであった。
私はいつも人の言うことを聞いてきた。
冒頭で述べた通り曲げないところは曲げなかったが、大きな問題が起こることも嫌った。
いつからか、「どうせ叱られるなら時間の無駄だから早めに言おう」とか、そういう効率主義的な、損得を考えるような子供になっていた。
実際そうすることで私が正直とか、素直だとか、そういう風に見えた大人もいることだろう。
もしかしたら世間ではそのことを指す言葉として間違ってないのかもしれない。
だが私は自分が世から褒められるようなことをしていないことも十分に理解している。
親にだって心配をかけ続けたし、同僚を裏切るような形になった。
きっと今、私がこうして文章を綴っている間も酷使され続けているのだろう。
私は人生の中であと何回裏切り、裏切られ、裏切られたと思い込まなければならないのだろう。
期待するからいけないのは十分わかっている。
それでも期待してしまうのが人間たる私の弱い点なのだろう。
所詮小さな存在だ。
一人では生きていくことができない。
でも一人で生きられるだけの術を身に着けたい。
そんな小さな葛藤の塊の中を進み続けなければならないのも多分人生なのである。

しおりを挟む

処理中です...