【完結】北新地物語─まるで異世界のような不夜街で彼女が死んだわけ─

大杉巨樹

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第2部 萌未の手記

桜祭り

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 拓也たくやの家に住むようになってから一年間、あたしはがむしゃらに勉強した。元々勉強は嫌いではなく、特に文系の教科は得意だった。拓也は大阪国立大学で建築学を専攻していて、理系の教科は彼に教わった。彼は優秀な家庭教師だったけど、足りない所は予備校の外部生にも開けている短期講習なんかで補った。

 そうしてあたしは取り敢えず志保姉しほねえかたき討ちのことは一旦胸に仕舞い、大学受験に集中した。拓也からもフジケン興業を調べた内容についての進捗の報告は一切無かった。



 そして4月、あたしは見事に神戸国立大学に合格した。あたしも嬉しかったし、拓也もなっちゃんも自分のことのように喜んでくれた。



 新入生のガイダンスの日、久々に涼平りょうへいの姿を見た。あたしの顔を見て何か声をかけてくれるかとドキドキしたけど、涼平にはあたしが分からなかったようで、結局その日は一言も会話を交わさなかった。まあこれから四年間あるのだから急ぐことないと思っていたが、彼は全く大学には顔を見せなかった。せっかく彼と同じ学科に入ったのに………あたしの大学生活は虚しいものとなってしまった。

 こうやって私小説めいたものを書くようになったのも、生活が手持ち無沙汰になっていたからだ。幼い頃、よく志保姉が本を読んでくれたので文章を読むのは好きだったが、自分でも小説を書いてみようと、受験が終わってから四百字詰め原稿用紙が綴られたノートを買って書き始めた。ここにはほぼノンフィクションの、あたしのこれまでの生き様が書かれている──




 若名わかなの方はというと、4月から復帰することにした。新地から長い間離れているとあの特殊な街の異世界感が顕著になり、正直またホステスをやるのは億劫だったが、かなり貯金を減らして心許なくなっていたし、何より黒田くろだ店長が煩かった。4月には若名の周年を兼ねた桜祭りイベントがあり、それには必ず復帰して欲しいと何度もせがまれた。

 店長はあたしが大学に合格したことに形ばかりの祝いの言葉を述べてはくれたが、大学を出てコツコツ働くよりも新地で人脈を築いた方が将来的にもいい暮らしが出来ると説く。それもそうかな、と、そんな気もしたが、元よりあたしは志保姉の敵討ちの先のことなんか考えていない。ただあたしのその目的達成の為にも、早く新地に復帰することは望ましく思われた。

 拓也はあたしが新地に復帰することにいい顔はしなかったが、頑固なあたしを説得しても無駄だ思ったのか、あたしの好きなようにさせてはくれた。だけど、フジケン興業を調べた内容については時期尚早と頑なに教えてくれなかった。その頑なさがあたしに焦燥感を募らせ、新地復帰に向く心を推進しているというのに……。




 そんなこんなであたしは、いつかは涼平に会えないかとズルズルと大学に通いながらも、桜祭りの週に若名に復帰した。住む拠点はそのまま拓也の家に残しながら、帰りが遅くなった日なんかはミナミの部屋に泊まればいいかと考えていた。


 ホステスと大学生という生活を慣らすべく、復帰第一日目は雅子まさこママ口座の瀧内たきうちさんと同伴を受けた。復帰するに際していろんなお客さんから誘ってもらっていたが、あたしに着物を買って欲しいからか、呉服問屋のボンボンの瀧内さんの誘いが一番熱心だったからだ。


 桜祭りではホステスは全員着物を着ることが義務付けられていた。そういう着物必着のイベントは年に何回かあり、何年も新地のホステスをやっている人はそれぞれの季節に合わせた着物を持っているものだが、あたしのような若いホステスはレンタル着物を借りるのが常で、あたしも瀧内さんには悪いけど新地にあるレンタル着物屋さんで借りてイベントをやり過ごすことにしていた。

 春らしい淡い色合いの訪問着を選び、着物屋さんで着付けしてもらってから店に予め荷物を置きに行く。店内には本物の桜の枝ぶりが、所狭しと壁に固定されていた。吉野から仕入れたもので、花は三分咲きといったところ。満開になると店の暖房ですぐに散ってしまうので、一週間のイベントの初日にはまだ開き切らない枝を選ぶのだとはやしマネージャーが教えてくれた。



 瀧内さんは最近オープンしたというチャイニーズダイニングの個室を予約してくれていた。

「ここの個室はな、なかなか取れないんや。もう僕は萌未ちゃんが復帰するんが待ち遠しゅうて、去年から予約してたんやでぇ」

 ほんまかいな…

 お客さんの言葉遊びを鵜呑みにするほどウブじゃない。ま、予約してたのは本当だとして、大方誰かのキャンセルを食らったか、今日みたいなことを言うために予め予約しといて、その場その場で相手に合わせて言ってるんだろうと踏む。

 赤を基調にした壁には厳かな龍の飾り物が嵌められていて、丸いテーブルは回るようになっている。そこに大皿に盛られたフカヒレやら点心やらが乗せられ、回しながら取り分けるようだ。

「わあ~すごい!でもこんな量二人で食べ切れないですよぉ」
「ええんや、中華っちゅうのはそんなもんや」

 青い紋様の入った真っ白に壺からすくった酒で乾杯する。

「40年ものの老酒やで。他ではなかなか飲まれへん。萌未ちゃんの合格祝いに乾杯や」

 赤銅色のタンブラーに入った琥珀色の液からは深い森のような香りがして、口に含むとコクのある蜂蜜のような甘味と揮発した上質なアルコールの芳ばしい苦味が口の中に広がった。

「おいしい…富士の樹海で遊んでるみたい」
「オモロイ表現するね」
「富士の樹海で遊んだことないですけどね」

 ペロっと舌を出すと、瀧内さんは眉間から通った鼻をすんと鳴らてあたしの着物姿を見回し、

「芸者の世界は詳しい?」

 と聞いた。

「あんまり。瀧内さん、芸者遊びしたことあるんですか?」
「まあね。馴染みの置屋さんあるしな。僕ら呉服屋とは切っても切れん縁があるんや」
「置屋さん、ですか?」
「うん、まあ今風に言うたら芸姑専門の芸能プロダクションみたいなもんかな。昔はな、借金のかたに娘を置屋に売る、なんてことが頻繁に行われてたみたいやけど、現代では風営法でそんなことはもう許されへんわな」
「はあ…」

 芸者…その言葉で子どもの頃の涼平の作文が頭を過り、チリンと胸が鳴った。歌舞伎の女形のような瀧内さんから話される内容に興味深かく耳をすませていると、最終的に話は遠回しの口説きに移行していった。

 昔の芸姑さんというのは一人の旦那さんに尽くし、旦那さんもその芸姑が一人前になる為の援助をする。一方で芸だけを磨いて旦那を作らない芸姑もいる。

 あんたはどっちや、と瀧内さんは聞く。

「うーん、あたしはそんな芸も無いですし、尽くしてくれる旦那さん作るほどのもんでもないですしねぇ…」
「いや、僕はな、最初に会った時からあんたは他のホステスに無いもんがあるて思てた。どや、あんたさえよければ、僕があんたの旦那さんになったるで?」
「え、旦那さん、ですか?彼氏とかじゃなく?」
「そうや、旦那や。僕はな、ホステスっちゅう仕事も芸姑も根っこはおんなじやと思てる。プライド持って、プロとして磨きをかけたらええんや。それに嫉妬するようなやつはアホや。僕はな、そういうのには理解ある。あんたが他の男とどうなろうがいちゃもんつけるような無粋なことはせえへん。ただ、二人きりんときはよろしゅうやったらええんや。どうや?あんたの後ろ盾になるで?」

 うーん…よろしゅう、は、やりたくないな…

「あたしなんてまだまだです。今はまだ、瀧内さんのような方にそんなこと言っていただくのはプレッシャーでしかありません。きっともっと成長しますから、もう少し見守ってくれません?」

 ウブな感じを演出し、小首を傾げてにっこりと微笑む。

 どや?上手い感じになってる?と、心の中で語りかける。

 瀧内さんはすぅ~っと息を吐き、

「ほうか」

 と面白く無さげにポツンと吐き出すと、

「あんた、整形してるんか?」

 と聞いてきた。

「え…」

 咄嗟のことで言葉に窮していると、

「ここと、ここと、ここ」

 と、あたしの顔のいじった部分を的確に指差した。

 これは……着実にどこを弄ってるか知ってて言っている……あたしはそう直感した。

「はい」

 下手な嘘はつかない方がいいと判断し、簡潔に肯定する。

「あんた、正直な人や。やっぱり、僕の見立ては間違ってない」
「あの…整形のこと、どうやって分かったんですか?」
「ああ、それは、ネットや。夜遊びサイトに書いてあったんや」

 またもや夜遊びサイト!初めにその存在を教えてくれたのも瀧内さんだった。同伴勝負のときは香里奈かりなを追い詰めるのに役立ったが、そんなものは諸刃の刃だ。当然、こちらに不利に働くことだってある。

「心配せんでええよ。あんなもん、僕かて全部真に受けてるわけやないし、見てる人間も限られてる。名前が載ったんは有名になったからくらいに思っとったらええんや」

 確かにあの綺羅きらママの事件以来、あたしは若干有名になった。だが、瀧内さんの情報が的確すぎることが気になった。誰かが、あたしの個人情報をゲットして、悪意を持って流しているのだ。

「整形して美しゅうなることは誰にも咎められることやない。増して今はプチ整形いうて誰でも手を出すことや。さっきも言うたように、あんたはプロなんやから、それくらい美意識持っとかなあかん。でも中にはそういうことに無理解な輩もようさんいてる。僕はな、そういうことひっくるめてあんたの後ろ盾になりたいんや。よう考えといてんか」

 結局、自分のアピールに持っていく瀧内さんだった。




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