【完結】北新地物語─まるで異世界のような不夜街で彼女が死んだわけ─

大杉巨樹

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第3部 他殺か心中か

彼女の残したパズル

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 2003年12月26日

 椎原しいはら涼平りょうへい萌未めぐみの書いた小説仕立ての長い独白を読み終えた。途中何度も嗚咽し、慚愧に胸を掻きむしり、彼女への思慕に身悶えしながら、四百字詰め原稿用紙が50枚綴られたノートが十数冊にも及ぶその文章を読み終えた頃には窓外は濃紺で満ち、部屋は静寂で覆われていた。


 この日、ドルチェの営業は年内最終日なのだったが、気がついた頃にはその営業も後半に差し掛かっている。元より今日は働く気になれず、予め休みは入れていたが、涼平には営業中にどうしても確認しなければならないことがあった。



『涼平へ

 遊園地に行く約束、果たせなくてごめんなさい

 これを君が読んでいる頃は、あたし、もう逢えないところにいるでしょう

 あたしね、ずっと君の心のかけら、盗んでいました

 もう、返してあげるね

 きっと今、君は、訳わかんないって顔、してるわね


 あたしの家の金庫の鍵、同封します


 それを開けると、多分、分かると思う


 あたしの、秘密…


 涼平!

 ずっと

 好きだったよ

 ほんとに、遊園地行きたかったな…


 君がこれから

 心のかけらがぴったり合う人と巡り逢えて

 幸せになれますように…

           さようなら

                    萌未 』



 その手紙を涙にくれながら何度も読み、その『さようなら』の文字に不穏な色を感じ取っていた。現状萌未めぐみの安否を知っていると思われるのはこれを渡してくれた隆二りゅうじで、彼に即座に電話を入れたが、電話口からはずっと、

『お客様のおかけになった電話番号は、電波の届かない所におられるか、電源が入っていないため、かかりません』

 という機械的なアナウンスが流れるのみだった。

 今日会った時、隆二は萌未の居所を知っているような口ぶりで、この手紙を読んで出直して来いと言っていたが、なぜか電話が繋がらない。そこで彼が今日、野崎のざき組の組長がドルチェで飲む間ドルチェの前に立っていると言っていたのを思い出し、何とか彼とコンタクトが取れないかを画策した。そして涼平は気心の知れた朝倉あさくらに、野崎会長が店に入ったら玄関に行って隆二に話しかけ、彼に自分と繋がっている携帯を差し出すよう頼んでいた。

 朝倉からの連絡を待つ間、金庫から出した萌未の長い独白を読んでいたのだったが、その文章も『さようなら』で締めくくられ、焦燥感が募った。時計を見ると、もう11時になろうとしている。途中何度も朝倉からの着信を確認したが、携帯の画面にも彼からの着信は認められなかった。仕方がないので朝倉にかけてみる。彼が繋がると、彼はバタバタしていたようで、息を弾ませながらかけ直すと言う。歯がゆく感じながらも休んでいる立場で文句を言うわけにもいかず、しばらく待っていると、十分程で折り返しがあった。

「あのね、しいくんに頼まれたように、野崎さんが入ってから玄関のお立ちの人に神崎かんざきさんってどの人ですかって聞いたんやけど、その人、今日はいないって言われたよ」
「え、いない……?」

 すでに野崎は帰っていて、改めて聞こうにももう店前からは野崎組の面々は引き上げていた。朝倉も全く事情を知らないので、なぜ隆二がいなかったのか詳しいことは分からない。

「じゃあ、年明けに。しいくん、良いお年を!」

 そう言って朝倉が電話を切ってからも、涼平は呆然と携帯を見つめていた。



『涼平の15の誕生日

 心のかけらゲット!!

 やったあー』



 やがて再び萌未の文章をパラパラと読み返し、そこでしばし目を留める。萌未は自分なんかよりずっと、自分のことを一途に想ってくれていた……そのことにまた胸に痛みが走る。

 そしてこの文章から、彼女は姉の志保しほさんのことをずっと想い続け、その思慕の念を、かたき討ちという形で昇華させようと北新地に乗り込んできたのだということが分かった。その彼女の壮絶な覚悟が、彼女の文章では切実に綴られていた。


 だから萌未は、美伽みか宮本みやもとを殺したのだろか……?


 文章ではそう締め括られていたが、涼平はその部分に何か違和感を覚えた。彼女は涼平を北新地に連れて来てからのことを、時間が無いと端折って書いていたが、その省略されている部分の彼女の行動が、漠然とだがどこか整合性が取れていない気がしたのだ。


 そもそもこの文章は、本当に真実が綴られているのだろうか?そう疑念に駆られると、自分がこの文章によって誤った道を進まされていた気もしてくる。


 ならば自分も、萌未が歩いたその軌跡を辿って行こうと思う。萌未が書いた文章は、彼女が残してくれたパズルだ。彼女が自分の造ったパズルを解いてくれ、持ち帰ったパズルの欠片を大切に持っていてくれたように、自分も萌未の想いに寄り添いながら、彼女の残したパズルを解いていこう。

 涼平は手紙に同封されたハートのパズルの欠片を握りしめ、窓外の暗闇に爛々と目を光らせた。






 隆二と連絡が取れないとなると、次に萌未のことに詳しい人物として浮かんだのは夏美なつみだった。ちょうど店が終わるころだったので、電話してみる。夏美はすぐに電話に出てくれたが、これからアフターで忙しいと言う。アフターが終わってからでもどうしても会いたいのだと請うと、ならば明日の昼食を共にしようと提案してくれた。



 次の日、夏美が落ち合う場所に指定したのは、大阪市西区のとある駅前だった。時間通りに落ち合い、近くの喫茶店に入る。

「涼平ちゃん、大丈夫?すごく疲れた顔してるよ?」

 向かい合って座った涼平を顔をまじまじと見て言う夏美の言葉に、曖昧な笑顔で返す。結局昨夜は一睡もせずにあれやこれやと思考を巡らせていたので、自分でもひどい顔をしている自覚はあった。

「あの、早速ですが、萌未の居所に心当たりはありませんか?」

 朝一番のニュースに一通り目を通し、萌未らしき遺体が上がったという情報はどこにも出ていなかった。もちろん自殺者の情報が全て閲覧できる訳でもないだろうが、宮本と美伽の事件は連日大仰に報道されており、一部の報道では事件に関与している疑いのある女性が行方不明となっている、として、萌未の名前も公表されていた。まるで犯人であるかのように言うその報道に顔をしかめたが、そんな報道がされているのだ、もし萌未が亡くなって発見されれば、即座にニュースに上がるだろう。とすれば、萌未はまだ警察にも見つかっていないということだ。


 人知れず亡くなっているということも考えられるが…………


 切羽詰まった顔で聞く涼平の質問に、夏美も真剣な顔を向けた。

「私もね、めぐちゃんのことは心配してるの。きのう電話で言ってたけど、隆二とも連絡取れないのよね?」
「はい」

 涼平が頷くのを見て、夏美は詰めた息を吐く。

「だとしたら、私にも打つ手は無いかな…クロも連絡取れないみたいだしね…」

 クロ…若名わかな黒田くろだ店長の話では、萌未は22日の月曜から店に出ていないと言う。涼平が彼女と話したのもその日の夜中が最後で、その時彼女は電話で風邪を引いたと言っていた。


 いや、違う……


 24日から25日に移ってすぐの夜中、事件のあった直前、彼女から電話がかかってきたのではなかったか?涼平はあの時救急搬送された由奈ゆなのことが気掛かりで電話をすぐに切ってしまったのだったが、確かあの時彼女は涼平にすぐに会いたいと言っていた。


 あの時、もっとちゃんと話していれば……


 涼平の顔に悔恨の色を見て取ったのか、夏美は彼の顔を心配そうに覗き込むと、

「ねえ、涼平ちゃん、めぐちゃんのことは少し忘れて、ちょっとゆっくりしたらどうかな」

 と優しく諭すように言う。涼平はそれに頭を振った。

「俺、実は萌未とは小学生の頃からの同級生だったんです。萌未は俺のことずっと気にかけてくれてたのに、俺は萌未のことを気づいてやれなかった。今、萌未は事件の犯人のように扱われてます。俺、何とか彼女の濡れ衣を晴らしてやりたくて…いや、これは俺の勝手な思い込みかもしれません。でも、知りたいんです!彼女がどうやって事件に辿り着いたのか、そして、彼女がその時どんな行動を取り、今どうしているのかを!」

 涼平の勢いに押されたように、夏美が後ろに仰け反る。その夏美の気圧された顔を見て、ふと思いつく。

「あの…夏美さんって、萌未のお姉さんと一緒に働いてたんですよね?彼女は何らかの事情があって若名でホステスとして働いていて、そこで亡くなった。警察では自殺と判定されたけど、萌未はそのお姉さんは実は殺されたと思ってて、それで自分も若名に入った。萌未の書いた文章にそう書かれてました。夏美さんはどっちが正しいと思ってるんですか?萌未のお姉さんって、自殺するような人でした?」

 そこまで一気に喋り、夏美の反応を伺うと、彼女は目を丸くし、顔色も少し白くなったように見えた。

「あなた……どうしてそんなこと、知ってるの?」

 驚いたようにそう聞かれたことで、なるほどそうかと思い当たる。夏美は萌未の残した文章のことを知らないのだ。涼平はそのことを打ち明けるかどうかを一瞬逡巡したが、これから萌未の足跡を辿っていく上で心強い味方になってくれるかもしれない、そう考えて十数冊に及ぶ萌未の書いた私小説のことを教えた。すると、彼女も読みたいと言うので、了承した。





 夏美は涼平から萌未の残した文章のことを聞き、危機感を覚えた。一体、どこまでが書いてあるのだろう、と心中を泡立たせた。そして、自分もそれを読み、もし真実が包み隠さず書いてあるなら、即座に回収して処分しなければ、と思った。




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