【完結】北新地物語─まるで異世界のような不夜街で彼女が死んだわけ─

大杉巨樹

文字の大きさ
149 / 208
第3部 他殺か心中か

囚われの幼馴染

しおりを挟む
 2003年12月27日

 涼平りょうへいと喫茶店で別れ、小山こやま夏美なつみは本来の予定である病院に向かった。トラが入院している総合病院だ。トラこと神崎かんざき一虎かずとらは夏美に取って幼馴染で、昔から何かと頼りになる存在だった。だが、今は拳銃で胸を撃たれて意識不明の重体となり、もう三ヶ月近くもペースメーカーに繋がれたまま眠っている。夏美は彼の病室にできる限り日参していた。


 猛々しかった容貌が日に日に痩せていき、いつ覚めるとも分からない蒼白な顔を眺めていると、泣きそうになる。それは辛いことだったが、よう、と何事も無かったようにいつか目覚めるのではないかと、それだけを期待して毎日訪れていた。






「夏美ってさあ、トラのこと好きなんちゃうん?」

 開け放った窓枠に腰掛け、夜風に銀髪を揺らしながら、加代かよが聞いた。夏美はピクついた眉を押さえ、引きつりかけた頬を誤魔化すように微笑んで見せる。

「もちろん好きよ。拓也たくやも、クロもね」

 名前を二つ足したのはわざとらしかったな、と思う。加代は口数こそ少ないが、人の心の機微には敏感なのだ。

「ふう~ん」

 こちらを向いた加代の目は髪と同じ銀色に光り、少女から大人の女へと移行しようとするその姿は、月をバックにして見るとまるで幽玄な一匹のあやかしのようだった。

「私はね、夏美が、好きよ」



 あれは夏美が中学を卒業する年のことだった。夏美たちが住む幸寿荘こうじゅそうにはベランダが無い。細長く茶色いミルフィーユのような二階建ての棟が東西に二つ、ドンと構えているだけだ。夏美の住む東棟の窓からは東側は民家で西側はこの西棟が見えるだけなので眺望は絶望的。それに対して今いる加代の住む西棟の二階は西に開けていてまだ開放感があった。


 夏美は物心ついた頃から中学を卒業するまでの間、池橋いけはし市にある文化住宅に住んでいた。築年数半世紀は経っているだろうというその縦長の住居には東西の二棟を合わせて四十ほどの世帯が暮らしていて、みんな貧乏だったが仲は良かった。

 そしてそこには夏美と同い年の加代とまひるの二人の女の子が住んでおり、三人でよく一緒に遊んだ。母子家庭だった加代のお母さんは水商売をやっていて、夜は加代だけになるのをいいことに夜になると毎晩のようにまひるとお泊りに行き、三人でよくガールズトークに花を咲かせた。

 幸寿荘にはトラとクロという二人の同い年の男の子もいた。後に近くの一戸建ての家に越してきた拓也も加わり、夏美たち六人は小学校が終わった放課後はいつも集まって遊んだ。

 特に好きだったのは「盗っ人探偵」という鬼ごっことかくれんぼを融合させたような遊びで、トラなんかはそこから発展させて自分たちを探偵団だと名乗り、身の回りの出来事に不審な点があると謎解き遊びのテーマにしたりした。ある日、加代の家の扉に悪質な落書きがあった時なんかはトラが指揮を取り、犯人を探した。そして当時小学校低学年だった加代のクラスメイトの男の子が犯人だと分かり、加代に謝らせて落書きも消させた。後で分かったことだが、犯人を割り出せたのは結局トラが腕力に物を言わせたからで、推理なんかではなかった。加代はいわゆる韓国系二世で、その頃はそういう人種差別への意識がまだ低く、加代はクラスでいじめに遭っていて、そいつらの中に犯人の目星をつけるのは容易だったのだ。

 トラはそんな風に、夏美たち六人の中ではリーダー的存在だった。拓也は頭が良くて格好良かったし、クロはいつも冷静沈着で相談相手としては重宝したけど、腕っぷしの強かったトラが一番頼り甲斐があり、弱い者虐めにも果敢に立ち向かうトラのことが夏美も大好きだった。


 正直、小学校高学年くらいからは男としても意識していたと思う。


 だけど自分たちの中には太陽のような存在のまひるがいて、トラもきっとまひるが好きなのだと思っていた。まひるは学校でも幸寿荘でもアイドルのような存在で、屈託のないキラキラした笑顔を夏美も羨望の眼差しで見ていた。



 だから、中学三年の夏、まひるが亡くなった時には夏美もショックだった。警察は自殺だと判断したが、トラや拓也はそれを信じず、子どもの頃のように探偵団を名乗って犯人を突き止めると息巻いていた。

 夏美と加代はというと、その頃幸寿荘をマンションに建て直すという話が持ち上がっていて、各家々には好条件での立ち退きの要請がされており、二人の家もそれに乗って中学を上がると同時に引っ越すことになっていた。そして二人とも、まひるが亡くなったことは悲しかったけれど、過去に拘ることよりも未来に思いを馳せる方に意識が向いていた。



「私はね、夏美が、好きよ」

 加代が夏美にそう言ったのは、夏美が幸寿荘を引っ越すという前日に、加代の家に最後のお泊りに行った時だった。

 うん、知ってるよ。

 夏美は心の中で呟いた。加代は、女の子が好きな女の子、そのことを薄々気づいていた。

「私は、トラが好きだったかも」

 加代が打ち明けたので、夏美も打ち明けた。口に出すと胸にチクリと棘が刺さっているような感じがして、その想いは間違いなかったのだと思い知らされた。だけど、行動を起こす気にはなれなかった。




 それから結局幸寿荘は取り壊されることとなり、五人はバラバラに進学した。トラは女子禁制の商業高校へ行き、拓也とクロは自分たちの学区ではトップクラスの進学校に合格した。夏美は偏差値で言うと真ん中へんの普通校、加代は女子高に通うことになっていた。

「なあ?」

 加代が神妙な顔をする。

「うん、何?」
「私ら幼馴染み、バラバラになっても、私と夏美だけは一緒にいような」
「もう、何真面目な顔で言ってんのよ。当たり前やんか」
「そっか。よかった」

 加代が手を差し延べてきたので、優しくそれに合わせる。

「ここでの暮らし、楽しかったな」

 そしてにっこりと微笑み、私は、まひるの三人で川の字で寝た日々に思いを馳せ、若くして失われた命にまつ毛を伏せ、その彼女をいつまでも想っているトラにペーソスを抱いた。



 加代との約束通り、夏美と加代は高校生になってもよくツルンで遊び、高校を卒業後は二人してキャバ嬢になった。夏美は源氏名も夏美と名乗ったが、加代は源氏名を玲緒れおと変え、プライベートでもその名前で呼ぶようにと言った。加代という名前は捨ててしまいたいようだった。

 男連中はというと、拓也は大阪の国立大、クロは有名私学に進学し、トラはよく分からない間に事業主になっていた。リーダーシップのあるトラには、学業よりもそっちの方が似合っていると思えた。そして全員が社会人になると、クロはなぜか北新地の高級クラブの黒服になり、トラはトラで新地にナイトの店をオープンさせた。そして夏美と加代がクロの働くクラブへ入店することによって、また五人が北新地で集結することとなる。拓也だけは建設会社に就職して普通のサラリーマンになっていたが、結局拓也も社長に気に入られて新地で飲み歩くようになり、それぞれ立場は違えど、北新地の地で旧交を温め直すことになったのだ。




 だがそれも束の間だった。玲緒は薬物所持で警察に捕まり、現在刑務所にいる。トラは銃弾に倒れて意識不明の重体となり、拓也に至っては車で河に突っ込んで命を落とした。六人のうち、五体満足で動き回れるのは自分とクロの二人だけになってしまった………


 一体、なぜこんなことになってしまったんだろうと思う。



 夏美は中学を卒業してから社会人になるまでの十年弱の間はそれぞれ別々の道を歩んでいると思っていた。だが実際は五人とも、いや、亡くなったまひるでさえも、幸寿荘という長屋のあった土地に縛られて生きていたのではないかという気がしている。

 トラの父親は広域指定暴力団である神代じんだい組の幹部で、池橋市の地上げで儲けてのし上がった人物だった。トラがどこまで地上げに関わっていたのか夏美は詳しく知らないが、彼の収入源である十三じゅうそうのビルを手に入れたのは、多かれ少なかれ父親の事業に関連してのことだと聞いた。

 また、拓也もただ普通のサラリーマンとして就職したわけではなく、まひるの死因をずっと探り続け、その延長線上でフジケン興業に入社したのだということも知った。

 玲緒はトラのビルのテナントの一つを占める風俗店を仕切る立場としてトラに雇われることとなったが、後にトラが逮捕されるきっかけを作ることになった。玲緒は詳しいことを夏美にも隠していたが、そこにはあの土地に絡んだきな臭い陰謀の臭いがしている。


 そして、夏美がそれらの情報を知ることになったのは、キャバ嬢の頃に付き合うことになった男から聞いたからだった。



 トラは色恋について多くは語らなかったが、夏美は彼がずっとまひるに想いを寄せていたと踏んでいる。なので、彼女の死因にもずっと拘っていた。そしてその死因に幸寿荘の地上げが関わっていることを知り、幸寿荘の大家の娘である詩音しおん……大塚おおつか志保しほのことも知った。さらには大塚の後添の子、萌未めぐみとも……。



「あなた、萌未のことが好きだったんでしょう?」



 今、目の前のベッドで横たわっている真っ白い顔を覗き込みながら聞く。だが、その答えは彼からは返ってこない。


「私はさ、あなたを忘れるために田岡たおかと付き合ったけど、結局忘れられなかったな……」


 いつものように、トラに話しかける。だけど今日は、なかなかぶっちゃけちゃったな、と、夏美は頬を赤らめた。そう、自分は当時ボクシングで世界チャンプの道を邁進していた田岡と付き合ったのだったが、一線から身を引いた時、田岡は神代組の用心棒的存在になっていた。そして彼から聞いたのだ、池橋市に纏わるいろいろなことを。



「結局、あなたも、私も、幸寿荘に、そして北新地に囚われちゃったのね」



 夏美の吐く息が、空調の音しかしない病室の乾いた空気を湿らせた。






しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

隣に住んでいる後輩の『彼女』面がガチすぎて、オレの知ってるラブコメとはかなり違う気がする

夕姫
青春
【『白石夏帆』こいつには何を言っても無駄なようだ……】 主人公の神原秋人は、高校二年生。特別なことなど何もない、静かな一人暮らしを愛する少年だった。東京の私立高校に通い、誰とも深く関わらずただ平凡に過ごす日々。 そんな彼の日常は、ある春の日、突如現れた隣人によって塗り替えられる。後輩の白石夏帆。そしてとんでもないことを言い出したのだ。 「え?私たち、付き合ってますよね?」 なぜ?どうして?全く身に覚えのない主張に秋人は混乱し激しく否定する。だが、夏帆はまるで聞いていないかのように、秋人に猛烈に迫ってくる。何を言っても、どんな態度をとっても、その鋼のような意思は揺るがない。 「付き合っている」という謎の確信を持つ夏帆と、彼女に振り回されながらも憎めない(?)と思ってしまう秋人。これは、一人の後輩による一方的な「好き」が、平凡な先輩の日常を侵略する、予測不能な押しかけラブコメディ。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件

さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。 数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、 今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、 わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。 彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。 それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。 今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。   「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」 「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」 「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」 「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」   命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!? 順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場―― ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。   これは―― 【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と 【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、 “甘くて逃げ場のない生活”の物語。   ――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。 ※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。

ト・カ・リ・ナ〜時を止めるアイテムを手にしたら気になる彼女と距離が近くなった件〜

遊馬友仁
青春
高校二年生の坂井夏生(さかいなつき)は、十七歳の誕生日に、亡くなった祖父からの贈り物だという不思議な木製のオカリナを譲り受ける。試しに自室で息を吹き込むと、周囲のヒトやモノがすべて動きを止めてしまった! 木製細工の能力に不安を感じながらも、夏生は、その能力の使い途を思いつく……。 「そうだ!教室の前の席に座っている、いつも、マスクを外さない小嶋夏海(こじまなつみ)の素顔を見てやろう」 そうして、自身のアイデアを実行に映した夏生であったがーーーーーー。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

クラスのマドンナがなぜか俺のメイドになっていた件について

沢田美
恋愛
名家の御曹司として何不自由ない生活を送りながらも、内気で陰気な性格のせいで孤独に生きてきた裕貴真一郎(ゆうき しんいちろう)。 かつてのいじめが原因で、彼は1年間も学校から遠ざかっていた。 しかし、久しぶりに登校したその日――彼は運命の出会いを果たす。 現れたのは、まるで絵から飛び出してきたかのような美少女。 その瞳にはどこかミステリアスな輝きが宿り、真一郎の心をかき乱していく。 「今日から私、あなたのメイドになります!」 なんと彼女は、突然メイドとして彼の家で働くことに!? 謎めいた美少女と陰キャ御曹司の、予測不能な主従ラブコメが幕を開ける! カクヨム、小説家になろうの方でも連載しています!

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...