【完結】北新地物語─まるで異世界のような不夜街で彼女が死んだわけ─

大杉巨樹

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第3部 他殺か心中か

犯人の正体

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 夏美なつみと喫茶店で別れ、涼平りょうへいは手持ち無沙汰になった。夏美は萌未めぐみの行方を知っているのではないかと期待したのだが、結局彼女も萌未の居場所は分からないようだった。涼平が萌未の書いた長い私小説のことを教えると夏美は興味を示し、自分もそれを読みたいと言う。夕方に萌未の部屋で落ち合う約束をしたが、その時間までまだ6時間ほどあった。



 涼平は昨夜一晩かけて何度も読んだ内容に頭を巡らせ、萌未の足跡を辿るにはやはり発端である池橋いけはし市へ向かうのが今できる精一杯のことだと思い当たる。


 まさか、萌未が自分と同じ小・中学校を卒業していたとは思わず、一昨日に宮本みやもとの職場を見ようと訪れた時にはただ感傷に浸るだけだったが、萌未の半生を綴った文章を読んだ今となっては池橋駅のコンコースも全く違う色に見えた。無理に今風にしたガラス張りの仕様が痛々しく見えていたが、今日はそこに禍々しい気配を漂わせている。萌未によるとこの駅を作るために、多くの人が犠牲になったのだ。


 今日が年末の土曜ということで駅下のショッピングモールはそこそこ賑わっていたが、宮本が室長を勤めるショールームは閉まっていた。一昨日には臨時休業となっていた紙が、年始まで休業するという紙に張り替えられている。御用の方はこちらまでと、本社の連絡先が記載されていた。


 それから、涼平は駅の北側に走る国道を渡り、さらに北に伸びるアーケードへと足を進めた。昔ながらの古い商店街といった風情で、駅周辺に進出してきたデパートや大手のスーパーのチェーン店に追いやられているのか、半分近い店がシャッターを下ろしていた。そしてそのアーケードの中程に、寂れた雰囲気とは一線を画した賑々しくポスターで彩られた一角がある。池橋市から当選した民政党の衆議院議員、榎田えのきだの選挙事務所だ。


 涼平はその戸口に立って目を眇め、中を見回した。入口前に立て掛けた看板にも、榎田の白い歯を見せて堂々と笑っている写真がある。萌未によると、彼はフジケンとツルンで不法に利益誘導し、それがバレそうになると萌未のお姉さんである志保しほさんをレイプして口を噤ませた……そんなおぞましい行為をした人物には、榎田のポスター写真からはとても伺えないが、善人ぶっている悪人ほどたちの悪い者はない。唾棄したい気持ちを抑えて中を伺うと、真っ白いサイコロの中みたいな部屋に長机と数脚のパイプ椅子が並べられているだけで、とても私腹を肥やしている人間の事務所とは思えない簡素な造りとなっていた。


 この事務所を仕切っていた秘書の小山内おさないは裏帳簿を萌未に託し、自ら命を絶った。ネットの情報から、小山内が自殺したという事実は確認していた。だが、榎田の不正が暴かれたというニュースはどこを探しても見当たらない。だとしたら、萌未の手に入れた裏帳簿はどこにいったのだろう?

 さすがに事務所で裏帳簿ありますかなどと聞くわけにもいかず、涼平は特に何の手掛かりも得られないままその場を後にした。



 次に向かったのは駅の西側に広がる市街地で、商店街前から南に湾曲する国道に沿って行くとやがて涼平が子どもの頃に住んでいた団地に行き着く。道路を渡って向かい側に萌未のお母さんが働いていたスナックがあったはずだが、子どもだった涼平にはその店の印象はなく、今はただ真新しい一軒家が建っているだけだった。

 団地に入り、その真ん中当たりにある公園のベンチに腰を下ろす。広場では子どもたちがサッカーに興じていた。犬を散歩させている人の姿もちらほらあったが、老人たちは学校が休みの子どもたちに譲っているのか、ベンチには誰も座っていなかった。

 すぐ目の前の砂場に目をやる。ここで、初めて萌未に出会ったのだ。萌未は夜にここでよく一人遊びをしていて、引っ越してきたばかりの自分が砂の城を作るのを目を輝かせて見ていてくれた………残念ながら、涼平にはその当時の記憶はおぼろげにしかなかった。



 覚えていることといえば、ここに越してきてしばらく寂しい思いをしていたということだ。涼平は幼い頃、毎日のように祖父のアトリエに顔を出しては、祖父に造形の手解きをしてもらっていた。それは涼平に取って楽しいことなのだったが、父親はそのことを好ましく思っていなかった。


 よく父親が晩酌で深酔いし、自分は才能がないと祖父から罵られたのだと管を巻いているのを聞いた。それに耐えられなくなった父は幼かった涼平を連れ、祖父から逃げるようにこの団地に引っ越してきた。今から思えば、父は幼い自分に嫉妬していたのではないかと思える。父に厳しかった祖父は、孫である涼平のことは甘やかし、才能が無いと罵った父の前で涼平の才能を褒めた。子と孫の違いもあったろう。だがそれは父に取っては耐え難い屈辱だったのだ。


 父が祖父を嫌う原因は祖母にもあった。祖母は祖父が亡くなると、涼平を造形師にしようとする祖父の意思を受け継いだ。父にしてみれば、そのことも気に食わなかった。

 
 祖父と祖母は大恋愛だったと祖母から聞いた。祖母は京都の芸姑で、由緒正しい問屋の息子に身上げされて嫁いだのを、まだ無名だった祖父が駆け落ち同然でその問屋の母屋敷から連れ出したのだそう。それからの祖父との生活は、貧乏だったが楽しかったとまだ幼かった涼平を前に頬を綻ばせて語っていたのを覚えている。

 その言葉からも察するに、きっと父は子どもの頃、相当苦労したのだと思う。自分に苦労だけを強い、能無しの刻印だけを押して認めてくれなかった祖父母を恨み、その延長線上で涼平のことは疎んじた。父は母が涼平の世話を焼くことにも面白くないようだった。母は父の顔色を伺い、父が家にいる夜の間は涼平に対してほぼネグレクト状態だった。寂しかった涼平は、両親が何も言わないことをいいことに夜に家を抜け出し、ここの砂場で遊ぶようになっていた。



 そうして、萌未と出会った。萌未はそんな涼平を好きになってくれ、中三でまた同じクラスになった時には涼平の作ったパズルを解くことを毎日楽しみにしてくれた。


 そして十五の誕生日、萌未はハートのパズルの一片を無くしたと言って持ち帰り、そのことでクラスメイトに詰められて運動場で探すふりをした。きっと萌未のことを妹だと思っていた美伽みかはそんな萌未が可愛そうで、小雨の降る中を一緒に寄り添って探したのだろう。涼平は、そんな美伽を好きになった………



 そんな一連のことを思い描くと、涼平の中で、懐かしさ、愛しさ、寂しさ、悔しさ、もどかしさ………といったいろんな感情が渦を巻いて胸を締め付けた。今、涼平の手の中には萌未が手紙と一緒に同封してくれたそのパズルのピースがあり、それをぐっと握り締めた。


 ずっと、萌未が携帯に付けていた赤いプラスチックのストラップ、それは自分の作ったハートの欠片……祖父から手解きを受け、その手先の器用さから作ったパズル……萌未はこれを涼平の心に見立て、ずっと大事にしてくれていた──


(これはね、幸運をもたらしてくれるアイテムなのよ)


 初めて萌未の部屋を訪れた日、萌未はこの欠片を涼平の目の前に見せてそう言った。ひょっとすると自分に気付いて欲しかったのかもしれない。

 本当に、俺は、馬鹿だ!

 悔恨の情に、涼平はぐっと目を瞑って眉間の皺を深めた。




『涼平の15の誕生日

 心のかけらゲット!!

 やったあー』



 そんなことに無邪気に喜んでくれる萌未を、狂おしいほどに抱き締めたい情動に駆られる。


(萌未!一体今どこにいる!?)


 一昨日ここに来た時、萌未が近くで見ている気がしたのだったが、辺りを見渡しても萌未の姿はない。あれは自分の願望が見せた幻影だったのだろうか………



 その時だった!涼平の頭の中に電流が走り、ずっと萌未の書いた文章を読みながら感じていた違和感の正体に気づいた。

 今すぐ確かめなくては!

 涼平は立ち上がり、それから萌未の部屋へと急いで帰った。




 部屋に戻ると、再び萌未の書いた文章の最後の冊子を取り、パラパラと捲っていく。


 そして、見つけた。


 そこには、一連の犯人の名前がしっかりと書き記されていた。



 涼平はそれを見つけると、もう一度最初から目を通し、自分の考えが間違っていないか確認し始めた。

 もしこれが本当だとすると、今すぐに警察に届けるべきだろうか……?

 そんなことを考えながら読み進め、ちょうど最後まで読み終えて犯人をある程度確信した時だった。インターホンが鳴り、ビクッとして背筋を伸ばした。時計に目を走らせると、夕方6時少し前、夏美と約束をしている時間でホッとした。

 ちょうど良かった、彼女にも涼平の意見を聞いてもらい、どうすればいいか判断を仰ごうとインターホンで応答し、玄関の施錠を外した。そしてドアチャイムが鳴り、夏美を迎えに玄関まで行く。

 ドアを開けると、夏美の後ろから背の高い黒スーツの男がヌッと躍り出た。


 誰!?


 涼平の頭に警鐘が鳴る。男は頭髪が無く、廊下の蛍光灯を反射してピカピカの頭を晒している。


「今晩は。ちょっとお邪魔しまっせ」


 間髪入れずに涼平の横をすり抜け、部屋に入がろうとする。涼平はそのスキンヘッドの男のことをどこかで知った気がして記憶を巡らす。


 そうだ、出来島できしまが報復を恐れるくだりで、出来島を取り巻いていた野崎のざき組の男たちの中にスキンヘッドの男の描写があった。

 
 なぜ、ここに、夏美と一緒に!?


 彼を家に入れてはいけない、そう思った時にはすでに手遅れだった。




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