【完結】北新地物語─まるで異世界のような不夜街で彼女が死んだわけ─

大杉巨樹

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第3部 他殺か心中か

もし愛する人が死んだら

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 2003年12月28日

 捜査令状が取れ、絹川きぬかわ萌未めぐみの住む部屋に踏み込んだ時にはもう、彼女の行方は分からなくなっていた。いや、絹川がいつから行方知れずになっていたのか、本当の所は分からない。柳沢やなぎさわ椎原しいはら涼平りょうへいと26日に電話で話した折、彼は絹川と24日の夜は一緒に過ごしたと言っていた。だが椎原はクラブドルチェに夕方から出勤し、25日の夜中から未明にかけては北区の救急病院で搬送されたホステスと思われる女性に付き添っていたのが確認されている。その後すぐに訪れた柳沢は彼が一人で部屋にいるところを見ているし、椎原の証言には信憑性が無かった。


 では、絹川の足跡はどこから消えているのか……?


 今一度椎原に確認しようと連絡をするが、今日の早朝から椎原とは連絡が取れていなかった。携帯も直留守で、北新地のクラブも年末年始の休みに入った今、彼の居場所に検討がつかないのだった。


 西天満にしてんま署強行犯係の柳沢は丸山まるやま主任と共に府警本部捜査一課の涼宮すずみや班と椎原の行確こうかく(行動確認)の任務に当たっており、27日は交代で張り込んでいた。椎原は昼過ぎに喫茶店で女性と落ち合い、その後池橋いけはし市に移動してブラブラと歩いた後、ミナミの絹川の家に戻り、そこから一歩も外に出ていないのは確認されている。柳沢も夕方から明け方までずっと、車の中で涼宮と一緒にマンションの入口を見張っていた。そこから捜索チームが部屋に踏み込むまで椎原は外出していないはずだったが、踏み込んだ時には部屋の中はもぬけの殻だった。



「あんた、寝てたん違うやろなあ?」

 絹川の家に踏み込んだ人員の中にいた姫野ひめの係長が柳沢を睨む。

「え?いやあ、そんなことは決して…」
「何や、歯切れ悪いやないか。さては、寝てたな?」

 脇汗を滲み出しながら隣りに立つ涼宮班長を見る。涼宮は二人の顔を交互に見て、困ったように口の端を曲げる。

「いや、ほんの30分程度だったよね?」
「寝てたんかい!」

 すかさず姫野の罵声が飛び、柳沢は慌てて涼宮の広い背中の後ろに隠れた。

「いや係長、その間僕がずっと起きて見張ってましたから、大丈夫です。椎原はこの玄関からは、間違いなく出ていません」

 姫野は柳沢を睨みながらも、涼宮の助け舟にうーんと唸る。

「このマンション、防犯カメラが付いてないからなあ、ほんまに出てないのかどうか、確認しようがないな。現に部屋ん中にはいないんやから、どっかの時点で出たのは間違いないんやからな」

 姫野のどこか非難めいた言葉に、柳沢だけでなく涼宮も目線を下げるのだった。



「見てないもんは見てないんですもんねえ、あんな言い方せんでもええのに」

 涼宮と二人、遅めの朝食を取りに入った喫茶店で、柳沢は口を尖らせた。

「姫野さんは聞きしに勝るやり手さんやね。なかなか迫力がある」
「でしょでしょ?貫禄はあっても人徳はないんすよ。僕なんか、毎日必要以上に怒られてばっかりでもううんざりです」

 涼宮は柳沢のタコ口を見てクスッと笑った。捜査会議の初日、椎原の行確に涼宮が手を上げて以来、柳沢は彼と行動を共にすることが多かった。男前だがどこか飄々としている彼に、柳沢は初見から親近感を抱いた。昨夜にしても、誰しも嫌がる夜中の張り込みを班長自ら買って出るところも好感が持てた。



「涼宮班長は、どうして今回、椎原の行確に手を挙げたんすか?」

 朝食セットのサンドイッチを頬張りながら、そんなことを聞いてみた。柳沢にしたら自分とバディを組んでくれる涼宮への、コミュニケーションの一環だった。涼宮は口の中を整えるようにコーヒーを啜り、目を細めて窓外を眺めると、引き出しの奥にしまっている大切なものを引き出すように話し出した。

 こんなにスラっと背が高くて男前なら自分なら俳優にでもなるなあ、涼宮の端正な横顔を見ながら、柳沢はそんなことを考えながらぼんやり聞いていたが、話の最後には目覚めのコーヒー以上に頭を覚醒させることになった。


「俺には妹がいてね、身内贔屓と思われるかもしらんが、性格も明るく、顔も美人やった。その妹がね、中学三年の年に入水自殺したんや。今から13年前の夏のことやった。警察は受験を苦にしての自殺と判断したけど、俺には納得いかんかった。妹は頭も良かったし、成績も悪い訳や無かったからね。ただ、妹にはどうやら好きな男がいて、その男は学区で一番偏差値の高い高校に進学しようとしていた。それに付いて行きたかったんやろう。確かにそこまでの学力には追いついていなかった。でも、妹の性格からして、そんなことで自殺するようなことは絶対に無い。それに百歩譲って自殺するにしても、妹は水泳が得意やった。そんな妹が死に場所に川を選ぶなんて、どうしても納得いかんかった。俺は警察の判断が間違っていると思った。他殺やと思ったんや。そしてその犯人は今ものうのうと生きとる、そう思うと今でも血が煮え立つほど腹が立つ。俺は何としても真相を突き止めたいと思った」


 話が何か不穏な方向に行ってるなと思い、柳沢は唾を飲み込む。気の毒な話だったが、その内容が今回のこととどう繋がるのだろうと疑問に思っていると、涼宮は柳沢の方を向き、目力を強めた。


「実はな、今回亡くなった宮本みやもと拓也たくや、妹が当時好きやった男なんや」

 
 一瞬コーヒーを吹き出しそうになった。そして涼宮の言葉を反芻し、次第に彼の言ったことが頭の中に浸透し出すと、

「ええ~~~っ!!」

 と、柳沢は叫声を上げて喫茶店内の空気を揺らすのだった。



 涼宮はそこまで話すと、昂ぶった気持ちを抑えるようにコーヒーカップを口に運びズズッと鳴らす。柳沢は睨んできた周囲の客にペコペコと頭を下げてから、居住まいを正した。

「あの……そんな辛いことがありはったんですね…それで、涼宮さんはその犯人を突き止めようと刑事になったんですか?」
「いや、そらそんなことが出来たらええんやけど、それが直接の理由やない。世の中には俺みたいに歯がゆい思いをしてる遺族がたくさんいるんちゃうかって思ってな。警察の判断を誤るとそんな遺族が増える。青臭いこと言うようやけど、そんな遺族を一組でも無くしたい、刑事になったんはまあ、そんな想いからや」

 涼宮はそう言うと、残りのサンドイッチを口に入れた。

 思わぬ涼宮の衝撃の告白に、いろんな想いを抱いて刑事になる人がいるのだなあと感心した。自分などはただカッコいいからという薄っぺらい理由で浮かれていた。そして初めての重大事件に遭遇し、あたふたと毎日を送っている。

 涼宮の遺族という言葉で、事件初日に霊安室で見た光景が頭を掠める。25日に取調室から椎原を送り出し、霊安室に顔を出すと、そこは阿鼻叫喚の坩堝だった。


 最初に呼ばれた宮本の両親は、まだ大人しかった。まるで遠い国で起こった出来事かのように自分の息子を見つめ、肩を落として悄然としていた。

「ああ、こんなことなら、あなたの生きたいようにさせてあげたかった……」

 母親がそんなようなことを言った時だった。父親がうわあと奇声を上げ、宮本の遺体にしがみついた。慌てて近くにいた捜査員たちが引き離したのだったが、その後も父親も母親も狂ったように泣き叫びながら、すでに息をしなくなった息子に謝り続けていた。

 藤原ふじわら美伽みかの方は椎原が確認しなければ分からなかったということもあり、父母の到着は遅れた。二人の反応も、最初は宮本の父母と同じように、自分たちの娘の身に降り掛かったことが信じられないようだった。呆然とベールを捲られた娘の顔を眺めていたが、やがて父親の藤原健吾けんごが叫び出した。

「こんなこと!こんなこと俺は認めん!こんなこと、こんなこと……」

 頭がおかしくなったようにしばらく同じことを叫んでいた。母親が泣き崩れ、それを見た父親が彼女を抱き起こそうとした時、まるで汚いものに触られるのを拒否るように、母親が健吾の手を払い除けたのが印象的だった。

 そこからはもう、堰を切ったように母親は鳴き叫び、父親の方も号泣して崩折れた。恰幅のいい身体が縮んだように小さく見えた。

 大切な息子、娘を亡くしたのだ、正体をなくすまで滂沱ぼうだするのは仕方のないことなのかもしれない。だがあそこまでの醜態は、柳沢は警察官になってからも見たことがなかった。



 いや………

 もし自分の愛する人が死んだなら……

 もし、あきらが永遠に失われてしまったら、自分だってあんなふうになるかもしれない……。



 そう思いついた時、目の前の涼宮がさっき、今でも血が湧き立つと珍しく感情を剥き出しに言っていた姿が脳内リプレイされた。

 もしかしたら、彼はこの事件を妹さんの死と繋げて考えているのかもしれない──


「涼宮主任!絶対、犯人を挙げましょうね!」


 涼宮の前に強く握った拳を突き出し、目力を込めて言った柳沢に、涼宮は怪訝な顔を向ける。


「うん、それは分かったから、早く食べてくれる?そろそろ戻らないと」




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