【完結】北新地物語─まるで異世界のような不夜街で彼女が死んだわけ─

大杉巨樹

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第3部 他殺か心中か

光と影のアンチノミー

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 田岡たおか志四雄ししお神崎かんざき一虎かずとらの告別式に参加し、読経する僧侶の上から降り注ぐスポットライトを見つめかなら、自分の人生で一番輝いていた瞬間を思い出していた。




 志四雄は19の年にはアマチュアボクシング選手権大会で優勝し、そこからプロに転向すると、ライトフライ級のチャンピオンまでの階段を駆け上がっていった。タイトル戦は6ラウンドのTKO勝ちだった。王者に輝いた時、世界は自分のために回っていると本気で思えた。


 世界チャンピオンになった志四雄を、世間は持て囃した。メディアにも露出が増え、スポーツ番組などへの出演を皮切りに、雑誌の撮影、CMの契約などの仕事も舞い込んできた。カメラのフラッシュ、スタジオのスポットライト、飲み屋街のネオン…

 光、光、光…

 志四雄はようやく暗く長いトンネルを抜け出し、眩い光の当たる楽園へと到達したと実感した。



 だがそれは束の間の栄光だった。志四雄は世界王者として二度の防衛を果たしたが、チャンピオンになって四年目でベネズエラの選手にKO負けし、三度目の防衛に失敗した。

 相手のパンチは速かった。速かったが、対応出来ないスピードではなかった。左目に違和感を覚え、死角となったところから強烈な右ストレートを食らい、ダウンカウントの間には立てなかった。試合後に目を調べると網膜剥離を起こしてることが分かった。そして、引退を余儀なくされた。

 ボクサーとしては有りがちな引退理由だったが、志四雄自身はもっと根深いところにプロボクサーとしての限界を感じていた。光の中に埋没することによって、ハングリー精神が薄れていったのだ。それだけが志四雄の原動力だったはずなのに、気がつくと激しい練習や減量が苦痛になっていた。



 チャンピオンでなくなった志四雄の周囲からは急速に人がいなくなった。テレビ出演も次第に減っていき、CMの契約も無くなった。それでもそこそこ顔が売れていたので、北新地のクラブなどに飲みに行くとそりなりにモテた。一虎に試合をふっかけられたのは、そんな過去の栄光に縋り付いた日々を送る中だった。

 篠原しのはらのおやっさんから、一虎が自分と試合させろと煩いから対応して欲しいと頼まれた。そんな面倒くさいことできるかと断ると、実は前々から試合を申し込まれていたのだが、チャンピオンの間は篠原の判断で断っていたと説明し出す。だがチャンピオンでなくなり、実は大力だいりき会長からも二人の試合をやらせるようにと言われたのだと言う。その名を聞き、志四雄は胸の奥にずっと隠していた感情を湧き立たせた。一虎の存在は前々から知っていた。大力の血を引き、彼の期待を背負う男……一度どんなやつか会ってみたいと思ってはいた。そして自分の手でぶちのめしてやりたいという衝動に駆られた。


 一虎は会ってみると熱苦しい男だった。篠原は1ラウンドで終了させると言っていたが、素人相手にそれで十分に思えた。案の定一虎は自分のスピードに付いて来れず、ガードするのが精一杯だった。何度もダウンさせた。だが一虎は毎回立ち上がってきた。さすがに1ラウンド終了間際、三回目のダウンから立ち上がった時は頭に血が上った。プロとしての意地…そんな格好いいものではなかった。これが血筋の違いか…そんな思いが沸々と沸き上がった。このまま引き分けるわけにはいかない、そんな思いで志四雄は最後の一発が大振りになった。そして、それを一虎はずっと待っていたのだった。

 一虎の対応は速かった。プロ顔負けの素早いステップで懐に入り、渾身の一発を食らわされた。志四雄は吹っ飛び、軽い脳震盪のうしんとうを起こした。篠原がすぐに止めに来てくれたが、実際は見事なKO負けだった。


 一虎に試合で負けたことは志四雄にとって転機となった。短い栄光の日々を謳歌した志四雄に残った道は後進の育成に寄与しながら年老いていくのか、はたまた中途半端にタレントに転向してメディアに消費され果てていくのか……ジムの一つくらいは持つことも出来たかもしれないが、そんなありきたりなレールに乗るには、それまでに浴びた光が眩し過ぎた。

 まだまだ、あの綺羅びやかな光の中に埋没していたい、そんな思いが志四雄を闇の世界へと導いた。志四雄は篠原に、大力会の中に自分のポジションはないかと聞いた。その時の篠原の目は、普段腫れ物に触るように自分を見る目とは打って変わって、暗闇の奥で獲物を狙う狼のように鋭かった。

「本気か?」

 篠原は志四雄に確認し、志四雄は頷いた。

獅子王ししおうの気持ちは分かった。ほんなら会長に聞いたるさかいな」

 そうして志四雄は、大力会を裏で支える闇組織の役割を担う京極きょうごくジムの表向きの顔になった。




 ボクシング業界は他のスポーツや芸能業界と同じように、裏社会の庇護の元に発展してきた歴史がある。プロだなどと名乗ってみても、誰も無名の者の興行などに見向きもしない。そこで、裏組織に頼んでまとまった数のチケットを売り捌いてもらうのだ。そうやってスポーツ団体や芸能事務所とヤクザとの繋がりは脈々と受け継がれ、世間が反社会的勢力に厳しくなったとしても、簡単に断ち切れる関係ではなくなっていた。

 まして、志四雄は日本で一番の勢力を誇る神代じんだい組の有力幹部である大力誠治せいじの長男とその界隈では知られているのだ。大力会のフロント企業の顔役となるには、チャンピオンとなって顔の売れた志四雄はうってつけの人材だった。幼い頃は母と暮らす家を大力が用意してくれ、大力自身も一緒に暮らしていたので、志四雄もそんな彼を父と慕い、自分の境遇に優越感さえ持っていた。だが実際は、志四雄は大力とは血が繋がっていなかった……。



 あれは中学に上がる直前の春休みのことだった。母の富士子ふじこから自分は大力の子ではないと聞かされた。では父親は誰なのかと詰め寄ると、藤原ふじわら健吾けんごという聞いたこともない名前を上げた。母が北新地でホステスをやっていた時分に客として知り合った男らしい。志四雄には、本当の父親が誰かということよりも、大力と血が繋がっていないと告げられたことがショックだった。

 今から考えると、あの母の告白は決して自ら起こした行動ではなく、大力が裏で指示を出していたのではないかと思う。血の繋がっていないお前の世話をずっとしてやっていたのだ、これからは大力に取ってしっかり役立つ人間になってくれよ…そんな大力の思惑が透けて見えた。だが当時の志四雄にはそこまで考えるゆとりなどなく、自分の血が特別なものではないことを告げた母がただただ疎ましく思えた。

 中学生になると同時に、志四雄は京極ジムのオーナーである篠原に預けられたが、母の顔を見たくなかった志四雄には願ったり叶ったりだった。京極ジムは表向きはボクシングジムを装っているが、その実、大力会の暗殺部隊を構成する人材を見つけ、養成するための窓口となる存在だった。古い鉄骨三階建てのビルの薄暗い鉄の階段を上がるとこじんまりした住居スペースがあり、バッグ一つ持って家を出た志四雄はそこでプロボクサーになるまでの数年間を過ごした。

 居住スペースは三階建ての三階にあり、二階は三階の簡単な扉と違って重厚なコンクリートの壁にがっちりとした黒い鋼鉄製の扉がはまっている。窓的な物も無く中がどうなっているのか外からは全く見えないが、鍵もしっかりとかかっていて中に入ることは出来なかった。一階にはボクシングジムとしての設備がしっかり整っていて、外に出て見上げると『京極ジム』と筆字で書かれた汚い看板が入口のガラス戸のすぐ上にかかっており、一応はボクシングジムの体をなしてはいる。スパークリング用のリングが中程よりやや奥に陣取り、周囲にサンドバッグや筋肉を鍛えるマシンが散らばって置かれているが、全体的に薄暗く、営業しているのかしていないのか分からないくらい活気が無かった。志四雄が入居したその時は二人ほどの男がサンドバッグに向かっていたりマシンで鍛えたりしていたが、トレーナーと思しき人間は見当たらなかった。

 後から篠原に聞いたことだが、志四雄がここに連れて来られた目的は暗殺部隊の幹部として育成されることだったらしく、二階にはそのための銃器が置かれ、簡単な射撃練習も出来るようになっている。本格的な訓練はとある山に施設があり、合宿という名目で定期的に訪れる手筈になっていたのだ。だが志四雄は大力と血が繋がっていなかったという鬱屈をジムで晴らし、気がつくとイッパシのボクサーに仕上がっていた。篠原はそんな志四雄を見て大力に頼み込み、志四雄に純粋なボクサーの道を歩ませることにしたのだった。



 そうして志四雄は見事プロテストに合格し、着々とチャンピオンへの階段を上がっていった。チャンピオンから陥落した後も、選びさえすれば表の世界で生きていくことは出来た。だが、志四雄はその選択肢を選ばなかった。大力との血の繋がりへのこだわりが、裏社会への道を選ばせた。決定的だったのは、一虎との勝負に負け、キラキラとした顔で勝ち誇る一虎を見上げた時だった。

 これが血の繋がりの差か……

 自分と一虎との間に厚い壁が立ち塞がっているように感じた。初めて京極ジムを訪れた時の、鬱屈とした気持ちが蘇っていた。





 燦々とライトの光が降り注ぐ祭壇の上には、在りし日の一虎のキラキラと溢れる笑顔の写真が大きく飾られている。志四雄はそれを見つめながら、今となっては早世した一虎に憐憫の情を寄せた。やつは死に、自分は生き残った……そのことが、志四雄をやり切れない気分に陥らせていた───。




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