【完結】北新地物語─まるで異世界のような不夜街で彼女が死んだわけ─

大杉巨樹

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第3部 他殺か心中か

数珠繋がりの死

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 一虎かずとらの告別式も終盤に差し掛かっていた。会場に訪れた弔問客が、次々と祭壇前に設けられた焼香台へと上っていく。志四雄ししおはなるべく目立たないように会場の後ろの方に席を取っていたのだが、前の方の席に元カノである夏美なつみが座っているのが見えていた。僧侶の読経が終わり、退出していくと、焼香に向かう者やそのまま帰っていく者たちが立ち上がって会場はザワザワとしたざわめきに包まれた。そんな中、夏美は先に帰る同僚を送り出したり、挨拶しに近くまで来た知り合いと立ち話をしたりしていたが、その際に後方の席にいる自分の存在に気がついたのを、志四雄も捉えていた。だが夏美が自分の方にやって来ることも目線で挨拶を交わすこともなく、志四雄とは接触しないと決め込んでいるようだった。志四雄の方も帰っていく客たちに気づかれて取り囲まれるのは厄介だったし、一虎の異母兄弟たちとも距離を取りたかったので、夏美の他人顔に乗っかってそのまま言葉を交わすことなく会場を後にした。



 夏美とは二年ほど付き合った。いや、あれは付き合ったうちに入るのだろうかと志四雄は疑問に思う。お互い彼氏彼女になるようなことを口に出したことはない。ただ、体の関係はあった。志四雄は一虎がキャバクラオープンする際、景気づけに遊びに来て欲しいと頼まれ、初日に顔を出した。一虎との勝負以来、なぜか一虎は自分を慕ってくれ、そんな自分も一虎に気を許すようになり、顔を合わせば酒を酌み交わす程度の仲にはなっていた。きっと一虎は遊び慣れしている志四雄に気を使ったのだろう、安キャバのキャストの中では頭一つ抜けていた夏美を席に付けてくれた。夏美は接客をスマートにこなしてはいたが、志四雄は彼女がチラチラと時折一虎に目を走らせるのが気になった。ああ、この女は一虎に惚れているな、そう思った。

 当時志四雄はボクサーを引退し、虚しさを紛らわすために享楽に明け暮れる日々を送っていた。事業を起こし、相変わらずキラキラと輝いている一虎を見て、嫉妬心が湧き上がった。一虎はそのキャバクラの入っている十三じゅうそうのビルを大力だいりきの兄弟姉妹たちとの戦いに勝って手に入れたのだという。母の富士子ふじこは自分たち親子に手厚い援助をしてくれていた大力に遠慮もあり、志四雄には通さずに自分のその権利を辞退していたらしいが、そんな自分にも戦いを挑み、見事勝利した一虎に清々しさを感じてもいた。そんな一虎の昔馴染みであり、心の中では一虎を男として好いているがその気持ちは隠している、自分の横に着くそんな夏美にシンパシーを感じ、何度か会いに行くうちに体の関係を持つに至った。志四雄に取っては何人もいる女の中の一人だったが、彼女の心のふくよかさに触れるうち、志四雄も彼女と一緒にいる時間に安らぎを感じるようになっていった。だがその関係も、大力会の中での志四雄の立ち位置が壊すことになったのだった。



 大力会の中で、志四雄は主に芸能にまつわるあれこれを担当していた。芸能人が表に出せないトラブルを抱えた折には裏で処理をしてやり、その芸能人と大力との繋がりを強めた。そして大力が利益享受する政治家のパーティーがあると、そんな芸能人たちを駆り出した。政治家にしても有名人が参加する方がパーティー券の捌け具合がよく、芸能人にしてもバックに政治家や大力のような大物ヤクザが付いているとなると幅を利かせられる。そういうウインウインの関係の橋渡し的な役割を担っていた。

 トラブルシューターとしての役割をこなす中で、志四雄は大力の暗殺部隊を直接動かす機会も多くなった。篠原しのはらはすでに老齢で大力会若頭としての仕事も多く抱え、彼も次第に暗殺部隊のことは志四雄を任せるようになっていった。

 そんなある日、大力が懇意にしている与党の衆議院議員、榎田えのきだが志四雄に困り事を持ち込んできた。志四雄は彼のパーティーの手配を何度か手掛けており、彼とはそれなりの関係性を築いていた。榎田に事情を聞くために設けた宴席に、フジケン興業社長の藤原ふじわら健吾けんごも同席した。健吾は志四雄の実の父親だと富士子から聞かされていたが、会うのはこれが初めてではなかった。


 健吾と初めて会ったのは、WBAのタイトルマッチの会場だった。その大会で志四雄はチャンピオンに輝いたのだったが、その興行は大力が仕切っており、試合後に大力は楽屋まで喜々としてねぎらいにやって来た。その時に健吾を連れていたのだが、本人は志四雄が実の息子だとは知らされていないようだった。志四雄は彼を紹介された時にピンときたが、その脂ぎった頬に浮かぶ凡庸な匂いを嗅ぎ取り、うんざりと落胆したのを覚えている。きっと健吾自身もその後大力に打ち明けられたのだろう、引退してから榎田のパーティーでちょくちょく顔を合わせるようになり、その時に健吾の自分を見る目に特別な色が宿っているのを感じ取った。だがお互い親子の名乗りをすることはなく、ただ白々しく挨拶を交わすのみでやり過ごしていた。志四雄はそこに、大力の思惑を読み取っていた。そうやっていろんな人間を手駒に取り、その駒たちが自分の掌で踊る姿を眺めてニヤついている、そんな大力の姿が、手に取るように見えるようだった。



 榎田が持ち込んた件はこうだった。とあるホステスが、健吾が榎田に渡した闇献金の前で撮った動画を手に入れ、それをネタに健吾を脅しているというのだ。一体なぜそんな動画を撮ったのかと呆れたが、それは大力の指示だったと言う。その時も大力のニヤついた顔がチラつき、あの男ならさもかりなんと納得した。

 そのホステスは綺羅きらといい、客の弱みを握っては自分の店で多額の呑み代を使わせるという手口を使って売り上げを伸ばしている女だった。そのホステス一人を始末することくらい容易いが、問題はどうやってその動画を手に入れたかだ。元を絶たねば解決にならない。いろいろ裏の情報源を駆使して調べるうち、どうもバックに同和団体が絡んでいるのが見えてきた。ややこしいことになっていると思った。特に池橋いけはし市の同和事業を仕切っている芳山よしやまという男は要注意人物で、その男が幅を利かせている裏には神代じんだい組五代目組長の影がちらついていた。大力がいかに力があるといえど、本家のトップに叶うわけがない。志四雄は仕方なく、綺羅はそのまま泳がせることにし、健吾には出来るだけ彼女に金を使ってやるよう指示をした。実の父親の役に立ってはやりたかったが、一方で自分をずっと放置してきた父親を冷たく突き放すことは小気味よくもあった。


 だが厄介事はそれたけで終わらなかった。今度はその綺羅が待つ動画の存在を、また違うホステスが嗅ぎつけたと言う。そのホステスの父親は池橋市の土地開発事業のドサクサで亡くなっており、警察の判定では自殺だったのにもかかわらずその娘は他殺を疑い、首謀者を突き止めようとする中で綺羅の存在にぶち当たったのだ。志四雄はそのあらましを聞き、深いため息をついた。池橋の事業という点で、間違いなく大力が絡んでいると思った。そしてきっと、自分のテリトリー内で何が起こっているのかを、芳山も気づいている。そこでまた芳山がこちらにジャブを打ってきたのだろう……志四雄としてはいつまでも防戦一方でやられているわけにはいかなかった。志四雄は暗殺部隊を投入する決断をした。ちょうどこの件を任せるのに、うってつけの人間が暗殺部隊の中にいた。志四雄は彼に事の次第を話し、早急に処理するように指令を出した。


 それからしばらくして、そのホステス──店では詩音しおんと名乗っていた──は死んだ。警察は今回も自殺としたが、それは念の為に警察の中にも大力の息のかかった者を仕込んでいた結果でもあった。


 だがそれから二年経ち、今度は綺羅自身が標的にされた。綺羅が働いていたのはクラブ若名わかなという高級クラブで、同じ店の新人ホステスに喧嘩をふっかけられたという。その時点ではまだその事態は志四雄の耳に入ってはいなかったが、その勝負に綺羅は負け、さらには怪我を負って入院したらしく、その入院先で命を絶った。綺羅のことはずっと危険人物としてマークしていたので、その一報を聞いた時は驚いた。そして、なぜそういう事態になったかを調べた。綺羅に勝負を挑んだホステスは萌未めぐみといい、やはり池橋市の出身だった。萌未は詩音の死因を探り、綺羅の持つ動画に辿り着いた……詩音の時とその経緯は全く同じだった。志四雄はまた裏で芳山が動いているのだと思った。だが調べていくうちに、どうやら萌未が独自で綺羅まで辿り着いたようだった。

 そこまでの事情を知り、さすがに志四雄も萌未に興味を抱いた。ちょうど夏美が若名で働いていたので、彼女にそのホステスについて聞き、その動向を探らせた。だが夏美は初め、それを拒否した。なので、やってもらわないと周囲の誰かに不幸が訪れる、と言って脅しをかけた。彼女との関係は自然消滅したような感じだったが、この脅しによって決定的に彼女との間に亀裂が走ったのだった。例え疎遠になっていたとしても、志四雄に取って夏美はいつでも帰れる……いや、いつかは帰りたいの故郷のような存在だった。なので大切に残しておきたかったよだが、そんな私情よりも組織のことを優先しなければいけないくらい、志四雄は大力会の暗部にまで潜り込んでいた。




 一虎の告別式を後にし、駐車場の車に向かっている時、後ろから声をかけられた。振り返ると、赤髪を逆立てた男が自分を追いかけてきていた。大力の息子の一人、六紗子むさしだ。

「納棺までトラを見送ってくれんのですか?」

 無遠慮に声をかけられ、志四雄は眉間の皺を深める。

「知ってるやろ?俺は君らとは違う。血は繋がってないんや。俺にトラを最後まで見送る権限はないねん」

 志四雄の言葉に、六紗子はニッカリ笑って白い歯を見せた。

「何言うてるのん?あんたは今回、親父の暗殺部隊を引いてくれたんやろ?そやから、隆二りゅうじも無事、式に参加出来た。あんたは列記とした俺らとおんなじ兄弟やで。何の遠慮もあらへん。一緒にトラを送ってやろうや」

 志四雄は目を眇め、頬を強張らせてしばらく六紗子を見つめたが、ふっと顔を弛緩させると、何も言わずに車に乗り、そのまま車を走らせた。

「血やない!ここや!大事なんはここが繋がってることや!」

 バックミラー越しに、六紗子が自分の胸を拳で打つのが見えていた。




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