【完結】北新地物語─まるで異世界のような不夜街で彼女が死んだわけ─

大杉巨樹

文字の大きさ
173 / 208
第3部 他殺か心中か

自殺か殺人か

しおりを挟む
 柳沢やなぎさわ慎太郎しんたろうは、涼宮すずみやから受け取った缶コーヒーのプルタブを引き、口にした温かいコーヒーが食道を伝っていくのを感じながら、ホッと一息ついた。涼宮班はこの日、池橋いけはし市の東端に位置する葬儀社の会館で行われる藤原ふじわら美伽みかの葬儀に合わせ、その会場入口を張り込んでいた。この日は他にも、美伽が亡くなっていたのと同じ車両で見つかった宮本みやもと拓也たくやと、年末に亡くなった神崎かんざき一虎かずとらの葬儀が執り行われている。参列する顔ぶれの中には今回の事件に関わっている人間も現れる可能性があり、捜査本部の刑事たちはそれぞれの会場に手分けして赴くことになったのだ。涼宮班としては現在行方の分からなくなっている絹川きぬかわ萌未めぐみ椎原しいはら涼平りょうへいが現れてくれたら恩の字なのだが、さすがにそれは有り得ないだろうと柳沢には思えた。四課の刑事たちはやはり組関係の動向が気になるようで、神崎の方の葬儀に張り付いている。宮本の方には他の一課の刑事たちが向かっていた。



 式場が開放されてからずっと入口を車から出て見張っていたが、結局式の始まる時間までに目ぼしい人物は訪れなかった。覆面パトカーとして使われているシルバーのセダンに涼宮と並んでもたれながら、柳沢は両手の中に包み込んだ缶から伝わる熱を冷え切った身体に染み込ませた。張り詰めていた気持ちが弛緩し、改めて寒さを意識しだした。早朝に降っていた雨も式の一時間前には上がったが、その雨が空気を洗い、透明度が増したお陰で冷気も強まったように感じた。

「僕ら、お焼香に行かなくていいんですかね」

 足を小刻みに震わせながら、涼宮に聞く。

「いや、会場入りする親族たちの冷たい目を見たやろ?俺らは入らん方がいい。君は中で暖を取りたかったかもしらんけど」
「ええ?そんなんちゃいますよ。純粋に故人を悼んで、です」

 涼宮と柳沢は行動を共にすることが多く、この頃は堅物だと思っていた涼宮も柳沢に軽口を叩くようになっていた。柳沢は会場に入っていく遺族やフジケン興業の社員たちがこちらに訝しむような視線を送っていたのを思い出す。宮本と美伽が心中したという線は現状消し切れていないのだが、婚約者二人が自死を選ぶとは思えないのだろう、早く犯人を捕まえろという非難の色が一様に見て取れた。

「でもあれですよね、神崎の方は市民会館が会場なんでしょ?こっちも民間では一番大きい会場みたいですが、市に貢献している大企業より半グレのヘッドの方が派手な葬式って、何か皮肉ですねぇ」

 気の緩んだ柳沢がそんな無粋なことを言うと、涼宮は鼻を鳴らし、コーヒーを飲み下してから口の片端を上げた。

「市民に貢献て、フジケンは大力会だいりきかいのフロント企業やで?黒さで言うたら虎舞羅こぶらとどっこいどっこい…いや、フジケンの方が悪どさで言ったら影に隠れてる分大きいかもしれん」

 その口調には事件が進展しないことだけにではない忌々しさが宿っていて、柳沢は彼がこの市の出身であり、子どもの頃に住んでいたアパートも強引な地上げによって取り壊されたと彼が言っていたのを思い出した。悪いことを聞いてしまったと思い、慌てて話題を違う方へ向ける。

「あ、えーと、今回何で二人の葬儀を一緒にやらなかったんですかねえ?もし生きてたら二人は結婚してたわけでしょ?葬儀だけでも一緒にってならなかったんでしょうか。それでなくても宮本はフジケンの社員なわけやし」
「まあそれについては宮本家が避けたんやろうね。四課は今回の事件、フジケン興業が大力組から離れようとしてることへの報復という絵を描いてるわけやけど、テレビのニュースでもそれを匂わすような報道の仕方してるしな、もしその巻き添えで宮本が死んだのなら、宮本家に取ったらそんな理不尽なことはないわけで、藤原家に対して距離を置こうとしてもおかしくないわな」

 そこでまた柳沢はハッとする。涼宮に取っても宮本は昔馴染みなわけで、また不用意なことを言ってしまったと思ったが、涼宮の口調からはさっきのような忌々しさは今度は感じられなかった。


 四課の描いた絵、か………。


 柳沢の頭に、暴力班係の係長である岩隈いわくまの悔しさに滲んだ顔が浮かぶ。神崎が目を覚まし、これで彼が撃たれた時の詳細が聞けると喜び勇んだ矢先の死だったことに加え、今度は倉持くらもち検視官と反社会的組織との癒着の可能性が浮上し、そこでまた躍起になったのも束の間、上司からそういった事実はないと判断されたのだ。このところの岩隈の心情は、上がった以上に下がるということを繰り返していた。


 元旦の会議の後、強行犯係の丸山がヤクザ者と思しき人物と倉持が一緒にいるところを見たと報告し、姫野ひめの係長がそれについて調べると約束すると、岩隈はその情報を嗅ぎつけてきて姫野と一緒にその調べに出向いた。丸山が示した現場の近くにはカメラが見当たらなかったのだが、周辺の道路のNシステムを導入するなどして調べたところ、丸山の報告した時間のすぐ後に、神代じんだい組直径野崎のざき組の所有する車がすぐ近くの道路から走り去るのが確認された。画像で確認したところ、後部座席には若頭の出来島できしまが乗っており、丸山から聞いた人物像からしても倉持が会っていたのは出来島だろうと推察された。岩隈はその結果を鼻息荒く公安に伝え、公安は現在倉持を内偵しているらしいが、同時にこれまでに倉持が検視した結果についてもその信憑性がチェックされた。

 特に今回の事件の二人の遺体はまだ遺族に返されておらず、別の検視官がもう一度入念に調べたのだったが、倉持検視官の見立てに間違いないという結果だった。そしてようやく遺族の元に遺体が返され、本日の葬儀となったのだ。そうなってくると、例え倉持が出来島と会っていたと認めたところで、それなりの理由を付けて言い逃れなどいくらでも出来る。それが岩隈にしてみれば、面白くないことの大きな要因の一つになっているのだ。柳沢は強行犯係の打ち合わせにやって来てさんざんその面白くない心情を吐露して行った岩隈の話からそれらのことを知った。倉持の対面も考えずにそんな情報を撒き散らしている当たり、彼の悔しさは察して余りあるものだった。



 検視に問題がないとなると、倉持の主張する自殺説の可能性も否定出来なくなる。宮本の方からは致死量の睡眠薬が体内から検出され、車が河に突っ込む前にすでに死んでいたことが分かっているので、倉持の見方が正しいとするなら、何らかの理由で服薬自殺を図った宮本を美伽が発見し、後追い自殺をした、ということになる。美伽の体内からは睡眠薬の成分は検出されていなかった。

 だが自殺説では納得できないことが二点ある。一つは萌未のバッグが車の中に残されていたこと。宮本が飲んだ睡眠薬と同じ成分の睡眠薬がそのバッグの中から見つかっている。そしてもう一つ、宮本の手には椎原の名刺が握られていたこと。発見当初椎原の関与が疑われたが、こちらは事件発生前にクラブドルチェに椎原が戻っていたことが確認されているし、その後救急車に乗って病院へ付き添い、その場に事件後の明け方までいたことも確認出来ている。すなわち椎原の事件への関与は有り得ず、椎原は完全に被疑者としては除外されている。


 今回の事件、その名刺とバッグの存在さえなければ宮本の自殺からの美伽の後追い自殺という線が濃厚と見られただろう。萌未が行方不明になっていることを考えるなら、彼女が何らかの形で関与しているのは間違いない。そしてもし岩隈の主張が正しいなら、どの時点でヤクザが介入したのか…そこが重要なポイントになる。車を河に突っ込ませたのが美伽でないなら、誰がやったのか?車は河に入る前、御堂筋から西天満側に逸れ、現場の大川の手前で一旦停車していたことは捜査によって分かっている。河底から引き上げられた車の後部ドアはロックされておらず、そこから第三者が逃げた可能性も十分に考えられるのだ。だが事件前に停止していた車の周辺にはカメラどころか人通りも全く無く、その後の捜査でいくら不審人物に関する聞き込みをしてみても、有力な情報は得られていなかった。




 そんな回想をしていると、一台のタクシーが駐車場に停まり、中から出てきた茶髪の厳つい男を見て、柳沢はヤクザがやって来たのかと身を強張らせた。男は礼服を着込んでおり、足早に会場の入口に向かっていく。一瞬チラッとこちらに目をやり、濃い色のサングラスをかけていたのではっきりとは分からなかったが、その風貌にどこかで見覚えがあると柳沢は感じた。男が会場に入ってしまうと、涼宮が口を開いた。

「今の、田岡たおかやったな」
「え?田岡?」
「ほら、ボクシングのチャンピオンの。もう何年も前に引退してるけどな。テレビとかで見たことない?」
「あ、そっか。見たことあるなとは思ったんです」

 涼宮は一つ頷き、会場入口に目を眇めた。

「彼はね、大力会会長の落とし種と言われているんやけど、実は藤原健吾けんごの血の繋がった息子なんや。つまり、美伽の異母兄ってことになるなあ」

 えーっと、柳沢が声を上げる。一体どこ情報なのか、涼宮の言った情報量の多さに、柳沢は頭がくらっとした。




しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

隣に住んでいる後輩の『彼女』面がガチすぎて、オレの知ってるラブコメとはかなり違う気がする

夕姫
青春
【『白石夏帆』こいつには何を言っても無駄なようだ……】 主人公の神原秋人は、高校二年生。特別なことなど何もない、静かな一人暮らしを愛する少年だった。東京の私立高校に通い、誰とも深く関わらずただ平凡に過ごす日々。 そんな彼の日常は、ある春の日、突如現れた隣人によって塗り替えられる。後輩の白石夏帆。そしてとんでもないことを言い出したのだ。 「え?私たち、付き合ってますよね?」 なぜ?どうして?全く身に覚えのない主張に秋人は混乱し激しく否定する。だが、夏帆はまるで聞いていないかのように、秋人に猛烈に迫ってくる。何を言っても、どんな態度をとっても、その鋼のような意思は揺るがない。 「付き合っている」という謎の確信を持つ夏帆と、彼女に振り回されながらも憎めない(?)と思ってしまう秋人。これは、一人の後輩による一方的な「好き」が、平凡な先輩の日常を侵略する、予測不能な押しかけラブコメディ。

ト・カ・リ・ナ〜時を止めるアイテムを手にしたら気になる彼女と距離が近くなった件〜

遊馬友仁
青春
高校二年生の坂井夏生(さかいなつき)は、十七歳の誕生日に、亡くなった祖父からの贈り物だという不思議な木製のオカリナを譲り受ける。試しに自室で息を吹き込むと、周囲のヒトやモノがすべて動きを止めてしまった! 木製細工の能力に不安を感じながらも、夏生は、その能力の使い途を思いつく……。 「そうだ!教室の前の席に座っている、いつも、マスクを外さない小嶋夏海(こじまなつみ)の素顔を見てやろう」 そうして、自身のアイデアを実行に映した夏生であったがーーーーーー。

戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件

さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。 数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、 今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、 わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。 彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。 それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。 今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。   「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」 「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」 「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」 「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」   命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!? 順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場―― ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。   これは―― 【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と 【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、 “甘くて逃げ場のない生活”の物語。   ――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。 ※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

クラスのマドンナがなぜか俺のメイドになっていた件について

沢田美
恋愛
名家の御曹司として何不自由ない生活を送りながらも、内気で陰気な性格のせいで孤独に生きてきた裕貴真一郎(ゆうき しんいちろう)。 かつてのいじめが原因で、彼は1年間も学校から遠ざかっていた。 しかし、久しぶりに登校したその日――彼は運命の出会いを果たす。 現れたのは、まるで絵から飛び出してきたかのような美少女。 その瞳にはどこかミステリアスな輝きが宿り、真一郎の心をかき乱していく。 「今日から私、あなたのメイドになります!」 なんと彼女は、突然メイドとして彼の家で働くことに!? 謎めいた美少女と陰キャ御曹司の、予測不能な主従ラブコメが幕を開ける! カクヨム、小説家になろうの方でも連載しています!

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

【完結】『80年を超越した恋~令和の世で再会した元特攻隊員の自衛官と元女子挺身隊の祖母を持つ女の子のシンクロニシティラブストーリー』

M‐赤井翼
現代文学
赤井です。今回は「恋愛小説」です(笑)。 舞台は令和7年と昭和20年の陸軍航空隊の特攻部隊の宿舎「赤糸旅館」です。 80年の時を経て2つの恋愛を描いていきます。 「特攻隊」という「難しい題材」を扱いますので、かなり真面目に資料集めをして制作しました。 「第20振武隊」という実在する部隊が出てきますが、基本的に事実に基づいた背景を活かした「フィクション」作品と思ってお読みください。 日本を護ってくれた「先人」に尊敬の念をもって書きましたので、ほとんどおふざけは有りません。 過去、一番真面目に書いた作品となりました。 ラストは結構ややこしいので前半からの「フラグ」を拾いながら読んでいただくと楽しんでもらえると思います。 全39チャプターですので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。 それでは「よろひこー」! (⋈◍>◡<◍)。✧💖 追伸 まあ、堅苦しく読んで下さいとは言いませんがいつもと違って、ちょっと気持ちを引き締めて読んでもらいたいです。合掌。 (。-人-。)

処理中です...