【完結】北新地物語─まるで異世界のような不夜街で彼女が死んだわけ─

大杉巨樹

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第3部 他殺か心中か

兄貴の広い背中

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 火葬場での一連の儀式が終わり、一虎かずとらのお骨を拾い終えると、隆二りゅうじ六紗子むさし池橋いけはし市の居酒屋に設けてくれた一虎を偲ぶ会への参加を辞退し、一人火葬場から展望台へと向かう山道を歩いていた。ずっと側にへばりついていた三狗みくも、さすがに小雨の降る寒い中を歩こうとはせず、不承不承といった感じで隆二と別れた。本来隆二が喪主を務めるところを諸々の事情から六紗子と鷹八たかやが代わりに引き受けてくれたのだったが、それでもセレモニーの間は何かと気忙しく、落ち着いて兄を送り出す気持ちにはなれなかった。


 池橋市の北側の山の中腹にある火葬場から山道を一時間ほど登ると池橋市を一望できる展望台に出る。みぞれ混じりになった雨が足元を凍らせ、冷たい風が肌を刺してくるが、今の隆二にはその身が引き締まる寒さが心地良かった。


 ずっと兄の広い背中を追ってきた。隆二に取って兄の一虎は大き過ぎる存在で、追いつくどころか年を経るにつれてどんどん兄が遠くに行っているようで寂しく感じていた。だがそんな兄も、金の彫り絵が施された棺とともに焼かれ、今は手提げの中の小さな骨壺に白い骨となって収まっている。今日兄との別れに際し、兄が生まれ、兄が仲間たちとの絆を育んだこの街を一緒に視界に収めたかった。兄を慕う虎舞羅こぶらの連中も今頃兄のことを偲んで昔話に花を咲かせているだろうが、一虎はきっと自分の側にいてくれている、そんな気がしていた。死んだ者がどうなるのか隆二には分からなかったが、例えこれから死んだ者の国へ旅立つのだとしても、今日くらいは自分と一緒に過ごしてくれている、そう思いたかった。




 父の大力だいりきはあの兄弟姉妹たちを競わせた年始の席上で、自分を血を分けた息子あるいは娘は九人いると言っていた。それぞれの母親たちがどういう境遇の者たちなのかいちいち知らないが、隆二の母は必要以上に大力から支援されるのを嫌い、身体が弱いにも関わらずスーパーのレジをしながら息子二人を育ててくれた。それでも兄と隆二の年が離れていることを考えると、大力との交流は続いていたのだろう、いざという時のために息子たちを大力に託すつもりだったのかもしれない。だが母が亡くなり、兄は母の意志を継ぐように大力の世話にはならなかった。まだ高校生だった兄は自分で金を工面する手立てを見つけ、それは合法的なことではなかったかもしれないが、何とか兄弟二人の生活を守ってくれた。

 そんな兄に感謝こそすれ、文句を言う筋合いなどあろうはずがない。立派な兄だったと思っているし、誇りにも思っている。だが隆二はずっと周囲の人間から兄と比較され、兄にコンプレックスを持ってきたのも事実だった。どちらかというとマイペースな隆二は一虎のような人望を発揮することも出来ず、かと言って兄より腕力が強い訳でもない。兄も勉強は出来なかったが地頭は良く、そこも自分は劣っていると感じる。そんな自分でも母から受け継いだ反骨精神だけはいっぱしに受け継ぎ、このままなし崩し的に兄の庇護を受け続けることだけは避けたかった。かと言って、母や兄がそうしたように大力には頼りたくない。そんな隆二の前に開けた道は、大力会ではない神代じんだい組の直径組織に入ることだった。







 えびす祭りに出掛けて以来、隆二はそこで出会った又市またいちと交流を深め、彼の出す屋台の手伝いもよくやるようになっていた。又市の所属する組のシノギは主にテキ屋の屋台のアガリで、大きな祭りがあればそこへ出掛けて出店し、行事の無い日には池橋市の古びたアーケード内に設けた屋台でたこ焼きやら簡単な鉄板焼きやらを売って凌いでいた。初めは隆二も遊び感覚で出向いていたのだが、そのうちに店の手伝いをやるようになり、気づいたら鉄板のコテを握っていた。


 とはいえ、喧嘩でしか汗を流さなかった隆二にとって労働は楽しかった。又市もそんな隆二の姿を見て中学を出たらうちの組に入ったらどうかと冗談交じりに誘ったりもしたが、いざ隆二が中学を卒業する頃には又市の組の事情がそれを許さなかった。その組の組長はかなり高齢で、誰かに跡目を継がそうにも、周辺の敵対ヤクザからの圧力で経済的にもかなりひっ迫しているらしかった。暴対法が施行されて以来、屋台をヤクザが仕切るという風潮にも世間的に冷たい風が吹いていた。


「実はな、親方から組を移れと言われてるんや」

 ある日、又市はそんなことを隆二に打ち明けた。

「親方さんはどこに移れって言わはるんですか?」
「うん、それがな、野崎のざき組っちゅう組や。うちの親方が野崎会長と親しくしてるらしくてな」
「野崎組…っすか?」

 隆二は当時、まだ神代組の内部構造には疎く、父親の組の大元である神代じんだい組と同じが違うか、というくらいの意識しか持っていなかった。もし違う場合、自分も何某かの嫌がらせを受ける可能性があったからだ。

「おう!神代の直参やで?もし盃もろたら、俺も今みたいな屋台のおっさんやのうて、本格的にヤクザになるっちゅうわけや」

 だが鼻息荒く言う又市を見て、それがすごいことだというのは伝わった。

「すごいやないですか。出世するってことですよね?」
「まあそやな。でもお前に悪いと思ってな。せっかく俺を慕ってここまで来てくれてるのに」
「ほんなら俺もその野崎組に入りますよ」
「あほか、お前、簡単に言うけどな、ああいう大きなとこは丁稚奉公感覚では入れてくれへんのやで?」
「大丈夫っすよ。俺、通い詰めてでも入れてもらいます」
「お、そうか?よっしゃ!ほんなら待ってるで!お前と俺は今日から兄弟分や」



 この日、神社の境内で隆二は又市が飲んでいたワンカップの酒を兄弟の契りとして回し飲みしたのだったが、後々になって野崎組は大力会と肩を並べるくらい神代組を支える実力のある組だと知った。きっと父のコネを使えばすんなり入れてもらえただろう。だが隆二は中学を卒業すると、父にも兄にも相談せずに自ら野崎組の門戸を叩いた。天王寺区にある事務所に赴き、まずは小間使いでいいからと頼み込み、毎朝早朝から通い詰めて事務所前を掃除したりした。それを根気よく続けているとやがて若頭の出来島できしまの目に留まった。出来島は隆二に長財布から出した10万を渡し、これを一週間以内に倍にして返せば中に入れてやると言う。だが無理ならそれで好きなものでも食べ、もう二度と来るな、と。それはきっと隆二を体良く追い払う為の金だったのだろう。だが隆二はその課題を見事クリアし、野崎組の一員となった。金はどうやって作ったか……それは中学の三年間にちょこちょこ屋台で働いてきたことが功を奏した。10万でちょっといい肉を仕入れ、高級お好み焼きという触れ込みで一枚700円で売り、一週間を待たずして完売させた。それは出来島の求めたやり方ではなかったかもしれないが、きっちり20万にして返したことには違いなかった。



「これからは頭の時代です。頭を上手く使ったやつがのし上がっていく。もう腕力で物を言う時代は終わったのです。頭を使い、金銭力をつける。そうすれば自ずと力が付いてくる。この日本で一番偉いのは誰でしょうか?政治家ですか?それとも法律家?違いますね。金銭力さえあれば、政治家に自分たちの都合のいい法律を作ることを要求することも出来るし、法律家に法律を曲げさせることだって出来る。私たちみたいな裏の人間が団結して目先の正義などに誤魔化されずに実力を行使すれば、日本を動かすことだってさえ出来るんです。胸を張りなさい!胸を張って、裏社会に生きていることを誇りなさい!」


 出来島は定期的に組員を集め、大学の授業ばりにそんな講義をした。出席した者は皆、出来島に心酔し、希望に目を光らせた。

「カシラはやっぱすごいっすよね」

 隆二も興奮気味に出来島に傾倒していったが、又市はそんな隆二に冷ややかな視線を向けた。

「確かに、カシラはすごい。でもな、カシラの言う通りに動いてると、たまに情ってものが欠けてる気がすることがあるんや」
「情…っすか?」
「ああ。俺はな、テキ屋の仕事が好きやった。決して胸張れる仕事ではないかもしれんけど、目の前の客の表情見てるとな、楽しいって思えることもようさんあった。野崎に来たんもな、組長は情に厚い人やって聞いてたからや。地域のイベントなんかがあると子どもらにお菓子配ったりして、その土地に溶け込もうとしてた。そんな地域交流の繋がりでテキ屋を仕切ってた親方とも親交があったんや。俺らみたいな極道もんはな、そういう仁義を忘れたらあかんと思うんや」
「そんでも…テキ屋の仕事のアガリだけでは組員が食っていけなくなってたやないですか」
「まあな、そやねんけどな…」

 隆二の返し言葉に又市は寂しそうに笑った。そんな又市のことをこのときは少し頼りなく感じたりしたが、その後、絹川きぬかわ萌未めぐみの登場により隆二も出来島の危うさに気づくことになる。そして、一虎が銃で撃たれることになった事件へと繋がっていく──。




 池橋市の北側に位置する山の山頂付近にある展望台からは街が一望でき、池橋市のデートスポットの一つで、行楽シーズンなどは昼はハイキング客、夜はカップルがひっきりなしに訪れて賑わうのだが、さすがに真冬の雨の中を訪れる客は隆二以外見当たらなかった。百メートルくらい下ったところにある公園にはオーストラリア産の動物たちが飼われていたりして見所もあるが、この展望台には螺旋階段を登るだけの塔が一つポツンとあるのみで、景色以外に見所はない。隆二はその螺旋階段を登り、池橋市を見渡した。


 兄貴が愛した街─── 



 一虎は大阪各地の荒くれどもをバッタバッタと打ち倒し、半グレ集団虎舞羅をどんどん大きくしていったが、拠点となるこの街のことはずっと好きでいたようだった。まず自分の育った土地を愛せなくてどうして他の地域の人間を愛せるのか……一虎はずっとそんな気概を持っていたように思う。


 隆二は持っているお骨を目の前に掲げた。


(兄貴の無念、俺が絶対晴らしてやるからな)


 生意気言うな、そんな一虎の声が聞こえた気がした。街が白く煙って見えるのは、降り注ぐ小雨のせいだけではなかった。




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