【完結】北新地物語─まるで異世界のような不夜街で彼女が死んだわけ─

大杉巨樹

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第3部 他殺か心中か

解かれる蜘蛛の糸

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 絹川きぬかわ萌未めぐみとの出会いは最悪だった──。

 生まれてから中学を卒業するまで隆二りゅうじが住んでいた幸寿荘こうじゅそうには兄と同い年の子どもが四人いて、母が亡くなって兄弟二人だけになった時も彼らに何かと助けてもらった(四人のうちの一人、まひるは母が亡くなる前には自殺して亡くなっていたのだが)。

 中でも夏美なつみは母親代わりになったように世話を焼いてくれ、兄が出掛けて一人ぼっちの夜などは一緒に夕食を作り、共に食べてくれたりしたのだが、夏美と仲が良かった加代かよという少女は底意地の悪いところがあり、兄の仲良しグループの中では隆二はあまり好きになれなかった。


 隆二が中二になったある日、兄が珍しく自分に助けてくれと頼むので、よほど切羽詰まった事態が起こったのだろうと兄の部屋に出向いた(隆二より八つ年上の一虎かずとらは高校を卒業すると同時にビジネスを起こし、マンションを借りて住んでいた。なので隆二は中学を卒業するまで幸寿荘でほぼ一人暮らしをしていた)。兄の部屋にはジャンキーの女がいた。事情を聞くと、どうやら加代に一服盛られ、数日間薬漬けにされたらしい。一虎は隆二に彼女の薬が抜けるまで世話をしてやってくれと頼んだ。


 それからの数日間は隆二に取って最悪の日々だった。女は薬が切れると、暴れ、鳴き叫び、薬欲しさに隆二に色仕掛で迫ったりもした。隆二は三狗みくのこともあり女に言い寄られることに一抹のトラウマを抱えていたので、そのジャンキー女の言動全てに辟易とした。数日そんな闘いの日々を送り、ようやく女から薬が抜けると、悪霊にでも取り憑かれたような彼女の風貌にもみずみずしさが戻ってきた。やっとのことで平静を取り戻した女は隆二の年を聞き、答えるとゲラゲラと笑い出す。怪訝に見つめていると、何と自分と同い年だと言う。笑いたいのはこっちだの心の中で突っ込んだ。


 それが、萌未との出会いだった。


 まさかの、何の因果か、次の年には中学で彼女と同じクラスになった。彼女はクラスでも浮いていて、放課後はハグレ者同士の女たちとよくツルンでいるようだった。そこは隆二とクラスでの同じ立ち位置は似たりよったりだったわけだが、そんな彼女の意外な一面を見たのは、クラスメイトの椎原しいはら涼平りょうへいに誕生日プレゼントを渡して欲しいと頼まれた時だった。自分で渡せばいいだろうと言うと、モジモジしながら自分には恥ずかしくてできないと奥ゆかしいことを言う。隆二から見て涼平は青白い顔のモヤシっ子だったが、萌未は彼のことが好きだったようで、これも兄貴の依頼のアフターケアだと思って引き受けてやった。実際対面した涼平は、一見常に笑顔を絶やさずにクラスに溶け込んでいるように見えるが、その心の奥底には獏とした空洞が広がっている、そんな印象の男だった。


 隆二は当時のクラスの中に、もう一人、涼平と似た空気感を持った人間がいたのを思い出す。藤原ふじわら美伽みかだ。彼女も一見クラスの人気者という立ち位置にピッタリ収まって見えるが、隆二にはその心の中に空虚な空洞が広がっているように見えた。



 その美伽の葬儀が、兄の一虎と同じ日に執り行われている。それは果たして偶然なのか───?


 いや!と、隆二は首を振る。全ては裏の思惑により計画されていたのだ──。




 隆二の回想は、再び萌未が薬漬けにされた日に遡る。表向きにはバイセクシャルの加代が萌未に嗜虐心を掻き立てたられていたずらした、そう認識され、加代も警察でそう証言しているが、実際にはそこに大力だいりきの思惑が働き、後にそのことを嗅ぎつけた出来島できしまに付け入られることになったのだ──という話を、隆二は後に又市またいちから聞かされた。




 出来島は神代じんだい組五代目の引退に伴い、六代目の座を狙っていた。だが、神代組屈指の実力派閥とはいえ、野崎のざき組の若頭というポジションではそこまで届きようがない。野崎組は自分が大きくしたのだという自負もあった。出来島は組長の野崎を飛び越え、何とか神代組の中で自分が高みに着くことを画策する。そこで同じ実力グルーブである大力会だいりきかいのシマに目をつけた。何とか大力会を追い落とし、その資金源をまるまる自分の配下に収める……途方もない計画だったが、出来島はそれを実行に移した。

 大力会を貶める手始めとして、大力会に上納している一虎の事業を窮地に追いやり、その金脈を断つことを考えた。そのために一虎の片腕であった加代を手懐け、一虎が経営する風俗店に違法なクスリを蔓延させ、警察に摘発させるということを計画した。


 加代に目をつけたことは、出来島に取って自分の計画をスムーズに進める大きな要因となった。一虎はその界隈で言われているような大力の手駒などではなく、大力に資金提供をすることで自分の事業のバックアップをしてもらうという、いわばビジネスライクな関係だった。大力は自分の思い通りに動こうとしないそんな一虎に業を煮やし、風俗店の片腕だった加代に目をつけ、彼女を使って当時喉から手が出るほど欲しかった幸寿荘の土地を手に入れることを考えた。おそらくクスリを裏で回していたのも大力だろう、加代は大力の思惑通り、土地の権利者である大塚不動産の社長の娘である萌未にクスリを盛ったのだ。加代は萌未を薬漬けにする裏で、大塚家に連絡に入れ、萌未を無事帰すことと引き換えに土地の権利書を持ってこさせた。そうして幸寿荘の土地は大力の手中に落ちたのだった。



 隆二が萌未のクスリ抜きを託された日々に、一虎は一体どこで何をしていたのか……それは、加代の裏で大力が動いていることに勘づき、大力会の若頭である篠原しのはらに詰め寄っていたのだ。一虎は篠原が大塚の娘の志保しほに近づいて脅しのネタにしようと画策していると踏んでいたのだが、実際にターゲットにされたの萌未の方だった。そして結果的に、萌未に付け入られる隙を作ったのは、当時彼女をミナミのクラブに連れ出した一虎自身だったのだ。



 一虎はそれ以来ずっと、萌未に負い目を感じているようだった。大塚とその娘の志保が次々に自殺すると、萌未はその真相を突き止めようと動き出し、一虎はその支援を買って出た。隆二は、兄は彼女と関わるうちに、女として愛するようになっていったのではないか、と踏んでいる。後に北新地で兄の店を手伝うようになった隆二は、必要以上に一虎が萌未のことを気にかけるのをずっと見てきた。



 一方、加代の暗躍を嗅ぎつけた出来島は、加代を凋落し、一虎の店を潰す計略に使った。その目の付け所は良かったと言わざるを得ない。が、そこに思わぬ伏兵がいた。萌未だ。加代は萌未の策略によって警察に捕まった。仕方なく出来島は、一虎のことはひとまず置いておいて、大力会の金脈の本丸であるフジケン興業と榎田えのきだ議員の利権を乗っ取る計画に乗り出した。その手始めとしてクラブ若名わかな綺羅きらママを狙った。綺羅は藤原健吾けんごの弱みを握り、その脅しによって売上を上げていたのだったが、その情報を嗅ぎつけた出来島は綺羅の持つフジケンに対する弱みを手に入れようとする。だがそこでもまた、萌未が立ちはだかった。綺羅は萌未との勝負に曲げ、若名から去ることになった。出来島に取って、否が応でも萌未の存在は目につくこととなった。



 萌未の存在に目をつけた出来島は、萌未を自分の手駒として使うことにした。出来島は巧みに萌未の復讐心を煽り、今度は一虎を追い落とすことに成功した。一虎の事業に警察の捜査が入り、一虎は行方を眩ませることになった。



 そして隆二の回想は、兄が拳銃で撃たれた日に飛ぶ。あの日、萌未を、そして隆二を、助けるために二人が捕らえられている西区の工場までやって来た一虎は、そこで、虎舞羅こぶらを装ったやつらに撃たれ、致命傷を負った───。

 あの諍いの発端は、ミナミのホストクラブ、レガシーでの発泡事件だった。あの日、天海あまみ一家の下っ端である星本ほしもとが、自分の女であった綺羅の持つフジケン興業の弱みの入ったUBSメモリーを手に入れようと萌未に迫ったのだったが、そもそもなぜ星本がそのメモリーの存在を知ったのか………それは、そこには芳山よしやまという男が大きく関わっている。


 表向きには人権活動家で通っている芳山は、裏では国から出ている社会保障費を自分の懐に入れる流れを作り、その過程で裏の組織の大物たちとも通じている。特に神代組五代目とは親交が深いのだが、その五代目は自分の引退に伴い、六代目を巡る動きに不穏なものを神代組織の内部に感じ、その調査を芳山に依頼した。芳山は神代内部の有力組織である大力、野崎、そして天海一家のうちのどれかにその動きの元凶があると見てそれぞれに探りを入れたのだが、そのうちの天海の方で情報が漏れ、下っ端の星本が自分本位な動きをしたことがあのミナミの銃撃戦に繋がったのだった。

 芳山は野崎組の中にもスパイを送り込んでいた。それが、加納かのう又市またいちだった。又市の組長は大阪のテキ屋の元締めをしており、地域の祭り事に積極的だった野崎組の組長とは義兄弟の仲だった。芳山は池橋のイベントで懇意にしていたその元締め組長に相談し、野崎に派遣する組員として仁義に厚かった又市に白羽の矢が立ったのだ。又市は星本の動きを事前に芳山から知らされ、隆二も伴ってレガシーに訪れ、星本を始末した。だがそれは出来島の知るところではなく、不審に思った出来島は野崎組の中に自分に取って不都合な動きをしている者がいることを察知し、結果的に一虎の弟であり大力の息子である隆二がスパイであると睨んだ。そうして隆二ともども、虎舞羅を霧散させようと仕組んだのが、あの工場での一件だった。まさか一虎本人が現れるとは思わなかっただろうが、それはそれで出来島に取っては好都合だった。かくして一虎は撃たれ、それが元で命を落とした────。




 隆二が無事帰還すると、出来島は今度は隆二を一連の事件の首謀者に仕立て上げ、警察に逮捕させるよう導いた。だが隆二は何とか行方を晦まし、その間に又市が芳山に全てを報告し、芳山経由で出来島の叛意を知った野崎は出来島を破門にした───それが、きのうまでの出来事だった。その結果、隆二は何とか一虎の葬儀に顔を出すことが出来たのだった。



 だが隆二の溜飲はだ下がっていない。このまま事が収まっては、一虎が報われない。


 兄貴、かたきは必ず、俺が討つ!


 隆二は心の中でそう唱え、ふと、カタキというワードに一人の女の顔が浮かび、苦笑した。




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