【完結】北新地物語─まるで異世界のような不夜街で彼女が死んだわけ─

大杉巨樹

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第3部 他殺か心中か

罪の意識

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『続いて、黒田くろだ|翔伍の死刑を執行します。執行人、涼宮すずみや太陽たいよう


 柳沢やなぎさわは青天の霹靂という言葉を身を持って体験した。いや、建物内に監禁されていたので晴天かどうかは分からなかったが……。


 衝撃の事実が次々と告げられ、柳沢の頭の中はもはや麻痺してきていた。宮本みやもと拓也たくやを殺した犯人がクラブ若手わかなの店長の黒田くろだだったというだけでも衝撃なのに、彼は神崎かんざき一虎かずとら小南こなみ彩香あやか、さらには二年前の大塚おおつか志保しほや涼宮の妹の死にも関与しているという。柳沢も鑑取りかんどり(容疑者・被疑者の人間関係を中心に捜査すること)で何度か黒田と対面したが、冷静な管理職の人間という印象で、何人もの殺人を犯しているようには見えなかった。

 もしこのことが公になれば大変なことになる、まだ経験の浅い柳沢でもそれくらいのことは分かった。当時の捜査に関わった捜査官、特に課長以上のポストの人間は総辞職に追い込まれるか、少なくとも更迭となるだろう。自分の縄を解くことも忘れてそんな考えに支配され、全身の毛が泡立った。

 だが、柳沢の眼下の状況から、そんなことにはなりそうもないことが伺えた。この場に集まった者たちは着々と自分たちの手で一連の事件の真犯人たちを裁いていく。どうやらここは廃工場で、死体を跡形もなく処理する設備も整っているようだ。



 そんなことが許されていい訳がない!



 ずっと頭の中で警鐘が鳴っていた。今自分の目の前で行われていることは犯罪であり、自分は警察官なのだ。もし真犯人が彼らだというならば、ちゃんと法の下で裁きを受けさせなければならない。本来ならば死に物狂いで自分の置かれた状況を打開する努力をするべきだったろう。だが涼宮の行動が、柳沢にその意欲を失せさせていた。涼宮と行動を共にするようになり、彼の刑事としての正義感には敬意を寄せるようになっていた。そんな彼が、こんな超法規的な行動に出ざるを得ないほど、警察組織の内部にまで張り巡らされた闇の根は深いということなのだろう。柳沢一人が奮起したところで、何の役にも立たないように思えた。


 そもそも……柳沢は考える。涼宮はなぜ自分と行動を共にしていたのだろう?意欲だけはあるが実力はまだ半人前、自分で言うのも何だが、抜けたところも多々あってよく姫野ひめの係長からどやされている……そんな自分だからこそ、涼宮はバディとして選んだのではないだろうか………思えば椎原しいはらを張っていた日、柳沢がちょっと寝込んでしまった隙をついて椎原は行方不明になった。もし初めから涼宮と椎原が繋がっていたのだとすれば、椎原は涼宮の目の前を通って堂々とマンションを出ることが出来る。あの日眠くなったのは連日の疲れが溜まったためだと思っていたが、涼宮が差し出した飲み物に睡眠薬が仕込まれていたのだとすれば?確かにあの日、柳沢は涼宮がコンビニまで買いに行った紙コップ入のホットコーヒーを飲んでいた。


 いろいろ考え起こすうちに、涼宮は最初から自ら裁きを与えるつもりだったのだと思い至る。初めての捜査会議の日、涼宮は自分から手を挙げて椎原の行確こうかく要員に名乗り出た。あの時点で今日のことが念頭にあったかどうかでは分からないが、すでにあの時の涼宮の頭の中には通常の捜査から外れる覚悟があったのだ。



 柳沢はそこまで考え至り、脱力して眼下のホールで繰り広げられる惨劇を見守った。まるでアリーナ席で観劇しているように観ていた面々も、一人、また一人と階下に降りていく。やがて全てが終わり、黒田が緑色の液体の中に完全に埋没すると、最後まで部屋に残っていた翁の面の男が柳沢に近づいた。翁面を取り、白髪の顔を柳沢の耳元に寄せる。

「今日のことは他言無用でお願いしますな」

 うぐうぐ言いながら身をよじると、老人は柳沢の猿轡を外した。大きく息を吐き、老人に眇めた目を向ける。

「そんな…僕は警察官ですよ?見なかったことになんて出来ません」
「お若いからまあ正義感にかられるのも分かりますがな、あんた一人が動いたところで誰も耳を貸しません。それと、深水ふかみあきらさん、でしたかな?住菱商事の淀屋橋支店にお勤めの。なかなか綺麗なお嬢さんですなあ。あの方がもし不慮の事故…とか、行方不明、とかになったらあんたも困りますやろ」

 老人があきらの名前を言った時、柳沢の頭に電流が走った。老人は「不慮の事故」と「行方不明」という部分を強調して言う。その老人の不敵な笑みに、サッと血の気が引いた。


 言葉を失った柳沢に眉尻を下げた老人は、遠巻きで見ていた白スーツと共にホールに降りて行った。部屋に誰もいなくなった後も、柳沢は身じろぎ一つ出来ないでいた。


 そこへ、涼宮と椎原が上がってくる。

「騙すようなことしてわるかったな」

 涼宮は柳沢に頭を下げると、柳沢を縛っていた縄を解いた。柳沢は、このまま無事帰してもらえそうで安堵する。

「柳沢さん、今日は本当にすみませんでした」

 椎原も頭を下げ、拳を握った両手を差し出した。

「何の真似や?」
「俺を、署まで連行して下さい」

 柳沢はパイプ椅子から立ち上がってスーツに寄ったシワを叩いて伸ばすと、口を真一門に閉めたまましばらく椎原を睨んだ。そして、

「今日はいい。今日は俺もこのまま帰らせてくれ」

 と、また項垂れた。涼宮がそんな柳沢の肩をポンポンと叩く。そして椎原に向き、

「君が警察に出頭したとて、きっと誰も相手にはしない。死体は一体も上がらないやろうし、すめらぎさんがとっくに警察内部に手を回してるやろう」

 それは椎原への言葉だったが、柳沢もそれを聞き眉間の皺を深めた。

「教えて下さい。僕ら警察官が何か過ちを犯したために犯罪を野放しにしたんでしょうか?そんで、今日死んでいったやつらはみんな、法の目を掻い潜ってのうのうと生きてきたがために、今日みたいな死に方をしたんでしょうか?」

 柳沢は俯いたまま涼宮に問いかけた。涼宮はしばらく黙ったままだったが、やがてまた、柳沢の肩に手を置いた。何をどう言っていいか分からず、結局何も言わないことにした──そんな涼宮の内情を、その手の温もりから感じ取った。柳沢はその手を払い除け、ゆっくりと出口へと向かう。

「あ、出口まで案内します」

 バタバタと駆けてくる音が聞こえ、椎原が柳沢の前に出ると、工場前に停めてあるシルバーのセダンまでいざなった。柳沢は車に乗り込む前に椎原に向き、

「出頭するかどうかは自分で決めろ。俺はそれに一切関知しない」

 と言い切った。柳沢の頭には、自分の帰りを待ちわびているあきらの顔があった。







 次の日、柳沢は姫野係長に呼び出された。彼女は柳沢に、椎原が人を殺したと言って自首して来たことを告げた。だが、椎原はいざ取り調べとなるとずっと黙っていて、取り調べの相手に柳沢を指名しているという。取り敢えず柳沢は椎原のいる取調室に向かった。

「柳沢さんと二人きりにしてもらえますか?」

 椎原は柳沢の顔を見るや担当捜査官にそう言った。係長の許可が下り、柳沢と椎原二人きりになる。そんなことをしてもここの音声は隣りの部屋に筒抜けだというのに…。

「俺、罪状を柳沢さんに任せます。柳沢さんが決めて下さい」

 椎原はそんなことを言った。柳沢は椎原を睨み、口を噤む。柳沢は疑心暗鬼に陥っていた。きのう黒田は言っていた。出来島できしまを手引きしている検視官がいたと。その検視官とはおそらく倉持くらもちのことだったのだろう。大塚志保の時も大川おおかわの入水事件も倉持が出張って来ていた。出来島はあの後どうなったのだろう。少なくとも、以前のような力は彼には無くなっているだろう。いや、命すらすでに無いと見るのが妥当だ。


 だが………



 涼宮は言っていた。皇の意向を受けた捜査官がいると。今日になっても南港で死体が上がったという報告は無い。もし自分がきのうのことを洗いざらい報告したとしても、きっとあの工場での痕跡はすでに消されているだろう。ならば、椎原に一体何の罪を問えるだろうか………?


 双方黙り込んだままなので、柳沢は一旦係長に別室に呼ばれる。

「椎原が言ってること、あんたは心当たりあるんか?」
「はい…ええ、まあ……」
「はっきりしいや!何で椎原はあんたを指名したんや?何かあんたが知ってるからと違うんか?」

 姫野に睨まれる。が、柳沢は何も言えなかった。どこで皇の手の者に聞かれているか分からず、言ってしまうとあきらに危険が及ぶ可能性がある。

「すみません、分かりません。何で椎原があんなこと言ってるのか…」

 歯切れの悪い言葉に、係長はじっと柳沢を見る。柳沢は蛇に睨まれたカエルのように、ジワリの粘度の高い汗が吹き出すのを感じた。いや、そもそも、だ。目の前の姫野が皇と繋がっていることも考えられるじゃないか……そんな考えも過り、柳沢は一切の口を噤むことに決めた。

「あんた、椎原を張ってたな。椎原はきのうどこにいたんや?」
「はい、南港の工場です」
「そこで椎原が何をしてたか、あんたは知ってるんか?」
「いえ、知りません。涼宮班長に相談しましたが、令状が無いと踏み込めないということでしたので…」

 さり気なく班長の名前を出してみる。ここで涼宮班長に矛先が向かないかという期待を込めて。

 結局、柳沢は何とかその場から開放された。柳沢が逃げたことで椎原も何も語らず、そのまま帰されたと聞く。柳沢は警察官になって初めて、罪の意識を感じた。






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