【完結】北新地物語─まるで異世界のような不夜街で彼女が死んだわけ─

大杉巨樹

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第3部 他殺か心中か

初恋の人

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 結局、涼平りょうへい萌未めぐみ美伽みかについて聞けなかった。萌未の手記の最後には美伽にひどいことをしたという懺悔の気持ちが綴られており、折角記憶の戻った彼女に美伽のことを聞けば、また心を病んでしまうことが懸念された。涼平は当たり障りのない近況などを話し、この日は帰ろうと思った。


 病室を出た涼平を待ち構えていたように、真奈美まなみとゆかりが待合室を通りすがった涼平を捕まえた。

「涼平君にちょっと観てもらいたい映像があるの」

 そう言った真奈美に何の映像かと聞くと、ゆかりが青い眼鏡の縁をずり上げながら、説明した。

「萌未があんな風になる前、うちは萌未に榎田えのきだ議員の汚職の証拠を提供してもらったんやけどね、うちもそのネタを公表する前に独自取材して裏固めしてたわけ。でね、その過程でいろんな人にインタビューもして、それを映像で残してたわけよ。後で何かの役に立つかな~って思ってね。何ならうち、事件が落ち着いてから本でも出版したろかなって目論見もあって……でもさ、真奈美やみどりにおとついの話聞いたら、事件はおおやけにしないっていうやない?そんでがっかりして撮った映像の整理してたんやけど、その中に美伽ちゃんにインタビューした映像もあったのね?で、改めて見返して、涼平君に観てもらった方がええんちゃうかな~って思って…」

 美伽の名前が出て、涼平の眉が上がる。

「ぜひ、観せて欲しい!」





 由奈ゆなが直接院長に頼み、予め使ってないカンファレンスルームを押さえてくれていたようで、涼平は真奈美とゆかりに誘われ、病院の5階にあるその部屋に入った。すでにパソコンが電源に繋がれていて、ゆかりがその前に着いて操作する。真奈美がその隣りに座り、涼平はテーブルの角を挟んで彼女らの斜め前に着いた。やがて映像が開かれ、ゆかりが涼平にパソコンを向ける。が、画面から流れたのは初老の男性の映像だった。パソコンからしわがれた声が聞こえ、真奈美が慌ててパソコンの向きをゆかりに戻す。

「これちゃうやんかあ!小山内おさないのおっちゃんの話流してどうすんの」
「あれ?間違った?」

 ゆかりは慌ててパタパタとキー操作するが、涼平は小山内と聞き、椅子から立ち上がった。

「あ、ちょっと待って!その映像も観たいかも」



 小山内敏和としかず……それは榎田議員の秘書の名前だった。萌未の手記では、彼が萌未の色仕掛に騙され、裏帳簿を出すはめになった経緯を簡単に語られていたが、涼平はそれを読んだ後でネット記事で調べたところ、彼は責任を感じて自殺していた。姉の死の真相を知りたい、その萌未の気持ちは分かる……つもりだ。だが彼女のその想いが、人一人の命を散らせてしまった……その事実が、涼平には理不尽に思えていた。小山内は命を絶つ時、どんな心境だったのだろう?それを推察するには、萌未の手記は手短過ぎた。



 改めて画像が開かれ、涼平の前に白髪の初老の男性が映し出された。痩せ気味の、人の良さそうなその顔に、悪銭を身に着けた人間の薄汚さは感じられなかった。もうこの世にはいない人…そんな思いが過ぎり、涼平の胸をチクッと刺した。


『いやあ、何だか気恥ずかしいですね。私なんかが何をお話したらいいもんやら…』
『何でも気楽に話して下さい。そうですね…じゃあ、小山内さんって若い頃はどんな感じでした?』


 モジモジとしている男性に、女性の声がかかる。おそらくゆかりが前にいるのだろう。小山内が、じゃあ、と話し出す。


『とても奥手な男でした。意中の人の前に出ると、あがってしまって話せなくなるようなね。中学の頃、そんな私が初恋をしたんです。身の程知らずにも、とても美人な方でした。でも彼女は顔がいいだけではなく、気立ても優しい人でした。クラスで陰の方にいる私などにも、気さくに声をかけて挨拶してくれました。


 もうすぐ卒業する頃に、彼女に思い切って告白しました。もちろん玉砕覚悟です。ただ、後悔はしたくなかったんです。今の若い人はメールなんかで簡単にやり取り出来るでしょ?でも当時は携帯なんかないんで、ラブレターを書きました。彼女からは意外なことに、ありがとうと、お礼の返事をいただきました。そして、一度デートしようってことになったんです。


 いやあ、私、舞い上がりました。私たちは池橋いけはし市出身だったんですが、市の北にハイキングコースがあって、そこに一緒に登りました。冬の寒い日でね、今思うと何でもっと温かい場所にしなかったのかと情けなくなりますが、彼女は私のプランに文句一つ言わずに付き合ってくれました。


 展望台があってね、そこから二人で景色を眺めたの、今でもいい思い出です。彼女はね、すごく寂しい目をして街を眺めるんですね。それで言うんです、私は賤しい地域の出なのだってね。池橋には、何て言いますか…ほら、江戸時代の身分制度で下の方にされた人たちが暮らしていた地域があるんですね。彼女はその地域の出身だったんです。私、そんなの関係ないって言いました。でもあの日の彼女の悲しそうな顔を、私には笑顔に変えてあげることができませんでした。


 え?お付き合いしたのかって?いやいや、結局デートはその一度きりでね、中学を卒業してからは別々の道を歩くことになりました。彼女は成人してから池橋にスナックを開きましてね、私、それを知って通いつめましたよ。え?告白?いやあ、酔った勢いでそんなこと匂わせたかもしれませんね。でも彼女は結局、同じ常連だった不動産屋の社長さんと結婚して店を閉めました。


 だからね、萌未ちゃんと初めて会った時はびっくりしました。彼女、その初恋の女性にそっくりだったんです。え?整形?分かります分かります。造形がそっくりってわけじゃないんです。何ていうのかな…雰囲気としか言いようがやいんですが…でも、面影もちゃんとありますよ、彼女。お母さんの。


 萌未ちゃんにデートしてもらいましたよ。あの頃と同じ、展望台まで行って。そんで彼女、とても寂しそうに街を眺めてました。そっくりでしたねぇ、お母さんと…。


 彼女、榎田のことを探って、私の前に姿を現したんですよね?彼女がお姉さんの死因を探ってるって知って、私は胸を痛めました。あなたがたが調べたように、榎田は彼女のお姉さんのことを抱きました。彼女のお姉さん…志保しほさんが陳情に来られた時、応対したのは私でした。そして彼女が榎田を脅すのを、側で聞いておりました。はい、そうです。榎田の名誉のために申しますが……あ、彼に名誉がまだ残っていればの話ですが……志保さんは自分から榎田に体を提供したんです。レイプなんかじゃありません。でも榎田も妻子ある身でしたから、結局それが弱みになったわけですけど……。


 え?萌未ちゃんに騙されて裏帳簿を提供した?違います違います、まあ確かに一緒にホテルの部屋には行きましたが、私、独り身ですしね、あんな若くて綺麗な方と一晩過ごしたとしても名誉にこそなれ、弱みになんかなりません。実は榎田には裏の組織の援護があり、私は萌未ちゃんの身の危険を案じておりました。だから、二人きりになってそれを教えてあげたかったんです。深入りし過ぎると、命が危ないってね。


 裏帳簿は私の考えで提供しました。萌未ちゃんが私の初恋の人の娘だと知り、これも何かの縁だと思いました。私は榎田議員のお父さんの代から秘書をしておりましたが、次第に汚職に手を染め出したのを、お諌めすることもできずに黙って見ておりました。そんな不甲斐ない私の罪を償ういい機会だと思ったんです。でも一方で、彼女の身の危険も案じてもいます。だから………


 あ、いやいや、何でもありません。え?───』


 そこでプツンと、映像が途切れた。ゆかりがパソコンを手繰り寄せ、捕捉する。

「この後ね、うち、小山内さんが自殺するような気がして、そんなことしないですよねって念を押したの。小山内さん、その場ではそんなことしないって言ってたけど、結局……」

 首をくくった……ゆかりはその言葉を飲み込むように、顔を歪めて俯いた。

「この映像……萌未には?」

 ふと気になり、涼平が聞く。真奈美がそれに答えた。

「もちろん観せたよ。萌未、泣いてた。それでね、うちら、計画したの。榎田の悪巧みを絶対世間に公表してやろうって。そうしないと、小山内さんも浮かばれないでしょ?小山内さん、きっと萌未を庇って、自分一人で罪を背負い込むつもりやったのよ。そんなの、絶対おかしいって……」

 そこで真奈美もぐすんと鼻を鳴らし、俯いた。萌未の手記ではその辺の経緯を端折って書かれていて、あれを読めばまるで萌未のせいで小山内の命が奪われたような印象を受けたが、実際はそうではなかったのだ。だが今となっては、あれを書いた時の萌未の心境も分かる気がする。萌未はきっと、すでに黒田くろだが黒幕だと気付いていたのだ。だから、黒田が目を光らせているあの手記に、全てを詳らかに書くことは出来なかった。


 だとしたら……


 一体いつ、萌未は黒田の正体が分かっていたのだろう?


 萌未の輪郭が、浮き上がってはまた遠くなる。一体自分は、萌未のことをどこまで分かっているのだろう?小山内が亡くなった日、萌未は眠れない日々が続いていると言っていなかったか?あの日、萌未は睡眠薬を取りに部屋に訪れ、自分はそんな萌未に一方的に感情を押し付けた。萌未を押し倒し、自分の思い通りにならない萌未を詰り、部屋を出て行くと駄々をこねた。萌未はそんな自分を優しく包みこんでくれた……


 
 ああ、何て俺はお子ちゃまだったことか──



 そんな思いに沈んだ涼平の前に、またパソコンが向けられる。今度の映像には、懐かしい顔があった。まるで先程の小山内の心情が乗り移ったように、涼平はその初恋の人の顔を見て、瞳を潤ませた。




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