太子妃は天界の第六王女

アラスカ

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第一話

天命により、星は凡塵へ落つ

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琉璃の空のその果て、三十三天の最奥、紫宸殿にて九度の鐘が鳴り響く。雲海に囲まれ、光が降り注ぐその中で、一人の少女が玉の階段にひざまずいていた。衣は風に揺れ、姿はまるで雪の中に咲く梅のように、静かで、気高い。

玉座に座す天帝は、深い金の衣をまとい、沈黙のまま彼女を見下ろしていた。目には、父としての哀しみと帝としての決断が宿る。

「墨璃(ぼくり)、お前は本当にこの道を選ぶのか。」

彼女は顔を上げる。その瞳は星のごとく冷たく澄み、心には一点の迷いもない。

「父上。私は天命を継ぐ者として、人の苦しみ、愛、裏切り、情のすべてを知りたいのです。心を磨き、真の帝たる器を得るため、私は人界へと参ります。」

帝君はしばし黙し、やがて天命の玉牒を呼び出す。神光が玉簡を包み、その表面に一つの名が刻まれた――

「軒轅墨璃(けんえん ぼくり)」

「この生、お前は異姓侯家・軒轅家の嫡次女として生まれる。尊き血筋、だが寵愛薄く、盛運の中にも試練多し。情に惑い、執に苦しむだろう。」

墨璃は何も言わず、ただ深く一礼する。

帝君は掌をかざし、三つの光を放つ護符を彼女の眉、胸、掌へと刻む。

「この三符は、それぞれ一度きりの力を与える。一つは命を救い、一つは心を守り、一つは情を断つ。だが覚えておけ、危急の時以外に、仙術は使ってはならぬ。破れば、二度と天界には戻れぬ。」

彼女の袖に仕舞われた玉笛「流笛」と折扇「寒曜」もまた、静かにその光を潜めている。

天門が開く。風雷が天地を貫き、雲の海に黄金の光が走る。その中を、墨璃は一歩、また一歩と踏み出した。

彼女は決して振り返らなかった。ただ、心の奥でこう誓っていた。

「いつか私が帰るとき、もう何も恐れぬ自分であるように。」

その瞬間、彼女の身は光に包まれ、天界から完全に姿を消した。



人界。冬の夜、都には雪が舞っていた。

その静けさの中、異姓侯・軒轅家の屋敷で一人の女児が誕生した。泣き声を上げず、ただ目を開き、穏やかな表情を浮かべる新生児。眉間にはかすかな光が揺れ、まるで星辰が宿るかのような神秘を漂わせる。

宮人や産婆たちは口々に「この子は尋常ではない」とざわめいたが、侯夫人は微笑みながら彼女の額にそっと手を当てた。

「いいえ、この子は――天からの贈り物です。」

その名は、軒轅墨璃。

凡人の姿であれど、彼女の中には、今なお天界の記憶と霊力が息づいていた。仙器は魂の奥に封じられ、使用は厳しく制限されている。だがそれでいい。天命とは、ただ力を持つ者ではなく、苦難の中でなお輝く心を持つ者が継ぐもの。

墨璃は知っていた。

これから始まるのは、神ではなく、一人の人間としての試練。そしてその試練の先にこそ、真の「天帝」への道がある。

星の娘は、今、人の世に降り立った。
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