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プロローグ
クビの宣告、再スタートの条件
side 折井 颯太
倉城家で、住み込みのハウスキーパーとして働き始めて、半年。
――たった半年。
なのに、もうずいぶん長くここに縛りつけられている気がする。
掃除、洗濯、料理。
やることは多いけど、嫌いじゃなかった。
月給二十万。住居付き。
大学に通いながら続けられる仕事としては、出来すぎなくらいだった。
……最初は。
「条件、良すぎない?」
そう言われても、俺は笑って誤魔化してた。
まさか、その“理由”が――
倉城健人、あの一人息子だったなんて。
鏡の中の自分と目が合う。
黒いメイド服。
白いエプロン。フリル付きのカチューシャ。
“今日はこれを着ろ”って命令だった。
……最悪。
口に出したら本当に泣きそうで、喉の奥で押し殺した。
似合ってるとか似合ってないとか、そういう問題じゃない。
そもそも、俺は男なんだよ。
そりゃ小柄で華奢な方だし、幼少期は女の子に間違えられたことも多々あるけど、こんな格好する趣味はないし、そういう仕事じゃない。
……でも、断れなかった。
断ったら、ここを失う。
住む場所も収入も、大学に通う手段も。全部。
「颯太ー、準備できたか?」
ドアの向こうから聞こえてくる声に、背中がびくりと跳ねる。
甘ったるくて、無駄に馴れ馴れしい気持ち悪い声。
「……はい」
返事をした瞬間、ノックもなくドアが開いた。
「お、やっぱ似合う。最高じゃん!」
健人の視線が、上から下へ、ゆっくりと這っていく。
服の上からでも、触られているみたいで胃がきしんだ。
……逃げたい。
目を逸らしたい。
でも、そんなことしたら、また機嫌を損ねる。
「颯太ってさ、すげぇ俺の好みなんだよ。マジ可愛いすぎるわ」
「え……」
「なぁ、俺のこと、好きだろ?」
好きなわけない。嫌いだ。
なのに、怖くて否定できない自分が情けない。
「なぁ、もっと仲良くしようぜ」
……最初は冗談だと思ってた。
金持ちのボンボンが、調子に乗ってるだけだって。
でも――
日に日に距離は近づいて、言葉は露骨になっていって。
「この服、着てみろ」
「触らせて」
拒否の言葉を探すたびに、先にこれが来る。
“言うこと聞かないと、クビにするよ?”
……卑怯だ。
でもそれが一番効くって、健人はわかってる。
「そこ座れ。撮影会しよう」
ベッドを指差されて、体が動くまでに一拍遅れる。
「撮影会って……」
「写真撮るだけ。記念だろ?」
記念なわけがない。
こんなの、悪趣味な自己満足だ。
肩に置かれた手に、体が強張る。
逃げ道を塞がれたみたいで息が浅くなる。
「ほら、こっち見て。笑えよ」
……俺は人形じゃない。
逆らえない自分が、嫌でたまらない。
「“ご主人様”って呼んでみ?」
喉がひくりと鳴る。
言いたくない。言いたくないのに。
「……ご主人様」
声が震えているのが、自分でもわかった。
「あの、そろそろ着替えを――」
「まだいいだろ」
――終わらない。
今日は、まだ終わらない。
腰に回された腕に、心臓が嫌な音を立てる。
「颯太。スカート、ちょっと上げろよ」
……は?
嫌だ。本当に、嫌だ。
「言うこと聞かないと、クビな」
「え……」
「いいのか? 住むとこも金も失うけど」
指先が、震えながら裾を掴む。
少しずつ、少しずつ。
これ以上は――そう思ったところで、健人が近づいてくる。
「ちゃんと見せろって」
「ちょっと……!」
抵抗する手は、簡単に払われる。
「……いい眺めだな」
顎を掴まれて、無理やり顔を上げさせられる。
「颯太、俺のこと嫌いか?」
嫌いだ。大嫌いだ。
怖い。
気持ち悪い。
「そういう問題じゃ……」
「じゃあ、いいよな」
スマホが投げ捨てられる音。
――あ、だめだ。やばい。
ベッドに押し倒されて、視界が揺れる。
「やめ……っ」
「すげぇ唆るー。メイドさんを犯すみたいでさ」
違う。
俺は、そんな存在じゃない。
「脱がすぞ」
……無理だ。
このままじゃ。
必死に腕を突き出して、力いっぱい押し返す。
「俺、そういうの無理なんで!」
声が裏返る。
でも、もう止まれなかった。
「は? 言うこと聞かないと知らねぇぞ」
「……それでも、無理です!」
一瞬の沈黙。
そのあと、健人の目が冷たく光った。
「……そう。じゃあ、後悔するなよ」
その言葉が、翌日の現実になるなんて――この時は、まだちゃんと理解できてなかった。
*
翌朝。
目を覚ました瞬間、昨日の声と視線が、脳の奥で一気に蘇る。
――後悔するなよ。
布団の中で体が強張ったまま動かない。
……行かなきゃ。
何事もなかったみたいな顔で、下に降りなきゃ。
そうしないと、もっと面倒なことになる。
無理やり体を起こして着替える。
メイド服じゃないだけで、少しだけ救われた気がした。
リビングに入ると、そこには“異様な光景”が待っていた。
健人。
そして、その両脇に座る、倉城夫妻。
「……座って」
奥さんの声はやけに落ち着いている。
それが逆に、怖かった。
テーブルの上に置かれていたのは、宝石のついたアクセサリーと分厚い封筒。
……なに、これ。
「見覚え、ある?」
首を横に振る。
本当に、知らない。
「君の部屋から出てきたんだ」
――嘘だ。
頭の中が、一気に白くなる。
「盗んでません」
「でも、君の部屋にあった」
視線が、健人に向く。
彼は何も言わない。
ただ、黙って、俺を見ている。
……ああ。
そういうことか。
「お金に困って、盗んだんじゃないの?」
違う。
困ってはいたけど、こんなことはしてない。
無実を証明する“証拠”なんて、一つもない。
「……今日中に、荷物をまとめて出て行ってください」
それだけで会話は終わった。
反論も弁明も、最初から必要とされていなかった。
*
夕方。
リュックひとつを背負って倉城家の玄関を出る。
振り返ると、二階の窓に健人がいた。
……笑ってる。
勝ち誇ったその顔を見た瞬間、胸の奥で何かが静かに壊れた。
悔しい。
……情けない。
倉城家で働いた半年。
掃除も、洗濯も、料理も。
ちゃんとやってたと思う。少なくとも、手は抜いてなかった。
――なのに。
「俺が盗むわけ、ないじゃん……」
小さく呟いて、すぐにやめる。
今さら言っても、どうにもならないから。
倉城家で、住み込みのハウスキーパーとして働き始めて、半年。
――たった半年。
なのに、もうずいぶん長くここに縛りつけられている気がする。
掃除、洗濯、料理。
やることは多いけど、嫌いじゃなかった。
月給二十万。住居付き。
大学に通いながら続けられる仕事としては、出来すぎなくらいだった。
……最初は。
「条件、良すぎない?」
そう言われても、俺は笑って誤魔化してた。
まさか、その“理由”が――
倉城健人、あの一人息子だったなんて。
鏡の中の自分と目が合う。
黒いメイド服。
白いエプロン。フリル付きのカチューシャ。
“今日はこれを着ろ”って命令だった。
……最悪。
口に出したら本当に泣きそうで、喉の奥で押し殺した。
似合ってるとか似合ってないとか、そういう問題じゃない。
そもそも、俺は男なんだよ。
そりゃ小柄で華奢な方だし、幼少期は女の子に間違えられたことも多々あるけど、こんな格好する趣味はないし、そういう仕事じゃない。
……でも、断れなかった。
断ったら、ここを失う。
住む場所も収入も、大学に通う手段も。全部。
「颯太ー、準備できたか?」
ドアの向こうから聞こえてくる声に、背中がびくりと跳ねる。
甘ったるくて、無駄に馴れ馴れしい気持ち悪い声。
「……はい」
返事をした瞬間、ノックもなくドアが開いた。
「お、やっぱ似合う。最高じゃん!」
健人の視線が、上から下へ、ゆっくりと這っていく。
服の上からでも、触られているみたいで胃がきしんだ。
……逃げたい。
目を逸らしたい。
でも、そんなことしたら、また機嫌を損ねる。
「颯太ってさ、すげぇ俺の好みなんだよ。マジ可愛いすぎるわ」
「え……」
「なぁ、俺のこと、好きだろ?」
好きなわけない。嫌いだ。
なのに、怖くて否定できない自分が情けない。
「なぁ、もっと仲良くしようぜ」
……最初は冗談だと思ってた。
金持ちのボンボンが、調子に乗ってるだけだって。
でも――
日に日に距離は近づいて、言葉は露骨になっていって。
「この服、着てみろ」
「触らせて」
拒否の言葉を探すたびに、先にこれが来る。
“言うこと聞かないと、クビにするよ?”
……卑怯だ。
でもそれが一番効くって、健人はわかってる。
「そこ座れ。撮影会しよう」
ベッドを指差されて、体が動くまでに一拍遅れる。
「撮影会って……」
「写真撮るだけ。記念だろ?」
記念なわけがない。
こんなの、悪趣味な自己満足だ。
肩に置かれた手に、体が強張る。
逃げ道を塞がれたみたいで息が浅くなる。
「ほら、こっち見て。笑えよ」
……俺は人形じゃない。
逆らえない自分が、嫌でたまらない。
「“ご主人様”って呼んでみ?」
喉がひくりと鳴る。
言いたくない。言いたくないのに。
「……ご主人様」
声が震えているのが、自分でもわかった。
「あの、そろそろ着替えを――」
「まだいいだろ」
――終わらない。
今日は、まだ終わらない。
腰に回された腕に、心臓が嫌な音を立てる。
「颯太。スカート、ちょっと上げろよ」
……は?
嫌だ。本当に、嫌だ。
「言うこと聞かないと、クビな」
「え……」
「いいのか? 住むとこも金も失うけど」
指先が、震えながら裾を掴む。
少しずつ、少しずつ。
これ以上は――そう思ったところで、健人が近づいてくる。
「ちゃんと見せろって」
「ちょっと……!」
抵抗する手は、簡単に払われる。
「……いい眺めだな」
顎を掴まれて、無理やり顔を上げさせられる。
「颯太、俺のこと嫌いか?」
嫌いだ。大嫌いだ。
怖い。
気持ち悪い。
「そういう問題じゃ……」
「じゃあ、いいよな」
スマホが投げ捨てられる音。
――あ、だめだ。やばい。
ベッドに押し倒されて、視界が揺れる。
「やめ……っ」
「すげぇ唆るー。メイドさんを犯すみたいでさ」
違う。
俺は、そんな存在じゃない。
「脱がすぞ」
……無理だ。
このままじゃ。
必死に腕を突き出して、力いっぱい押し返す。
「俺、そういうの無理なんで!」
声が裏返る。
でも、もう止まれなかった。
「は? 言うこと聞かないと知らねぇぞ」
「……それでも、無理です!」
一瞬の沈黙。
そのあと、健人の目が冷たく光った。
「……そう。じゃあ、後悔するなよ」
その言葉が、翌日の現実になるなんて――この時は、まだちゃんと理解できてなかった。
*
翌朝。
目を覚ました瞬間、昨日の声と視線が、脳の奥で一気に蘇る。
――後悔するなよ。
布団の中で体が強張ったまま動かない。
……行かなきゃ。
何事もなかったみたいな顔で、下に降りなきゃ。
そうしないと、もっと面倒なことになる。
無理やり体を起こして着替える。
メイド服じゃないだけで、少しだけ救われた気がした。
リビングに入ると、そこには“異様な光景”が待っていた。
健人。
そして、その両脇に座る、倉城夫妻。
「……座って」
奥さんの声はやけに落ち着いている。
それが逆に、怖かった。
テーブルの上に置かれていたのは、宝石のついたアクセサリーと分厚い封筒。
……なに、これ。
「見覚え、ある?」
首を横に振る。
本当に、知らない。
「君の部屋から出てきたんだ」
――嘘だ。
頭の中が、一気に白くなる。
「盗んでません」
「でも、君の部屋にあった」
視線が、健人に向く。
彼は何も言わない。
ただ、黙って、俺を見ている。
……ああ。
そういうことか。
「お金に困って、盗んだんじゃないの?」
違う。
困ってはいたけど、こんなことはしてない。
無実を証明する“証拠”なんて、一つもない。
「……今日中に、荷物をまとめて出て行ってください」
それだけで会話は終わった。
反論も弁明も、最初から必要とされていなかった。
*
夕方。
リュックひとつを背負って倉城家の玄関を出る。
振り返ると、二階の窓に健人がいた。
……笑ってる。
勝ち誇ったその顔を見た瞬間、胸の奥で何かが静かに壊れた。
悔しい。
……情けない。
倉城家で働いた半年。
掃除も、洗濯も、料理も。
ちゃんとやってたと思う。少なくとも、手は抜いてなかった。
――なのに。
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