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【第一章】住む場所も仕事も、ゼロからの一歩
4.試用期間と夜の頼みごと
底冷えのする駐車場で、一緒に車に乗り込む。
涼さんはエンジンをかける前に、俺をじっと見た。
「試用期間とはいえ、普通に暮らしてくれればいいからね」
“普通に暮らす”
それが、今の俺にはいちばん難しくて、いちばん欲しいものだった。
「……はい」
涼さんはそれ以上何も言わず、車を走らせる。
窓の外に流れていく街並みをぼんやり眺めながら、胸の奥がそわそわする。
昨日までの俺なら、こういう景色を見ても心は何も動かなかったはず。
生きることで精一杯で、未来なんて考える余裕もなかった。
でも今は。
不安の奥に、ほんの小さな希望みたいなものが混ざっている気がする。
「颯太」
「はい」
「前の職場……辛かった?」
ハンドルを握ったまま、涼さんは穏やかな声で問いかけてきた。
うん、辛かった。
言葉にするのも苦しいくらい。
誰にでも話せるわけじゃないけど、この人に嘘はつきたくない。
「……はい」
短く答えると、涼さんはそれ以上深く踏み込まなかった。
「そっか」
その距離感がありがたくて、少しだけ目が熱くなる。
やがて車は、涼さんの住むマンションの前で止まった。
高層階まで伸びるガラスの外壁。
ここに住んでる時点で、やっぱり別世界の人だよね。
朝はなんで気づかなかったんだろう……。
「ほら、行こう」
並んでエントランスを抜け、エレベーターに乗る。
最上階のボタンが押されるのを見て、心臓がまた落ち着かなくなる。
部屋に入ると、朝見たよりもずっと静かで広く感じた。
……ここが、しばらくの俺の居場所。
「こっち」
涼さんに案内されて廊下を進む。
開けられた扉の先には、シンプルだけど清潔な部屋。
ベッドとクローゼットと、小さなデスク。
「ここが颯太の部屋。今日から使って」
その一言が胸に響いた。
……俺の、部屋。
借り物だし、試用期間だけど。
それでも、ちゃんと居場所ができた。
「ありがとうございます」
「うん。荷物置いたら、リビングに来て」
「わかりました」
涼さんが部屋を出ていくのを見届けてから、リュックを床に置く。
ベッドに腰を下ろし、深く息を吐いた。
「……夢じゃないよね」
頬をつねると、ちゃんと痛い。
昨日まで心が空っぽだった俺に、こんな時間が訪れるなんて思いもしなかった。
リビングに戻ると、涼さんはソファに腰を下ろしていた。
「座って」
向かいに腰を下ろして背筋を伸ばす。
やっぱり少し緊張する……。
「試用期間のルールを説明するね」
「はい」
涼さんの声は落ち着いていて、耳に自然と残る。
「一週間、ここで生活してもらう。仕事は料理、掃除、洗濯。家事全般」
「わかりました」
「朝は俺が早いから、朝食は颯太のタイミングでいい。夕飯は、俺が帰ってきた頃にあれば助かる」
「はい。了解しました」
聞きながら、自然にうなずく。
……ちゃんとできるかな。失敗したらどうしよう。
でも、ここで逃げるわけにはいかない。
「質問はある?」
少し迷ってから、口を開いた。
「……あの、試用期間って、具体的に何を見られるんですか?」
「仕事ぶりと……人柄かな」
「人柄……」
胸の奥で少し引っかかる。
俺みたいな普通の人間で、本当に大丈夫なのかな。
「俺、人を簡単に信用できないんだ。だから、ちゃんと見極めたい」
率直な言葉だった。
取り繕っていないのが、わかる。
「わかりました。頑張ります」
「ありがとう。今日はゆっくり休んで」
そう言って立ち上がりかけた涼さんに、思わず声をかけた。
「あの、涼さん」
「ん? どした?」
少し逡巡してから続ける。
「家事全般以外に、何か仕事はないですか?」
「たとえば?」
一瞬考えて、口から出たのは勢い半分の言葉だった。
「おつかいとか……あ、肩揉みとかマッサージとか……!」
言ってから、自分で恥ずかしくなる。
「ふっ」
涼さんが吹き出す。
「あ、涼さん、また笑う……」
「ごめん。真面目に考えてくれてるのが伝わってきたから」
そう言って軽く肩をすくめる。
「今のところは家事だけで十分だよ。無理しなくていい」
その一言に、少し肩の力が抜けた、そのとき。
涼さんが、少しだけ言いづらそうに視線を泳がせてから、俺を見る。
「……じゃあさ、颯太」
「はい?」
「夜、よかったら、隣で寝てもらえないかな」
「……え?」
隣で……寝る……?
頭の中で、その言葉が何度も反響する。
思わず固まる俺に、涼さんは小さく苦笑して視線を逸らした。
「誤解しないで。変な意味じゃないんだ」
少し間を置いて、涼さんは付け加える。
「一人で寝ると考え事しちゃって、どうも落ち着かなくてさ。誰かの気配があると安心できるってだけ」
「……そういうこと、ですか」
「うん。普段は誰も泊めないんだけど、今日はちょっと例外。でも、無理なら断っていい」
“例外”。
その言葉が胸に引っかかる。
特別扱い、っていうより――今の俺の状況を見て言ってくれてる気がした。
少し考えてから、首を横に振る。
「……大丈夫です」
「ありがとう」
涼さんの顔に、ほっとしたような笑みが広がった。
涼さんはエンジンをかける前に、俺をじっと見た。
「試用期間とはいえ、普通に暮らしてくれればいいからね」
“普通に暮らす”
それが、今の俺にはいちばん難しくて、いちばん欲しいものだった。
「……はい」
涼さんはそれ以上何も言わず、車を走らせる。
窓の外に流れていく街並みをぼんやり眺めながら、胸の奥がそわそわする。
昨日までの俺なら、こういう景色を見ても心は何も動かなかったはず。
生きることで精一杯で、未来なんて考える余裕もなかった。
でも今は。
不安の奥に、ほんの小さな希望みたいなものが混ざっている気がする。
「颯太」
「はい」
「前の職場……辛かった?」
ハンドルを握ったまま、涼さんは穏やかな声で問いかけてきた。
うん、辛かった。
言葉にするのも苦しいくらい。
誰にでも話せるわけじゃないけど、この人に嘘はつきたくない。
「……はい」
短く答えると、涼さんはそれ以上深く踏み込まなかった。
「そっか」
その距離感がありがたくて、少しだけ目が熱くなる。
やがて車は、涼さんの住むマンションの前で止まった。
高層階まで伸びるガラスの外壁。
ここに住んでる時点で、やっぱり別世界の人だよね。
朝はなんで気づかなかったんだろう……。
「ほら、行こう」
並んでエントランスを抜け、エレベーターに乗る。
最上階のボタンが押されるのを見て、心臓がまた落ち着かなくなる。
部屋に入ると、朝見たよりもずっと静かで広く感じた。
……ここが、しばらくの俺の居場所。
「こっち」
涼さんに案内されて廊下を進む。
開けられた扉の先には、シンプルだけど清潔な部屋。
ベッドとクローゼットと、小さなデスク。
「ここが颯太の部屋。今日から使って」
その一言が胸に響いた。
……俺の、部屋。
借り物だし、試用期間だけど。
それでも、ちゃんと居場所ができた。
「ありがとうございます」
「うん。荷物置いたら、リビングに来て」
「わかりました」
涼さんが部屋を出ていくのを見届けてから、リュックを床に置く。
ベッドに腰を下ろし、深く息を吐いた。
「……夢じゃないよね」
頬をつねると、ちゃんと痛い。
昨日まで心が空っぽだった俺に、こんな時間が訪れるなんて思いもしなかった。
リビングに戻ると、涼さんはソファに腰を下ろしていた。
「座って」
向かいに腰を下ろして背筋を伸ばす。
やっぱり少し緊張する……。
「試用期間のルールを説明するね」
「はい」
涼さんの声は落ち着いていて、耳に自然と残る。
「一週間、ここで生活してもらう。仕事は料理、掃除、洗濯。家事全般」
「わかりました」
「朝は俺が早いから、朝食は颯太のタイミングでいい。夕飯は、俺が帰ってきた頃にあれば助かる」
「はい。了解しました」
聞きながら、自然にうなずく。
……ちゃんとできるかな。失敗したらどうしよう。
でも、ここで逃げるわけにはいかない。
「質問はある?」
少し迷ってから、口を開いた。
「……あの、試用期間って、具体的に何を見られるんですか?」
「仕事ぶりと……人柄かな」
「人柄……」
胸の奥で少し引っかかる。
俺みたいな普通の人間で、本当に大丈夫なのかな。
「俺、人を簡単に信用できないんだ。だから、ちゃんと見極めたい」
率直な言葉だった。
取り繕っていないのが、わかる。
「わかりました。頑張ります」
「ありがとう。今日はゆっくり休んで」
そう言って立ち上がりかけた涼さんに、思わず声をかけた。
「あの、涼さん」
「ん? どした?」
少し逡巡してから続ける。
「家事全般以外に、何か仕事はないですか?」
「たとえば?」
一瞬考えて、口から出たのは勢い半分の言葉だった。
「おつかいとか……あ、肩揉みとかマッサージとか……!」
言ってから、自分で恥ずかしくなる。
「ふっ」
涼さんが吹き出す。
「あ、涼さん、また笑う……」
「ごめん。真面目に考えてくれてるのが伝わってきたから」
そう言って軽く肩をすくめる。
「今のところは家事だけで十分だよ。無理しなくていい」
その一言に、少し肩の力が抜けた、そのとき。
涼さんが、少しだけ言いづらそうに視線を泳がせてから、俺を見る。
「……じゃあさ、颯太」
「はい?」
「夜、よかったら、隣で寝てもらえないかな」
「……え?」
隣で……寝る……?
頭の中で、その言葉が何度も反響する。
思わず固まる俺に、涼さんは小さく苦笑して視線を逸らした。
「誤解しないで。変な意味じゃないんだ」
少し間を置いて、涼さんは付け加える。
「一人で寝ると考え事しちゃって、どうも落ち着かなくてさ。誰かの気配があると安心できるってだけ」
「……そういうこと、ですか」
「うん。普段は誰も泊めないんだけど、今日はちょっと例外。でも、無理なら断っていい」
“例外”。
その言葉が胸に引っかかる。
特別扱い、っていうより――今の俺の状況を見て言ってくれてる気がした。
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「……大丈夫です」
「ありがとう」
涼さんの顔に、ほっとしたような笑みが広がった。
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