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【第一章】住む場所も仕事も、ゼロからの一歩
5.眠れる場所を、もらいました
そのあと、しばらく沈黙が流れた。
俺はさっきの動揺を引きずったままで、どうしたらいいのかわからなくて。
ふと時計を見ると、もう夕方を回っている。
……あ、そうだ。
今日から俺は、ここのハウスキーパー。
ぼーっとしてる場合じゃない。
ここにいさせてもらう以上、ちゃんと役に立たなきゃ。
「あの……」
「ん?」
涼さんが顔を上げる。
「夕飯、作りますね」
「うん。ありがとう、任せるよ」
冷蔵庫を開けて材料を確認する。
肉と野菜、卵に少しの調味料。
シンプルだけど、丁寧に作れば美味しくなるはず。
手が自然に動く。
包丁を握ると、体が勝手に動き出す。
料理をしている間だけは、余計なことを考えずにいられるし。
未来も不安も、今は脇に置ける。
テーブルに料理を並べると、ふわっと湯気と一緒にいい香りが広がった。
「いただきます」
向かい合って箸を取る。
涼さんが一口食べて、瞬きをしてから笑った。
「……やっぱりうまい」
「よかったです」
「いや、想像以上。ちゃんとした“家のご飯”だね」
褒められた。
この人にそう言ってもらえるのは、特別。
「……たくさん食べてください」
「うん」
一口、また一口。
涼さんの口元に時々浮かぶ、柔らかい笑み。
こんな普通の夕飯、久しぶりかも。
倉城家では食事は作業だったけど、ここではちゃんと“時間”になってる。
食後、食器を片付けて、それぞれ風呂を済ませる。
パジャマ姿でリビングに戻ると、涼さんはソファに座ったまま、こちらを見ていた。
「颯太」
「はい?」
優しい口調で名前を呼ばれて、ちょっとドキッとした。
「そろそろ寝ようか」
その一言に、さっきの会話が頭をよぎる。
“隣で寝てもらえないかな”
そうだった。
怖くはないけど、なんか緊張する。
「……はい」
「じゃあ、こっち来て」
寝室に入ると、柔らかい灯りがベッドを照らしている。
「……隣、いいですか」
「うん。どうぞ」
横になると、距離が近すぎて息の音まで聞こえる。
うわ、ドキドキする……。
「颯太」
「は、はい」
「抱きしめてもいい?」
「……え?」
「嫌なら言って」
一瞬考えてから、正直に答える。
「大丈夫です」
……この人なら、嫌じゃない。
涼さんは少し驚いたように瞬きして、それからほっとした表情になる。
「ありがとう、颯太」
たった一言の返事から、優しさが聞こえた。
息がかかるたび、胸の奥に温かいものが沈む。
そっと伸びてきた腕が、俺の体を包む。
強くもなく、縛るみたいでもなくて。
……温かいな。
こんなふうにちゃんと“人”として扱ってもらったのは初めてかも。
それだけで、充分だよな。
「おやすみ、颯太」
「……おやすみなさい」
温もりに包まれ、意識がゆっくり落ちていく。
*
午前六時。
カーテンの隙間から柔らかい光が差し込み、部屋をほんのり照らしている。
……朝だ。
隣では涼さんが眠っている。
規則正しい寝息。穏やかな横顔。
思わず見つめてしまって、はっとして視線を逸らす。
昨日までの俺の世界には、こんな穏やかな朝なんて存在しなかった。
倉城家では、誰かのそばで安心して眠るなんて絶対にありえなかったのに。
……あ。
健人の顔が一瞬よぎって、すぐに打ち消す。
思い出したら気分が悪くなるだけ。
今は、ここ。
過去より今日だ。
よし、そろそろ起きよ。
涼さんを起こさないよう静かにベッドを抜け出す。
洗面所で顔を洗い、鏡を見ると、少し緊張した自分が映っていた。
「朝ごはん、作ろう」
試用期間。
評価される立場で、手を抜くわけにはいかない。
ここは居場所だけど、まだ“仮”だから。
……俺がちゃんと役に立てるかどうかで、全部が決まる。
そう思いながら包丁を握る。
野菜を切る音、出汁を取る湯気の匂い。
料理をしていると、不思議と心が落ち着く。
考えすぎる頭が、少しずつ静かになる。
「おはよう、颯太」
背後から声がして、少し肩が跳ねた。
振り返ると、白いTシャツにスウェット姿の涼さんが立っている。
「あ、おはようございます。朝ごはん、もうすぐできます」
「ありがとう」
涼さんはソファに座り、ノートパソコンを開いた。
「朝からお仕事ですか?」
「うん。新しいアプリの締め切りが近くて」
「大変ですね」
「まあね。でも、好きな仕事だから」
涼さんって、出会ってからずっと優しい人だけど、今朝は一段と雰囲気が柔らかい気がする。
「できましたよ」
テーブルに並べると、涼さんが箸を取る。
「いただきます」
一口食べた涼さんが、目を細めた。
「……美味しいな」
その表情につられて、自然と笑ってしまう。
なんだか知らないけど、毎回すごく嬉しそうに食べてくれるから。
「俺、料理好きなんで。毎日ちゃんと作ります」
「ありがとう。こんなの毎日食べられるなら、俺は幸せ者だね」
ほら、そうやってまた甘いこと言う……。
朝食後、涼さんは出社準備。
スーツ姿になると、一気に“社長”の顔になる。
この人、やっぱりかっこいいよね。
頬が熱くなるのは、きっとこの室温のせい。
「じゃあ、行ってくるね」
「いってらっしゃい」
玄関で見送ると、涼さんは振り返った。
「夕飯、楽しみにしてる」
「はい! 頑張りますね」
急に静かになった家の中。
……ふぅ。
なんだか緊張が抜けた気がする。
でも、まだ一日は始まったばかり。
「……よし」
洗濯機を回し、掃除を始める。
リビング、キッチン、廊下。
丁寧に、ひとつずつ。
涼さんの部屋に入る許可は得てるけど、机の上に触れないよう注意して整える。
一人暮らしのわりに、部屋はきれいだ。
今まで誰か雇ってたのかな。
その人も、涼さんの隣で寝てたのかな。
胸の奥が、ちくっとする。
……何これ。
首を振って雑巾に集中する。
時計を見ると、まだお昼前。
時間はたっぷりある。
昼を食べたら、夕飯の下準備もしようかな。
献立を考えながら、ふと思う。
涼さんは忙しい社長で。
でも、人の話をちゃんと聞いてくれて、真剣に向き合ってくれる。
「……いい人だよな」
小さく呟く。
倉城家とはまるで違う。
あの家では、安心なんて一度もなかった。
ここなら――俺、ちゃんと生き直せるかもしれない。
「……頑張ろ」
そう思えたこと自体が、もう大きな変化だった。
俺はさっきの動揺を引きずったままで、どうしたらいいのかわからなくて。
ふと時計を見ると、もう夕方を回っている。
……あ、そうだ。
今日から俺は、ここのハウスキーパー。
ぼーっとしてる場合じゃない。
ここにいさせてもらう以上、ちゃんと役に立たなきゃ。
「あの……」
「ん?」
涼さんが顔を上げる。
「夕飯、作りますね」
「うん。ありがとう、任せるよ」
冷蔵庫を開けて材料を確認する。
肉と野菜、卵に少しの調味料。
シンプルだけど、丁寧に作れば美味しくなるはず。
手が自然に動く。
包丁を握ると、体が勝手に動き出す。
料理をしている間だけは、余計なことを考えずにいられるし。
未来も不安も、今は脇に置ける。
テーブルに料理を並べると、ふわっと湯気と一緒にいい香りが広がった。
「いただきます」
向かい合って箸を取る。
涼さんが一口食べて、瞬きをしてから笑った。
「……やっぱりうまい」
「よかったです」
「いや、想像以上。ちゃんとした“家のご飯”だね」
褒められた。
この人にそう言ってもらえるのは、特別。
「……たくさん食べてください」
「うん」
一口、また一口。
涼さんの口元に時々浮かぶ、柔らかい笑み。
こんな普通の夕飯、久しぶりかも。
倉城家では食事は作業だったけど、ここではちゃんと“時間”になってる。
食後、食器を片付けて、それぞれ風呂を済ませる。
パジャマ姿でリビングに戻ると、涼さんはソファに座ったまま、こちらを見ていた。
「颯太」
「はい?」
優しい口調で名前を呼ばれて、ちょっとドキッとした。
「そろそろ寝ようか」
その一言に、さっきの会話が頭をよぎる。
“隣で寝てもらえないかな”
そうだった。
怖くはないけど、なんか緊張する。
「……はい」
「じゃあ、こっち来て」
寝室に入ると、柔らかい灯りがベッドを照らしている。
「……隣、いいですか」
「うん。どうぞ」
横になると、距離が近すぎて息の音まで聞こえる。
うわ、ドキドキする……。
「颯太」
「は、はい」
「抱きしめてもいい?」
「……え?」
「嫌なら言って」
一瞬考えてから、正直に答える。
「大丈夫です」
……この人なら、嫌じゃない。
涼さんは少し驚いたように瞬きして、それからほっとした表情になる。
「ありがとう、颯太」
たった一言の返事から、優しさが聞こえた。
息がかかるたび、胸の奥に温かいものが沈む。
そっと伸びてきた腕が、俺の体を包む。
強くもなく、縛るみたいでもなくて。
……温かいな。
こんなふうにちゃんと“人”として扱ってもらったのは初めてかも。
それだけで、充分だよな。
「おやすみ、颯太」
「……おやすみなさい」
温もりに包まれ、意識がゆっくり落ちていく。
*
午前六時。
カーテンの隙間から柔らかい光が差し込み、部屋をほんのり照らしている。
……朝だ。
隣では涼さんが眠っている。
規則正しい寝息。穏やかな横顔。
思わず見つめてしまって、はっとして視線を逸らす。
昨日までの俺の世界には、こんな穏やかな朝なんて存在しなかった。
倉城家では、誰かのそばで安心して眠るなんて絶対にありえなかったのに。
……あ。
健人の顔が一瞬よぎって、すぐに打ち消す。
思い出したら気分が悪くなるだけ。
今は、ここ。
過去より今日だ。
よし、そろそろ起きよ。
涼さんを起こさないよう静かにベッドを抜け出す。
洗面所で顔を洗い、鏡を見ると、少し緊張した自分が映っていた。
「朝ごはん、作ろう」
試用期間。
評価される立場で、手を抜くわけにはいかない。
ここは居場所だけど、まだ“仮”だから。
……俺がちゃんと役に立てるかどうかで、全部が決まる。
そう思いながら包丁を握る。
野菜を切る音、出汁を取る湯気の匂い。
料理をしていると、不思議と心が落ち着く。
考えすぎる頭が、少しずつ静かになる。
「おはよう、颯太」
背後から声がして、少し肩が跳ねた。
振り返ると、白いTシャツにスウェット姿の涼さんが立っている。
「あ、おはようございます。朝ごはん、もうすぐできます」
「ありがとう」
涼さんはソファに座り、ノートパソコンを開いた。
「朝からお仕事ですか?」
「うん。新しいアプリの締め切りが近くて」
「大変ですね」
「まあね。でも、好きな仕事だから」
涼さんって、出会ってからずっと優しい人だけど、今朝は一段と雰囲気が柔らかい気がする。
「できましたよ」
テーブルに並べると、涼さんが箸を取る。
「いただきます」
一口食べた涼さんが、目を細めた。
「……美味しいな」
その表情につられて、自然と笑ってしまう。
なんだか知らないけど、毎回すごく嬉しそうに食べてくれるから。
「俺、料理好きなんで。毎日ちゃんと作ります」
「ありがとう。こんなの毎日食べられるなら、俺は幸せ者だね」
ほら、そうやってまた甘いこと言う……。
朝食後、涼さんは出社準備。
スーツ姿になると、一気に“社長”の顔になる。
この人、やっぱりかっこいいよね。
頬が熱くなるのは、きっとこの室温のせい。
「じゃあ、行ってくるね」
「いってらっしゃい」
玄関で見送ると、涼さんは振り返った。
「夕飯、楽しみにしてる」
「はい! 頑張りますね」
急に静かになった家の中。
……ふぅ。
なんだか緊張が抜けた気がする。
でも、まだ一日は始まったばかり。
「……よし」
洗濯機を回し、掃除を始める。
リビング、キッチン、廊下。
丁寧に、ひとつずつ。
涼さんの部屋に入る許可は得てるけど、机の上に触れないよう注意して整える。
一人暮らしのわりに、部屋はきれいだ。
今まで誰か雇ってたのかな。
その人も、涼さんの隣で寝てたのかな。
胸の奥が、ちくっとする。
……何これ。
首を振って雑巾に集中する。
時計を見ると、まだお昼前。
時間はたっぷりある。
昼を食べたら、夕飯の下準備もしようかな。
献立を考えながら、ふと思う。
涼さんは忙しい社長で。
でも、人の話をちゃんと聞いてくれて、真剣に向き合ってくれる。
「……いい人だよな」
小さく呟く。
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あの家では、安心なんて一度もなかった。
ここなら――俺、ちゃんと生き直せるかもしれない。
「……頑張ろ」
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