【完結】クズ御曹司に嵌められた俺が、スパダリ社長に拾われて溺愛されてます

砂原紗藍

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【第一章】住む場所も仕事も、ゼロからの一歩

3.優しさに包囲されていく

涼さんはソファの横に、ほんの少しだけ体をずらす。
俺が座れるくらいの、わずかなスペース。

「こっち、おいで」

呼ばれて、一瞬ためらってからそっと腰を下ろす。
思ったより距離が近くて、心臓が無駄にうるさい。

「急に仕事も家も失ったら、不安になるよね」
「……はい」
「今日倒れたのも、無理してたせいだろ」

本当にそうだ。

倉城家にいた頃から、まともに食べてないし、寝てない。
平気なふりをしてただけ。

涼さんは小さく息をついてから、改めてこちらを見る。

「颯太。ひとつ提案していい?」
「……なんですか」
「うちで働かない?」
「え……?」

働く?

一瞬、意味がわからなかった。

「住み込みでハウスキーパー。掃除とか洗濯とか、あと料理」

さっきの食卓が頭に浮かぶ。

「颯太のご飯、美味しかった」

俺の目をまっすぐに見て、そう言ってくれる。
そんなふうに言われたの、いつぶりだろう。

「でも……」

俺なんかでいいのかな。
行き場を失って倒れてただけの人間なのに。

涼さんは何も言わず、スマホを取り出した。

「ちょっと待ってね」

軽い口調のまま、電話をかける。

「和真? 今から会社行くから、来てくれ」
『……は? 今日休みだろ』 

呆れた声がスピーカー越しに響く。

「面接する」
『誰の?』
「うちの新しいハウスキーパー」
『……どこで見つけてきたんだよ』
「拾った」
『拾ったって……お前、マジで言ってんの?』
「ああ、マジ。とりあえず、来て」

通話を切って、涼さんがこちらを見た。

「会社でちゃんと面接しよう」
「……あ、あの……」

スーツもない。革靴もない。
今の俺は、スニーカーに借り物の服。
こんな格好で、面接なんて。

「本当にいいんですか?」
「うん」

即答だった。

それだけで、胸の奥に溜まっていた不安が少しだけほどけた。



都心の高層ビルを見上げて、思わず息を呑む。

「……すごい」
「株式会社イノベートテック。俺の会社」

ガラス張りのエントランス。
洗練された内装。
床に映る自分の姿が、やけに頼りなく見えた。

……完全に場違いだ。
俺、ほんとにここに来てよかったのかな?

涼さんの後ろについて中へ入ると、受付の女性がこちらに気づいて、はっとしたように背筋を伸ばした。

「掛水社長、お疲れさまです」

……社長?

思わず、涼さんを見る。
涼さんは軽く手を上げるだけ。

「お疲れさま」

なのに、近くにいた社員たちが次々と足を止め、頭を下げてくる。

「お疲れさまです」
「お戻りなさいませ」

……え。

胸の奥が、どくんと鳴った。

横顔を見ると、涼さんは穏やかな表情で、当たり前みたいに歩いている。

「あ、あの……涼さん」
「ん?」
「……社長、なんですね」
「うん」

軽すぎる返事。

でも、さっきの光景が頭に浮かんで、ようやく現実として飲み込めた。

……ちょっとまって。
俺、とんでもない人に拾われたんじゃない?

「颯太。行くよ」
「あっ……はい」

エレベーターで二十階。
数字が上がるたび、心臓の音も大きくなる気がした。

応接室に通されてソファに座ると、ほどなくしてドアがノックされ、スーツ姿の男性が入ってきた。
黒縁メガネに、涼しげな目元。

……この人、仕事できそう。

「柴田和真。涼の秘書やってる」

秘書なんだ。
名刺を差し出されて、反射的に立ち上がる。

「折井颯太です。よろしくお願いします」

両手で受け取りながら頭を下げる。
和真さんは俺を一通り眺めてから、小さく息を吐いた。

「……へえ。可愛い顔してるね」
「え?」
「いや、独り言」

独り言にしては、はっきり聞こえたけど。

和真さんは涼さんに視線を移す。

「で、本当にどこで?」
「道端で倒れてた」
「……マジで拾ったのかよ」

呆れ半分、諦め半分の声だ。

……ていうか、拾ったって。

俺は心の中で小さく苦笑する。

「じゃ、面接始めようか」

和真さんが腰を下ろす。
それにつられて、涼さんも俺の向かいに座った。

……落ち着け、俺。

「折井颯太くん。年齢は?」
「21です」
「学生?」
「……大学は、中退しました」

一瞬、空気が止まる。

「理由は?」
「お金がなくて……」
「なるほど」

淡々とした声。

和真さんはメモを取りながら、時々こちらを見てくる。
値踏みされてるって感じがして、背筋が伸びた。

きっと誤魔化しても、この人たちには見抜かれる。

「颯太」
「あ、はい……」
「緊張してる?」
「……少し」
「大丈夫。リラックスして話そう」

そう言われても、その視線が俺の中を静かに覗き込んでくるみたいで。

「颯太、料理できるよね」
「できます」
「得意なのは?」
「和食が多いです」
「へぇ……いいね。俺、和食好きなんだ」
「掃除や洗濯は?」

すかさず、和真さんが質問してきた。

「問題ないです」

即答する。
ここで迷ったら、終わるから。

「前職は?」
「……住み込みの使用人でした」
「辞めた理由は?」

和真さんの目が、はっきり鋭くなった。
胸の奥がきゅっと縮む。

――言えない。

健人のことも、あの屈辱も。
濡れ衣のことなんて、なおさら。

「……ちょっと、事情があって」

俯いた瞬間。

「無理に話さなくていいよ」

涼さんの声が静かに割り込んだ。
顔を上げると、穏やかな笑顔がそこにあった。

……あ。

和真さんが少し驚いたように涼さんを見る。

「涼、それ……」
「いい」

涼さんは短く言った。

「じゃあ、試用期間は一週間。その間、颯太の仕事ぶりを見させてほしい」
「わかりました」
「問題なければ正式採用。月給50万。住居と食費は、こっちで持つ」

……月50万。現実感がない。

「じゃあ、今日からね」

今日から!?
展開が早すぎて、頭が追いつかないんだけど。

「本当に、いいんですか?」
「うん」
「俺、ちゃんと働けるか……」
「大丈夫だよ。颯太なら」

あっさりと、当たり前みたいに言われる。
和真さんが小さくため息をついた。

「涼、後で話があるからな」
「わかってる」

試用期間、一週間。
何を見られるんだろう。
何を期待されてるんだろう。

不安は確かにある。

でも。
昨日までの“絶望”より、今のこの不安のほうが――ずっと、マシだ。

「行こうか」
「はい」

こうして俺は、涼さんと一緒にオフィスを後にした。

ここから先が、どうなるかはわからない。
それでも。
今度こそ、ちゃんと前を向いて歩きたい。

この出会いが、俺の人生を変えるなんて――
まだ、知らないまま。

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