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【第三章】さよなら過去、こんにちは未来
7.リボンが繋ぐ、行ってらっしゃいのキス
side 折井 颯太
涼がドアを開けると、和真さんが申し訳なさそうな顔をしていた。
「涼、悪い。ちょっと預かってほしいんだよね」
「……預かるって何を?」
すると、和真さんの足元から白い塊がひょこっと顔を出した。
……犬だ。
丸い目でこちらを見上げて、状況をまったく理解していない顔をしている。
「え、なに……かわいい」
思わず声が出た。
「知人が保護したんだけど、急に入院することになって。面倒見る人が必要になった」
「で、なんでうちに連れてきたんだよ」
「俺のマンション、ペット不可なの。それにお前んとこ、今一番“人がいる家”っぽいから」
意味がわからない理屈を堂々と言い切る和真さん。
その間にも、犬はとことこと玄関に入り込んできて、涼の靴に鼻を押し付けている。
「……もう入ってるけど」
思わずしゃがみこんで、そっと頭を撫でた。犬は一瞬で尻尾を振り始める。
「あ、全然人見知りしないタイプだ」
「名前はリボン。三歳、オス」
「……リボン?」
優しく名前を呼んでみたら、尻尾をぶんぶん振ってる。
「この子さ、元の飼い主に酷い虐待されて捨てられたらしい。知人が保護したんだけど……」
和真さんが少しだけ表情を曇らせる。
「しばらく面倒見てたらしいんだけど、そいつ急病で入院。家族もいなくて、俺も一人じゃ面倒見られなくて」
「そっか……」
リボンは嬉しそうに俺の顔を舐めてきた。
「……この子、悪くないのにね」
なんか……俺とちょっと似てるよね。
何も悪くないのに、理不尽に傷つけられてさ。
「颯太は、犬好き?」
「うん。昔、実家で飼ってた」
「じゃあ……この子、うちで預かろうか」
涼の言葉に驚いて、顔を上げる。
「え、でも」
「颯太が安心してる場所なら、この子も大丈夫だから」
俺の頭をぽんぽんと叩く涼。
……なんでそんなに嬉しそうな顔するの。
「和真さ、俺が断ったらどうするつもりだったんだよ」
「いや、お前犬飼いたいっつってたじゃん」
「言ってたけど……」
「それに、涼なら断わらないと思ってた」
二人が話してる間も、リボンは尻尾を振って嬉しそうにしてる。
和真さんも満足そうに笑ってる。
「涼、颯太くん、ありがとうな。これ最低限のグッズ。他に必要なものはあとで届けるから。じゃ、頼んだ」
「おい、和真――」
涼が引き止める前に、扉が閉まった。
玄関に沈黙が落ちる。
リボンは状況も気にせず、今度は涼の周りをうろうろしていた。
「……どうする?」
「どうするって、預かるんでしょ? リボン、よろしくね」
俺はもう完全に受け入れる体勢に入ってる。
「水飲むかな。あと滑らないようにマット敷いた方がいいかも」
「颯太」
「ん?」
「なんでリボンって名前なんだろうね」
そう言いながら、涼はスマホを取り出して和真さんにメッセージを送ってる。
すぐに返事が来たらしく、画面を見せてくれた。
『知人が「結ぶ」とか「絆」って意味で付けたらしい。人と人を繋ぐ存在になってほしいって』
「……いい名前だね」
「そうだね」
リボンは嬉しそうに部屋中を探検してる。
「リボン、こっちおいで」
呼ぶと、ぱたぱたと走ってくる。
そのとき、テーブルの端に置いていた本が落ちた。
小さな音に、びくっとしたのはリボンだった。
何……どうしたの?
体を縮めて、動かない。
さっきまでの元気な様子が嘘みたいだ。
「……あ」
たしかこの子、元の飼い主に叩かれたり怒鳴られたりしてたんだよね。
涼がすぐしゃがんで、少し距離を空けたまま目線だけ合わせてる。
「大丈夫。びっくりしたね」
低くて、ゆっくりした声。
「ここ、怒る人いないよ」
手を出さずに待ってるんだ。
呼ばずに、選ばせてる。
少しして、リボンの鼻が動いた。それから、おそるおそる一歩。
「うん、来れるね。えらい」
そこで初めて、そっと撫でる。
撫で方も確かめるみたいに静かだった。
「リボンを傷つけないよ。絶対に」
俺もそっと頭を撫でてやると、リボンが少しだけ尻尾を振った。
夜。
寝室の扉を開けると、リボンが迷いなく中に入ってきた。
「……あ、そこも来るんだ」
ベッドの横でくるくる回って、場所を決めようとしている。
「リボン用の寝床、リビングに用意したけど」
「でもここがいいみたいだね」
ベッドの横に丸く収まったリボンが、もう完全に「ここで寝ます」って顔してる。
「……さすがに今日は動かすのかわいそうか」
「だね」
電気を落として、ベッドに入る。
いつもと同じはずなのに、足元にもう一つ気配があるだけで、少し違う感じがした。
「颯太、端に寄りすぎ」
「いや、リボン踏まないようにと思って」
「大丈夫だよ。もっとこっちおいで」
そのまま引き寄せられて、優しい力で腕が回された。
「颯太、好きだよ」
すぐ近くで穏やかな声と、涼の体温。
「……俺も」
答えた瞬間、唇が重なった。
涼の手が胸に伸びてきて……
「ん、あっ……」
声が出ちゃった瞬間、涼がまたキスで口を塞ぐ。
優しくて、甘くて。
「颯太、可愛い」
「涼……」
「もっと触りたいけど、リボンいるしね」
涼がくすっと笑って、手を止めた。
足元ではリボンが小さく動く。
位置を確かめるみたいに、また丸くなった。
「ごめん、颯太が可愛くてさ。もう一回だけ」
顔が近づいたと思ったら、軽く触れるキス。
やっぱり、こんなの慣れるわけない……。
*
朝、目を覚ますと隣に涼がいる。
それ自体は前から変わらないんだけど、今はもう恋人だから。
「おはよう」
低い声が聞こえて、完全に目が覚める。
「おはよう」
「颯太、可愛いね」
額に落ちてくるキス。
「……あ、朝から?」
「朝からだよ」
顔を上げると、涼が笑っていた。
その表情を見るだけで、胸の奥がふっと緩む。
「颯太の寝顔も可愛かったけど、起きてるときは最高に可愛いから」
そう言って、またキスされた。
なんでこんなに余裕なんだろう。
俺ばっかり、毎回ドキドキしてるじゃん。
キッチンに立つと、後ろから小さな足音がついてくる。
振り返ると、リボンがぴたりと足元に座っていた。
「リボン、朝ご飯作るんだよ」
冷蔵庫を開けて、中を確認する。
卵、挽き肉、野菜。
「今日は和風オムレツにしようかな」
ご飯を炊いて出汁を火にかけて、いつも通りの落ち着く手順。
手を動かしていると、自然と鼻歌が出る。
涼のために料理を作る。
それが「仕事」じゃなくなったことが、少し不思議で、すごく嬉しい。
包丁の音に、リボンの耳がぴくぴく動く。
怖がる様子はなくて、ただずっとこっちを見てる。
「……そんなに気になる?」
答える代わりに、立ち上がって少しだけ距離を詰めてくる。
「もしかして、手伝う気?」
「ワン」
返事みたいに尻尾を振るから、ちょっと笑ってしまう。
「え、賢……」
「颯太、懐かれてるね」
いつの間にか、涼が背後に立っていた。
「見てたの?」
「うん。ずっと追いかけてる」
「もうすぐできるよ。座ってていいのに」
「んー……でも、見てたい」
そう言って、邪魔にならない距離で止まる。
「じゃあ涼、味噌汁の味見してもらっていい?」
「いいよ」
差し出したお椀を受け取って、一口。
「うん。ちょうどいい。颯太の味だね」
「俺の味って何」
「落ち着く味」
「はい、もういいから座ってて」
「うん」
素直に引き下がるくせに、途中でリボンの頭を撫でるのも忘れない。
「リボンも、もう少しでご飯だよ」
穏やかな声に、リボンの尻尾がゆっくり揺れる。
この人、犬にも同じ話し方するんだね……。
食事を終える頃には、リボンはすっかりリビングの真ん中でくつろいでいた。
新しい場所なのに、変に落ち着いてる。
「順応早いね」
「大物かも」
食器を片付けて戻ると、リボンが立ち上がって、また俺の後をついてくる。
「じゃあ、そろそろ行くね」
玄関で涼を見送るとき。
「涼」
「ん?」
背伸びして、軽く唇を重ねる。
俺からの行ってらっしゃいのキス。
涼の目が、一瞬丸くなった。
……あ、照れてる?
貴重だよね、涼のこの顔。
「……ずるいな」
「え?」
「颯太からキスされると、仕事行きたくなくなる」
そう言いながら、涼の腕が俺を引き寄せた。
「もう一回」
今度は涼から。深くて、甘くて。
「……涼、遅刻する」
「颯太のせいだね。責任取って、帰ったらまたキスして」
「えっ……」
「じゃあ颯太、リボン。行ってくるね」
「い、いってらっしゃい」
「ワン!」
ドアが閉まって、一人と一匹。
うわぁ……。
しゃがんで、リボンを撫でる。
「リボン、パパは甘すぎるよね……」
涼がドアを開けると、和真さんが申し訳なさそうな顔をしていた。
「涼、悪い。ちょっと預かってほしいんだよね」
「……預かるって何を?」
すると、和真さんの足元から白い塊がひょこっと顔を出した。
……犬だ。
丸い目でこちらを見上げて、状況をまったく理解していない顔をしている。
「え、なに……かわいい」
思わず声が出た。
「知人が保護したんだけど、急に入院することになって。面倒見る人が必要になった」
「で、なんでうちに連れてきたんだよ」
「俺のマンション、ペット不可なの。それにお前んとこ、今一番“人がいる家”っぽいから」
意味がわからない理屈を堂々と言い切る和真さん。
その間にも、犬はとことこと玄関に入り込んできて、涼の靴に鼻を押し付けている。
「……もう入ってるけど」
思わずしゃがみこんで、そっと頭を撫でた。犬は一瞬で尻尾を振り始める。
「あ、全然人見知りしないタイプだ」
「名前はリボン。三歳、オス」
「……リボン?」
優しく名前を呼んでみたら、尻尾をぶんぶん振ってる。
「この子さ、元の飼い主に酷い虐待されて捨てられたらしい。知人が保護したんだけど……」
和真さんが少しだけ表情を曇らせる。
「しばらく面倒見てたらしいんだけど、そいつ急病で入院。家族もいなくて、俺も一人じゃ面倒見られなくて」
「そっか……」
リボンは嬉しそうに俺の顔を舐めてきた。
「……この子、悪くないのにね」
なんか……俺とちょっと似てるよね。
何も悪くないのに、理不尽に傷つけられてさ。
「颯太は、犬好き?」
「うん。昔、実家で飼ってた」
「じゃあ……この子、うちで預かろうか」
涼の言葉に驚いて、顔を上げる。
「え、でも」
「颯太が安心してる場所なら、この子も大丈夫だから」
俺の頭をぽんぽんと叩く涼。
……なんでそんなに嬉しそうな顔するの。
「和真さ、俺が断ったらどうするつもりだったんだよ」
「いや、お前犬飼いたいっつってたじゃん」
「言ってたけど……」
「それに、涼なら断わらないと思ってた」
二人が話してる間も、リボンは尻尾を振って嬉しそうにしてる。
和真さんも満足そうに笑ってる。
「涼、颯太くん、ありがとうな。これ最低限のグッズ。他に必要なものはあとで届けるから。じゃ、頼んだ」
「おい、和真――」
涼が引き止める前に、扉が閉まった。
玄関に沈黙が落ちる。
リボンは状況も気にせず、今度は涼の周りをうろうろしていた。
「……どうする?」
「どうするって、預かるんでしょ? リボン、よろしくね」
俺はもう完全に受け入れる体勢に入ってる。
「水飲むかな。あと滑らないようにマット敷いた方がいいかも」
「颯太」
「ん?」
「なんでリボンって名前なんだろうね」
そう言いながら、涼はスマホを取り出して和真さんにメッセージを送ってる。
すぐに返事が来たらしく、画面を見せてくれた。
『知人が「結ぶ」とか「絆」って意味で付けたらしい。人と人を繋ぐ存在になってほしいって』
「……いい名前だね」
「そうだね」
リボンは嬉しそうに部屋中を探検してる。
「リボン、こっちおいで」
呼ぶと、ぱたぱたと走ってくる。
そのとき、テーブルの端に置いていた本が落ちた。
小さな音に、びくっとしたのはリボンだった。
何……どうしたの?
体を縮めて、動かない。
さっきまでの元気な様子が嘘みたいだ。
「……あ」
たしかこの子、元の飼い主に叩かれたり怒鳴られたりしてたんだよね。
涼がすぐしゃがんで、少し距離を空けたまま目線だけ合わせてる。
「大丈夫。びっくりしたね」
低くて、ゆっくりした声。
「ここ、怒る人いないよ」
手を出さずに待ってるんだ。
呼ばずに、選ばせてる。
少しして、リボンの鼻が動いた。それから、おそるおそる一歩。
「うん、来れるね。えらい」
そこで初めて、そっと撫でる。
撫で方も確かめるみたいに静かだった。
「リボンを傷つけないよ。絶対に」
俺もそっと頭を撫でてやると、リボンが少しだけ尻尾を振った。
夜。
寝室の扉を開けると、リボンが迷いなく中に入ってきた。
「……あ、そこも来るんだ」
ベッドの横でくるくる回って、場所を決めようとしている。
「リボン用の寝床、リビングに用意したけど」
「でもここがいいみたいだね」
ベッドの横に丸く収まったリボンが、もう完全に「ここで寝ます」って顔してる。
「……さすがに今日は動かすのかわいそうか」
「だね」
電気を落として、ベッドに入る。
いつもと同じはずなのに、足元にもう一つ気配があるだけで、少し違う感じがした。
「颯太、端に寄りすぎ」
「いや、リボン踏まないようにと思って」
「大丈夫だよ。もっとこっちおいで」
そのまま引き寄せられて、優しい力で腕が回された。
「颯太、好きだよ」
すぐ近くで穏やかな声と、涼の体温。
「……俺も」
答えた瞬間、唇が重なった。
涼の手が胸に伸びてきて……
「ん、あっ……」
声が出ちゃった瞬間、涼がまたキスで口を塞ぐ。
優しくて、甘くて。
「颯太、可愛い」
「涼……」
「もっと触りたいけど、リボンいるしね」
涼がくすっと笑って、手を止めた。
足元ではリボンが小さく動く。
位置を確かめるみたいに、また丸くなった。
「ごめん、颯太が可愛くてさ。もう一回だけ」
顔が近づいたと思ったら、軽く触れるキス。
やっぱり、こんなの慣れるわけない……。
*
朝、目を覚ますと隣に涼がいる。
それ自体は前から変わらないんだけど、今はもう恋人だから。
「おはよう」
低い声が聞こえて、完全に目が覚める。
「おはよう」
「颯太、可愛いね」
額に落ちてくるキス。
「……あ、朝から?」
「朝からだよ」
顔を上げると、涼が笑っていた。
その表情を見るだけで、胸の奥がふっと緩む。
「颯太の寝顔も可愛かったけど、起きてるときは最高に可愛いから」
そう言って、またキスされた。
なんでこんなに余裕なんだろう。
俺ばっかり、毎回ドキドキしてるじゃん。
キッチンに立つと、後ろから小さな足音がついてくる。
振り返ると、リボンがぴたりと足元に座っていた。
「リボン、朝ご飯作るんだよ」
冷蔵庫を開けて、中を確認する。
卵、挽き肉、野菜。
「今日は和風オムレツにしようかな」
ご飯を炊いて出汁を火にかけて、いつも通りの落ち着く手順。
手を動かしていると、自然と鼻歌が出る。
涼のために料理を作る。
それが「仕事」じゃなくなったことが、少し不思議で、すごく嬉しい。
包丁の音に、リボンの耳がぴくぴく動く。
怖がる様子はなくて、ただずっとこっちを見てる。
「……そんなに気になる?」
答える代わりに、立ち上がって少しだけ距離を詰めてくる。
「もしかして、手伝う気?」
「ワン」
返事みたいに尻尾を振るから、ちょっと笑ってしまう。
「え、賢……」
「颯太、懐かれてるね」
いつの間にか、涼が背後に立っていた。
「見てたの?」
「うん。ずっと追いかけてる」
「もうすぐできるよ。座ってていいのに」
「んー……でも、見てたい」
そう言って、邪魔にならない距離で止まる。
「じゃあ涼、味噌汁の味見してもらっていい?」
「いいよ」
差し出したお椀を受け取って、一口。
「うん。ちょうどいい。颯太の味だね」
「俺の味って何」
「落ち着く味」
「はい、もういいから座ってて」
「うん」
素直に引き下がるくせに、途中でリボンの頭を撫でるのも忘れない。
「リボンも、もう少しでご飯だよ」
穏やかな声に、リボンの尻尾がゆっくり揺れる。
この人、犬にも同じ話し方するんだね……。
食事を終える頃には、リボンはすっかりリビングの真ん中でくつろいでいた。
新しい場所なのに、変に落ち着いてる。
「順応早いね」
「大物かも」
食器を片付けて戻ると、リボンが立ち上がって、また俺の後をついてくる。
「じゃあ、そろそろ行くね」
玄関で涼を見送るとき。
「涼」
「ん?」
背伸びして、軽く唇を重ねる。
俺からの行ってらっしゃいのキス。
涼の目が、一瞬丸くなった。
……あ、照れてる?
貴重だよね、涼のこの顔。
「……ずるいな」
「え?」
「颯太からキスされると、仕事行きたくなくなる」
そう言いながら、涼の腕が俺を引き寄せた。
「もう一回」
今度は涼から。深くて、甘くて。
「……涼、遅刻する」
「颯太のせいだね。責任取って、帰ったらまたキスして」
「えっ……」
「じゃあ颯太、リボン。行ってくるね」
「い、いってらっしゃい」
「ワン!」
ドアが閉まって、一人と一匹。
うわぁ……。
しゃがんで、リボンを撫でる。
「リボン、パパは甘すぎるよね……」
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