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【第四章】運命の分岐点
4.世界が、また色を持った日
これは……赤。
トマトが……赤く見えた。
「……嘘……」
心臓がどくんと跳ねる。
見間違いかもしれない。
そう思って、もう一度、じっと見る。
ぼんやりしているけれど――確かに、赤だ。
灰色じゃない。
トマトの、赤。
「み……見えた……?」
指先がわずかに震える。
本当に?
本当に、見えてるの?
これって、夢じゃないよね……。
「湊!」
僕は包丁を置いて、リビングへ駆け出した。
「どうした?」
ソファで本を読んでいた湊が、驚いて顔を上げる。
「あのさ……トマトが……赤く、見えた」
一拍、空気が止まった。
静寂。
湊の目が、見開かれる。
「……本当に?」
湊が立ち上がり、僕の前まで来る。
視線が真っ直ぐ僕に向けられる。
「うん。一瞬だけど……でも、確かに赤だった」
その瞬間、湊の表情が変わった。
驚きと喜びが一気に溢れ出したみたいに。
「……すごいな」
「でも、まだぼんやりっていうか……」
不安が遅れて込み上げる。
「はっきりじゃなくて……」
もしかして、気のせいかもしれない。
錯覚かもしれない。そんな不安が――。
「それでも、見えたんだろ?」
湊の両手が僕の肩を掴む。
少しだけ、力がこもる。
「色が……戻ってきてるんだよ」
その言葉で、ようやく実感が追いついた。
「湊……」
視界が滲む。
次の瞬間、強く抱きしめられた。
僕もしがみつくように腕を回す。
「良かった……」
声にした途端、涙が溢れてきて、湊の胸に顔を押しつけた。
――翌日、診察を受けた。
椅子に腰掛けたまま、僕は自分の指先を見ていた。色は、まだ確信できない。
「最初に“赤”が見えるようになるケースは多いんです」
医師の声は落ち着いている。
「血や実り、命に近い色なので、脳が優先的に拾い上げやすい」
一度、言葉が途切れる。
その“間”に、期待していいのか考えてしまう。
「もし完全な錯覚なら、疑った瞬間に消えます。何度見ても残るなら……それは”気のせい”だけでは説明できません」
カルテから顔を上げ、こちらを見る。
「世界がいきなり鮮やかになることは、ほとんどありません。多くは、あなたのように、少しずつです」
医師は柔らかく言い切った。
ああ、大丈夫なんだ。
「心が先に、回復を受け取っている証拠です。戻り始めている可能性は、確かにありますよ」
――それから、少しずつ。
本当に、少しずつ。
世界が、変わっていった。
最初は、輪郭だけ。
色の「気配」みたいなもの。
でも、日を追うごとに――それは確かさを増していく。
数日後、朝食のテーブル。
コップを持ったまま手が止まる。
中身を、じっと見る。
「……オレンジ……だよね」
声に出してから、湊を見る。
「オレンジだな」
「……見える。ちゃんと、見える」
言い切った途端、喉が詰まる。
湊が何も言わず、ただ微笑んだ。
その顔を見て、ふと思う。
「湊の目……茶色なんだ」
「ああ。今さらだな」
笑う声が、いつもより近い。
一つ一つ、確かめるように。
世界が少しずつ、色を取り戻していく。
*
一ヶ月後、病院にて。
「ほぼ完全に回復していますね。数値も正常範囲内です」
思わず、湊の手を握った。
「良かった……」
医師は穏やかに続ける。
「精神的なストレスが原因だった場合、安心できる環境によって回復することもあります」
診察室を出て、廊下で立ち止まる。
「湊が……色を取り戻してくれた」
「俺じゃないよ」
湊は、静かに首を振る。
「ユウが、自分で取り戻したんだ」
「……でも」
「俺は、そばにいただけ」
「湊……」
「これからもっとたくさんの色を見よう」
「うん!」
色が戻ってから、世界は確かに変わった。
アトリエで、湊の絵を見る。
「……湊の絵って、こんなに綺麗な色だったんだ」
「そうだよ」
「今まで……灰色にしか見えなかったのに」
「それでも、ユウは綺麗だって言ってくれた」
湊が、少し照れたように微笑む。
「色が見えなくても、感じ取ってくれてたよね」
「……でも、見えると……もっと感動する」
一枚の絵の前で足が止まる。
「これ……」
ソファに座り、窓の外を見つめる――僕。
「ユウを、初めて描いた絵だよ」
「……色が見えない頃?」
「ああ」
初めて湊のモデルになった、あの日の僕だ。
「……今なら、わかる」
「何が?」
「優しい色」
柔らかな光と優しい色合い。
少し寂しそうで、それでも穏やかな表情。
「……綺麗」
「ユウが綺麗だから」
胸が、熱くなる。
「ユウ……」
「なに?」
「ヌードモデル、やってくれるか?」
一瞬思考が止まって、顔が熱くなる。
「え……」
「嫌なら断っていい。ただ……」
視線が、真剣だった。
「色を取り戻したお前を、全部描きたい」
「全部……」
「残したいんだ」
少しの沈黙のあと、僕は頷いた。
「……わかった」
「本当に?」
「うん。湊になら……全部、見せてもいい」
湊の表情が、ふっと柔らぐ。
「ありがとう」
その声は、どこまでも優しかった。
トマトが……赤く見えた。
「……嘘……」
心臓がどくんと跳ねる。
見間違いかもしれない。
そう思って、もう一度、じっと見る。
ぼんやりしているけれど――確かに、赤だ。
灰色じゃない。
トマトの、赤。
「み……見えた……?」
指先がわずかに震える。
本当に?
本当に、見えてるの?
これって、夢じゃないよね……。
「湊!」
僕は包丁を置いて、リビングへ駆け出した。
「どうした?」
ソファで本を読んでいた湊が、驚いて顔を上げる。
「あのさ……トマトが……赤く、見えた」
一拍、空気が止まった。
静寂。
湊の目が、見開かれる。
「……本当に?」
湊が立ち上がり、僕の前まで来る。
視線が真っ直ぐ僕に向けられる。
「うん。一瞬だけど……でも、確かに赤だった」
その瞬間、湊の表情が変わった。
驚きと喜びが一気に溢れ出したみたいに。
「……すごいな」
「でも、まだぼんやりっていうか……」
不安が遅れて込み上げる。
「はっきりじゃなくて……」
もしかして、気のせいかもしれない。
錯覚かもしれない。そんな不安が――。
「それでも、見えたんだろ?」
湊の両手が僕の肩を掴む。
少しだけ、力がこもる。
「色が……戻ってきてるんだよ」
その言葉で、ようやく実感が追いついた。
「湊……」
視界が滲む。
次の瞬間、強く抱きしめられた。
僕もしがみつくように腕を回す。
「良かった……」
声にした途端、涙が溢れてきて、湊の胸に顔を押しつけた。
――翌日、診察を受けた。
椅子に腰掛けたまま、僕は自分の指先を見ていた。色は、まだ確信できない。
「最初に“赤”が見えるようになるケースは多いんです」
医師の声は落ち着いている。
「血や実り、命に近い色なので、脳が優先的に拾い上げやすい」
一度、言葉が途切れる。
その“間”に、期待していいのか考えてしまう。
「もし完全な錯覚なら、疑った瞬間に消えます。何度見ても残るなら……それは”気のせい”だけでは説明できません」
カルテから顔を上げ、こちらを見る。
「世界がいきなり鮮やかになることは、ほとんどありません。多くは、あなたのように、少しずつです」
医師は柔らかく言い切った。
ああ、大丈夫なんだ。
「心が先に、回復を受け取っている証拠です。戻り始めている可能性は、確かにありますよ」
――それから、少しずつ。
本当に、少しずつ。
世界が、変わっていった。
最初は、輪郭だけ。
色の「気配」みたいなもの。
でも、日を追うごとに――それは確かさを増していく。
数日後、朝食のテーブル。
コップを持ったまま手が止まる。
中身を、じっと見る。
「……オレンジ……だよね」
声に出してから、湊を見る。
「オレンジだな」
「……見える。ちゃんと、見える」
言い切った途端、喉が詰まる。
湊が何も言わず、ただ微笑んだ。
その顔を見て、ふと思う。
「湊の目……茶色なんだ」
「ああ。今さらだな」
笑う声が、いつもより近い。
一つ一つ、確かめるように。
世界が少しずつ、色を取り戻していく。
*
一ヶ月後、病院にて。
「ほぼ完全に回復していますね。数値も正常範囲内です」
思わず、湊の手を握った。
「良かった……」
医師は穏やかに続ける。
「精神的なストレスが原因だった場合、安心できる環境によって回復することもあります」
診察室を出て、廊下で立ち止まる。
「湊が……色を取り戻してくれた」
「俺じゃないよ」
湊は、静かに首を振る。
「ユウが、自分で取り戻したんだ」
「……でも」
「俺は、そばにいただけ」
「湊……」
「これからもっとたくさんの色を見よう」
「うん!」
色が戻ってから、世界は確かに変わった。
アトリエで、湊の絵を見る。
「……湊の絵って、こんなに綺麗な色だったんだ」
「そうだよ」
「今まで……灰色にしか見えなかったのに」
「それでも、ユウは綺麗だって言ってくれた」
湊が、少し照れたように微笑む。
「色が見えなくても、感じ取ってくれてたよね」
「……でも、見えると……もっと感動する」
一枚の絵の前で足が止まる。
「これ……」
ソファに座り、窓の外を見つめる――僕。
「ユウを、初めて描いた絵だよ」
「……色が見えない頃?」
「ああ」
初めて湊のモデルになった、あの日の僕だ。
「……今なら、わかる」
「何が?」
「優しい色」
柔らかな光と優しい色合い。
少し寂しそうで、それでも穏やかな表情。
「……綺麗」
「ユウが綺麗だから」
胸が、熱くなる。
「ユウ……」
「なに?」
「ヌードモデル、やってくれるか?」
一瞬思考が止まって、顔が熱くなる。
「え……」
「嫌なら断っていい。ただ……」
視線が、真剣だった。
「色を取り戻したお前を、全部描きたい」
「全部……」
「残したいんだ」
少しの沈黙のあと、僕は頷いた。
「……わかった」
「本当に?」
「うん。湊になら……全部、見せてもいい」
湊の表情が、ふっと柔らぐ。
「ありがとう」
その声は、どこまでも優しかった。
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