32 / 48
30:秘匿(1)
しおりを挟む
次の日、ライナスがエルシーの様子を見に行くと、エルシーは眠っていた。痛み止めの副作用でどうしても眠っている時間が多くなってしまうらしい。
その寝顔を見つめながら、ライナスはエルシーの左手を自身の両手で包み、物思いにふける。
母親のことを話した時に、エルシーがライナスを慰めようとしてくれていたことに彼は気づいていた。けれど、その言葉を聞いたら、きっとエルシーを手放せなくなると、その言葉をはばんだ。
エルシーが婚約者として任命式に参加することに不安を抱えていたという母の言葉がライナスを臆病にさせたのだ。
エルシーにとっては、仮初の関係。約束通り、解放しなくてはいけない。だから、エルシーが無事だったというそれだけで良い。それ以上は、望まない。
ただ、この関係が終わるまでは、傍で彼女のいろんな表情を見ていたい。
「……エルシー、あなたのことが好きだ」
小さく呟いた言葉は、ライナスの胸の中だけに秘められていた。
◇
それから一週間後、エルシーの体にあった痣も薄くなり、痛みもほとんど感じなくなった頃、やっと医局から出ることが許された。使用人に手伝ってもらって病衣から、締め付けの少ないドレスへと着替える。
この一週間で、あれこれと考えを巡らせていたエルシーは自分の役割が終わったことにすでに気づいていた。おそらく近いうちに婚約者候補の任は解かれ、ただの伯爵令嬢に戻るのだろう。
部屋に戻ったら、荷物をまとめて屋敷へ戻る準備をしなくてはと、エルシーは胸に燻る想いにも蓋をする。
王城の貸し与えられていた部屋へ戻ると、使用人に声をかけ、外へ出ていてもらった。これだけ動ければ、いつ屋敷に戻るように言われてもおかしくはないので、もう荷物をまとめておこうと思ったのだ。
二ヶ月の間に溜まった私物はそこそこの量になった。それらを持ってきてもらった時のようにまとめていく。
ふと、自分で刺繍を刺したハンカチが目に入った。ライナスが契約の終わりまで貸してくれるという青い花のイヤリングをイメージして暇つぶしに刺したものだ。
ドレスやイヤリングのお礼に何か返そうと思い立って作ったものの、なかなかその機会は訪れなかった。
できればライナスに渡したいが、ラッピングなんて準備している時間はあるだろうかと部屋を見回す。部屋には当たり前だがそのようなものはない。どうしようかとハンカチを見つめ、しばし考え込む。
すると、扉がノックされた。外から、使用人が声をかけてくる。
「お嬢様、皇太子殿下がお呼びでございます」
「えぇ、今行くわ」
エルシーはドレスのポケットにハンカチを慌てて入れて、廊下に出た。いつものように、フィルが迎えに来ている。
久しぶりに顔を合わせる人物に会釈して、二人で連れ立って廊下を歩いた。
「クルック嬢、体は大丈夫ですか」
珍しく、フィルが自分から話しかけてきたので、エルシーは笑顔で答えた。
「えぇ。もうすっかり良くなりました。まだ少し痣が残ってしまっているのですが、この通りです」
「良かったです」
フィルの隣を歩きながら、ここを歩くのも、もしかしたらこれで最後かもしれないとエルシーは眉尻を下げた。
しかし、いつもならライナスの執務室へ行くために曲がるところで、フィルは曲がらない。
どこへ案内しているのかとエルシーは隣を歩くフィルの顔を伺った。その視線には気づいているのだろうが、フィルはもう、いつも通りの無口に戻っている。
しばらくしてたどり着いたのは、エルシーが初めてライナスと話をした部屋の前だった。フィルに促されて部屋へ入ると、ライナスとトレイシーがいる。
さらに、机の上には見覚えのある封筒があった。あの中には例の契約書を入れていたはずだ。
フィルはいつも通り扉の前で護衛として立ったままなので、エルシーは一人でライナスの座る向かいのソファへと進んだ。
「エルシー、どうぞかけてください」
「ありがとうございます、殿下」
エルシーがソファにかけると、使用人がお茶を入れて部屋を出ていく。部屋の中に三人だけになったところで、ライナスが口を開いた。
その寝顔を見つめながら、ライナスはエルシーの左手を自身の両手で包み、物思いにふける。
母親のことを話した時に、エルシーがライナスを慰めようとしてくれていたことに彼は気づいていた。けれど、その言葉を聞いたら、きっとエルシーを手放せなくなると、その言葉をはばんだ。
エルシーが婚約者として任命式に参加することに不安を抱えていたという母の言葉がライナスを臆病にさせたのだ。
エルシーにとっては、仮初の関係。約束通り、解放しなくてはいけない。だから、エルシーが無事だったというそれだけで良い。それ以上は、望まない。
ただ、この関係が終わるまでは、傍で彼女のいろんな表情を見ていたい。
「……エルシー、あなたのことが好きだ」
小さく呟いた言葉は、ライナスの胸の中だけに秘められていた。
◇
それから一週間後、エルシーの体にあった痣も薄くなり、痛みもほとんど感じなくなった頃、やっと医局から出ることが許された。使用人に手伝ってもらって病衣から、締め付けの少ないドレスへと着替える。
この一週間で、あれこれと考えを巡らせていたエルシーは自分の役割が終わったことにすでに気づいていた。おそらく近いうちに婚約者候補の任は解かれ、ただの伯爵令嬢に戻るのだろう。
部屋に戻ったら、荷物をまとめて屋敷へ戻る準備をしなくてはと、エルシーは胸に燻る想いにも蓋をする。
王城の貸し与えられていた部屋へ戻ると、使用人に声をかけ、外へ出ていてもらった。これだけ動ければ、いつ屋敷に戻るように言われてもおかしくはないので、もう荷物をまとめておこうと思ったのだ。
二ヶ月の間に溜まった私物はそこそこの量になった。それらを持ってきてもらった時のようにまとめていく。
ふと、自分で刺繍を刺したハンカチが目に入った。ライナスが契約の終わりまで貸してくれるという青い花のイヤリングをイメージして暇つぶしに刺したものだ。
ドレスやイヤリングのお礼に何か返そうと思い立って作ったものの、なかなかその機会は訪れなかった。
できればライナスに渡したいが、ラッピングなんて準備している時間はあるだろうかと部屋を見回す。部屋には当たり前だがそのようなものはない。どうしようかとハンカチを見つめ、しばし考え込む。
すると、扉がノックされた。外から、使用人が声をかけてくる。
「お嬢様、皇太子殿下がお呼びでございます」
「えぇ、今行くわ」
エルシーはドレスのポケットにハンカチを慌てて入れて、廊下に出た。いつものように、フィルが迎えに来ている。
久しぶりに顔を合わせる人物に会釈して、二人で連れ立って廊下を歩いた。
「クルック嬢、体は大丈夫ですか」
珍しく、フィルが自分から話しかけてきたので、エルシーは笑顔で答えた。
「えぇ。もうすっかり良くなりました。まだ少し痣が残ってしまっているのですが、この通りです」
「良かったです」
フィルの隣を歩きながら、ここを歩くのも、もしかしたらこれで最後かもしれないとエルシーは眉尻を下げた。
しかし、いつもならライナスの執務室へ行くために曲がるところで、フィルは曲がらない。
どこへ案内しているのかとエルシーは隣を歩くフィルの顔を伺った。その視線には気づいているのだろうが、フィルはもう、いつも通りの無口に戻っている。
しばらくしてたどり着いたのは、エルシーが初めてライナスと話をした部屋の前だった。フィルに促されて部屋へ入ると、ライナスとトレイシーがいる。
さらに、机の上には見覚えのある封筒があった。あの中には例の契約書を入れていたはずだ。
フィルはいつも通り扉の前で護衛として立ったままなので、エルシーは一人でライナスの座る向かいのソファへと進んだ。
「エルシー、どうぞかけてください」
「ありがとうございます、殿下」
エルシーがソファにかけると、使用人がお茶を入れて部屋を出ていく。部屋の中に三人だけになったところで、ライナスが口を開いた。
0
あなたにおすすめの小説
結婚結婚煩いので、愛人持ちの幼馴染と偽装結婚してみた
夏菜しの
恋愛
幼馴染のルーカスの態度は、年頃になっても相変わらず気安い。
彼のその変わらぬ態度のお陰で、周りから男女の仲だと勘違いされて、公爵令嬢エーデルトラウトの相手はなかなか決まらない。
そんな現状をヤキモキしているというのに、ルーカスの方は素知らぬ顔。
彼は思いのままに平民の娘と恋人関係を持っていた。
いっそそのまま結婚してくれれば、噂は間違いだったと知れるのに、あちらもやっぱり公爵家で、平民との結婚など許さんと反対されていた。
のらりくらりと躱すがもう限界。
いよいよ親が煩くなってきたころ、ルーカスがやってきて『偽装結婚しないか?』と提案された。
彼の愛人を黙認する代わりに、贅沢と自由が得られる。
これで煩く言われないとすると、悪くない提案じゃない?
エーデルトラウトは軽い気持ちでその提案に乗った。
捨てられ侯爵令嬢ですが、逃亡先で息子と幸せに過ごしていますので、邪魔しないでください。
蒼月柚希
恋愛
公爵様の呪いは解かれました。
これで、貴方も私も自由です。
……だから、もういいですよね?
私も、自由にして……。
5年後。
私は、ある事情から生まれ育った祖国を離れ、
親切な冒険者パーティーと、その地を治める辺境伯様のご家族に守られながら、
今日も幸せに子育てをしています。
だから貴方も勝手に、お幸せになってくださいね。
私のことは忘れて……。
これは、お互いの思いがこじれ、離れ離れになってしまった一組の夫婦の物語。
はたして、夫婦は無事に、離婚を回避することができるのか?
『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました
たくわん
恋愛
「跡継ぎを産めない貴女とは結婚できない」婚約者である公爵嫡男アレクシスから、冷酷に告げられた婚約破棄。その場で新しい婚約者まで紹介される屈辱。病弱な侯爵令嬢セラフィーナは、社交界の哀れみと嘲笑の的となった。
「転生したら推しの悪役宰相と婚約してました!?」〜推しが今日も溺愛してきます〜 (旧題:転生したら報われない悪役夫を溺愛することになった件)
透子(とおるこ)
恋愛
読んでいた小説の中で一番好きだった“悪役宰相グラヴィス”。
有能で冷たく見えるけど、本当は一途で優しい――そんな彼が、報われずに処刑された。
「今度こそ、彼を幸せにしてあげたい」
そう願った瞬間、気づけば私は物語の姫ジェニエットに転生していて――
しかも、彼との“政略結婚”が目前!?
婚約から始まる、再構築系・年の差溺愛ラブ。
“報われない推し”が、今度こそ幸せになるお話。
【本編完結】王子の寝た子を起こしたら、夢見る少女では居られなくなりました!
こさか りね
恋愛
私、フェアリエル・クリーヴランドは、ひょんな事から前世を思い出した。
そして、気付いたのだ。婚約者が私の事を良く思っていないという事に・・・。
婚約者の態度は前世を思い出した私には、とても耐え難いものだった。
・・・だったら、婚約解消すれば良くない?
それに、前世の私の夢は『のんびりと田舎暮らしがしたい!』と常々思っていたのだ。
結婚しないで済むのなら、それに越したことはない。
「ウィルフォード様、覚悟する事ね!婚約やめます。って言わせてみせるわ!!」
これは、婚約解消をする為に奮闘する少女と、本当は好きなのに、好きと気付いていない王子との攻防戦だ。
そして、覚醒した王子によって、嫌でも成長しなくてはいけなくなるヒロインのコメディ要素強めな恋愛サクセスストーリーが始まる。
※序盤は恋愛要素が少なめです。王子が覚醒してからになりますので、気長にお読みいただければ嬉しいです。
※本編完結しました。
溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~
夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」
弟のその言葉は、晴天の霹靂。
アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。
しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。
醤油が欲しい、うにが食べたい。
レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。
既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・?
小説家になろうにも掲載しています。
婚約破棄されたら騎士様に彼女のフリをして欲しいと頼まれました。
屋月 トム伽
恋愛
「婚約を破棄して欲しい。」
そう告げたのは、婚約者のハロルド様だ。
ハロルド様はハーヴィ伯爵家の嫡男だ。
私の婚約者のはずがどうやら妹と結婚したいらしい。
いつも人のものを欲しがる妹はわざわざ私の婚約者まで欲しかったようだ。
「ラケルが俺のことが好きなのはわかるが、妹のメイベルを好きになってしまったんだ。」
「お姉様、ごめんなさい。」
いやいや、好きだったことはないですよ。
ハロルド様と私は政略結婚ですよね?
そして、婚約破棄の書面にサインをした。
その日から、ハロルド様は妹に会いにしょっちゅう邸に来る。
はっきり言って居心地が悪い!
私は邸の庭の平屋に移り、邸の生活から出ていた。
平屋は快適だった。
そして、街に出た時、花屋さんが困っていたので店番を少しの時間だけした時に男前の騎士様が花屋にやってきた。
滞りなく接客をしただけが、翌日私を訪ねてきた。
そして、「俺の彼女のフリをして欲しい。」と頼まれた。
困っているようだし、どうせ暇だし、あまりの真剣さに、彼女のフリを受け入れることになったが…。
小説家になろう様でも投稿しています!
4/11、小説家になろう様にて日間ランキング5位になりました。
→4/12日間ランキング3位→2位→1位
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる