飴と鞭

真鉄

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横恋慕

1

「……吉岡? 吉岡じゃねえかよ。どうしたこんなとこで」

  たまたま目に入った駅のベンチでぐったりと座り込んでいた酔っ払いサラリーマンは、よく見ると同僚の吉岡だった。いつもは上げている前髪が無造作に額に落ち、少しずれた眼鏡もそのままに、硬いベンチの背もたれに寄りかかった姿勢で動かない。俺は肩を揺すり、吉岡に話しかけた。

「……あぁ、高田かぁ……」

  ふわふわした舌足らずな声、とろんと潤んだ目に血の上った頰、そして酒の匂い。こいつえらく酔ってやがる。俺ならともかく、真面目で神経質なところのある吉岡が、ここまで度を越した飲み方をするとは思わなかった。まあ、真面目だ、几帳面だとは言っても、提出物の期限をちゃんと守るとかデスクの周りを片付けてるとかそういうレベルの話であって、決して堅物というわけではないから、俺が知らないだけでこういうこともままあるのかもしれない。

  ちょっと待ってろ、と呼びかけて立ち上がり、自販機で冷たい茶のペットボトルを買って渡してやった。とろんとした目がぼんやりとペットボトルを見つめている。

「ほれ、これ飲んで酔い醒ませ」
「……すまん」

  半分閉じた目で冷えたペットボトルをじろじろと眺め回した後、蓋を開けようとしたが力が入りきらなかったのか滑るのか、諦めて手に持ったまま、また動かなくなってしまった。俺はその手からペットボトルを抜き取り、蓋を開けて口元まで持って行ってやった。

  最近吉岡は連日遅くまでの残業が続いていた。見かねた課長が、至急の用がないのなら帰れと今日は定時で帰らせたはずだった。まあ、それは100%課長の良心とかではなく、残業代を払いたくない会社の方針でもあるのだが。俺も少し残業して、その辺の定食屋で飯を食って、さあ帰ろうと駅に入ったら酔いつぶれた吉岡に会ったというわけだ。

  口元に押し付けられたペットボトルに手を添え、吉岡が茶を口にした。緩んだ襟元から覗く喉仏がぐびと上下する。俺はいつだかに吉岡の首筋についていたキスマークのことを思い出していた。吉岡はそのまま半分ほど飲み干し、赤い舌で唇についた水滴をちろりと舐めた。

  あのキスマーク事件以来、俺はどうにも吉岡に艶っぽさというか、いやらしさというか、何というかとにかく性的なものをふとした瞬間に感じることが多くなった。あの時は、何だよ真面目そうに見えて吉岡のくせに生意気だぞぐらいの軽い気持ちでからかっただけだった。だが、その後の恥じらいぶりや、目を伏せた微笑ときたら……。あれ以来、どうにもよろしくない。

  襟から覗くうなじにときめいたり、眼鏡を上げる長い指にいやらしさを感じたり、肌が綺麗だなと気がつけばぼんやり眺めていたりと全くよろしくない。俺は元来おっぱいのおっきなお姉ちゃんが大好きなのだ。少なくともこんな眼鏡のひょろい男になど――。と、ふと吉岡を見ると、再度ベンチに身を凭せ掛け、目を閉じて深い呼吸をしながら桜色に染まった首筋を晒していた。俺は生唾を飲んだ。よろしくない。全くもってよろしくない。

「……吉岡、起きろ。こんなとこで寝るわけにもいかんだろうが。家まで送ってやっから。お前んち、こっち方面で良いんだっけ?」

  俺は吉岡を揺り起こし、側の路線図看板を見た。むにゃむにゃと吉岡が呟いた駅名はこの線に乗り続けていれば着くようだ。ちなみに俺の住むところは、この線の途中で乗り換えなければならない。直通の立地が羨ましい。ちょうど特急が来たので、吉岡の腕を肩にかけて腰を抱き、無理やり立たせた。大学の頃にやってたラグビーで鍛えた筋肉の名残もあり、吉岡が細いこともあって、これくらいは楽勝だった。目の前の扉に乗り込む。吉岡の鞄も持ってやったし、見た限り特に忘れ物もなさそうだ。

  幸い何とか席に座ることができた。ぐにゃぐにゃの吉岡を座席の端に詰め、隣に俺が座る。しかし、さっき支えたときの腰の細さときたら何なんだ。俺は両手を輪っかの形にして考える。これくらいか? いやもう少し細いか? 両手でほとんど掴めちまうんじゃねえか? そんなバカなことを考えていると、肩に重みが加わった。首筋を何かがさらりと撫で、俺は思わず身をすくませた。見ると、目を閉じた吉岡が俺の肩に頭を乗せていた。

「……寝てんのか、オイ」
「……眠い」

  小声で訊くと、ぼんやりした答えが返ってきた。俺は腕を組み、仕方のねえ酔っ払いだなあ! 酔っ払い相手は面倒くせえなあ! という気持ちを表すしかめっ面をしつつ、おとなしく吉岡に肩を貸しておいた。前の座席に座っていた二人組のOLが俺たちを微笑ましいという目で見ているのが居心地が悪かった。

  少し視線を下げたところに目を閉じた吉岡の顔があった。改めてしげしげと観察する。別にまつ毛が長いとか濃いとかいうこともなく、多少髭が薄そうというぐらいで、後はどう見たっていたって普通のルックスの男だ。それなのに、この桜色の首筋に俺もキスマークを散らしてやりたい、と無性に思うのは何故だろう。あのキスマーク事件までは、そんなこと考えたこともなかった。たまに会社帰りに飲みに行ったりする程度の仲、そこそこ気の合う同僚のうちの一人でしかなかったのに。

  むずむずしてきた股間を鞄で隠し、俺はそれ以上何も考えないことにした。それなのに吉岡の髪から匂うシャンプーと汗とアルコールの混ざった甘ったるい香りだとか、スラックスの布を通して隣り合った太腿の温度だとかが気になって仕方がなかった。

  鬼瓦のような表情の俺と、俺の肩に頭を預けてすやすやと眠る吉岡を乗せて電車は走る。しばらくして、吉岡が言っていた駅名をアナウンスが告げた。俺は手を伸ばして吉岡の太腿を軽く叩いて揺らした。

「おい、起きろ、吉岡」
「……ここは?」

  寝ぼけ眼の吉岡に地名を告げると、何とか身を起こして眼鏡を上げ、ぐったりと目を閉じたまま何度か頷いた。疲れたように口を開く。

「……悪かったな、高田。お前、確かこっちの路線じゃなかっただろ」
「こんなぐでぐでの酔っ払い、見つけたからには放っておけるかよ。駅に着いたらタクシーで帰んな」
「……帰りたくないな」

  宙空を見据えた吉岡がぽつりと小さな声で呟いた。その横顔を見ながら、最近残業が多かったのは家に帰りたくなかったからなのか、と俺は推測する。俺は小声で訊いた。

「彼女と喧嘩でもしたのか?」

  吉岡はちらりと俺を見て、黙って寂しげな微笑を寄越しただけだった。違うのか、違わないのか。それとももう別れたとか、そういうことなのだろうか。俺が更に口を開こうとしたとき、電車が駅に着いた。

「――降りるぞ」

  幾分マシになった吉岡の腕を取ると、それはするりと俺の肩に回った。酔っ払いの介護は大変だなあ! マジ面倒! という気持ちを表す鬼瓦の表情のまま、その手を掴み、吉岡の細い腰に手を回して立ち上がらせると、そのまま二人で電車を降りた。向かいのOLがほっこりした顔でこちらを見守っているのが見えたような気がした。

「おい、お前定期は?」
「ん……」

  俺の耳元で艶のある気だるげな声を出すのはやめてほしい。内ポケットをごそごそと探り、角の丸まった定期入れを出す。俺も吉岡を抱えた不自然な姿勢のままカバンから何とか定期入れを取り出し、改札を出た。誰もいないタクシー乗り場で空車を待つ。吉岡が俺に全力で身を凭せ掛けているものだから手を離すに離せず、抱えたままの姿勢で並び続けた。

「……高田」
「ん?」
「……うち、来いよ」

  低い声で囁かれ、不覚にも背筋がぞくぞくと震えた。吉岡が顔を上げ、濡れた目でこちらを見つめていた。5cmと離れていない距離に吉岡の顔がある。俺は笑おうとしたが笑えなかった。すがるような目で俺を見つめる吉岡に魅入られたように目が吸い寄せられていた。

「……寂しいんだよ」

  その艶やかな囁き声に俺はぶるりと震えた。俺は何を考えてんだ。吉岡にしてみりゃ、酒が飲み足りない、ぐらいの話じゃねえかよ。なら俺が監督して飲みすぎないように見てやればいい。まだ十時前だ。終電で帰れば何とかなる。既に吉岡が飲みすぎている点に目を瞑り、俺は頷いた。

「分かった分かった。一緒に居てやるよ」

  思いの外優しい声が出た。吉岡が目の縁を赤くした顔でふわりと嬉しげに微笑んだ。バカ、ときめいてんじゃねえよ、鎮まれ。俺は吉岡から目を反らし、自分の胸に毒づいた。
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